第1-14話 人買いの馬車

 すぐ背後で戸が閉まった。内部に灯りはない。真っ暗だ。


「蘭音、どうしたの?」


 板戸を叩いたが返事はない。何度も名前を呼んだが返事は返ってこなかった。

 足元が揺れた。馬車が動き出したのだ。


「あ、あの、この馬車はどこへ?」


「座ったほうがいいですよ」


 手足を縛られた少女は若弓月じゃくゆづきと名乗った。状況にそぐわず妙に落ち着いた声だ。

手探りで弓月に寄り、手足の戒めをとく。

「ありがとう」


「大丈夫?」


 荷台の揺れが激しくなった。体を寄せ合うようにして座る。

 だんだんと暗闇に目が慣れてきた。弓月は手足をさすっているようだった。


「うん。あなたも買われたの?」


「え?」


「ちょっと暴れたら縛られちゃったの。逃げるつもりはなかったんだけど」


「蘭音が人買い……?」


「人買いの仲間よ。ほかに馬車を馭している男もいるわ」


「じゃ、じゃあ、逃げないと」


 人を売ったり買ったりするなんて、物語の中だけのことかと思っていた。

 可愛らしい蘭音にみとれて油断してしまった。簡単に騙された自分が情けない。

 板戸は蹴ってもたたいてもびくともしなかった。売りものが暴れることを想定してあるのか、頑丈に作られている。


「三娘! 助けて!」


 叫んでみたが無駄だった。


「……これからどうなるの?」


「わたしは妓楼ぎろうに売られることになってるわ」


「そんな……」


 馬車の速度が速くなった。砂利道を走っていることが足裏に伝わる。苑台の町を出たのだ。


「南に向かってる……?」


「南にはここよりも大きな町があるから。でも南へ向かっているなんてよくわかるわね」

 

 苑台の町は、大通りが南北を貫いていた。照勇が三娘と苑台城市に入ったのは北の門からだった。その時歩いてきた道は土が勝っていた。そのため雪がところどころにぬかるみを作っていた。砂利道を歩いた記憶はない。だから南門だと考えたのだ。

 たまたま当たったが、それがなんになろう。いま必要なのは馬車から抜け出す智恵だ。


「ああ、どうしよう」


「もし同じ妓楼で働くことになったら仲良くしてね」


 頭を抱えた照勇に弓月は慰めの言葉をかける。


「それは、ない、と思う」


 暗闇で肩を寄せ合い、いまさら男だなどと言い出せず、照勇はただ馬車に揺られるしかなかった。



 (一章 了)

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