できそこない芸人

登美丘 丈

前編

「ワシの目の黒いうちは芸人になることは許さへんって親父に言われましてね。でも、こうして芸人やらせてもらってます。て言うても、親父を殺したわけやないですよ」

 タケシが漫才のネタに身内、特に父親のことを持ち出すのははじめてだ。

 元来、台本にないこと、いわゆるアドリブを突然組み込むことの多いタケシだったが、今日の彼に、相方のジュンは違和感と胸騒ぎを覚えていた。

 もちろんジュンは、そんなタケシのアドリブには慣れっこだったため、

「当たり前や。親殺したらここにおれるかい!」

 と、その場は切り抜けたが、舞台を降りた後、タケシに尋ねた。

「タケシ、何かあったんか?」

「……いや……別に」

 すぐに嘘だとわかった。

 タケシとはもう十年以上の付き合いになる。親友の期間を経て、仕事のパートナー=相方となってからも五年が過ぎようとしている。特にこの五年間はまさに寝食を共にし、一緒に生きてきた。だから、タケシが嘘をついていることはすぐにわかった。もっとも、元来嘘が下手な男だ。

「どないした? 相方のオレにも言えんのか?」

「……」

 タケシは、「相方」という言葉に弱い。相方であるジュンはそれがよくわかっていた。タケシに大切にされていると思うことが度々あった。タケシは多分、ジュンを「戦友」と思ってくれているのだ。もちろん、ジュンも同じ想いだった。

 親友であり相方であり、そして戦友。お互いを戦友と認めることができるくらい、今まで本当に色々なことがあった。

「なあ? 何かあったんやろ?」

「……意識不明や。危篤状態や」

「えっ?」

「親父や……今朝、電話でおかんから聞いたんや」

 思ってもみなかった答に、ジュンは戸惑った。

 ぶっきらぼうな口調だが、父親を心配している様子が伝わってくる。だが、父親が危篤なのに、そんな素振りをまったく見せずに、ステージをやり終えたタケシを、ジュンは改めて凄いと思った。

 思わず口をついて出る。

「早よ帰ったれや。こんなことしてる場合とちゃうど!」

「こんなことって何や! 一生に一度の新人グランプリやんけ。来年はもう出られへんねんど。毎年何百組とデビューする中で、やっとノミネートされたんや。それを投げ出せるかい! そんなことしたら……親父にどやされる……」

「……」

 タケシならそう言うと思っていた。だが、さっきのタケシのアドリブにもあったように、タケシの父親は芸人になることを反対していたはずだ。

「でも、おまえの親父さんは……」

 タケシは黙ったまま頷いた。


 タケシの父親はタケシが芸人になることに猛反対だった。

 タケシの両親は二人とも教師だった。厳格な父と真面目な母。そんな二人から生まれたタケシは、まるで反発するように、勉強が大嫌いで、真面目なんて馬鹿らしいと考える子供だった。

 小学生の頃からクラスの人気者だった。お笑いを意識したことはなかったが、しかし、タケシの言動がクラスを和ませていたのは事実だ。自分が喋ることで、あるいは自分の行動で、まわりが笑ったり、幸せそうな笑顔を見せるのが気持ちよかった記憶があるし、常にクラスのリーダーで、ムードメーカーでもあった。

 だが、父親は、そんなタケシを認めなかった。中高大一貫校に進んだのに、大学に進学せず、芸人になると言ったタケシを父は殴った。絶対許さないと言った。

 母は、タケシがかわいそうだと思ったのか、父を説得してくれたが、最後まで父は首を縦に振らなかった。

 結局勘当同然で、タケシは大阪を出た。それから五年、ようやく掴んだ新人グランプリのチャンスだった。


 決して順風満帆ではなかった。

 事務所が芸人養成所を運営しており、そこにタケシたちは入所したのだが、同期というか同級生が二百人以上いたこともあり、二人は全く目立たない存在だった。

 いや、目立たないのはライバルの人数が多かったせいだけでなく、二人の力の無さが原因だった。実際、実力のあるコンビは目立っていたし、深夜番組のリポーター役であったり、ラジオのワンコーナーを任されたりと、抜擢されていたからだ。

 高校時代に、文化祭などでネタを披露していた二人だったが、所詮アマチュアの、芸とも呼べない芸。お金を払って観に来てくれる客を笑わせるのは至難の業だった。

 それに加え、タケシは意地になっている部分もあり、それが芸に悪影響を及ぼしていた。

 意地……父親に対するものだった。


 幼い頃から父とぶつかることが多かった。父は、とにかく真面目で厳格、曲がったことが大嫌いな人間だった。

 タケシが家で寛いでいると、「ボーとする時間があるなら勉強しろ。時間の無駄だ」と怒るような父親で、小学生の時は塾に習い事、夜は父の勉強特訓と、まったくもって遊ぶ暇がなかった。

 勉強が嫌で、時々反抗したくなったが、父と面と向かうと、その雰囲気や鬼の形相に圧倒され、嫌々ながら勉強せざるを得ないのだった。

 変な話、息が抜けるのは学校に行っている時だけだった。だからこそ、タケシは学校では殊更ひょうきんで明るい少年になったのだった。

 タケシは、子供心に、学校と家では百八十度性格が違う自分に違和感を覚えることがあった。

 はっきりと覚えていないが、小学校に上ががる前までは、父と公園で遊んだり、映画に連れて行ってもらった記憶がある。だが、それ以降、父と遊んだ記憶がない。いや、父と笑顔で話をした覚えすらない。

 タケシは勉強漬けの日々が嫌で、時々塾をサボった。だが、すぐに塾から連絡が行くのだろう、友達と遊んでいるところに、職場を抜け出した父が鬼のような形相で現れ、塾まで連行されるのだった。


 また、勉強を強要する父への反発から、野球をやりたいと言ったことがあった。たいして興味はなかったが、少年野球チームに入っている同級生たちを見ていると、勉強よりは楽しそうだと思ったのだ。だが、即却下された。

 またある時は、バスケットボールを始めたいと言った。アメリカの強いチームが話題になり、日本でもアニメが大ヒットし、ちょっとしたバスケブームが到来していたのだ。タケシは、多少ミーハーな気持ちで言ってみた。だが、これも却下。

 それならばと、柔道を習いたいと言ってみた。たまたま、町の掲示板に「門下生募集」の貼り紙を見つけたのだ。そして、なぜかそれはオッケーだった。今思えば、多分、精神修養になると考えたのだろう。タケシは町の道場に通わされた。

 だが、すぐにやめた。元々やりたくなかったし、柔道を始めても、塾や習い事の日数が減ることがなかったからだ。

 柔道をやめると言った時、父に怒られると思ったが、予想は外れた。それどころか、納得したような顔をしていた。少し笑っていたような気もする。ただ、それ以降は勉強漬けの毎日に拍車がかかった。そして、柔道着代は、毎月の小遣いから天引きされることになった。


 父には、官僚になって日本の人々を幸せにしたいという夢があった。「このままでは、この国は駄目になってしまう、政治家ではなく、官僚こそが国を良い方向に引っ張っていくべきだ」というのが口癖だった。

 家のテレビはニュースが流れていることが多く、それを見ては、「この大臣は能力がない。官僚は何をやってる!」と声を荒げることもあった。

 後で知ったことだが、父はタケシが小学校へ上がる頃まで、官僚を目指していたらしい。高校で臨時講師をしながら、勉強を続けていたそうだ。

 だが、タケシが小学校へ上がるのを機に、夢を諦め、教師になったらしい。

 タケシがそれを知ったのは、小学校の高学年になった時だった。父は、自分の夢をひとりっ子のタケシに託したのだと悟った。タケシを官僚にするため、これだけ勉強を強要していたのだと。

 世の中には、たとえばプロ野球選手になれなかった夢を子供に託したり、自分ができなかったことを子供にやらせたりする親がいくらでもいることは知っていた。タケシの父もその類なのだろうが、それを知ったタケシの反発は一層強くなった。

 多少自我も目覚めていたので、もうこれ以上親に何かを押し付けられるのは嫌だ、言いなりになるのは真っ平だという想いが強くなったが、しかし、父の威厳の前には屈さざるを得なかった。

 ひとりっ子長男ということもあり、父のタケシに対する期待は並々ならぬものがあり、六年生になったタケシに、中高大一貫校を受験することを命じた。

 いつものように、有無を言わさぬ口調だった。タケシは反抗することもできず、まさに血の滲むような勉強特訓の末、滑り込みで合格した。


 タケシはそこで相方のジュンと出会った。

 ジュンは、タケシとは違い、三男坊だった。「親は、オレにはまったく期待してないから気楽や」というのが彼の口癖だった。

 そうは言うものの、ジュンの両親や兄たちは、ジュンが芸人になることに大賛成だったようで、舞台のたびに観覧にやって来る。実際に期待もされているようだ。それが心底羨ましかった。

 ジュンは、中高大一貫校に進んだのは、「高校受験や大学受験はしんどいから」という理由だった。何とも言えないのんびりとしたジュンだったが、出会った頃から妙にウマが合った。

 まわりは、それこそタケシの父親ではないが、将来は公務員、もちろんキャリアと呼ばれる人種を目指していたり、医者や弁護士になることを信じて疑わない者たちで溢れていた。大会社の跡取り息子も結構いて、休み時間には帝王学について書かれている分厚い本を読んでいる者もいた。

 そんな環境だったから、タケシとジュンは浮いた存在だった。自然と二人は友達になり、関係を深めていった。

 お互い勉強があまり好きではなかったから、授業中、二人でお笑いのような掛け合いをよくしたものだ。まわりは迷惑そうな顔をしていたし、教師にも注意された。

 だが、二人の掛け合いに、すぐにまわりは笑いをこらえきれなくなり、やがて、勉強勉強で疲れた彼らのために、漫才のようなネタを披露するのが習慣となっていった。

 きっかけは、タケシがボケたセリフを発した時に、ジュンがすかさずそれに突っ込んでくれたことだった。

 今思えば、最初は、本当につまらない子供の戯言だったはずだ。

 先生が、「真っ直ぐ帰れよ!」と言ったら、「先生、真っ直ぐ帰ったら電柱にぶつかります!」と返すような、どこの学校でもお調子者が言うようなセリフだったが、勉強に疲れたクラスメートたちには、そんな言葉でもリラックスできたのだろう、笑いが広がった。そこにジュンが突っ込んでくるようになると、どんどん笑いが広がっていったのだ。

 それまでは、タケシが面白いことを言っても、まわりは静かに笑うだけだった。もちろんそれで良かったのだが、ジュンに突っ込まれた時、何かが脳の一部を刺激した。もっとボケたい、もっともっと面白いことを言いたい、もっとレベルを上げたい、もっと笑わせたい、そしてジュンにもっともっと突っ込まれたいと思ったのだ。

 普段はのんびりしているジュンだったが、タケシのボケが好きなようで、どんどん突っ込んできた。

 タケシもジュンに突っ込まれると、もっとボケなければ、もっと面白いことを言わなければ、もっとレベルの高いボケをしなければと思うようになっていった。

 だが、まさかコンビを組んでお笑い芸人になるなんて、その頃はこれっぽっちも考えていなかった。


 入学から六年が経った。エスカレーター式の学校とはいえ、成績があまりに悪ければ推薦は受けられない。そして、タケシもジュンも、推薦してもらえるギリギリのラインにいた。

 タケシは入学してからというもの、ほとんど勉強をしなくなった。小学生の頃ほど、父も口やかましく勉強しろとは言わなくなった。テストでは、落第しないギリギリの点数を取ってはいたが、このままの状態だと、公務員総合職試験、つまりキャリア試験に受かる可能性はゼロだと、教師にハッキリと言われていた。そもそも、タケシには受験する意思はなかったが……。

 のんびりした性格のジュンは、そのまま大学へ進むつもりだったようだ。あと四年間遊んで、適当に就職するつもりだと言っていた。タケシたちの学校は有名校だったので、たとえ成績の評価が「可」でも、大企業にもぐりこむことができるのだ。

 だが、タケシは進学するつもりはなかった。大学へ行ってまで学びたいことはなかった。ジュンと四年間遊ぶのは魅力だったが、幼い頃から抱えてきた鬱屈と反発心が、このまま父が敷いた線路の上を歩いていくことを許さなかった。

 父親は、タケシが大学へ行き、公務員総合職試験に合格し、官僚になることを夢見ている。だが、父親の思いどおりになるのは嫌だった。

 タケシはジュンをお笑いの世界に誘った。軽い気持ちだった。正直言うと、何でもよかった。俳優でも、ミュージシャンでもダンサーでも。それこそ、小学生の頃に、勉強が嫌で、野球やバスケットボール、柔道をやりたいと言ったのと同様だ。

 もっと言うと、会社員でもフリーターでもよかった。だが、お笑いが一番しっくりくる気がした。人を笑わせるのは得意だ。真面目で固い人間を六年間笑わせてきた。

 最初は、子供の戯言だったが、ジュンの突っ込みによって、レベルは数段上がったと自負していた。

 それから、タケシという人間を評する時、誰もが面白いと言った。

 そして、お笑いをやる上で、ジュンは必要不可欠だと思った。ジュン以外の人間に突っ込んでほしくないとも思っていた。

 

 高校二年の文化祭の時、例年のごとく漫才を披露した。ジュンと二人でネタを作り、学生特有の、教師の物真似や学校あるあるネタを挟み、最高のネタが仕上がり、準備万端だった。

 だが、当日ジュンが休んでしまう。流行り始めのインフルエンザにかかってしまったのだ。

 タケシは漫才を中止にしようとした。ジュンがいない以上、無理だと判断したのだ。だが、毎年二人の漫才を楽しみにしている生徒や、一般客が黙っていなかった。タケシは仕方なく、急遽ジュンの代役を立て、ネタ合わせをした。

 代役は、さすが頭がいいだけにすぐにネタを覚えてくれた。

 だが、いざ舞台で披露すると、まったく受けなかった。

 理由は色々あっただろう。テンポの違い、間の悪さ、リズムのなさ。そしてタケシのテンション。いつもは爆笑をとる、タケシの持ち芸である鉄板ネタの教師の物真似も受けなかった。

 同じネタを、翌年、ジュンと組んでやった。まったく同じネタにしたのは、緊急事態とはいえ、ジュン以外の人間と組んで漫才をしたことに対する罪滅ぼしの気持ちからだった。果たして、会場は大爆笑だった。一年前とまったく同じネタだというのに。

 そういうものだと、素人ながらにタケシは実感していた。プロの漫才師が同じネタを何度やっても面白いように、タケシとジュンというコンビだから表現できるものがあるのだと。

 とはいえ、その時のタケシは、お笑い界に骨を埋めるつもりで勝負をかけるまでの覚悟はなかった。

 だから、

「ジュンは大学行きながらでええで。大学なんて休みばっかりやろ?」

 という誘い方をした。

 ジュンは怪訝な顔で訊いてきた。

「タケシはどないすんねん?」

「オレは大学には行かん。バイトでもしながらやるわ」

「ほな、オレも行かん」

「!」

 のんびりした性格のジュンが、この時ばかりはキッパリした口調で宣言するように言ったことをタケシは覚えている。

 ジュンは続けた。

「当たり前やろ。オレとタケシはコンビやろ? コンビは一蓮托生や。オレだけのほほんと学生なんかできるかいな!」

「……」

 その時、タケシはお笑いで生きていくという覚悟ができていなかった。ただ、父親への反発でお笑いを志しただけだ。だから、自分はともかく、ジュンには大学へ行ってほしかった。

 もし、お笑いに失敗した場合、ジュンが路頭に迷うのは本意ではない。大学を卒業さえすれば、大企業への就職が約束されている。

「とにかく、おまえは大学へ行け! 無試験で大学へ進めるんやし、お笑いで失敗しても就職できる」

 そんなタケシに、ジュンが珍しく怒ったような口調で訊いてきた。

「おまえは最初から失敗するつもりでやるんか?」

 タケシは戸惑いながら、

「いや、そうやない。そうやないけど、万が一の時のためや」

 と、しどろもどろになりながら答えると、

「それやったら、おまえも大学へ進め!」

 と強い口調で言ってきた。

「いや、オレは行かん」

 タケシは意地になったように言った。

「それやったら、オレも行かん。同じ条件で、一緒にがんばるのがコンビやろ!」

 ジュンは頑なだった。二人の議論は平行線を辿った。

 結局、ジュンも大学へは行かず、二人で養成所へ通うことになった。

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