第2-9話 蓮至の診断

「どうかしたのかい、ずいぶん急いでいるが」


「お、お客さま……のようすが……」


 喉がひきつり、声が裏返る。

 蓮至は神妙な顔になったが、目の前にいるのが照勇だと気づいたわけではなさそうだった。


「ようすがおかしいのかい。わたしは医術の心得がある。診てみよう」


「はい、こちらです」


 名乗りたい気持ちをおさえて部屋にいれた。今は人の命がかかっている。蓮至の協力が必要だ。

 彼に医術の心得があることは、ともに暮らした十年のあいだに知る機会が幾度もあった。だから診てもらえば安心できる。

 蓮至は、しかし一目見るなり、「これはいけない。血の塊が脳の血管を詰まらせたのだ」と悲痛な声をあげた。


「お医者さまを……」


「いや、町医者などあてにならん。一刻を争う事態だ。このままにしておくと二度と目覚めないかもしれない。早く血塊を溶かさなければ」


「血を溶かす……どうしたら」


 弓月がはっと顔を上げた。


「昔、傷口の血がなかなか止まらなくなったことがあるわ」


「血が止まりにくい体質の人もいる」


 沢蓮至の言に、弓月は首を振った。


「そのときだけよ。瘡蓋かさぶたが出来にくかったのは」


「なにがあったの」


「ヒルに吸いつかれたの、手のひらくらい大きいヒルに」


 嫌な思い出なのだろう、弓月は顔をしかめた。


「それだ。クサリヘビに噛ませよう」


 沢蓮至がぽんと手を打った。

 意味がわからず、照勇は訊ねた。


「なんでクサリヘビが出てくるの?」


「クサリヘビに噛まれるとしばらく血が止まらなくなるんだ。ヒルの唾液と同じように血を固まらせない成分が入っているはずだ。上手く作用すれば凝固した血が溶けるかもしれないぞ」


 だがクサリヘビの毒はときに人の命を奪う。


「毒で死んでしまうかも……」


「それは、この男の持って生まれた運だろうよ」沢蓮至は短く言い放った。「どっちみち放っておきゃ死ぬか、死ななくても重い後遺症が残る」


「庭に行けばヒルが見つかるかも……」


 弓月はそう言うが妓楼の庭は人工だ。しかも冬の夜となると見つけるのは困難だろう。案の定、蓮至は反対した。


「悠長なことをやっていたら助かる者も助からん。店で預かったクサリヘビがあったろう。あれは天のお導きだ」


 三人は忍び足で階下に降りた。客の荷物は朱老太婆の部屋のどこかにしまわれている。

 足音を立てないよう、真っ暗な部屋に忍び込んだ。

 奥の衝立の裏には寝台があるらしく、規則正しい静かな寝息が聞こえてくる。


 三方にわかれて探していると、「うーん」と寝返りをうつ朱老太婆の気配がした。

 全員が手を止めて息をひそめる。ふたたび寝息が始まってほっとしていると蓮至が大きな手振りで合図を寄こした。引き出しから布袋をつまみだして照勇に見せる。

 暗くてよくわからなかったので手探りで形状を確かめる。なかでなにかが動く気配があった。

「これだ」と照勇が小声で呟くと、弓月はほっと息を吐いた。

 さっそく部屋に戻ろうと踵を返したそのとき、照勇はなにかに足を取られた。


「うわ」


 倒れそうになって卓子に手をついたら、卓子ごとひっくり返った。足を取られたのは大きめの木箱で、持ち手がついている。その持ち手に足をひっかけてしまったのだ。幸い、鍵がかかっていて中身がばらまかれることはなかった。

 だが大きな物音に朱老太婆が気づかないわけはない。


「誰かいるのかい、さては物盗りだね!」


 朱老太婆が目を覚ました。


「し、お静かに……!」


 沢蓮至は布袋を照勇の胸に押しつけ、寝台に走り寄った。


「大声で用心棒を呼ぶのは勘弁してください。わたしは物盗りではありません」


 自らの身体で朱老太婆の視界を塞いだ蓮至は後ろ手で犬を払うような仕草をした。照勇たちに出て行けと合図しているのだ。


「じゃあ、なんでここに……!」


「理由を口にする必要がありますか、……美しい人よ」


 蓮至を残して、照勇と弓月はその場を離れた。


「申し訳ないことになっちゃった」


「蓮……あ、あのお客さんが時間を稼いでくれているうちに早く戻ろう」


 弓月の手を取って上階に急ぐ。

 照勇には心残りがあった。朱老太婆の部屋のどこかに契約証文がある。だが記憶していた引き出しは空だったのだ。どこか別の場所にしまったのだろう。

 この妓楼に囚われている人間すべての契約証文が灰になってしまえばいいのに。

 廊下の隅には、燃え残った蛾の死骸。思わず目をそらした。




 寒さのせいで蛇の動きは緩慢だった。照勇が首をつかむと、蛇は小さく身じろいで抗議した。


「さてどこを咬んでもらおうか。腕……かな」


 目で問いかけると弓月は「痛そう」と顔をしかめた。


「蛇毒が効きすぎたら死んじゃうかもしれないのよね」


「手足を切り落としたって話も、そういえば、読んだことがあったような……」


 蛇を持つ手が緊張で震えだした。かといって、いつ戻るかわからない蓮至を待ってもいられない。


「じゃあ足のすねあたりにしようか」


「そうね、足一本で済むかもしれないものね。服を脱がせたほうがいいかしら」


 さらりと恐ろしいことを言うわりに、弓月は恥ずかしそうに目をそらしながら客の下履きを脱がせた。


「あ」


 蛇が急に暴れだし、照勇の手からするりと抜け出した。


「ああ!」


「きゃっ」


 クサリヘビは客の股間に着地し、そこにあったものに、かぷりと噛みついた。

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