第6話『今を生きる覚悟』



 『人狼』。

 俺の現世での知識を参照すると、それは日中は通常の人間の体をしているが、夜になると狼に化けて人を殺すという怪物だったはずだ。その怪物を題材にした映画やゲームなども存在し、非常に馴染み深いものだった。


 エヴァさんは、その人狼がこの村に存在すると見ている。

 確かに、二日間の犯行が全て人狼によるものだったならば辻褄が合う。


「人狼は知っています。てっきり物語の中だけの存在かと」


 俺は信じたくないのだ。


「イグニス王国内ではないが、人狼はいる。北西の『ウェント公国』の小さな村で何年か前に住民を皆殺しにしている。現在は行方不明だがな」


「――――」


 『イグニス王国』というのが、今俺がいる国なのだろう。確かこの村は『スキンテイラ』だったか。この世界の一般常識も覚えていかないとな。


 『そうだね半年くらい前からかな』『ああ、村一番の魔法使いがやられた』


 サリーさんの言葉が蘇る。

 半年くらい前。村一番の魔法使いを殺すほどの実力。これだけ条件が揃っているとただの狼だと決めつける方がおかしく思えてきた。


「ちょっと来てくれ、お前に見せたいものがある。立てなかったら私が背負うぞ」


「いやいやいや、女性に背負われるとかマジで勘弁です。無理してでも立ちます」


 俺はエヴァさんと共に、家を出る。太陽は既に沈み始めていた。


「寝すぎだ。俺」


「無理もない。頭を強打させられたんだ。あまり時間がないから急ぐぞ」


 エヴァさんは俺を、サリーさんの死体発見現場へ案内した。


◇◆◇◆◇


 昨晩、ニックの死体を見た俺だったが、まったく慣れない。腐肉の臭いが鼻に入ってくるの防ぐため、口のみで呼吸をする。鉄分によりほとんど黒くなった血が撒布している。それは既に乾ききっていた。


「エヴァさん、どうしてここへ?」


 俺は鼻をつまみながら聞く。


「おかしいと思わないか?」


 エヴァさんは鼻をつまんでなどいない。いつもと変わらぬ表情で俺に質問を返した。俺も鼻をつまむのをやめる。


「おかしい。こんなことあってはいけないと思ってますよ」


「違う。間違ってはいないがそういうことじゃない」


「すみません」


 直視したくないがためにアホなフリをするがエヴァさんには見透かされてしまう。


「エヴァさんは何か分かりましたか?」


「――私はお前に聞いているんだ」


 濁しても無理か…。

 仕方なく俺は死体を確認する。

 ドアから約5メートルほど離れたところで背中を抉られ、臓物が飛び出している死体。それはニックのときとほとんど変わっていなかった。


「背中ですね」


「あぁ、背中だ。サリーもニックも」


 他の共通点は――――、


 屋内。これは人狼が存在すると言っているようなものだ。普通、狼は家に入る時、ドアを開けない。よって人の形で入った、もしくは家の中に入れてもらったと考えるのが普通だろう。そして、背中だ。油断していなければ、背中から喰われたりなどしない。

 魔石が作動しなかったのは人狼が家に入れてもらうためにニックに魔石を持たせたから。門の魔石が作動していないのは人狼が村の住民である証拠。


「北門以外も罠は作動してなかったんですよね」


「そうだ。何かわかったか?」


「ぼんやりとなら?」


「教えてくれ」


「――うーんと、二人とも屋内で、それも背中を抉られている。ドアを自分で開ける、もしくは家の中から開けてもらった、と考えられて…。ニックさんが魔石を持っていたことから後者が有力。その上、すべての門の罠が不発だから人狼は村の住民であることがほぼ確実――――」


 当然、魔石の罠はもう種が割れている。


「それから?」


「罠の種が割れてる以上、直接対決でしか決着がつけられない」


 かなり絶望的な状況だ。人狼からすれば、隠れてこっそりと人を喰らえば良いだけなのだが、俺たちはまだ指定されていない人物を守らなくてはいけない。圧倒的に不利。


「そう、かなり絶望的な状況だ」


「エヴァさん、人狼が誰だか心当たりは?」


 人狼が誰だかおおよそ把握していれば、攻略はだいぶ楽になる。


「残念だが、全くない。しかし、シャーロット、ヒュー、そしてツヨシお前ら三人は人狼ではない確証がある。だから、私含めこの4人でこれから作戦を練るつもりだ」


「4人か…。少なすぎません?メイソンや他に信頼できる人はいないんですか?」


 ゲームだったら占い師とかいたのにな。あれってなんで一晩で1人しか占えないんですかね。てか昼間に仕事してくれれば良いのに。


「狙われる人間を把握していれば、4人で対処できないこともないのだがな。私の家に戻るぞ。もうヒューが着いている頃合いだろう」


「エヴァさん、ちょっとその前に――――」


◇◆◇◆◇


 散髪屋のドアを開け、俺は中に入る。

 俺がここにきたのはもちろん髪を切りに来たわけではない。この村では散髪屋が病院の役割も担っているという。夏の間放置した俺の髪はだいぶ伸びてきているので切りたい気持ちも山々だが、それはすべて解決してからだ。俺は奥の部屋に向かう。


 奥の部屋は真っ暗だった。カーテンは閉められた部屋には光はほとんど入ってきていない。角に置かれたベットの上で一人の女性が上半身を起こしこちらを見ている。


「――ニッキーさん」


「――――っ!」


 声をかけるとニッキーは怯え、呼吸を乱す。

 落ち着いたら話を聞こう。

 彼女が辛いのはわかる。しかし、人狼の正体を知っているだ。これ以上犠牲者を出さないためにここで聞き出すのが最善だろう。


「昨晩誰がきたんですか」


「――――」


「ゆっくりで良いので」


「――――」


 話を聞ける。そんな気がしたその時、

 ドアが開く。


「フロドに、メイソン」


 入ってきたのはフロドとメイソンだった。フロドは黒のフードを下ろしていて、メイソンは黒いタンクトップを着ていてる。彼なりの配慮だろうか


「ニッキー、オマエ大丈夫か?」


「――――」


「―――っ、あっ、あああああああああああああ」


「ニッキーさん?」


 ニッキーは頭を掻きむしりながら涙と涎と鼻水と、顔からあらゆる体液を流し泣き叫ぶ。それは見ていられない光景だった。思わず俺は顔を背けてしまう。


「ニッキー。大丈夫だ」


 彼女に駆け寄り体を抱くのはメイソン。


「オレたちが絶対助けてやる」


 優しく、心強い言葉だ。村で共に過ごした時間があるからこそ言える言葉である。


「あああああああああっ!ああ!」


 ニッキーは変わらずだが、俺とフロドはその場はメイソンに任せようとアイコンタクトを取り、ニッキーの泣き声を聞きながら部屋を出た。


◇◆◇◆◇


 ニッキーとの面会を終えた俺はエヴァさんの家へ。

 俺が中に入る頃には人狼の説明は終えていたようだった。


「――なぜ、人狼はニックを狙ったんだろうか」


 ヒューが呟く。


「そもそもニッキーを殺さなかった理由もわからない」


「ニックさんだけだと思ってたとかですかね」


「いや、彼らはこの村一番の仲良し兄妹だ。知らない者はいないだろう」


 俺の推論はエヴァに否定される。


「――魔力切れ、とか?」


 シャーロットの説だ。

 俺はまず人狼が獣化するのに魔力を使うかすら知らない。魔力ギリギリの状態でわざわざ襲いに来るだろうか。しかし、何か引っ掛かる。


「魔力切れねぇ。魔力切れ、まりょくぎれ、まりょくぎれまりょくぎれまりょくぎれ…」


 なぞなぞを考えるように俺は連呼する。


 すると一つ思いつく。


「魔力?」


 サリー、ニック、どちらも魔法使い、魔力総量が多い人間だ。

 魔力を狙っていると推測すると――――、


「そうだ。魔力目的で人を襲ってるんだ。サリーさんに、ニックさん。どちらも魔法使いです。俺を狙ったのは俺の魔力量が多いからで、ニッキーさんを殺さなかったのは魔力切れだったから」


「筋は通るな」


「でも魔力切れをしたニッキーさんに正体を暴露されたらどうするつもりだったんでしょうか」


 ヒューは頷いたが、シャーロットは疑問を口にした。


「そこは疑問だが、今のところその説が最有力だ」


「なるほどね。話は聞かせてもらったぜ!」


 ドア越しのメイソンの声。

 

「聞いていたんですね」


「まぁな、フロドも呼んできたぜ」


「――参加させてくれ」


「まったく――――、座れ」


 机を囲んで全員が座ると俺は考えた作戦を口にする。


「魔力を求めて人を襲うのが確定しているのなら――――」


 正直マジでやりたくないのだが、これくらいしか思いつかない。


「俺が囮になって、狼が現れたら全力で潰しにかかるってのはどうですか?」


「――いいのか、お前は」


「いや、本当にやりたくないですけどね。この作戦以外思いつかないから…」


「ランマルくん、頑張ってください」


「まぁ安心しろや、オマエが死ぬ前に絶対仕留めたるから」


「その作戦を実行するならもう始めた方が良いか。広場に行くぞ」


◇◆◇◆◇



 広場までの道のり、俺は最後を歩き、皆の背中を見ている。彼らの足音をぼんやりと聞きながら歩いていた。

 人は知りたくないことを知ってしまったとき、どうするだろうか。本当に考えたくない、信じたくないことを気づいてしまった時、それをすぐに受け入れられる人間はなかなかいないと俺は思う。俺もそうだった。

 確実なまだ証拠はない。しかし、俺の頭では確証しているのだ。もうそれを忘れることができなくなるほどに、それはひどく不動で明白で、確実なものだった。

 その確証を認めさせずに俺の胸の内に押し込むのは恐怖以外に他にない。


 俺は人狼の正体を知っているのだ。


「どうかしたんですか?ランマルくん」


 シャーロットが歩く速度を落として俺の隣で問う。


「いや、少し考え事をしてて」


「何を考えてたんですか?」

 

「――――」


「話せませんか?」


 俺とシャーロットはすでに立ち止まっていた。こうして二人で話をするのは久しぶりな感じがする。


「――でも…」


「私を信用できませんか?」


「そんなんじゃ…、そんなんじゃないんです」


 シャーロットの口調は非常に優しいものだ。


「誰かわかったんですよね」


「――――」


「教えていただけませんか?」


 今話しているシャーロットを見るとなぜ俺は黙っているのか馬鹿馬鹿しく思えた。

 俺は息を大きく吸うと「これはただの推理に過ぎないんですが」と前置きする。


「おそらく、人狼は――――」


「――何話してんだ?オマエら」


 瞬間、全身の毛が逆立ち心拍数が上がる。

 メイソンがこちらに歩いてくる。



 テク、テク、テク、テク。



 足音を聞き、俺はシャーロットの黒いローブを引っ張って自分の後ろに立たせる。


「何してんだ?オマエ」


「シャツ脱げます?」


「――は?何言ってんだ?オマエ」


 メイソンは腰に手を置き笑う。



 テク、テク、テク、テク。



 ついてこない俺たちを気にしたエヴァさんがこちら戻ってくる。

 ここで一つ、案が浮かぶ。もし、俺の仮説が正しければ、人狼の正体を一発で明かす方法。やらないという選択肢はなかった。


 俺は全身から魔力放出した。


 手先だけでやっていたのを体全体に拡張するだけのもの。魔力の球体はできなくても、俺は霧のような青い魔力を纏った。

 しかし、俺よりも変化を顕著に表す人物がいた。


 目の前の男は目を血走らせ、青筋を立てる。ゼーゼーと息を荒げ涎を垂らし俺を睨むメイソンの顔は猛獣そのものだった。


「メイソン?」


「――――」


 エヴァさんが声をかけると前にいた全員がこちらを向いた。


 その瞬間だった。


 メイソンは俺から目を逸らしたかと思うと、後方に全力で駆け、エヴァさんの顔面を掴み地面に叩きつけた。後頭部を強く打ったエヴァは白目を剥いて気絶している。

 それを見たフロドとヒューがすかさず剣を振るが一歩遅い。メイソンは重心を低くし地に手をついて二人の足元を旋風脚で奪うとヒューの腹に拳をねじ込み遠くへ突き飛ばし、フロドの剣をへし折った。そのまま流れるように剣を失ったフロドを蹴り飛ばす。


「馬鹿だな、オマエ」


 メイソンは月を見上げながら静かに言った。今までの明るい態度の面影は一切消え、非情で冷淡な声色がひどく恐ろしい。


「オマエのせいでみんな死ぬんだ」


「――なんでこんなこと…」


「生きるためだ」


 食い気味に答えるメイソンの目は真剣だった。


「オマエが飯を食うように、オレは人を殺す。納得できるか?できないよな?だから黙ってた。オマエらが死にたくないのは知ってる。殺されたくないのも知ってる。だから、できるだけ魔力が多いやつを殺して殺す人数を減らしてやってたのにな」


 話しながらメイソンはタンクトップを脱いだ。胸には火傷のような跡がある。昨日俺が残したもので間違いないだろう。


「人生舐め腐った嘘つきのオマエのせいで、エヴァもこいつらも、その女も死ぬ」


 なんてことをしてしまったんだと思った。俺が死んでいれば、サリーさんは、ニックは、この村の人間たちは…。


「俺を食ったら、何年空腹を凌げる?」


「五年は余裕だ」


「じゃあ――」


 もう、食われてしまおうと、そう思った。五年だ。俺が異世界に来てから一日一人殺されている。単純計算で365×5。つまり俺が死ねば約1800の命を救える。光栄なことではないか。なら、俺がここで――――、


「やめてください。ランマルくん」


 『じゃあ殺してくれ』と。その言葉は口から出てこなかった。遮ったのはシャーロットの声。


「確かに、あの夜ランマル君が死んでいたらサリーさんも、ニックさんも死なずに済んだかもしれません」


「――なら」


「違いますよ。ランマルくん」


 小さいため息をついてからシャーロットは続けた。


「自己否定的な考え方は何も生みませんよ」


 エヴァさんがシャーロットに言った言葉だ。


「それどころか少し不愉快です。やめてください。それに――」


 シャーロットと目が合う。


「あなたに救われたわたしがいますから」


「そんな…」


 身に覚えがない。しかしシャーロットは本気だ。目を見ればわかる。


「だいたいですね、犠牲者を最少にする方法は人狼の撃破です。すこしは頭使ってください」


「シャーロット…、ありが…」


「どういたしまして」


 俺の言葉を先回りするシャーロット。俺は初めてシャーロットと本音で会話をした気がした。先程まで俺を追い込んでいた緊張や恐怖はどこかに消えてしまったようだ。


 現代の日本人の会話には必ず暗黙のルールが付きまとう。恥だとか意地なんかが邪魔をしてなかなか本音で話をさせてくれなかった。嫌われないように、傷つけないように。一見大事にしているように見えるがそれはただの逃げでしかない。全力で生きて、全力で楽しむ。それができない世界だった。


 しかしこの世界では違う。俺は法も常識も何も知らない。生まれてから大人になるまでに植え付けられる常識を、暗黙のルールを俺は持っていない。俺が自由に生きることを邪魔する足枷はもうない。だから、全力で生きよう。俺はそう思った。


「くだらねぇ」


 メイソンは先程までの感情に怒りを加え、俺を睨む。だが、もう挫けない。


「おいメイソン」


「――――」


「ぶっ倒してやるよ」


 人を救うためではない。敵討でもない。


 俺がそうしたいのだ。


「二人まとめて殺してやる」


 メイソンは首を鳴らし、呟く。そこへ――――、


「三対一だ。私には勝ち筋しか見えない。ランマル、指輪を返してくれ」


 服についた砂を祓い、指を鳴らして歩いてくるフロド。俺が指輪を返すとそれをすぐにはめる。


「シャーロット、フロド」


「はい」


「頼りにしている」


 気合いは十分だ。

 

 月だけが、俺たちを照らしていた。

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