家鳴り

森野ふうら

第1話

 Kさんの家では猫を飼っている。 

 数年前、彼女が高校生になったばかりの頃、両親が保護団体から譲り受けてきた。

 それまで家族の誰も猫を飼った経験がなかったため、最初は戸惑いの連続だった。しかし今では、すっかり家族の一員として馴染んでいるという。

 その猫が、妙な行動をとることがあるらしい。


「いや、妙というか。行動自体はよくあることなのかもしれないですけど」


 ふいに、空中の一点を見つめだすのだという。


「急にリビングの天井を見上げて、じっと凝視するんですよ。何もないのに。上の部屋にだって誰もいないんですよ。なのに、まるでそこに何かがいるみたいに、熱心に見つめ続けるんです」

 

 しばしば天井を見つめたまま動かなくなる猫。

 それを、なんとなく気味が悪いと思っていたKさん。

 しかし、あるときネットで猫にはよくある行動だと知った。


「猫って聴力が優れてるじゃないですか。人間よりもずっと。だから、人間には聞こえない小さな音を聞いて、そこを凝視したりするらしいんです。水道管の音とか、ネズミの走る音とか、虫の音とか。そういう音のする先を見てるんですね」

「あと、嗅覚も優れていて。人間には分からない匂いを嗅ぎ分けて、そこを見ているってこともあるらしいです」



 猫の能力を知り、感心したKさん。

 以後は、猫が何もない場所を凝視していても、「何か聞いてるんだな」と微笑ましく見守っていたという。


 だが、しばらく経って、妙なことに気付いた。

 リビングで猫が天井を凝視すると、その視線の先で家鳴りが起きるのだ。


「猫が天井を見上げるじゃないですか。そうすると、数秒から……そうだな、十秒後くらいまでに、その天井で必ず家鳴りが起きるんです」

「そんなに大きい音じゃないです。よくある、パンとかバンて音。屋根とか壁とかでよく鳴りますよね。ああいう音が、何故か猫がリビングの天井を見上げると鳴るんです」

「しかも、二回。必ず二回鳴るんです」


 最初は偶然かと思った。

 しかし、何度も何度も同じことが起こる。次第に、これは偶然ではないと認めざるを得なくなった。


「なんだか気味が悪くなりました。別に家鳴りがしたからってどうということはないんですけど。でも、なんで必ず家鳴りが起きるんだろうって考えだしたら気持ち悪くて……」


 そうなると気になって仕方ない。無視しようと思っても、猫が天井を見上げると、つい天井に意識がいってしまう。耳をすませてしまう。

 そんなことを繰り返すうち、Kさんは更に不審に思うようになった。


「家鳴りの音が少しおかしいんです。普通、板とかの材質が弾けるような音がしますよね。それが、リビングのは、少し籠もっているような、変な鳴り方をするんです」


 何かの内側に籠もるような音。

 また、それは天井の隅で鳴るとも分かった。必ず四隅のどこかで鳴り、角の空間に反響している。


「なんだか、どこかで聞いたことのあるような音だなって思いました。聞いたことがあるというか、体験したことがあるというか……」


 いつかどこかで耳にしている。何度も経験したことがある。しかし、それが何だったか思い出せない。

 そんな居心地の悪い思いを抱えていたある日、はっとKさんは気付いた。


「拍手です。手を打ち鳴らす音。しかも、二回なので、神社で打つ柏手。あれの音にそっくりだったんですよ」


 思い至ったKさん。家で音を待ち、確認してみた。

 それは確かに柏手の音だった。

 大きめの手の平を二回、パン、パン、と打ち鳴らす音が、リビングの天井付近から聞こえてくる。

 理解した瞬間、ゾワッと腕に鳥肌が立った。

 すぐに目を逸らし、そちらを見ないようにする。

 しかし、視線を落とした先、ソファの隣で座る猫は、柏手の後もしばらく何もない天井を見つめ続けていた。


 それからもリビングの家鳴りは続いている。

 Kさんは、とにかく無視することにしている。


「でも、やっぱり気になってしまうんです。聞かないようにしよう、考えないようにしようとするんですけど、そうすればするほど、音が強制みたいに意識に入ってきて…」


 そうしているうちに新たに分かったことがあるという。

 リビングの柏手は移動している。

 四隅のどこかでランダムに鳴ると思っていた柏手。しかし、それは南東の角、次は北東の角、その次は北西の角、と順繰りに移動している。

 つまり、天井の四隅をぐるぐる回っているのだ。


「それだけじゃなくて。鳴る間隔も決まっているような気がするんです」 


 気味が悪いので、きちんと確認したことはないが、どうも一週間に一度くらいの頻度で鳴っているらしい。多少ずれることもあるようだが、大体はそれくらいの間隔を保っている。


「ちゃんと一週間に一度じゃないから、少しアバウトに思えるかもしれませんが、多分、違うんです。ひと月に一周するんです。ひと月で部屋を回りきるように、ちゃんと計算して鳴ってるんです」


 何らかの存在が、何らかの儀式を行っている。

 Kさんは、そんな気がしてならないという。

 しかし、ネットで検索してみても、同様の事例は見当たらない。もしあったとしても、それでどうすればいいのか分からない。

 ただ、「天井の四隅を順番に見てはいけない」というような噂だけはいくつも見かけた。リビングの天井で音が鳴るたび、Kさんはその噂を思いだし、不吉な思いに囚われている。

 最近、音が鳴ると、猫がその場所の真下に移動するようになった。しばらく見上げながら時折振り返り、Kさんに何か訴えたげにしているらしい。

 猫には悪いけれど無視しています、とKさんは言い、「何が見えてるんだろう」と、ぽつりと呟いた。


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家鳴り 森野ふうら @morinof

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