梅おにぎり
蒼井 綴
第1話 梅おにぎり
なんだか、今日は梅の気分だ。
コンビニでおにぎりが並ぶ棚の前に立ち、右手を伸ばす。「梅おにぎり」と書かれた三角のおにぎりを手に取り、左手に持っていた買い物かごにぽとり、と入れる。
仕事続きで疲れた日や、用事が思ったより長引いた日なんかは、決まって梅が食べたくなる。今日も会社を出たのは、予定時間より一時間以上も経ってからだった。
私はおにぎりの棚を離れるとコンビニの奥の方まで歩いていき、一本のペットボトルを手に取ってから、レジに向かった。
「これ、お願いします。」
「レジ袋はご利用になりますか。」
「いえ、だいじょうぶで…」
そう言いかけて、いったん言葉を止めた。肩にかけていたカバンを手に持ち、中を確認する。いつも持ち歩いている袋らしきものは、何も見当たらなかった。
「すみません、やっぱり、つけてください。」
「分かりました。」
カバンを手に持ったついでに、財布を取り出す。やっぱり、今日は疲れているようだ。帰ったら早めに風呂に入って寝よう。
私は清算後、店員からおにぎりとペットボトルの入ったレジ袋を受け取ると、重い足をゆっくりと進め、店の外へと出ていった。
外はすっかり暗くなっており、コンビニの入り口付近だけが、ぼおっと静かに光っているだけだった。私は自分の停めた車を探す。黒くて小さめの車だ。このコンビニの駐車場がやけに広いからか、遠くの方に停めてある車は色を判別することさえ難しい。
それに加えて私の視界は、長時間の残業のせいか、ぼやぼやとしていて、見えたものの輪郭もはっきりとしていないほどだった。疲れているからといって、あまり考えず車を遠くに停めてしまった自分を少々後悔した。
目を細めて、一つ一つの車に近づいて色を確認していく。一つ一つ、と言っても、この時間帯だ。真夜中にコンビニに来る人など、そう多くはいない。周りを見渡しても、コンビニの中に人影がちらほら見えるほどで、駐車場には誰もいないようだった。
数台確認し、残すはあと二台となった。
手前の車は、夜の薄暗さと対照的な白色だったため、すぐに黒ではないと判別できていた。それなら、あの一番奥でじっとしているあの小さな車が、私の車のはずだ。
そう考え、その白い車の前を横切ろうとしたその時。
「あれ、お前、もしかして。」
そう、聞こえた。
なんだか聞き覚えのあるような声だと感じ、振り返る。遠くのコンビニの明かりが逆光となって、髪の短い男性ということくらいしかわからなかった。
「えっと…」
「俺だよ、高校の時同じクラスだった…」
そこまで聞くと、声の主は誰なのか、見当がついた。淡々とした口調だが、どこか温かさを感じる声。その音に該当するものは、私の記憶の中ではたった一人しかいなかった。
「ああ、教室で前の席にいた…!」
私は思わず顔をぐっと近づける。彼は少し驚いて、一歩後ずさる。
「うわ、びっくりした!急に顔近づけんなよ~」
「ああ、ごめん。」
私はすぐに元の位置に戻る。そして今とっさにとってしまった自身の行動に戸惑い、目をきょろきょろと動かした。
「お前、今も梅好きなんだ。」
「えっ、覚えててくれたの。」
「まあな。」
彼は右手を頭の後ろにまわし、ぽりぽりとかいた。手が動くたびに、髪の毛が揺れているのが、暗闇の中でも分かった。
「その袋に梅おにぎり入ってるし。」
「ああ、これね。疲れた時には梅が一番よ。」
私はそう言って、袋から梅おにぎりを取り出した。
「これから何か買いに行くの?」
「そう。俺も梅おにぎり買ってこようかな。」
そう言うと、彼は左手を挙げて、「じゃ、またな」と言った。その左手には、財布らしきものが握られていた。
私も梅おにぎりを持った手をそのまま上にあげて、「うん、またね。」と笑顔で返す。
彼の後姿を見て、懐かしさがこみ上げる。あの頃は、毎日彼の後姿ばかりが目に移った。彼はよく、後ろの席に座っていた私の方へ話しかけてくれていた。私はいつの日か、彼に会いに行くために学校へ行くようになっていた。難しい勉強も、人間関係も、そこに彼がいればずっと軽くなった。
「君も、立派な社会人になったんだね…」
そう呟きながら、挙げた手をゆっくりと降ろした。そのまま向きを変え、車へと向かう。
きっと、夜遅くなければ、こんなに疲れていなければ、もっともっと語り合っていた。
彼も、私の疲れ切った顔を見て、遠慮してくれたのだろう。
さあ、早く家に帰って寝なければ。
私は足早に自分の車へと向かい、コンビニの駐車場から出ていった。
翌日の朝。
重い瞼を開き、もぞもぞと布団から這い出て、ゆっくりとカーテンを開ける。
ゴミ箱に捨ててあった梅おにぎりの文字を見て、昨日のことを思い出す。
それと同時に、一気に眠気が覚めていくのを感じた。
「どうして?…彼はもうこの世にはいないのに…。」
部屋の窓からは、白く強い光が、ただ差し込むばかりだった。
梅おにぎり 蒼井 綴 @aoituduru
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