メモリー:リザ/アレックス
アレックスがカレッジスクールを卒業したばかりの頃だった。宇宙熱波が頻繁に観測され、海面の上昇が早まった。そればかりじゃなく、あちこちで砂漠化が始まり、作物は枯れて生態系が大きく狂い始めた。追い打ちをかけるように戦争も起きた。人類は醜い争いをしながら、早急に生き延びる手立てを考えなければいけなかった。
シンギュラリティが起きたのはアレックスが大学三年生の時だ。政府は国民に二つの選択肢を与えた。肉体を捨て《データセンター》の中に意識をアップロードして生き延びるか、破壊されていく環境とともに死ぬか。
僕は《データセンター》に行こうといった。けど、リザは聞かなかった。
「まだ打つ手はあるわ。アメリカとロシアとカナダの宇宙開発機関が多くの人を運べるシャトルを作ってる。完成すれば、何万……いや、何億もの命が救えるわ」
それに、これはチャンスなんだと彼女は続けた。
「私はずっと自分の研究が誰かの役立つ日がくるときを夢見てた。いまでは、あなたとアレックスを助けたい。それだけじゃない。ママもパパも、あなたの両親もそう。みんなを助けたい」
一緒になって、初めて僕らの意見は平行線となった。
けっきょく、僕はリザの反対を押し切った。ロシアが宇宙開発に見切りをつけ、データ・センターの開発に切り替えたからだ。宇宙への進出は限りなく遠い希望となった。彼女はずっと虚ろな目でニュースを眺めていて、僕に見向きもしなかった。いや、見れなかったんだと思う。
データ・センターに出発する日、リザは来なかった。
あんなに広かった家が、ルームミラーの中で小さく見えた。リザはその中でとても小さく収まっていた。リザは目元にいっぱい涙を溜めていた。僕は泣けなかった。エンジンを掛け、アクセルペダルを踏んだ。
一瞬だけ、リザが動いた。
待って。私も連れてって。そんな言葉を期待していた。でも、聞こえなかった。
リザはどんどん小さくなって、角を曲がって消えた。涙は一粒も零れなかった。そのかわりに、助手席でアレックスが泣いてくれた。
〈思い出すことができましたか?〉
《データ・センター》で僕らが電子データの集合体となり、メタバースの中を動けるようになったのは、家を発ってから一〇年もした頃だった。
あらゆる物質世界を捨てたが、僕らはすぐ後遺症に悩んだ。食事や睡眠、排せつや嗜好品など、日常生活や依存から抜け出せずにいた。中には解離性遁走や離人症にも似た症状を訴えるメンタルバグを起こす人もいた。僕らはリハビリテーション・プログラムを経て、やっと管理AI《マザー》が統括する世界へとたどり着いた。その頃にはもう五〇年が過ぎていた。僕は過去のアーカイブを漁り、NASAで発射された大型のシャトルが空中で分解する映像データが見た。
リザはあそこに乗っていたのか、残念ながら《データセンター》に送られてきたニュースではわからない。これもまた悲しいことだが、アップロードしなかった人々は一〇〇年後にはすべて死亡扱いにされることになっていた。
もしかしたらリザが生きているかもしれない。管理AIの《マザー》が統括する研究組に僕は立候補した。研究組に入れば、外の探索を行うドローンを操作できるからだ。
結果として、僕は研究組に入ることはできた。残念ながら、ドローンの操縦に関しては適応資格を得られなかった。与えられたのは環境が変わっていく中でいまも生存し続けている生命体の研究と、失われた生物のメタバース・マルチウェアのプログラム作成。ドローンの操縦は、アレックスが合格した。
アレックスからは、つねに静かな怒りが発せられていた。怒りは僕をふくめ、この《マザー》すべてに向けられていた。そして、自分自身にも。アレックスは母を説得しなかった僕にも、自分をも恨んだ。
僕らはフィールドワークと銘打って、外に出た。ドローンを操縦していたアレックスはいった。
「僕らはどこにいくんだろう」
どういう意味だったのか、理解ができなかった。問いただすこともできなかった。僕はただ、死にゆく外の世界を眺めるばかり。街はゴーストタウンと化し、トナカイの群れが大通りを闊歩し、農場では飼われていた家畜たちが死に絶えていた。
とあるマンションの屋上には白骨した遺体と、その傍らにペンキで「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と書き殴られていた。キリストの最後の言葉。
朽ち果ていく人間世界を横目に、ぼくらはずっと無言だった。
やがて、ドローンはシャトルの墜落現場についた。そこはボーモントの郊外で、周囲は鬱蒼とした木々に覆われていた。周囲を捜索したが、痕跡らしい痕跡を見つけることができなかった。
やがて森を切り開かれた農場に出て、そこで木材で作られた複数の墓があった。近くに石碑が設けられており、『ネバーランド号の勇敢なる者たち。ここに眠る』と刻まれていた。下には搭乗員の名前が刻まれており、リザの名前があった。
墓のどれかに、リザがいる。見てまわったが、墓には名前が刻まれておらず、けっきょくわからなかった。
肉体を失ったとはいえ、感情があった。悲しくないわけがない。だが、もう涙は流れない。
隣にいるアレックスになにか言うべきだった。気の利いた言葉のひとつやふたつ、言えるはずだった。だが、口にすることができなかった。アレックスも、なにか待っているような気がしてならなかった。
「帰ろう」
僕がそういうと、アレックスは返事をすることなくドローンを操縦した。
来た時と同様に、帰り道もずっと無言だった。僕は「すまない」ともいった。だが、返事は返ってこなかった。
それから、アレックスと僕は一〇〇年近く会話をすることはなかった。
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