第9話 決闘

 河川敷の砂利の上をディートリヒが長木刀を手に歩いて来た。

 既にディートリヒは研ぎ澄まされた殺気を漲らせ、静かにエマを見据えていた。


「待たせたな」


 決闘の時間には遅れていくことにしていた。それは前世での死の教訓とも言えた。

 先に着けばあれやこれやと、余計に思惟しいをめぐらすことになる。思考は剣を鈍らせ、考え過ぎた太刀筋は遅れをとる。

 斬り合いで思考を全く捨てるのは自殺行為だが、少なくとも敵を斬る瞬間は何も考えなくて良い。剣の声に従う。そのためにはやはり、斬り合いの直前に——あるいは遅れて——来るべきなのだ。


「あたしも今来たところだよ」とエマがデートの定型句のようなことを笑顔で言う。

 

 エマは普段着と思しきワンピースのような落ち着いた色合いの服を着て、リラックスしている。とてもこれから殺し合いを行う者とは思えない柔らかい表情だった。

 ディートリヒにはそれが少し気に食わない。まるで、あなたを倒すことなんて造作もない、と言われているようで、意識せず眉間に皺が寄った。


「というか、何故闘技場でやらない」とディートリヒが問う。

「あー……まぁ皆見てると……ね、その後、いろいろやりにくいじゃん?」エマは苦笑した。

 ディートリヒは初め、エマは自分が負けるところを人に見られたくないのか、と疑った。が、すぐに思い直す。


「まさか、俺が負ける姿を周りに見せたくない、とでも言うんじゃないだろうな?」


 そう訊ねるディートリヒは既に青筋を浮かべて目を剥いてエマを睨んでいた。


「まぁ……ほら、観客いると緊張するし?」エマが目を泳がせて誤魔化す。

 つくづく舐めた女だ、とディートリヒは眉間の皺が更に深くなった。

 こと戦闘に関してはこの女は緊張とは無縁だろう、ということは彼女のことをまだよく知らないディートリヒですら分かっていた。

 ディートリヒのドス黒い殺気がさらに濃さを増す。


「酷い殺気だね。そういう血気盛んな年頃なのは分かるけど……」とエマは心配そうに眉根を下げた。

「御託はいい」ディートリヒが長木刀を構える。「今日でお前の天下無双も終わりだ。さっさと武器を構えろ」

「だァかァら、天下無双なんて要らないんだって。でもそれじゃキミ、納得してくれないんでしょ?」エマはおもむろにスカートの裾を上げ、太もものホルダーからステッキを1本取り出した。

「そんな棒切れで俺の剣が防げるのか?」


 ディートリヒは片方の眉を上げる。煽りではなく純粋な疑問だった。

 だがエマは「ご心配なく」と答えて、ステッキを振った。すると、翡翠ひすい色——のようにディートリヒの目には映る——の魔力がステッキから伸び、剣を模した形に姿を変えた。


「確かに男の子が魔法を使うのは凄いけど」とエマは髪をかきあげた。「魔法剣技がキミだけのものとは限らないんだよ?」


 お互いが向き合い、剣を構えた。

 開始の合図など不要だった。ディートリヒは下段に木刀を構え直し、エマに突進する。

 第一撃は逆袈裟ぎゃくけさの切り上げだった。エマは1歩退くだけで、ディートリヒの逆袈裟斬りを余裕を持って避ける。が、切り上げれば当然次には振り下ろされる。エマはさらに退いてまた避けた。


「流石の太刀筋ね。先を読んでいないとできない斬撃だよ」


 エマは横薙ぎに魔力の剣を振った。だが、ディートリヒの長木刀はいつの間にか構え直されており、エマの剣を受ける。


「ハッ、魔力の刃と言えど、やはり実体はあるのだな」


 ディートリヒの口角が上がる。木刀で受けられないとなれば、エマの斬撃は避けるしかなかったが、そうではないと確かな手応えを感じていた。

 その後も絶え間ないディートリヒの高火力な斬撃の連続に、エマは反撃の機を与えられない。


「すごい……ッ! 剣技だけなら、キミの方が上手うわてなようだね。でも——」


 ディートリヒの斬撃がエマの胴に直撃した。

 ——ように思われた。だが、手応えはなく、木刀がエマの身体を抵抗なくすり抜けた。そして微笑んだエマが消えたと思えば、間合いのはるか外に立っていた。


「キミが相手にしているのは剣士じゃない。魔術師だよ」


 エマがステッキを振ると、小さな竜巻のようにうねる暴風が鉄砲の弾のような速度で飛んでくるのが分かった。何らかの阻害術を取っているのか、放たれた魔力は感知できない。つまり、どこをその弾丸が通過するか、ディートリヒにははっきりと把握できなかった。

 一つ。二つ。ディートリヒは危険な臭いを直感で嗅ぎ分け、器用に躱した。だが、暴風の弾丸はもう一つあった。ディートリヒの左肩に当たり、肩が弾けるように後ろに反った。

 激痛が肩を貫く。右手で触れて、左肩がまだ健在であることを確認した。血も出ていない。だが、左腕はこの戦闘中はもはや使えないだろう。

 

 圧倒的に劣勢の中、ディートリヒの戦意は全く揺るがない。すぐに立ち上がり、エマの動きを捉えた。

 エマがまた同様にステッキを振り、弾道不明の魔弾を放った。


(感じろ。空気の振動。音。臭い。空間の歪み)


 ディートリヒは五感の全てでエマの一挙手一投足を捉えていた。エマが再度放った魔弾を、ディートリヒは前進しながらも全て躱す。


「一度で見切っちゃったの?!」エマは両方の眉を上げて、翻った声を漏らして称賛した。

 そしてディートリヒを迎え討つ構えを取る。

 

 ディートリヒは右腕だけで、長木刀を連続して振るう。

 流れがあるようで不規則な斬撃に、エマはまた防戦一方となる。


「片腕だけの威力じゃないって、これ〜」エマが嘆きながら、ディートリヒの攻撃を上手く受け流した。

 野獣のように叫びながら、ディートリヒが木刀を振り回す。

 ただ闇雲に振るのではなく、一撃一撃が渾身の一振りであり、当たれば致命傷は免れないだろう。

 そしてついにディートリヒの木刀がエマの持つステッキを大きく弾いた。

 機得きえたり、とディートリヒの追撃がエマに迫る。その一撃は、『この機を掴まねば』という焦りから放たれた荒く粗雑な太刀筋だった。

 そしてそれはエマの狙いどおりでもあった。


 エマははじめからその攻撃が来ると分かっていたかのように、ひょい、と斬撃を躱して、隙だらけのディートリヒの胸に左手を当てた。


 「幻睡の誘いナルコレプシー

 

 次の瞬間には強烈な睡魔がディートリヒに襲いかかり、強制的に活動を停止させようとした。立っていることすらままならなくなり、ディートリヒは膝をつく。

 瞼が重い。目が霞む。剣を振え! 奴を倒せ!

 だが、ディートリヒの腕は動かなかった。


「おやすみ」と優しい微笑みに見つめられながら、ディートリヒの意識は遠のいていく。

 ディートリヒはうつ伏せに倒れた。頬に河原の石が当たるが、その痛みすらも微睡まどろみの中に溶ける。ぼんやりとする頭で、必死に瞼を持ち上げようと静かに足掻く。

 エマの顔が見えた。

 心配そうにディートリヒを覗き込むエマに見送られて、ディートリヒはゆっくりと夢の世界に沈んでいった。



 

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