我らが循環論

一 🌸

　前世の因が現世の果となるべし。

♢

「賀茂先生」

　自分よりもずっと背の高いその人に声をかける。立ち止まって振り返った彼は、穏やかに微笑んでみせた。

「おや、また来てくれたんですか」

「そりゃあこれを楽しみに来てますから。あっ、いや、授業も楽しいんですけどね」

　慌てて取り繕った僕を見て可笑しそうに目を細めている。

　賀茂先生は僕が通う塾の先生だ。この塾、というのが変わっていて、神社の隣にひっそりと小さな教室を構えている。あまりにも小さいものだから、生徒は近所の小学生が数人通うだけだし、先生に至っては二人しかいない。そのうちの一人が賀茂先生であり、ついでに隣の神社の管理人でもあるらしい。授業が終わると、神社の社務所(先生曰く事務所みたいなところ)に帰って暮らしている。

　そして僕は、あることをするために度々そこへ突撃するのだ。今日みたいに。

「先生、早く次の話を聞かせてください」

「本当に好きですねえ。『怪奇話』」

　そう、僕はお化けだとか祟りだとか神様だとか、そんな話が大好きなのだ。

　そんな非科学的なものを、と笑う人も多いだろう。僕だってそっち系の不思議な体験はしたことがない。生まれて十二年、なんの変哲もない日々を送ってきた。

　でも、だからこそ。理解できないことに興味を持つのは当然のことじゃないだろうか。

「前は牛のお話でしたよね。平安時代は牛が主な家畜だったから、貴族は祟りを恐れてたとか。祟りで他のお話聞いてみたいです」

「祟り、ですか」

　すっと動いた先生の目線につられて見れば、窓の外に真っ黒な雲が浮かんでいた。今にも降り出しそうだ。

　一瞬、空が瞬いた。かと思えば、轟音があたりに響き渡る。遅れてざわめきのような雨音が広がっていく。

「今の雷、近かったですね」

「そういえば、雷神様はもとは祟り神だったって聞いたことあります」

　冤罪を着せられた人が、死後に雷を落として祟った、とかだったっけ。

「確かに、それが世間では通説ですね」答えた先生の表情はどこか悲しそうだった。

「通説、ってことは、本当は違うってことですか？」

「それを話す前に。彼らをお迎えしましょうかね」

　彼ら？　先生が示した先に目をやれば、雨の中を走ってくる人影があった。

🌸

「これは、もしかせずとも」

「もしかせずとも」

「やばいやつかな」

「やばいやつだね」

「うーーん認めてほしくなかった」

「僕も認めたくはなかったよ」

　外山梓。二十二歳にして、知らない山で友人と迷子になった。

　ある日を境に世界がおかしくなった。世界が、というより俺に見えている世界が、の方が正しいかもしれない。言ってしまえば、幽霊が見えるようになったのだ。

　視界の隅を黒い影がよぎり、どこかの踏切には赤黒い水溜まりがあり、サークル長の首には長い髪が巻きついている。浮気癖があると有名な彼に警告しようかとも思ったが、髪の向こうの血走った目と目が合った瞬間、そんな気は失せた。

　度重なる心霊現象に平常心をじわじわと蝕まれているが、一番厄介なのが写真を撮ると写ってしまうことだった。ナニか、が。

　大学のサークルに入るほどに写真が好きだったのだが、撮れるものの大半に何かしらが映り込み出してからは、少々恐ろしく思え始めている。お分かりいただけるだろうか。

　ただし、たとえ写真で撮っても見えるのは俺だけらしい。他の人にはなんの変哲もない写真でしかなく、上手に撮れていると褒められることもあった。俺としては作り笑いを返すしかなかったが。

　事情が変わったのは、撮った写真を学祭で展示したことがきっかけだった。

　一人一枚必ず飾らなければならないと言われ、苦渋の決断で女の首が映り込んだ民宿の写真を提出した。ソレを除けば一番気に入っていた一枚だったし、どうせ誰にも気づかれないと思っていた。

「外山くん、あの写真よく撮れてるね」

「ああ、ありがとう。撮れすぎてるくらいなんだけどね」

「……もしかして、右端に浮かんでる生首の話？」

「えっ」

　話しかけてきたのは同じサークルにいた葉室萩人という男だった。同じ学部の同期で顔見知りではあったのだが、そこまで親しいわけではなかった。これまでに撮ってきた心霊写真を見せると、すべてに俺と同じモノが見えていた。

「霊感とかあるタイプなのか？」

「いや、僕も本物見るのは外山くんの写真が初めてだよ」

　こんなに撮れるもんなんだなあ、とまじまじと写真を見つめる彼に、なぜだか感動してしまった。

　今まで誰にも理解されないおかしなものを見続けて、むしろ自分がおかしいんだろうかと心が削られる日々だった。仲間がいるって、なんて安心するんだろう。

　葉室には写真に映る怪異しか見えないようだった。それでも以前までの孤独感は消えていた。

「連絡先、交換してもいい？」

「もちろん。また変わった写真が撮れたら見せてほしいな」

　そう言ってくれる存在がいるだけで心が和らいだ。

　だからまさか、次の日に顔を合わせた途端、「サークル長の後ろに女の人が見えるんだけど」と切り出されるとは思ってもいなかった。

「次の角を右って言ってるけど、結構山奥まで行くんだね」

「雲行きが怪しいし、なんか」嫌な予感がするな、という言葉は飲み込んだ。けれども助手席の彼もうかない顔をしているので、無駄な配慮だったかもしれない。

　カタクリの花が見頃になるということで、二人して撮りに来ていた。どんよりとした空の下、見渡す限り緑の中を車で進んでいく。

　俺が撮るのは人から風景まで色々だが、葉室は植物ばかり撮っている。

　仲良くなったばかりの頃にこんな会話をしたことがあった。

「外山の下の名前、梓っていうんだ」

「女みたいで変だろ？」

「いや、なんかね。僕の家、結構昔からある家系らしいんだけど、梓の花を大事にするんだって。今も実家に生えてる」

「へえ。どんな花なの」

　フォルダから見せてくれた写真には、白いひらひらとした花弁に紫の紋様がついた、可憐な花が写っていた。

「ふうん。俺が言うのもなんだけど可愛い花だな」

「でしょ？」

「でもなんで葉室は萩なの。梓じゃなくて」

「本当、なんでだろうね。親に聞いたこともあるけど直感でつけたとしか言われなくて」

　首を傾げている相手の下の名前は萩人という。葉室萩人。萩の花は以前本人が作品として写真に収めていた。濃いピンクの小さな花であり、それがいくつも連なって垂れ下がる様はとても綺麗だった。

　葉室が花を撮るのが好きなのも、そういった家族の事情が影響しているのかもしれない。

　車を走らせること一時間。ナビを頼りに進むなだらかな山道は、徐々に細くなってきている。先ほどから車とも人ともすれ違っておらず、気味の悪さに拍車をかけていた。

『目的地周辺です。案内を終了します』ナビの無機質な音声が車内に響いた。

「着いたみたい、だけど」

　口ごもりつつ、ナビと正面の光景を見比べている葉室の気持ちが痛いほどわかった。とりあえず車を止めて外に出てみる。

「どこだよここ」

　山道どころか獣道とも言えそうな細い道の先には、古びた民家が一軒建っているだけだった。

「ナビが故障したのかな」

「少なくともここは違うみたいだよね」

「はあ。来た道戻るか」

　そうつぶやいて何気なく後ろを振り返り、固まってしまった。

　そこに道はなかった。膝丈の草が一面に生い茂っているだけ。

　隣を向けば葉室もまた途方に暮れた顔でこちらを見ていた。

　そして冒頭に戻る。

「どうする？」

「道なき道を進むか、あの家に助けを求めるか、かな」

「でもさ。なんかあの家、変な感じしないか？」

「わかる。入んない方がいい気がする」

　一見ただの古民家なのだが、どこか尋常でない雰囲気が漂っている。そもそもこんな山中にポツリと建っている時点でおかしい。

「スマホは……うわ圏外だ」

「ますますホラー感出てきたね」引き攣った笑いを交わしあった、そのとき。

　強烈な視線を感じた。

　弾かれるようにそちらの方を見る。古民家の二階にある窓、そのカーテンが微かに揺れていた。

「誰かいるのかな」漏れた呟きは、人であってほしいという懇願がこもっているように聞こえた。

　間髪入れずに聞こえてきた、ダダダダッと駆け降りるような音に息をのむ。

　二階から一階に降りて、そして次は。

　正面には玄関戸があった。木製の引き戸。そこから目を離すことができない。

　カタン、と小さな音がした。引き戸がそっと横にスライドしていく。その隙間から徐々に見えてくる室内は、やけに白かった。

　違う。あれは手だ。

　隙間にぎっちりと詰まった、血の気のない無数の手。それがもぞもぞと蠢いて出てこようとしている。口から小さな悲鳴が漏れた。

「逃げて！！」

　葉室の叫びで我にかえり、脱兎のごとく車内に戻った。

「エ、エンジン、かけて、バック、でいいのか！？」

「いい、いい！！　とりあえず下がって！！」

　パニック状態のままその場から離れる。その辺の木にぶつかるのでは、なんていう心配は目の前の光景への恐怖で吹き飛んでいた。

「外山、前見ないでね！！」

「言われなくても見れねえよ！！」

　バンバンバン、とフロントガラスへの衝撃が車体を揺らしている。その正体が何かなんて想像したくもなかった。

「こっち！！」

「ちょ、お前、っ！！」

　横から伸びた手にハンドルを奪われる。あぶねえよ、という叫びは突然の遠心力にかき消された。まるで道がわかっているかのようにハンドルを操作する葉室。その顔は至極頼もしかったが、蛇行するその運転には幽霊以上の命の危機を覚えた。

　俺の五感は恐怖で麻痺してしまっていた。ただ、どこかから地響きのような音がずっと響いていた。

　一瞬のようにも、数時間のようにも思えた。気がつけば平坦な畦道を走っていた。周りを見渡しても、家がぽつりぽつりと並び立つ田園風景が広がっているだけ。ナビを見れば大学から少し離れた郊外を走っているようだった。

「抜け出せた、のか？」

「多分もう大丈夫だと思う」

　葉室の返事に、安堵から深いため息が出た。と同時にやけにぐらついている車体に気がつく。どうやらパンクしているようだ。とりあえず路肩に停めて外に出た。帰宅途中だろうか、並んで歩く小学生が遠くに見える。

「うあ、やっぱしパンクしてやがるな」

「スマホは復活してるから、助け呼んでしばらく待とうか。いやあ、逃げられてよかったね」

「そもそも葉室さ。なんでここまで道わかったの？」

「いや、僕もわかんないんだよね。なんとなく、としか」

　葉室自身も煮え切らない顔をしている。

「あ、だけど。あえて言うなら、雲かな」

「雲？」

「そう、無意識に追いかけてた気がする。あの積乱雲」

　指差した先には、かなり広範囲を覆っている灰色の雲が浮かんでいた。そのまま何気なく視線を下げて、あるものに目を止めた。少し先に建っている、朱色の鳥居。

　神社だ。

　葉室と顔を見合わせる。

「偶然、じゃないよなあ」

「そうだねえ。お祓いでもしてもらう？」

　その声に応えるかのように、一筋雷光がほとばしった。遅れて雷音が届き、ぽつぽつと雨まで降り始める。

「走ろう」駆け出した葉室の後を慌てて追った。

　低い雷鳴が轟いている。その音にはやけに聞き覚えがあった。逃げる最中、どこかから響いていた音だった。

「よろしければお茶をどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「いただきます」

　神社の社務所にて。畳に正座して男性から出されたお茶をすする。その温かさに肩の力が抜けた。

「お兄さんたち、替えのタオル要りますか？」

「いや、俺は大丈夫だよ」

「僕も」

　ありがとう、と返せば少年は年相応の笑顔を見せて近くに座った。

　雨の中走ってきた俺たちを迎えてくれたのは、神主らしき男性と小学生くらいの男の子だった。特に文句もなく理由も聞かず社務所に招いて、タオルを渡し、お茶まで勧めてくれた。正直直感でここまでやってきたので、理由を聞かないでくれたのはとても助かった。

　一息ついたあたりで、俺らの正面に座っていた男性が口を開いた。

「ところで、なのですが。お二方に何か悩みはありませんか？」特に、と声をひそめて続ける。「もののけの類で」

　どくり、と心臓が音を立てた。この人にも、俺や葉室と同じものが見えるのだろうか。

「もののけですか！？　えっ聞きたいです！！」

　男性の近くに座っていた男の子が食い気味に立ち上がった。満面の笑顔を浮かべている。

「これこれ、落ち着いてください」

　呆れたような男性の声に我に返ったのか、恥ずかしそうにうつむきながら席に戻った。

「すみません、お客さんの前で」

「いやいや、全然気にしてないし。怖い話とか好きなの？」

　うなずいた少年は興味津々だという表情をしている。横を向けば葉室からも軽い頷きが返ってきた。

「それじゃあ。俺たちの話を聞いてくれますか」

　ある日を境に変なものが見えるようになったこと、葉室との出会い、そして先ほどの恐怖体験まで。かいつまんで二人に説明した。男性はずっと穏やかな表情で話を聞いてくれるので、非常に話しやすかった。少年はというと、終始キラキラと目を輝かせながら話を聞いていて、とても微笑ましかった。

「そしてここの神社に至る、という感じです。お祓いとかしてもらえるといいな、なんて軽い気持ちで来てしまいました」我ながら荒唐無稽な話だとも思うが、どうにか話し終えてお茶をすすった。

「一つお願いがあるのですが」

　ずっと黙っていた男性がそう言って席を立ち、なにかを手にして戻ってきた。差し出されたのは紙とペンだった。

「ここに、お二方のお名前を漢字で書いていただきたいのです」

「わかりました」

　内心戸惑いながらも、順々に書き慣れた字を書いていく。

　外山梓

　葉室萩人

　俺の角張った字と葉室の丸みを帯びた字が並んだ。男性は俺たちの名前をじっと見つめると、何か思うところがあるかのように目を伏せた。

「外山さん。あなたの見える世界が変わったのは、二十一歳になってからではありませんか？」

「えっ、あ、その通りです」

　二十一になったのは去年の夏だ。確かに変なものが見えるようになったのはその後からだった。

「なんでわかったんですか？」

　尋ねると男性は先ほどの紙をこちらに向けて示した。

「名前、というのはその人にとって大きな意味を持ちます。その名の音や込められた意味、用いられる字も含めて、持ち主に大きな影響を及ぼすのです」

「本当の名前を知られると支配されてしまう、なんて話もありましたよね」

　少年の言葉に頷いて、男性は続ける。

「中でもその名前との縁が深い場合、名の持ち主の特性自体が変容する場合もあるのです」

「特性が、変容」

　言葉の意味は理解できるが、つまりはどういうことなのだろうか。

「お二人は、陰と陽の考え方はご存じですか？」

「ええと、世界史の授業でやったような」

「陰陽五行説、でしたかね」

「ええ、そこに含まれる思想です」

　男性は紙にかなりの達筆で陰と陽の二文字を書いた。

「世界の事物はすべて陰と陽の二つに分けることができる。そしてそれは、個々の名前、さらに言えばそこに用いられる漢字も同じなのです」

「あ、もしかして」少年が声を上げた。「画数で判断するやつですか？」

「言ってしまえばその通りです。画数が奇数の場合は陽に、偶数の場合は陰寄りの字とされます。外山さんの名前を見てみると」細長い指で書かれた文字をなぞっていく。「すべて奇数画であり、姓名の漢字のすべてが陽となっています」

「そういう名前だと、なにか支障があるんですか？」

「陽寄りのお名前の場合、陽の気が強すぎて災いに転じたり、よくないものを引き寄せてしまったりする傾向にあります。もののけの類とよく出会してしまうのは、それが原因かもしれません」

　なるほど、大体の話はわかった。でもそうだとすると、また疑問が生まれる。

「あれ、だけど外山がそうなったのは二十一歳からですよね。猶予があったのはなぜなんでしょう」

　俺の気持ちを葉室が代弁してくれた。もっともな質問です、と男性は説明を続ける。

「例外がありまして。外山さんのようにお名前が漢字一字の場合、その名の前に零画の陰の漢字があると考えるんです。ですから外山さんのお名前は、もともとは陰陽入り混じったバランスの良いものでした。ただし、この例外が適用されるのには期限がありまして」

「それが、二十一歳になるまで、だった」

　男性はゆっくりと頷いた。

「じゃあ、葉室はどうなるんですか？」

　俺の事情はとりあえず把握した。しかし葉室までも変なものが見える理由は、まだ聞けていない。

「確かに葉室さんは名前が一文字でもないし、画数だって、ええっと葉は、十二画か」少年が拙い指文字を書いている。

　そう、葉室の葉の字は偶数画だ。いや、むしろ。

「全部偶数画、陰の字だ」

「本当だ」

　葉室はまじまじと自分の名前を見ている。俺もそうだったけど、普段自分の名前の画数なんか気にしないから新鮮なんだろう。

「陰寄りの名前も、変なものを引き寄せやすいんですか？」

「そうですね。陰に偏った姓名も一般的には忌避されます。ただしその理由は、悪いものを引き寄せるから、ではなくて」彼は一呼吸置いてから続けた。

「他人に影響されやすいからだとされています」

　ドォン、と遠くで雷の落ちる音がした。俺の頭の中にも電撃のような衝撃が走る。

「それは、つまり」かすれる声をどうにか絞り出す。「俺と出会ったから葉室にも化け物が見えるようになって、俺がそばにいるから葉室も危ない目に晒されてる、ってことですか」

「外山、それは違う」

「違わないだろ！！」

　出会ったばかりのときに、気がつくべきだったんだ。仲間ができたことに浮かれて、どうして "そう" なったかなんて考えようともしなかった。

　思わず怒鳴った俺を葉室はただ気遣わしげに見上げている。

「ごめん、勝手にキレて」

「ううん、大丈夫だよ。とにかく、どうしたら僕たちが変なことに巻き込まれなくなるか、聞いてみようよ」

「おう」

　俺たちの視線を受けて、男性はゆっくりと口を開いた。

「名前が原因だからと言って、改名するのは得策ではないでしょう。現実的じゃありませんし、何より今お持ちの名前とは浅からぬ縁で繋がれているからです。世には陰陽片方に寄った姓名などいくらでもあります。そんな中で、あなた方お二人がその影響を強く受けているのは、それだけ縁が深いからだと言えます」

　男性が俺たちと目を合わせる。その目には静かな光が宿っていて、まるですべてを見透かしてしまいそうな印象を覚えた。

「前世の因が現世の果となるべし。現世の縁は前世で結ばれたものだとされます」

「先史を振り返るという意味で、お墓参りに行かれるのをお勧めします」

「お墓参り、ですか」

　お祓いなどを想像していたために、正直肩すかしをくらった提案だった。

「外山さん、ご実家は九州の方ではありませんか？」

「えっ、確かに母方がそうですけど。なんでそんなこと知ってるんですか」

　尋ねても彼は答えてくれない。ただ真っ直ぐな瞳でこう返すだけだった。

「ずいぶんとお参りしていない墓があるはずです。行ってみるといいですよ」

　神社を出て、葉室と二人畦道を歩く。雷は過ぎ去り、雨ももう止んでいた。

「俺、実家帰って墓参り行ってくる」

「僕も自分家のお墓にお参りしてくるよ」

「なあ、葉室」

「いやだ」

　立ち止まって無理やり向き直る。彼は俺が何を言うのか予測しているようで、悲しげな顔をしていた。

「お前とは今日でお別れだ。今までずっと迷惑かけてきてすまなかった」

「迷惑だなんて思ってないよ。外山と出会えて本当に楽しかったんだ」訴える声には悲痛さが漂っていた。

「それにお墓参りをしたら、危険に巻き込まれることもなくなるかもしれないだろ？　僕が君と離れる理由なんてないじゃないか」

「一度変なものと距離を置くことができても、今後一生そうとは限らない。また俺が怪異を引き寄せて、お前を巻き込むかもしれない。そもそも、周りの影響を受けやすいお前が俺の近くにいるべきじゃないんだ」

　葉室がぎゅっと唇を噛んだ。

「怪異が見えなくなるなら、それがきっかけで仲良くなった僕はお役御免、ってことじゃないの」

「違う。俺はただ、葉室が心配なんだよ」

「僕だって外山が心配だよ！！」

　葉室と喧嘩をしたのは初めてだった。頑として譲らない俺に、葉室はこれ以上何も言わなかった。タイヤを交換して車に乗り込み、帰宅する道中も、大学で別れるときも、ただの一つも会話はなかった。

　帰宅してすぐに九州行きの飛行機の予約をとった。予約数一名の数字に、一人でどこかに行くのは久しぶりだと思い直す。

　これで良かったのだと思う。大事な友人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

　ただ。神社の男性のあの言葉が耳に残っている。

『前世の因が現世の果となるべし』

　現世の縁は前世で結ばれたらしい。俺と俺の名前に縁があるのなら、俺と葉室にも何かの縁があったのだろうか。

　いや、葉室のことは考えるのをやめよう。何かしらの影響が彼に及んでしまってはよくない。頭を振って浮かんだ考えを振り払う。

　心に再び浮かんだ不安感、そして孤独感には見て見ぬふりをした。

　突然帰省した俺を実家は普通に迎え入れてくれた。父は仕事が遅くなるということで、母と祖母、そして俺の三人で昼飯を囲んだ。

「どげんしたと？　こげな急に帰ってきて」祝いだなんだと言って用意されたもつ鍋をよそいながら、母に尋ねられる。

「あー、大学で時間できたけん、墓参りばたまには行かんとな、思って」

「でもあんた、去年の夏帰ったときに行ったっちゃろ？　まだ一年も経っとらんけど」

　そうなのだ。亡くなった曽祖父母や祖父が眠る我が家の墓には、去年帰省した際に訪れている。ずいぶんとお参りしていない墓、には当たらないだろう。

　それならば。

「いや、うちにさ、他の墓ってなかと？　かなり古めのやつで」

「うーーん、私は知らんけどなあ」

　それなら、と祖母にも尋ねてみる。

「ばあちゃんはなんか知らん？」

「そうねえ」八十手前にして頭も足腰もしっかりしている祖母。しばらく考えた後、墓じゃあなかが、と口を開いた。

「おじいさんがようお参りしとった寺があったわねえ」

「寺？　なんち名前？」

「それがねえ。"あずさ寺" ち言うんよ」

「えっ」

　ああ、と母が思い出したように声を上げた。

「お父さんが安産祈願に通っとったあそこね。あんた産んだとき、信じられんくらいお産が楽でな、あずさ寺のおかげや、言うてたんよ。あんたの名前つけたんもあんたのじいさんなんやで」

「ええ、知らんかったばい」

「ちっちゃいあーちゃん連れて、おじいさんが寺まで行ったこともあったよう」

　祖父は俺が三歳になる前に亡くなった。記憶はあまりないのだが、優しい祖父で、俺のことをあーちゃんあーちゃんと呼んで可愛がっていたという。

「その寺、今もあるん？」

「残っちょるよ。寺って言うてもほとんど建物もないし住職もおらんけど」

「なんやそれ」

「かなり古い寺でなあ。これまでも何度も災害に遭ってきたらしいんよ。そのたんびに建物が崩れて、なくなって。今じゃあ名前とちっちゃなお堂がひとつしかなか。もともと誰を供養しとったかもわからんらしいわあ」

　俺の名前に縁があり、実家に近くて、かなり古い、寺。

　行ってみる価値はあると思った。

「本当にすぐ近くにあったんだなあ」

　昼飯を終えてすぐ、例の寺に行ってみた。天気が下り坂らしいので心持ち早足で歩いたが、そこまで急ぐ必要もなかったようだ。実家の裏にあるなだらかな山を登って反対斜面に差し掛かれば、すぐに古びたお堂が目に入った。小さな入口の上には板が掛かっていて、薄汚れた文字が書かれている。『梓寺』に読めなくもない。

「中、は入れそうにないか」

　老朽化しているからだろう、入り口にはロープが貼られて人の出入りを拒んでいた。隙間から見える狭い内部も、あちこち床が抜けていて見るからに危なそうだ。

　とりあえずお堂の前でお参りしてみよう。賽銭箱はなかったので仕方なく入り口前に小銭を供え、合掌する。礼をしようと頭を下げたとき、ふとお堂の脇から奥に向かって小さな道が続いているのに気がついた。いくつか並んだ大きな石が雑草の隙間から見え隠れしていて、一応整備された跡がある。道ともいえないレベルに成り果てていたが、それでもどこか心惹かれるものがある。そちらに向けてゆっくりと足を踏み出した。

　お堂を過ぎて、雑木林の中を進んでいく。一歩ずつ踏み締めるごとに、やけに胸が高鳴るような気分になった。この先に何かがある。確信めいた予感が自分の中で膨らんでいく。

　突然開けた場所に出た。一部屋分程度の広さで、そこだけ木々が生えていない。

　その光景に、言葉を失った。

　空間の中央には、丸やら三角やらが積み重なったような石碑が建っていた。見覚えがある。あれは墓石だ。

　そして俺は知っている。あれが誰の墓かも。

　耳の奥で懐かしい声が蘇った。初老の男性の優しい声。

『あーちゃん、あれはな、お前のーー』

　そして、その墓石の周りを囲むようにして花が咲いている。濃いピンクの小さな花がいくつも連なり、墓に手向けるようにして垂れ下がっていた。

　萩の花。

『僕の家、結構昔からある家系らしいんだけど、梓の花を大事にするんだって』

『でもなんで葉室は萩なの。梓じゃなくて』

『本当、なんでだろうね』

　答えがわかったような、でも信じられないような。

　持ってきていたカメラを構え、シャッターを切った。

　空を覆う分厚い雲からはゴロゴロと喉を鳴らすような音が聞こえる。嵐の前のぬるい風が、萩の花をそよそよと揺らしていった。

　数日後。

　俺は葉室と再びあの神社に来ていた。前と同様正面には男性が座り、そのそばに好奇心旺盛な少年が正座をしている。

　机の上には二枚の写真が置かれていた。一枚は俺が撮った、墓を囲む萩の花の写真。そしてもう一枚は萩人が撮ったものだ。葉室家の墓とともに写る、白い可憐な花。梓の花だった。

　実家裏の寺を訪れた後、俺は居ても立っても居られず、撮った写真を葉室に送った。するとすぐに葉室からも写真が届いた。それが今目の前にある写真だ。こうなったら、もう一度あの男性に話を聞くしかない。お互いにそう思って、またここに来ることを決めた。

「俺から縁切るとか言っといて、本当にごめんな」

「謝らないでよ。僕は外山と絶縁なんて了承した覚えないし」

　道中自分の都合の良さを詫びれば、葉室はそう言ってあっけらかんと笑っていた。

「墓参り、行ってくださったんですね」

　早速本題に入った男性は、微笑みながらそう言った。

「何か得たものがあったのではありませんか？」

「そうですが、やっぱりまだ信じられないことが多くて」

「あなたならすべてを知っているんじゃないですか？」

　どうか教えていただけませんか、と二人で頭を下げる。

「これから話す内容は、私にとっての事実です」

　静かなその声に顔を上げた。

「それをどう解釈するかはお二方次第ですが、私は嘘偽りなくお伝えする、ということだけ先に述べておきます」

　そう話す男性は優しさと、そしてほんの少しの悲しみが入り混じったような眼差しをしていた。

　外山と葉室という苗字は、どちらも長い歴史のある一族の名です。特に平安時代においては名家と呼ばれ、比較的高い地位の役職を得る家柄とされていました。

　さて、そんな平安の世のひととき。二人の若く有能な文官がおりました。それぞれが冠する名前といっとう愛でていた花から、一人は梓殿、もう一人は萩殿と呼ばれていたそうです。

　二人は優劣つけ難いほどにともに優れており、親族は互いを好敵手と捉えて張り合い、周囲は機会があるたびにどちらが勝つのかと囃し立てておりました。しかし実際には二人は気の置けない友人同士であり、政のみならずあらゆることについて話し合っては親交を深めておりました。そして将来は互いに手を取り合って国の役に立つことを目標としていました。

　そんな二人の仲を引き裂く事件が起こります。

　萩殿を梓殿よりも高い地位につけようとしたその親族が、梓殿に謀反の罪を着せたのです。

　運悪く政治の安定しない時期に浮上した謀反の疑いに、天皇は敏感になっておりました。その結果ろくな調査もないまま、遠い太宰府の地へ梓殿とその一族は左遷されることとなりました。二大勢力の一つの失墜を面白おかしく騒ぎ立てる世論も、梓殿への逆風となりました。

　萩殿は親友の窮地を必死に救おうとしました。しかしたった一人では天皇の決定を覆せず、遠くに発つその背を涙を飲んで見送ることしかできませんでした。

　萩殿は梓殿と別れたのち、自邸に梓の木を植えました。そして手塩にかけて大切に育てたそうです。それと同時に、宮廷では飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進していきました。きっと、梓殿の名誉を回復させるために、高い地位を目指したのでしょう。

　しかしそれも間に合いませんでした。

　左遷されて数年後、梓殿は太宰府の地で亡くなられました。病死だったそうです。

　親友の訃報を受け、萩殿はとうとう心が折れてしまいました。これまでの過労が一気に押し寄せ、日に日に衰弱していきました。

　そして最期には、『梓の木の根元に埋めてほしい』との言葉を残し、梓殿の後を追うようにして亡くなりました。

　男性の淀みない語り口に、まるでおとぎ話を聞かせられているかのような気分になった。むしろ作り話であってほしかった。しかしこのやるせない悲劇は、本当にあった話なのだろう。

「この話はまだ続きがあるんです」男性は目を伏せて続けた。

「お二方の没後しばらくして、都を大きな雷雲が覆いました。都の人々が恐れる中、その雲からの雷が落ちたのは、萩殿の邸宅にあった梓の木でした」

　萩殿が親友のように大切にし、死後はその傍で眠ることを願った木。そこを狙ったかのように雲は雷を落とした。

「都の人たちは、罪を着せられた梓殿の祟りだと考えて、天皇は陰陽師の力でそれを鎮めたって。それが僕の聞いた雷神様の祟りのお話だったんですけど」少年が口籠る。

「自分の墓の傍に、親友の好きな花を揃えた梓殿が。萩殿を恨んでいるはずがない」

　俺の言葉に、隣の葉室も大きく頷いた。

　梓殿、そして萩殿は。おそらく、俺と葉室の先祖だ。

　あの寺はもともと梓殿を供養するために建てられたのだろう。そしてあの墓石は梓殿の墓。そしてその周りに何本もあった萩の木は、少なくとも偶然では片づけられない生え方をしていた。

　梓殿は恨んでいたのではない。会いたかったのだろう、萩殿に。

「そう考えると、都に落ちた雷も違う意味になります」男性が穏やかな口調で続ける。「親友に会いたいがために雷となった梓殿の思いが、梓の木に眠る萩殿のもとに届いた」

「祟りなんかじゃなかったんだ。そして僕たちが雷雲に助けられたのも、先代梓さんのおかげなのかもしれないね」

「先代て」

「間違いではないでしょ？」朗らかに葉室は返した。まったく、受け入れるのが早すぎる。

「あの、僕わかんないんですけど」遠慮がちに少年が口を開いた。「結局、今の外山さんと葉室さんの名前にも、梓と萩が含まれてるのはどういうわけなんですか？」

「おそらく梓殿と萩殿の因縁が来世、つまり私たちにとっては今世まで尾を引いた結果、二人の生まれ変わりとも言うべき存在のお二方にも縁の深い名前がつけられたんじゃないでしょうか」さらに、と男性は困ったように続けた。「お二方の姓名が陰陽にはっきりとわかれたのも、出会えるようにとの願いが強かったからでしょう。陽と陰は引き合いますから」

　梓殿と萩殿の二人としては悲願成就ってことなんだろうか。確かに名前のおかげで俺と葉室はめでたく仲良くなった。一方で変なものが見えるようになり、そこそこ危ない目にも遭ったのだけど。

「雷になってまで会いに行ったのに、それだけじゃ物足りなかったんかなあ」

「そりゃあ死んでから会うより、生きてる間に会いたかったんじゃない？」

「でも何というか」モヤモヤとした思いが残る。

「俺と葉室の出会いが、前世から約束されたもので、仲良くなったのも当たり前ってされるのは。ちょっと嫌だな」

　そう言えば、葉室は一瞬目を見開いて、すぐに破顔した。

「奇遇だね。僕も同じ意見だよ。僕は他の誰でもない、僕の意志で外山と友人になった。だからこれからも、たとえ千年前の先祖の思いに振り回されようと、君との付き合い方だけは僕が決める」

「カッコいいこと言うじゃん」

「だから、僕を巻き込むから絶縁しようなんて馬鹿なことはもう言わないでよ」

「いやそれは本当にごめん」

「前世の因が現世の果となる。しかし、今世の因が来世の果ともなる」男性が凪いだ声色で呟いた。

「お二方が前世に囚われすぎず、今世での人生を全うすることが、因果を断ち切る一番の方法なのでしょう。今後お二方に以前同様もののけが見え続けるかは、前世のお二人の気の鎮まり具合によりますが」

「どうであれ、俺たちは自分の意志で生きていきます」

　そう真っ直ぐに男性を見つめ返せば、それでいいのです、と言うかのように大きな頷きが返ってきた。

♢

「お兄さんたち、すっきりした顔で帰っていきましたね。あーあ、僕もあんなに仲良しな友だちがいたらなあ」

「お友だち、いないんですか？」

「僕、怖い話ばっかり追いかけてるから、同級生の中でも浮いてるんです。まあ、それでも毎日楽しいですし、僕には賀茂先生がいますから！！」

　これは結構本音だったりする。趣味の合わない子と一緒にいるくらいなら、一人でオカルト本を読み漁る方がいい。

　笑顔で言い放った僕に、先生はやれやれという顔で首を振った。

「でも、前世の縁が今世にも残るなんて面白いというか、ロマンがありますね。だって、今の人生で出会った人と、ずうっと昔にも会ったことがあるかもしれないってことですよね」

「そうですね、よっぽど縁の深い間柄だったのかもしれません」

「あっそれなら。僕と先生も、前世で関係があったのかな」

　先生はぱちぱちと瞬きをしたのち、ふっと微笑んだ。

「どうでしょうね」

(続)