まだまだ、異世界は色褪せない。

テタンレール

相当リアルなチュートリアル

第1話『現世を捨てる覚悟』



 目の前にいる少女は明らかに普通ではない。


「やあやあ、モリ・ランマルくん」


 腰まで伸ばした白髪と奇妙な程に整った顔、舐め腐った態度から日本人、というより地球人でないことは明らかだ。あと名前を教えた覚えはない。

 俺が彼女を地球人だとは到底考えられないのは服装のせいもある。なんだかよくわからない冒険者風のものの上に黒のローブを羽織っている。対して俺は黒髪と平均的日本人の顔、ストレッチの効く黒のジーンズに黒のTシャツ。かなりギャップがある。共通点は瞳の色だけか。


「――なんですか?」


「ちょっと用があってね」


「――――」


 俺は黙る。

 俺に対しての用なのかこの地球に対しての用なのか、またどんな用があるのか俺には全く想像もつかないが、いかなる理由でも異世界の一般男子高校生の部屋を破壊していい理由にはならないだろう。

 訳のわからないことが続いたせいで頭が混乱している。状況を整理しよう。


◇◆◇◆◇


 それは九月四日、高校生活三度目の夏休み最終日。高校三年生である俺、森蘭丸(モリランマル)の夏休みは受験生ということもあり、ほとんど受験勉強で構成されていた。

 午前中布団の上でゴロゴロしていた自分を呪いつつ明日の学校の準備をしようと気合を入れて教科書を積み、床に散らばる課題のプリント類を掻き集める。片付けは少し、いや、かなり苦手なほうだ。


 学校の準備を一通り終えた俺は自室を出て、階段を降り、リビングを通り過ぎてキッチンにある冷蔵庫へ向かう。

 ジュースが飲みたい。少し動いただけでかなり汗をかいた。九月に入っても夏の暑さは衰えることを覚えず、受験生である俺の集中力を削ぎ続けていた。温暖化やばすぎる。シロクマさんがかわいそうだ。

 俺は冷蔵庫の扉に指をひっかけ、体全体でそれを引く。


「――――」


  地球温暖化を危惧しながら冷蔵庫を開けると、そこには飲み物が一つもなかった。かなり驚きである。小野妹子が男だと判明した時ぐらい驚いた。


 しかし、俺がこの驚きを遥かに凌駕する驚きに出会うまで、一分にも満たなかった。

 

 階段を上がり、自室の扉を開ける。右から爆音。


 先程掻き集めたプリントが宙を舞い、積んでおいた教科書類が吹っ飛び、俺の頭に直撃する。本棚からは長らく使われていない国語辞典だけを残して、全て落ちる。


 そして爆心地には少女の人影。


 少女は元は俺の机だった木片の上をバキバキと音を鳴らしてこちらへ歩いてくる。土足である。日本なのに。部屋の中なのに。

 俺は先程の爆発がこの少女が起こしたものなのだとはっきりと理解した。


「やあやあ、モリ・ランマルくん」


 日本語で話しかけられる。現実離れした綺麗な声。アニメの声優さんのようだと思った。


「――なんですか?」


「ちょっと用があってね」


「――――」


◇◆◇◆◇


 そして今に至る。結局、状況を整理しても意味がわからないことに変わりはなかった。


「用って?」


 俺は会話を続ける。


「探し物、かな」


「なんで俺の部屋に?」


「それは私もわからない」


「探し物って?」


「この世界の飲み物。とても美味しいやつ」


 かなりざっくり。異世界人は俺がコンビニに行く感覚で異世界に行くのか。まぁ、地球を侵略しにきたわけではないことに感謝しよう。


 この状況、何をするべきかはわからないが放っておくのは論外。そんなもったいないこと、俺にはできない。せっかくの機会だ。後悔しないようにしよう。ていうか、異世界人とおしゃべりできる体験を放棄するやつは日本にいないんじゃないかと思う。そういえば、初めて俺の部屋に女の子が降臨した。

 飲み物を探していた俺と飲み物を探しに来た異世界人。すべきことは――――、


「コンビニ行く?」


 目的を手伝う。これが最善だろう。コンビニに売ってない飲み物なんてあんまりないしね。

 ここ半年ほど体に絡みついていた『受験』という重しがそれがすーっと消えるような気がした。現実から解離した感覚。これがとても心地よかった。自然と頬も緩んでしまう。


「コンビニ、ね。いくよ。連れて行ってくれ」


「りょーかいです」


 返事を聞いた俺は九月のお小遣いがフルで入った財布を持って、玄関へ向かった。三日ぶりの外出だった。


◇◆◇◆◇


「改めまして、ランマルくん。私はビアンカ」


「森蘭丸です」


 玄関を出てから、俺たちは話しながらコンビニへ歩いた。


「あんまり驚かないんだね」


 ビアンカと名乗った少女は頬を緩める。

 ビアンカさんは171センチの俺と同じ目線で話している。女性の中ではかなり高身長なのではないかと思ったが、すでに俺の頭の中の『普通の女性』からは逸脱しているためそれは気にならなかった。気になったのは身長ではなく目線の方である。話している間に顔を覗き込まれるのがどうにも落ち着かない。これも日本人でやる人は少ないだろう。気まずくなった俺は歩く速度を早め顔を見ずに話を続行する。


「いや、かなり驚いてますよ。多分人生で一番」


「へぇ。じゃあ聞きたいこととかないの?私は異世界人だよ?」


 実際驚いているのだが、異世界系なんかが流行りまくっている時代なので状況を掴むのは容易だった。

 異世界系、まだ流行ってるよね?異世界召喚は古くない。はず。


 聞きたいこと。めちゃくちゃたくさんある。『彼氏はいますか?』とか、『体はどこから洗いますか?』とかね。しかしそんなこと聞けるわけがないので俺は真面目な質問をした。


「魔法とか使うんですか?」


「うん。ほら」


 ビアンカさんは即答し、俺を振り向かせる。魔法があるのは大変嬉しいことだ。魔法は男の夢であり、ロマンなのだ。


「え?」


 俺が振り向くと、ビアンカさんの左手には俺の財布があった。それは確かに先程まで俺のズボンのポケットに入れていたものだ。

 まじかよ。初めて見る魔法が窃盗スキル?何それ悪くない。むしろ好き。

 驚いている俺を待たずに、ビアンカさんは魔法のお披露目会を始めた。

 ビアンカさんは二つ折りにされた財布の中身の500円玉を右手に出す。右手はパーの状態のまま一度も動いていない。

 そしてそれを握り、軽く振り、手を開くと――――、


 500円玉が二枚になった。それを繰り返し500円玉が増えていく。500、1000、2000…。


「って、おい!」


 俺がビアンカを止めたときには500円玉は32枚になっていた。全てに『令和三年』と書かれていて、汚れ具合まで完璧。

 完全にアウトだろこれ。


「これで買えるかな?」


 魔法っていうよりマジックっていう感じ。

 そういえばあれ?魔法は英語でマジックだよな?じゃあ手品は英語で――――って、そんな場合じゃない。通貨偽造しちゃったよこの人。確か三年以上牢屋に入れられちゃう。でも彼女ならすぐに脱獄できてしまうだろう。


「あのですね、500円あれば大抵の飲み物は買えるんですよ。戻してください」


「戻すのが結構面倒くさいんだよ。使えるなら使ってくれ」


「――――」


 どうしたものかと悩んでいるとコンビニに到着した。してしまった。

 このまま入店しようと思ったのだが、店員さんにビアンカさんを見られたくない。何しでかすかわからないし。店員を二人に増やし、店長を召喚し、ついでにパトカーも召喚する羽目にならないように俺は考える。


「ビアンカさん、透明になれたりします?」


「あぁ、そのくらいはできるさ」


 俺が聞くと即答し、目の前にいたビアンカさんはすぐに見えなくなった。声は聞こえるのに姿は目を凝らしても見えない。今度は魔法っぽい魔法だな。炎とか出せないのかな?あとで聞いてみよう。


「ついてきてください」


 声をかけた俺はコンビニに入店し、ドリンクコーナーへ直行。ビアンカさんの姿は透明になっていて見えないのでついてきているかわからないが、俺は小さめの声をかける。


「どの飲み物ですか?」


 返答を待つ。


「――あ!これだ!」


 どれだよと思い、声の方を向くと、冷蔵庫のガラスを缶のコーラがすり抜け、宙を移動し、ある位置で止まる。きっとビアンカさんが持っているのだろう。

 コーラが浮いているのを店員に見られたら面倒なのでコーラをつかもうと俺は缶に手を伸ばす。


 しかし、俺の手は缶には触れず缶を持つビアンカさんの手に触れてしまう。


「あっ」


 ごんっと、缶が床に落ちる音が響く。

 驚き缶を落としたビアンカさんは透明化の魔法を解除してしまったらしい。目を丸くしたビアンカさんがこちらを見ている。店員は近くにいないし、商品棚の陰なので人目につくことはなかったのだが、俺はなんだかとても恥ずかしくなった。頬が赤くなるのを感じる。


「あ、ごめんなさい」


「いや、いいんだ。少し驚いただけで」


 頬を微かに染めたビアンカさんの声のトーンは少し上がっていて、可愛らしい。

 こんなに驚く?普通。まぁ俺が言えたことではないのだが。


 しかし目的のものがコーラだったとはまたもや驚きである。異世界人がコーラを求めてニッポンへやってきた。意味がわからない。たかがコーラのために、俺の部屋は破壊されたのか…。

 俺は落とした衝撃で変形してパンパンになったコーラの缶を拾う。


「これだけでいいんですか?なんか他にいります?」


 ビアンカさんははっとして辺りを見渡す。一通り見た後、ホットスナックに目が止まったが、すぐに俺の方を向く。欲しそうだ。お腹が空いているのだろう。しかし、それをビアンカさんは口にしない。


「大丈夫だ。これだけ買ってくれ、私は先に出ている」


 それだけ言うとビアンカさんは返事を待たず透明化してしまった。


 「よくわからない人だ」


 俺はそう呟きながらレジに向かった。この呟きがビアンカさんに聞こえているのかは俺にはわからなかった。


◇◆◇◆◇


「これは?」


 コンビニを出て、駐車場で待つコーラと唐揚げ棒を渡すとビアンカさんは不思議そうな顔をこちらに向ける。


「唐揚げ棒ですよ。美味しいから食べてみてください。あっ、棒は食べれませんよ」


「――――」


 返事がない。不思議に思った俺はビアンカさんの方を向くと――――、


 熱いものが口に押し込まれた。


「熱っっ!熱い!」


「はははっ」


 ビアンカさんは笑っている。


「お返しさ」


「口めっちゃやけどしたんですが!?」


「すまない。半分こしようと思って」


「さっきお返しって言ったましたよね?」


「そうだったかい?」


 随分と容赦のないことをするものだ。予測のできない行動と、実に可愛らしい笑顔。現実味が全くない。夢でも見ているのかと思うが火傷の感覚は現実そのものだった。


 俺は四つの唐揚げのうち二つを食べるとビアンカさんに返す。

 口ついちゃったけどしょうがない。あっちが口に押し込んできたんだ。俺は悪くない。


「ほんと、ありがとうね、ランマルくん」


「いえいえ」


「そうだ、ランマルくん。一つだけ願いを叶えてやろう」


「じゃあ百回願い事を叶えてくだ――」


「そう言うのはダメ」


 物心ついた時から心に決めていた願い事を封じられてしまった。さて、どうしたものか。


「じゃあ――――」


 俺はこの世界で何をするのか。


 大学受験をして、大学に行き、会社に入り、仕事。そのまま歳をとって平凡な人生を終えるのだろうか。きっとそうなのだろう。


 このままでは。


「俺は――――」


 馬鹿なことをしようとしているのは百も承知。俺の想像するものとはかけ離れた困難や苦痛が待っているのだろう。だがしかし――――、


「俺は異世界に行きたい」


 この好奇心を抑えることは地球人の俺にはできなかった。異世界召喚は古くない、はず。



◇◆◇◆◇



「ではその願いを叶えることにしよう」


 俺の願いを聞いたビアンカさんは少し笑うと頼もしく宣言した。


「本当に、できるんすか」


「ああできるさ。ただし、いくつか条件がある」


 ビアンカさんは人差し指を立てて条件の説明を始めた。


「まず一つ目。わたしの名前『ビアンカ』という文字を何があっても口にするな。もちろん、わたしと会ったことも誰にも口にするな。理由は伏せさせてもらう」


 ビアンカさんの目は本気だった。俺は少し動揺する。


「――次は?」


「シャーロットという君と同い年くらいの少女の願いを叶えてあげてほしい」


「シャーロット、覚えた」


 願い、というのがどんなものなのかわからないが、俺にビアンカさんが頼んだということは叶えることは不可能ではないのだろう。目的がないまま異世界に行っても現世と変わらない可能性がある。しかし、何か目標があれば退屈しないだろう。『魔王討伐』なんて目標は流石に無理だが。


「あとは――――、がんばってくれ」


「え?あ、はい」


 絞り出したようなビアンカさんの声。

 魔王討伐じゃないことを願おう。


「うーんと、ビアンカさんのことは誰に言わないし、シャーロットのことは任せてくれ。それと、がんばります」


「その意気だ。コーラと唐揚げ、ありがとう。最後に――――」


 ビアンカさんは俺に礼を言い、俺の顔に手を伸ばす。


 細くしなやかな指が俺の髪をどかした。

 ビアンカさんの顔が急接近する。


「え」


 彼女は俺の額にキスをした。


 驚き、俺はビアンカさんの顔を見る。

 彼女は頬を赤らめてこちらに手を差し出してくる。


 キスをされた直後、胸の中に何か違和感を感じた。


「魔力?」


 感覚的にわかった。


 ビアンカさんは「いいから、早く」と、目を逸らしながら手を揺らす。

 

 俺はその手を握る。



「また会おうね、モリ・ランマルくん」


 ビアンカさんはそう言い、大きく息を吸った。







「ソウ・テレポート」




 次の瞬間、俺、モリ・ランマルは集落の門外に立っていた。

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