第2-10話 どうか、よしなに

「ど、どうし……」


「こうなっては腹をくくるしかないよ」


 言いつつ、照勇は自身の股間をぎゅっと手でおさえた。


「おやおや、股間に蛇とはなんとも滑稽だ」


 いつのまにか沢蓮至が背後に立っている。


「毒が多すぎると逆効果になるので、もうこの辺でいいでしょう」


 沢蓮至はひょいと蛇の首をつかむと、手際よく魚籠に入れて布袋におさめた。


「へんなところを噛ませちゃってごめんね、蛇くん。病気にならないといいなあ」


「朱老太婆はどうしたの」


「いやあ、いい道具を持ってくると言って抜け出してきたんだ。顔は見られていないからこのまま、……ん、階下から足音がする。まずいな、女将がわたしを探しているようだ。わたしは退散することにするよ。この蛇は隙を見て戻しておくから心配しないでいい」


「蛇なんかより、この人はどうなるんです?」


 弓月が客を指さす。


「運があれば助かる。朝になったら医者に診てもらったほうがいい。……悪いが厠にも行きたいんだ、すまんな」


 そういえば沢蓮至は厠に行く途中だった。尿意を我慢して照勇たちを助けてくれたのだ。

 見ず知らずの人間にこれほど親切なのに、なぜ照勇を殺そうとする殺し屋とねんごろなのか、不思議でしょうがない。

 もしや自分が気づいていないだけで、照勇はいつのまにか悪者側になっていたのではないか、とまで考えた。袖に隠した小刀にそっと触れて、勇気を奮い立たす。沢蓮至に直接質そうと、腰を上げた。


「わたしも厠に行ってくるね」


「え、やだ、一人にしないで」


 手をつかまれる。


「すぐに戻ってくるから」


「朱老太婆に見つかるよ。ここにいて」


「……弓月」


 沢蓮至と話をする機会はいまを逃したらもうないかもしれない。だが弓月の力が思いのほか強く、照勇を頼りにしていることが如実に伝わってくる。どうすべきかと迷っていたところ、


「なにしてるんだい!?」


 朱老太婆の酒焼け声に、照勇と弓月は思わず首をすくめる。


「五娘、なんでおまえがこんなとこに──」


 抜け目なく寝台に目を走らせるや、朱老太婆は驚愕の表情になった。


「弓月、おまえ、お客さまの股間に噛みついたのかい。ああ、血が止まらないじゃないか。なんてことをしてくれるんだい」


「わ、わたしじゃありません、クサリヘビです!」


 朱老太婆はしばらく客の股間を圧迫していたが細い糸のような流血は止まりそうにない。


「こんな状態で大いびきとは、良くない兆候だねえ」


 部屋を出て、廊下の隅に垂れている紐を引っ張ると、寝ずの番の用心棒が上がってきた。


「医者を叩き起こして連れてきな」


 朱老太婆は神妙な顔で命じた。




「わたしが、悪いんです」


 弓月が経緯を話すのを照勇は隣に座って聞いた。ただし沢蓮至の存在と蛇を借りたことははぶいた。朱老太婆は頭を抱えて唸る。


「蛇はいったいどこから……。まさか預かった蛇が抜け出したんじゃないだろうね」


 管理が甘かったのかと呟き、苦い顔をした朱老太婆はたしかめにいった。


「預かってたクサリヘビはちゃんといたよ。変だねえ」


 複雑な表情で戻ってきた朱老太婆は、背後に医者を伴っていた。ちょうど到着したところだったようだ。

 狭い部屋にさらに数人の男たちが入ってきて「若旦那」と口々に声をかけては揺り起こそうとする。医者が止めた。


 客は町で一番の茶商の跡取り息子だというから、茶葉の香りをまとっている男たちは店の奉公人だろうか。医者が指示して、眠り続ける客を戸板に載せると、あっという間に運び出した。

 照勇は弓月の肩を支えながら廊下の隅でじっと見守った。


「……面倒くさいことになりそうだねえ」


 朱老太婆は溜息をこぼした。


「面倒くさいことってまさか弓月が巻き込まれたりしないですよね」


「医者の顔、見ただろ。あの男はおそらく助からないよ」


 朱老太婆の見立てを聞いて、弓月はぶると身体を震わせる。


「弓月、いいかい。おまえは押し退けたりなんかしなかったんだよ。客が勝手に足を滑らせて柱にぶつかったんだ。そのうえ忍び込んだ蛇に股間を噛まれるという不運が重なったんだ、いいね」


 朱老太婆は弓月にウソをつくように念押しした。

 公案小説ではウソをつく者に良い結末は待っていないものだ。

 だが弓月が罪に問われるのも耐えがたい。物語と現実は違うのだ。なんとかうまく切り抜けるしかない。


「芙蓉姐さんのお客さんに相談してみたらどうでしょう。知事の随行員だと言っていましたから」


 妓楼側から届け出ることで誠実さを汲み取ってもらえないだろうか。


「そうだね。先手を打つか」


 朱老太婆は芙蓉の部屋に飛んでいった。


「李高さま、これでどうか、よしなに」


 李高は寝ぼけ眼だった。その袖の中に朱老太婆は持ち重りのするものを押し込んだ。


「いやあ、このようなことをされては……」


「ほんの手間賃ですので、どうかどうか、お納めください」


「そうですか、それでは遠慮なく」


 李高は丸窓からまだ明けやらぬ空を見上げて、


「今から官衙に行って知事に話をしてきましょう。なあに、早起きが得意なかたなんで心配いりませんよ」


 と言い残して出て行った。その背中を芙蓉は頼もしげに見送る。

 最後の夜を邪魔してしまったのは、なんとも心苦しい。

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