第5話『作戦失敗』



「どこだ!?」


「こっちだ!ついて来い!」


 悲鳴を聞いた俺とシャーロット、ヒューの三人は、家を出て、すぐさま悲鳴が上がった方角に走り出した。

 本来なら藍の魔石の発動により放射される光へで向かう予定だったのだが。


「どういうことだ?なにが起きてんだよぉ!」


 俺には今なにが起きているのかさっぱりわからなかった。わかることは狼が何かしたと言うこと。ただその何かがさっぱりわからない。作戦のどこに穴があったのだろうか。


「魔石は全員に配ったはずだよな?」


「ああ、それは俺が保証する」


 ヒューが俺の疑念をはらす。

 

「じゃあ何だってんだ?狼には効かなかったのか?」


「落ち着けランマル。もう悲鳴が聞こえた場所にだいぶ近ずいている。焦っているのは俺やシャーロットも同じだ。狼に対抗できるのは俺たちしかいない」

 

 ヒューは落ち着いているように見えていたが息を上げ、頬を硬くしている。それを見て俺は反省する。


「――――」


 道を曲がったさきにまだ明かりがついた家が見えた。俺たちは速度を上げてその家に向かう。現在時刻を十一時を過ぎている頃だろう。この村、というよりこの世界では電球がないので、人はあまり夜に活動しないことが今までの会話でわかる。


「まだ起きているみたいだ!狼を見たかもしれない!話を聞きにいこう…っておい、どうした?ヒュー」


 俺は事情聴取を提案するが返事がもらえず、少し戸惑う。


「――ここは…」


 ヒューが口を開く。

 先ほどよりよりいっそう剣呑な顔をするヒューを見て俺は息を呑んだ。


 俺たち三人はその家の玄関に辿り着く。

 ヒューの顔から冷や汗が頬に伝って地面に落ちる。


「――もしかして…」


 シャーロットは察した。


 俺は信じたくなかった。しかし、この状況でそれを信じないことはただの現実逃避に他ならない。

 女の悲鳴。未だに消していない明かり。明かりがついているのにも関わらず、物音はゼロだった。


 それが事実であるのならば――――、


「そうだ、この家は――」


 ヒューは息を吸い、口にし難い事実を伝えるため勇気を振り絞る。


「ここはあの兄妹、ニックとニッキーの家だ」


 ヒューはわずかに震えた声でそういうと、家の玄関から中に入った。


◇◆◇◆◇


――吐き気…。

 

 家に蔓延した異臭が俺に吐き気を与える。家の中は酷い状態だった。

 これほど大量の血液を目にするのは俺には初めてのことだった。俺は必死に吐き気を抑える。

 家の玄関の2メートルほど先にうつ伏せに倒れるニックの死体。

 背中は抉られていて、骨が剥き出しになり、臓物がこぼれ落ちていた。身体からまだ乾いていない赤黒い血液が撒き散らされている。血液は床だけではなく、左方の木製の壁にもべったりとついていた。


 鼻で息を吸うのをやめ、目を瞑る。視覚と嗅覚を遮断すると、残りの聴覚が鋭敏になる。


『――ッ、――――ッ』


 俺は女の震える息を聞いた。

 息がある。

 奥の部屋の開いたドアの隙間から、血で汚れた長い紺色の髪が見える。


 ニッキーだ。


 俺はできるだけ血痕を避けながら奥の部屋に向かう。


「ニッキーさん、大丈夫ですか…」

「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 俺が声をかけるとニッキーは狂ったように頭を抱え込みながら金切り声を上げる。 狂ってしまっている。

 息をしづらそうにして、震えている。

 

 俺が横を見ると、シャーロットは目を見開き、少し震えていた。

 俺は彼女の手を握り――――、


「シャーロットさん、ニッキーさんを抱えて、エヴァさんに報告してきてください」


「――わ、わかりました…」


 シャーロットの悲しみに溢れた顔を見て、俺は頭に血が上るのを感じた。


「ヒュー」


「わかった」


 俺とヒューは家を出る。


「まだそう遠くへは逃げていないはずだ。俺は南門へ行く。ランマルは北の正門の方へ」


「わかった」


 俺たちは素早く役割を決める。

 

 馬鹿げているかもしれない。戦って勝てる保証はどこにもないというのに。しかし――――、


 ニック、ニッキー。ほんの半日ほどだが、共に『狼を撃つ』という目標を掲げ協力してきた仲間だ。

 絶対に許してはいけない、というより許せない。


 俺は狼を『殺し』に俺が異世界に転移された場所へ向かった。


◇◆◇◆◇


 北の正門は道を一度曲がればあとは真っ直ぐだった。

 俺は真っ暗な道を、刀身をまだ出していない魔力刀を握り一人で走っている。1日目のトラウマが蘇るが、立ち位置が逆だ。前回は狼が狩る側だったが、今度は俺が狩る。そう思うだけで、恐怖は多少薄れた。

 狼は人を喰っても朝には既にいなくなっていて、塀には爪痕などの痕跡は見当たらなかったらしく、狼は門から出ていくことがわかっている。そうエヴァさんが言っていたので村を出るには門以外はない。

 ニックの血はまだ乾いていなかった。ならば、それほど遠くへはいっていないだろう。


 狼を狩るため、俺は思考を張り巡らせる。

 広い道…。

 俺はは広い道に飛び出す。

 そこは先ほどの細く真っ暗な道とは違い、松明の街灯も多く、走りやすかった。狼がいたら後ろからやられる羽目になるので、門は右にあったが、立ち止まり一応左も確認しておく。

 そこには狼はいなかったが、大きな村長の家の階段を、シャーロットが駆け上がるのが見えた。

 それを見てから右の方、門に向かい俺は再び走る。今のところ、狼は見当たらない。


 やはり逃げてしまったのだろうか。


 それから50メートルほど走り、俺は門に着いたのだが、そこには狼の姿はなかった。

 俺は村の外に出て、周囲を見渡す。ここは俺が異世界に転移した場所である。


 狼の姿は見当たらない。


「――ちっ」


 俺は舌打ちすると再び門を通ろうとした。その時――、


 地面に光るなにかが見えた。

 俺はしゃがみ込み、それを凝視する。

 それは、俺とシャーロットが魔力を込めた、藍の魔石だった。

 おそらく、五人のうちの誰かが門に設置したのだろう。

 そこまではわかった。しかし――――、


「なんで作動してないんだ?」


 それほど大きな門ではない。狼がここを通れば確実に罠が作動し、帷が降りるだろう。


 しかし、藍の魔石はまだ淡く輝いており、魔力が失われていない。


「まだ村の中にいるのか?」


 狼が北門を通過していないことが確実になり、村の中にいる確率は上がった。

 南門はヒューが向かっていて、残る東西はメイソンとフロドが気を回してくれていることを願う。


「一旦エヴァさんに伝えに行こう」


 俺はそう呟き、立ち上がって前を向いた。


 その時だった。

 暗闇の中に浮かぶ二つの光。それはだんだんと近づいてくる。


「おおかみ、なん、で?」


 15メートルほど先に狼の姿が見えた。


 その身体は大きく体長は3メートルほど。巨大だ。背部側から尻尾までは灰色、腹部から鼻の周囲にかけては白だった。噛まれたり、引っ掻かれたりしたら死は確定するだろう。

 そんな恐ろしいものを見て驚いた俺にも、狼は容赦してくれない。

 狼は足を踏み切り、俺の方へ向かってくる。


「これじゃあ、昨日と、一緒じゃねぇか!」


 既に立場は逆転していて、再び俺が狩られる側に。

 狼とはもう5メートルほどしか距離はない。


 その時、俺は右手に握った魔力刀の存在を思い出し、それを狼に向け、魔力放出を行った。

 暗闇でもわかる存在感をもつ『青色の刀身』が狼を威圧し、動きを止めた。


「おい」


 俺は狼に恨みをぶつける。


「好き放題やりやがって」


 俺は初めて魔力刀を振る。想像したよりもずっと重いが、振れないことはない。魔力刀が振られた場所に、青の魔力が霧となって消える。

 一度剣を振っただけなのに、だいぶ魔力を消費する。直撃すれば、ただでは済まないのだろう。

 

 しかし、それも『直撃すれば』だ。

 

 狼は俺の渾身の一撃を後方へ避ける。


「はぁ、はぁ」


 めっちゃ疲れる。

 魔力刀を振り、俺は大量の魔力を消耗する。

 狼はその俺の疲労を察したのか、再び飛び出す。


 狼は今度は『噛む』ではなく、『切る』を選んだ。

 狼の右腕が俺の顔に向けられる。


 その攻撃を俺は後ろへ下がりながら魔力刀で弾く。


 なるほど。

 魔力刀は自分から剣を振ると魔力を大量に使うが、防御においてはあまり魔力を消費しないらしい。戦闘中に学んでいくスタイル。


 爪の攻撃を弾かれた狼はバランスを崩す。


 今だ。


 バランスを崩した狼に向けて俺は魔力刀を思い切り振る。


「もらったぁあああああ!」


 右手で握った魔力刀を狼の右足、俺から見て左下の位置から、右上へ左逆袈裟斬り。


 青の刀身が狼の腕に――――、


 届かなかった。


 俺の魔力が切れたのだ。日中あれほど大量の魔力を使ったのだ。当たり前だ。普通なら今ごろ戦えてなどいない。

 魔力刀は狼の腕に届く寸前で霧散し、青の霧となった。


 俺は魔力刀の柄だけを振った。

 当然、ダメージは入らない。


「嘘だろ!くそがっ!」


 狼はすぐさまカウンター。


 それを俺は右方向へ飛び込み前転でかわす。

 小学校の体育が今更役立つとは思ってなかった。水泳も役に立つ日が来るのだろうか。


 俺は義務教育に感謝し地面に砂混じりの唾を吐き出す。


 狼は既にこちらを見ている。

 どうする。

 考えろ。

 反撃の手段はない。

 どうする。

 考えろ。

 狼が体勢を整え、俺の目を見た。

 どうする。

 

 瞬時に打開策を思いつき、実行する。

 俺は手のひらに力を入れた。青い粒が少量出たかと思うと、すごい勢いで黒い魔力が手の上に現れ、球を形成していく。それは茶屋でやった時よりも一回り大きい黒い球。


『触るな!指を無くしたくなきゃな。』


 メイソンさんが言っていた。

 触れたら指が無くなるほどの威力…。

 魔力が少ないため、致命傷は与えられないだろう。


 しかし――――、


「やってみる価値は、ある」


 狼はこちらの思惑を察し、攻撃される前に、俺を殺そうと考えたのか、飛び込んでくる。


 俺は飛び込んだ狼の腹の下めがけてスライディング。


「うおおらあああ!」


 俺の魔力は狼に見事に当たった。


 「――――ッッ!!」


 耳を塞ぎたくなるような不快な呻き声。それを聞いて俺は下品な笑みを浮かべる。

 遭遇したことのない一般的日本人にとっての狼は『でかい犬』みたいなイメージだろう。しかし、人を殺す狼だ。怒りもあって、傷つけることに一切の迷いはなかった。動物愛護とか今は知らん。いいから駆除だ。死んでたまるか。


 狼の腹部を見ると、腹部の毛が一部剥がれ、薄い桃色の肌が露出している。そこには黒い火傷のようなものが…。

 そしてそれはボロボロと灰のように崩れ落ちていく。


 狼が喘ぐのを止め、俺の方を見る。鼻に皺を寄せていて、明らかに先ほどより怒っている。


「被害者面かよ」


 俺は煽り口調で言い、再び手のひらに力を入れる。優勢になったら突然強気になり煽ってしまう。なんとも小物感満載の俺の行動だ。このまま、繰り返していけば勝てる。そう思ったのだが――――、


「え?」


 魔力が空になったのか、手のひらからは黒い霧しか出てこない。


「おいおいおいおい!まじかよぉ!」


 やばいやばいやばい!


 狼はこちらに迫ってくる。


 狼がゆっくりと右腕を上げる。


「まじかよ」


 このまま頭を爪で切られ、死ぬ。そう、俺は思った。


 だがしかし――――、


「え?」


 狼は静かに手を伸ばし、俺の頭を片手で掴んだ。


 爪は立てていない。


 なんなんだ?


 狼は俺の顔を覗き込む。


 俺はは狼の手を引き剥がそうと力を入れる、しかし、びくともしない。


「何しやがる」


 それから五秒ほど睨み合うと――――、


 狼は俺の頭を地面に叩きつけた。


「なん、で…、殺さ、ない?」


 俺の目の前には俺の意識を確認する狼の目が光っていた。


 突如、俺の意識は暗闇の中に――――、


 暗闇に吸い込まれるように――――、


 落ちていった。



◇◆◇◆◇



 頭が、ぐわんぐわんする。



 ドク、ドク、ドク、ドク



 血管を回る血液の音が、耳の近くで響いている。

 緩慢な肉体の感覚とひどい倦怠感。

 そして、ふかふかのベッドの沈み込むような感触。そしてシーツのほのかな良い匂い。額に乗った冷たい感覚。

 まだ脳が活性化しておらずよくわからないが、何かしなければならないという焦燥感に駆られている。まだ寝ていたいという願望をやっとの思いで遠ざけ、俺はゆっくりと目を開いた。


 目を長く閉じていたので、眼光が開き余分な光を吸収する。光の眩しさに、俺は目を半開きにしながら周囲を見渡す。


「――――」


「目覚めたか、ランマル」


 右方から、凛とした女性の声が聞こえる。


 茶髪の女性はベッドの横の椅子に座り俺の顔を覗き込む。となりの椅子にシャーロットも座っているが、彼女は寝てしまっている。


「――――」


 頭が痛く、体が痺れ、声が出ない。

 エヴァさんが心配そうな顔でこちらを見ている。何か喋らなければ――――、


「大丈夫だ。ここは私の部屋だ」


「――――女子の部屋とか初めてなんで緊張します」


 何言ってんだ俺は!?

 何か言わないとと必死で声を出すが間違いなくこの場にふさわしくない発言だ。


「戯言を言えるほど元気になったのなら幸いだ。横になったままで構わないが、話をしても良いか?」


 俺のキモい言動をくすっと笑うエヴァさん。俺は目を逸らす。


「え、てことはこのベッドは…」


「私のものだが気にするな。お前はよくやったよ…。昨晩の話をしてくれ」


 俺が驚き上半身を起こすと、額に乗っていた冷たいもの、冷やしたタオルが掛け布団に落ちた。

 部屋はあまり広くない。俺が寝ているベッドのほかにソファと机、本棚といったところか。隅まで掃除が行き届いていて几帳面な性格が垣間見える。


 えっと、昨晩の話ね。


「まず、あの二人…、ニックさんの死体を見つけました。それでシャーロットさんに放心状態だったニッキーさんを任せて、ヒューと手分けして狼を探しました。それより前はみんなから聞きましたよね?」


「ああ」


「俺は北の正門に走ったんですけど、外を見渡しても狼は見つからなくて。それで一旦帰るかってなりました」


「それから?」


 エヴァさんは真剣に俺の目を見て話を聞いている。


「そこで――、魔石を見つけたんです。門のすぐ下にありました。それが作動してなくて…。それをエヴァさんに伝えに行こうと思ってたら目の前に狼が現れた。それで戦ってたんだけど魔力が無くなって、絶対死ぬと思った。でもなぜか狼は俺の頭掴んでを地面に叩きつけたんすよ。そこからは当然ながら何も覚えてません」


「私はシャーロットにランマルが狼を追いかけたと聞いて門まで向かった。そこでお前を見つけた。魔石が作動していないのはその時、私も気づいた。それからはお前を担いでここまで運んだ」


 エヴァさんは一息つくともう一度話し出す。


「魔石が作動しなかった件だが、ニックの家の魔石は玄関に置かれていなかった」


「は?確かに配ったって…」


「違う。四人は確実に配り終えていた。魔石はニックの手の中にあった」


「なんで、だよ」


 衝撃の事実である。二人は狼が来るのを知らないわけがない。共に罠を作ったのだ。ではなぜ、魔石はニックの手の中に?それは、外に出ようと思ったから?それとも――――、




 中に誰かを招いたから。




 俺がそんな可能性を考えていると――――、


 エヴァさんが口を開いた。


「ランマル、『人狼』というものをお前は知っているか?」



 その質問に、俺は恐る恐る頷いた。

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