第2話 現実の世界

二話 現実の世界

 ロッジの裏に来ると時計を見る。定刻が近づいていた。紙やすりを解読し続けた結果、指定された時刻と場所が示されており、重要な話をするために一人で来いと書かれていたのだ。

 顔を手で覆うと大きく息を吐く。初めての事態に不安と期待がせめぎ合っており、心境は決して穏やかではない。ふと視界の隅に小さな腕が映ったので、壁を軽く叩いて見えていることを知らせた。

 物陰にいるのは薄羽と胴長だ。同行したいと申し出てくれたので、万が一に備えて物陰に潜むよう頼んだのだ。聴覚が足音を捉える。都人のものだ。そして二つの細い人影が姿を現す。どちらも背丈が高く、余裕に満ちた表情で歩み寄ってきた。

「獣にも文字が読めるものがいるとはなぁ。試すものだな」

 そう嘲る都人は作務袴から肩を出し、肌着と素肌が露出している。手首には都人特有の羽毛が伸びているが、色が燻み、長さも不揃いだ。鋭いつま先も足袋を突き破り、地面に刺さっている。

「紙やすりの暗号を解いたということは、こちらと対話ができると見た」

 もう片方は黒い作務袴の上に羽織をまとい、細長い金属の管を咥えていた。手首の羽やつま先も隣より比較的整えられている。

「お前、名前は? そもそもあるのか?」

「な、な」

 震えながら名乗ると、不揃いの方が大声で笑い出した。聞くのは得意だが話すのはこれが初だ。

「無ヶか。獣にしては普通だな」

「今回お前のような話のできる者を呼んだ理由はただ一つ。我々との和解だ」

 次に整った方が口を開く。金属の棒の先からは煙が薫っており、草が焼ける匂いがした。

「和解?」

「そうだ。昨日お前の仲間がこちらに手を出したことだが、この際咎めないでやろう。だが今の状況が続くことは非常に良くない」

 熊手のことだ。無言で見つめているとゆっくり頷きながら話を続けた。

「対立が進めば採石も続かなくなり、より多くのものが連れていかれる。お互い損ではないだろうか」

「賢いお前なら、分かるだろう」

 相方が体を前に倒し、こちらを見下ろす形で威勢よく言い張る。

「せっかくだから教えてやる。この仕事の目的、連れていかれたものに下される処罰など、いろいろなことを」

 思わず目を見開き、二人の顔を交互に見た。どれも今切実に求めている情報だ。

「聞きたいか?」

「聞きたい」

「よろしい」

 二人は踵を返すと元来た道を歩き出す。その場で立ち尽くす無ヶに気づくと、乱暴に手招きした。

「来い」

「どこへ」

「来ればわかる。そっちの方が冷静に話し合えるだろう」

 三人は運搬が行われる方へ歩いて行った。松明の数も都人の数もずっと多く、足元には岩や小石の代わりに大小様々な羽が落ちている。辺りからは彼らの囁きが空間を通じ、ざわざわと響いてくる。耳を傾けてみたが断片的な言葉しか聞こえず、どれもあまりいい意味のものではなかった。無数の橙色の明かりの中には一際赤い色もあり、何故か体が重く感じた。

 横や後ろから無遠慮に向けられる視線を避けるように、道中は二人の背中だけ追うことにした。よく観察すると両者の歩き方にまで違いがあった。不揃いの方は周りと同じだが、隣の金属を咥えた方は少し足底を引きずっている。音を立てないよう、爪を少し浮かせているのだ。改めて彼らがどこから来たのか不思議に思うのだった。

 後ろへ視線を向けると胴長と薄羽が遠くにいる。これだけの都人がいると尾行などとても不可能だ。彼らがすごすごと戻る後ろ姿を確認し、前へ歩き出す。

 やがて視界が暗くなる。人の多い場所から端の岩場へ進み、より奥深くへ行くようだ。道幅も狭く、足場も悪くなってきた。

「松明を」

 不揃いの者が裾から二人分の松明を取り出し、点火する。灰色の無機質な壁に三人の影が歪に揺れている。

「まあすぐ使わなくなるだろうが」

「どういうことだ」

「言ってもわかるまい」

 無ヶは耐えかねて二人に聞いた。無知という自覚はあったが、ずっと言われるのはたまったものではない。

「あなた達の名前は? これからどこへ行くつもりなの?」

「いずれ分かる」

「今じゃなきゃ嫌」

「おい、お前……」

 不揃いの者が殴りかかろうとしたが、金属棒を咥えた者に止められた。

「直情的な所は底人らしいな。いいだろう、俺は暮相だ」

「俺は真昼。様をつけろよ」

「暮相様、真昼様」

 そうだと暮相はうなずき、歩みを再開しながら話を続けた。気づくと道は下り坂に差し掛かり、地底の奥へ伸びていた。道幅も一人分しかなく、真昼が先立って歩いていた。

「俺たちは元々都にいた。こんな場所よりずっと明るく綺麗で、たくさんのものや場所に溢れていた」

「どうしてここへ来た」

「意向に背いたからさ」

 意向。更に聞こうとしたが突然彼が立ち止まり、真昼に呼びかけた。来いと手招きされ、一番前に移動する。気づくと後ろの入り口は遥か彼方に遠のいており、相当な距離の坂を下ってきているようだった。正面には岩盤が立ちはだかっているが、長方形にくり抜く形で格子が取りつけられている。その右端には金属の塊がぶら下がり、小さな穴が空いていた。

「これは錠前だ。鍵は使えるか?」

 真昼から金属の棒を渡される。暮相が咥えている棒を捻じ曲げた形状だが、事典で見たことがある。使い道も単純だったはずだ。錠前の穴に差し込み、回してみる。カチッと音と共に金属の塊が外れた。

「ほう、やるな」

 暮相が呟く。格子を開けて中に入ると、松明が並ぶ広い通路が伸びていた。床や壁が土で作られ、これまで来た道と比べるとかなり整った方だった。先にはまた別の扉があり、左右から松明で照らされていた。足元にも小石一つ落ちていない。こんな綺麗な場所が採石場にあることに驚いたが、同時に疑問が増えた。

(普段から誰か利用しているのだろうか)

 その時、背後で金属音が鳴る。振り向くと真昼が鍵を閉めていた。金属の塊を取り外して再び施錠したらしく、驚いて二人の顔を見た。

「さぁ行くぞ」

「待ってくれ、なぜ鍵をかけた」

「もう戻らないからな」

 真昼が大声で笑う。

「お前は選ばれた。上の者のお達しで、これから都へ行くのだ」

 無ヶは扉に駆け寄って格子を揺する。話し合いじゃなかったのか。

「ここから出してくれ、頼む」

「ついでに教えると、お前たちの採掘場所は都の発展に使われる。いずれは建物や刑務所が立つのだろうが、その頃には、今の世代は皆寿命でくたばっているだろうよ」

「俺も手伝うことを条件に都に帰れるのさ!」

 真昼が懐からペンダントを取り出し、語りかけた。

「もうすぐ会えるんだ」

 無ヶは咄嗟に爪を伸ばし、二人を睨んだ。武器をちらつかせれば鍵を返してくれるだろうか。だがそれより先に、真昼が足を振り上げた。足の爪が首を捉え、突き刺さる。視界の隅に黒い飛沫が写った。首を抑えて膝をつくと、上から暮相の言葉が降りかかった。

「まあ落ち着け。これは名誉なことなのだぞ。お前のような獣が俺たちと同程度の扱いを受けるなど、前代未聞のことだからな」

 ふと言い終えた所で格子の方を見る。無ヶもむせるように血を吐きながら、同じ方に首を回す。異様な音が聞こえてきた。

「騒ぎが始まったな。先輩から聞いた時と同じだ」

 少しでも外の世界に近づこうと、格子に耳を押し当てて目を閉じる。かなり遠いため断片しか拾えない。しかし足音に混じって叫び声や、金属が衝突する音が聞こえてくる。皆の元へ行かなくては。首の出血も治らないうちに、錠前へ爪を振り下ろす。耳障りな金属音が響き、二人がたまらず耳を抑える。

「おいやめろ。お前の爪がすり減るだけだ!」

真昼が後ろから肩を掴む。それでも構わなかった。皆の安否が分かるなら、爪などくれてやる。後方から暮相の怒気をはらんだ声がした。

「真昼、そいつを切り裂け。半殺しにしろ」

 一瞥すると、彼が足を踏み鳴らしていた。金属棒を吐き出し、敵意のこもった視線を投げかけていた。

「俺はもうすぐ都に戻り、役職を取り戻せるんだ。言うことを聞け」

 次の瞬間、無ヶの真横から鋭い爪が飛び出し、真昼に刺さる。歪曲した爪は胸部に突き刺さり、容易く半分を抉ってしまう。彼は血を吐き仰向けに倒れる。そこへ降り注ぐ凶刃。今度は首を捉え、鮮血が更に散る。急所を立て続けに切られた真昼は、悲鳴を上げる間もなく絶命した。壁から半身を乗り出した熊手は暮相へ顔を向けた。向こうの通路へ踵を返すが、もう遅い。

「逃すか!」

 熊手が彼の正面へ回り込み、振り下ろす。首が刎ねられた。鮮血を吹き出しながら体が崩れ落ち、首が落下する。一面が血の海になった通路の向こうから、彼が駆け寄ってきた。

「無ヶ、無事か? 薄羽たちから場所を聞いて追ってきたんだ。遅れてすまない!」

「熊手……」

 無ヶは急な出来事に戸惑っていたが、彼も同じだった。しきりにあたりを見回し、小刻みに足踏みをしている。地面に落ちた松明が、二人に不安定な光のベールを投げかけていた、」

「とにかく逃げるぞ。どこでもない場所へ」

「まず何が起きているか教えてくれ。皆は?」

 言いかけてはっと気づく。彼は背中にひどい火傷を負っていた。皮は焼けただれ、水脹れが破れていた。大丈夫かと聞くと、僅かにうなずいた。

「死んでしまった。あいつに焼き殺された」

「だ、誰に」

 彼が口を開いた矢先、格子の向こうに気配を感じた。音もなく現れた人影は、巫女の姿をしていた。三角笠を突き破る形で二本の角が伸び、そこから垂れ下がった薄布に顔を覆われている。身にまとう白い袴には傷や汚れ一つない。右手の杖を見た途端に怖気が走った。金属の輪がいくつもぶら下がり、先端には鏡が光っている。あの鏡は良くないと勘が告げていた。

「あいつだ」

 鏡が光る。熊手が前に飛び出し、強く押す。無ヶの体が衝撃波で吹き飛び、地面に叩きつけられた。胸と背中に重圧がかかる。

呻きながら顔を上げた途端、無ヶはその場で凍りついた。目の前で熊手が焼かれていた。うつ伏せになった背中からは白い蒸気が上がり、両手の爪が腕ごと溶けていた。近くに落ちている真昼の残骸も黒く焦げ、辺りに肉と血が焼ける匂いが漂う。

 思わず口元を手で押さえたが、その滲む視界から熊手を外すことはできなかった。巫女は服を片手でさっと払う。

「走れ」

 彼が吐血する。背後に光の巫女が降り立ち、再び杖を掲げた。

「お前だけでも生き延びるんだ!」

 無ヶは両手を握り、敵を睨むことしかできなかった。足は動かせず、爪が手のひらに突き刺さった。熊手の顔の包帯が解ける。彼は弱々しく笑んでいた。

「失い続けた人生だったが、後悔はない。お前と出会えて……」

 言葉が途切れた。巫女が突き立てた杖を引き抜くと、彼はぐったりと頭を垂れた。先からは血と何かがこびりついており、粘液を纏いながら滴り落ちた。

 一層固く口を閉じたが嗚咽が漏れた。理解したくなかった。何かの夢であって欲しかった。巫女の顔を覆う布に光が灯る。何重にも重なった円が目のように無ヶの方を向いていた。一切の感情も読めなかった。

 無ヶは背を向けて走り出す。血と砂を踏み締め、歯を食いしばりながら。生き物の焼ける臭いを鼻から追い出すように頭を振った時だった。耳が音を拾う。羽ばたきだ。迫ってくる気配に身を屈めると、頭上を影が過ぎた。

目の前に巫女が降り立つ。彼女は紫の翼を柔らかく広げ、無機質な瞳で見下ろしていた。まるで救済に来た天の使いに見えてしまった。杖の鏡が煌めく。

「あぁ……」

 眩い光に手足の力が抜ける。全てが白に包まれ、無ヶは意識を失った。


 

 気がつくと無ヶは柔らかい布の上に固定されていた。手足を縛る紐は錠前のような材質で、四隅から伸びている。銀色の細長い紐は螺旋のような形状で、押しても引いてもびくともしない。天井や壁は白く、枕元の光がぼんやりと室内を照らしていた。松明とは形が違う明かりの下に、桶が置かれていた。耳を澄ますと微かな呼吸音がする。音源は複数ありほとんどが一定の間隔で繰り返していることから、皆就寝していると予想できた。逃げるなら今のうちだ。

 どうにか切れないか手首に目をやったところで、無ヶは愕然とした。爪がなくなっていた。指を傷つける手前で丸く切られていたのだ。指を布に強く突き立てても穴一つ開けられず、ただ表面を擦っただけに終わった。

「そんな……」

 爪がなくては何もできない。聴覚だけが頼りだが、手足の拘束を解いてはくれない。近くの桶の中を覗くと、金属の工具と黒く汚れた包帯が入っていた。ふと熊手の最期を思い出す。体の奥が急激に冷えていった。自分はこれからどうなるのだろう。視線を移すと隅に引き戸が見えた。

「だ、誰かいないのか?」

 都人の言葉を使って辿々しく叫ぶ。ここが都の中のどこかなら、誰かに届くかも知れない。最も、その誰かが自分の味方という保証はないが……。しばらく助けを求めていると、足音が近づいてきた。二足歩行だ。

「騒ぐな。大人しくしろ」

 低い男の声がした。

「ここから出してくれ」

「明日まで待て。これ以上皆の眠りを妨げるな」

 無ヶは口を噤んだ。この無防備な状態ではとても抵抗できない。沈黙を貫いていると、足音が遠ざかっていく。声の主は去ったようだ。自分ができることはもうないと悟り、無ヶは半ば投げやりな気持ちで目を瞑った。

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