丘にいるもの

望月遥

第1話 古墳の公園


 写生大会と校外学習を兼ねて、私たちの学年はバスに乗り込み学校を出発した。田舎の学校は生徒の数が少ないから、一台に全員乗ってもまだ余裕がある。高速道路と下道を走ること二時間と少しで目的地に到着だ。エンジンを大きく唸らせたバスが駐車場へと車体を滑らせる。

「わー、いい天気」

「ほんまに!」

 場所が違うとはいえ朝の曇り空が嘘のように晴れていた。揃いの制服の生徒たちが全員降りると、バスはロータリーをぐるりと周って広い駐車場の一角に停車する。快晴の空の下で秋の風は清々しく、道中で散々盛り上がったみんなの熱気をほどよく冷ましてくれた。ずっと喋りっぱなしだったので喉が渇いていて、私は持ってきた水筒のお茶を一口飲んだ。

「こっから公園までちょっと歩くけど、遊歩道から外れたらあかんでー」

 担任の先生の後から全員がぞろぞろと、四百メートルほどの遊歩道を歩いて入り口に向かう。平日の午前中だというのに犬を連れた人やウォーキングをする人もたくさんいて、皆同じ方向へと向かっている。


 県北部に立地するこの史跡公園は考古学的に貴重な古墳群を保存する為に作られたもので、広大な敷地全域が博物館施設となっている。色々なものを展示している資料館の他に、数百基の古墳、復元した竪穴式住居、移築された古民家、植物園など様々な施設があり、地元住民の憩いの場に、近隣の学校の校外学習場所に、と長年愛されている場所のようだ。

「ここ初めて来たわ。面白そうやなあ」

 祖父母と同居かつ親戚のほとんどが県南部に住んでいる私はここを訪れるのは初めてで、ちょっとわくわくしている。

「私おばあちゃん家こっちやから、ちっさい頃からなんべんも来てるんやけどさ。なーんにもないでー」

 そんな私の期待を打ち砕くように友人が手を前後に振りながら笑う。そんな言い方しなくてもいいのに!

 エントランスへと続く通路の両側には、施設を象徴するようにたくさんの埴輪が並んでいる。もちろん本物ではなくここを訪れた人たちが「埴輪作り体験」なるイベントで作ったものがほとんどだ。よくある埴輪の形だけでなく、現代人ぽかったり動物の形だったり装飾がたくさんついていたりと、バリエーションがたくさんあってなかなか面白い。そんな中、一際古ぼけた埴輪が一つ倒れているのに私は気がついた。さっとしゃがんで元に戻す。無表情な顔の両側に垂らされた部分は髪だろうか。首のあたりには丸がたくさん並んでいて、首飾りを表しているっぽい。そこまで観察したところで埴輪がまたぐらりと傾いた。よく見ると足にあたる円筒形の部分の、左側が大きく欠けている。

(あらら)

 埴輪が並んでいる部分は砂利敷きになっている。近くを見渡すと、欠けた部分と思われるパーツが少し離れたところに落ちていた。手を伸ばして掴み、元の場所に嵌めてみるとぴったり収まった。気持ちがいい。軽く手で抑えてから離すと、ぽろりとまた外れてしまった。ちょっと考えてから鞄を探り、外ポケットに入れてあった絆創膏を取り出した。嵌め直してから継ぎ目にぺたり。今度は手を離しても外れなかった。元の場所に静かに立てる。

「これでよし」

「おーい、なにしてんのー」

 私の行動に気づかず先に行ってしまった友人が戻ってきた。振り返ると周囲にはもう誰もいない。

「ごめんごめん」

 私たちは慌てて集合場所に向かった。


 学芸員さんに挨拶をしてから、資料館を見学する。写生はここからしばらく上に登った丘陵部分の高台で行われるので、出発する前に少しのトイレ休憩となった。

 トイレの近くにはベンチが並んでいて、その近くに人だかりができていた。

「なんやこのガチャガチャ」

「うわー変なん出た!」

「俺もやろ」

 どうやらガチャガチャの機械らしく、クラスの男子たちが大ウケしている。私たちも気になってのぞいてみると、子供向けのテレビアニメのキャラクターマスコットの他に、ものすごく独特のフィギュアが入っている一台があった。『歴史ミュージアム 土偶と埴輪』と名前のついたそれは、可愛らしい埴輪ではなく、リアルな造形で再現された、埴輪と土偶の小さなフィギュアだった。さすが博物館、置いてあるガチャガチャまで渋い。

 面白がって男子が、SNSのネタになるかもと女子が、みんなで盛り上がって回すものだから私もついやってみたくなる。財布を探すとちょうど100円玉が数枚あった。

「ガチャガチャって現金じゃないとできんよね。私今日スマホしかないわ」

 電子マネー時代の弊害である。こういう時現金主義は強いのだ。

「うち小銭ようさんあるから、貸したげよか」

「ほんま!? ありがとう~」

 硬貨を三枚友人に渡す。彼女がダイヤルを回すと薄い緑色のカプセルが一つ転がり出た。私も続いて回す。

「「せーの」」

 声を合わせて一斉に開けると、友人のカプセルからは馬の形の埴輪が、私のカプセルからはつり上がった目をして腕のない女性型の土偶が出た。

「やった、馬かわいい」

 喜ぶ友人。私はがっかりだ。

「私のやつ、なにこれ。微妙…」

 一緒に入っていた説明書にはヴィーナス土偶と書いてある。

「いいやんヴィーナス」

「全然ヴィーナスっぽくない」

 悔しいのでもう一回回そうかと考えながら件のヴィーナスを胸ポケットにしまい、空きカプセルを回収箱に放り込む。外から笛の音が聞こえてきた。

「また帰りにしよ」

「うん」

 友達の慰めに頷いて、資料館を後にした。


 小高い丘をしばらく登り、展望台のあるあたりまでやってくる。ひらけた頂上からは市街が一望できて、格好の写生ポイントだ。まずはお昼ご飯ということで各自お弁当を広げた。果物王国の県民性か、どの子のお弁当にも果物率が高い。しかし学生の校外学習なんてお弁当よりメインはお菓子である。持参の小菓子を交換し、あれが美味しいこれもいいと盛り上がる。そして先生の合図でそれぞれ写生に適した場所を探し、陣取って絵を描き始めた。

 私と友人はちょうどいい高さの二つ並んだ石に腰掛けて、木々の向こうに見下ろす町並を描くことにした。いい場所なのに他に誰もおらず、貸切りやねと二人でほくそ笑む。

「あれお城ちゃう?」

「え〜こんなとっから見えるかなあ」

「見えたことにして描いたろ」

 空は青く風は爽やかで心地よい。私たちはしばらくスケッチに没頭した。しばらくして。

「あっ」

 突然の突風に、私の描いていた絵が飛ばされた。

「あーあ、ちゃんと押さえとかへんから」

 と笑う友人に

「もーしょうがないなあ。とってくるわ」

私は声をかけて立ち上がった。すぐそこの茂みの上に乗っているだけなので、ひょいと手を伸ばす。ところがまた風がふいて、画用紙は飛んでいってしまう。

「えー!?」

「行ってらっしゃーい」

 大笑いする友人に見送られ、私は画用紙を追いかける。ところが不思議なことに、手が届きそうになる度に風が吹いて、友人のいる場所からどんどん離れていってしまう。もういい加減諦めようと思った時、茂みの陰にある古墳が見えた。こんもりと盛られた土の合間に覗く、ぽっかりと四角く切り取られた入り口。画用紙は風に乗ってそこの中へ吸い込まれていく。

(うわー。あんなとこ入ってもた)

 公園の中にあるとはいえ、どこでもここでも入っていいわけじゃない、ということは私にもわかる。正直諦めたいが、絵を一からまた描きなおすのもなんだか癪なので、入らなくてもすぐ取れるんだったら取ってみようと一応中を覗き込んでみた。

(…見えん…)

 意外と中は真っ暗で、どうなっているのかわからない。入り口の辺りはきちんと石が積まれているが、奥までは続いてなさそうだ。

「そっから先は駄目だよ」

 聞き覚えのない声に振り向くと、子供が一人立っていた。十歳くらいだろうか。暗闇に慣れた目でいきなり明るいところを見たせいでよく見えないが、ウエストを軽く絞ったワンピースのような服を着ているように見える。

「え、なに?」

 聞き返した途端、背中側からまたもや強い突風が吹き付けて、私はバランスを崩した。

「きゃ!」

 入り口にあった段差につまづいて勢いよく前に倒れてしまった。両手を突いてなんとか顔面激突を免れる。

「いったー…」

 内部には土と石がごろごろしているおかげで、打ち付けた掌と膝からは血が出ていた。結構、いやかなり痛い。こういう時女子はスカートだから損だ。立ち上がって土を払うと、真っ暗な古墳の奥に落ちている白い画用紙が目に入った。

 中に入ってしまったのならついでだと、画用紙を取りに一歩足を踏み出した。途端にぐらりと視界が歪む。なんだ、これ。違和感を感じた途端、急激に背筋が寒くなった。

(やばい!)

 なんだかわからないけどものすごくやばい気がする。これは…そうだ、夏に従兄弟と一緒に裏山に入って何者かに追いかけられた、あの時の感じに似てないか?

 恐怖に駆られた私は進むのをやめようとする。でも、止まらない、止められない。よろけながらも二本の足は勝手に奥に向かって進んでいく。一歩。二歩。まるで糸か何かで引っ張られいるように。狭い入り口から古墳の中に風が吹き込んで、低い音を立てる。

 おおん。おうん。

 音は私を呼んでいる声。冷たいような生暖かいような風が頬に当たり、首に腕に巻きついて私を奥へと誘う。このまま奥へ、奥へ行かなくちゃ。奥へ…。

「行っちゃ駄目! 戻って!」

 私の様子に異変を感じたのか、入り口に立っていた子供が叫ぶのが聞こえた。悲鳴のようなその声に、私ははっと正気に戻る。

「早く!」

 子供が細い手を伸ばして私の肘を引いた。ぐいと引っ張るその力が思いのほか強くて、子供が男の子なのだとわかった。

「あ、わた、わたし」

「大丈夫?」

 古墳の入り口に引き戻されまだ呆然としている私に少年が語りかける。

「ここ、立ち入り禁止だったはずだよ」

「あ、あの、えっと、絵を…絵を取りに…。そんで」

「あー、ロープが外れちゃってるのか」

 近くの茂みに引っかかっている立ち入り禁止と書かれた紙と、それに絡みつくロープを少年は横目で確認して舌打ちする。

「ここは良くないんだ。あれがいる」

「あれ…?」

「普段はじっとしてるんだけど、君の血を吸っちゃったから」

 少年の視線が古墳の奥へ向かう。さっきまで見えていたはずの奥の壁は真っ暗な闇に覆われていて、画用紙の影も形もない。そして、その闇が徐々に動き出していた。地面をゆっくりと滑り、こちらへ向かってくる。

「どうしようかな…。そうだ、なにか形代になるようなもの持ってない?」

 男の子が切羽詰まった表情で聞いてくるが、私にはその言葉の意味がわからない。

「かたしろ? かたしろってなに?」

「あー、えーっと、身代わりになるもの。ひとの形をしてたらいいんだけど」

「人形とか?」

「そう。紙で折ったものでもいいんだ」

 突然言われてもそんなもの今は持っていない。普段の通学カバンにはマスコットやぬいぐるみをいっぱいぶら下げているけれど、大量の教科書を入れ替えるのが面倒で今日は大きなリュックを持ってきている。入っているのは食べ終わって空になったお弁当箱だけだ。どっちにせよさっきの場所に置いてきているので同じこと。

「そんなん、今持ってるわけ…」

 そうこうしているうちに闇の塊はどんどん大きくなって、こちらへ近づいてきている。青ざめた少年の顔が一刻の猶予もないことを証明している。

(あっ!)

 無いとわかっていながらありったけのポケットを探っていた私の手が止まった。胸ポケットに入っていたものが指先に触れたのだ。

「これっ、これ、どう?」

 彼に渡すと目の高さに持ち上げて確認している。それはさっきガチャガチャで出てきたヴィーナス土偶のフィギュアだった。小さいけれど間違いなく人の形をしている。少年は深く頷いた。

「ごめん」

「いたっ」

 そしていきなり私の髪をひっぱり毛を抜いて、フィギュアにぐるぐる巻きつけた。ふ、と息を吹きかけてから…。

「せいっ!」

 細い腕をしならせて、古墳の奥に向かって勢いよく投げる。暗がりに土偶が吸い込まれて消えた。

 私の足元に向かってざわざわと蠢きながら広がり続けていた地面の闇が、一瞬動きを止めた。そして突然、なんの音も立てず、でも、すごい勢いで奥へ向かって引いていった。

 そして、何事もなかったかのように元どおりの空間が残る。ただ、土の上に私の靴が片方、ころりと転がっていることだけが入ってきた時と違っていた。

「あれは諦めて」

 少年が呟く。

「今のうちに出よう」

 背を押され、古墳の外へ出る。明るい日差しと助かったことへの安堵で目がくらみ、その場にへたりこんでしまった。私の目の前に少年の足がある。

 暗がりではわからなかったが、少年は素足だった。そして何も履いていないその左の足首に見覚えのある物があった。

「えっ」

 絆創膏。しかも、最近SNSで流行りのキャラクターの柄。この間友人とお揃いで買ったものだ。一箱に入っている柄は全部違っていて、目の前にあるこの柄は確か、今日、この公園に入る前…。

「それ、って」

 弾かれたように顔を上げる。逆光で顔はよく見えない。でも、少年は確かに笑っていた。

「…! …ーい」

 なにか聞こえたような気がして、私は首を巡らせた。

「どこー? 大丈夫ー!?」

 友人が私を呼ぶ声だ。

「ここー! ここにおるよー!」

 友人に返事をしてから振り返ると、そこにはもう誰の姿もなかった。


 友人と二人で元の場所に戻り、新しく描き直した絵をだいたい仕上げたところで集合時間になった。先生やみんなには、靴は転んだ拍子に脱げて見当たらなくなったと説明した。山道を片方靴下で下るのは歩きづらかったが仕方ない。帰りる前にもう一度休憩があったので、ガチャガチャを確認してみると、売り切れのサインが表示されていた。

 エントランスをくぐり、来た時と同じように通路を歩いてバスへ向かう。

「あっ」

 友人が声をあげて、小走りで駆け出した。

「これ、靴!」

「えっ」

 友人の指差した先には、確かにさっき古墳の中に残してきた私の靴があった。

「なんでこんなとこにあんねやろ。誰かが見つけてくれたんかな」

 片方だけの靴は、たくさん並んだ埴輪の中の一つに引っ掛けられていた。

「この子が取ってきてくれたんやわ」

 頭に靴を被って、土台に絆創膏が貼られた埴輪。『彼』にお礼を言う私を、友人は不思議そうに見ていた。

 

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