僕の部屋

 僕の部屋は三次元体を投影したもので、メタバースではありきたりな部屋であった。薄茶色の木材の床板に、アイボリー色の壁紙。三口のガスコンロに、大きなオーブントースター。リビングにはウエストエルムのカウチに大型のハイビジョンテレビ。可能な限り再現した、シンギュラリティ以前の僕の棲家だ。

 けっきょく、僕は一睡もできなかった。というより、睡眠モードに入る気になれなかった。アレックスが死んでからというもの、僕は睡眠モードのかわりに宇宙力学やマルチバース理論の論文を音声データで読み上げるようにしていた。

 睡眠から解放されてもなお、僕らは過去の習慣をやめようとしない。いや、できないのだ。

 過去をおざなりにすることを、僕ら自身は許してないのだ。


 僕は移動プログラムを起動し、《エデン》の追悼碑にアクセスする。一瞬で周囲のデータが処理されてすぐに清潔感溢れる大理石調の床に立たされ、巨大なモニュメント像が聳え立ち、それ以外は青に満ちた。

 このルームは独立したサーバーであり、ここでは誰からの干渉も受けない。僕は認証画面とキーボードを呼び起こし、息子の名前を打ち込んだ。


 《アレックス・フォスター 登録番号A―0875》


 視界にのっぺりとした平面像が出現し、それが徐々に立体的となって四次元投影された人間が映し出される。息子のアレックスだ。アレックスのアバターは生前――いや、シンギュラリティ以前から変えず――のとおり、スラッとした体格の良い清潔感の溢れる男だった。父親の僕がいうのも変だが、ハンサムな男だった。

 ダイヤルボックスの名前の下には《2034―2169》と明示されている。

 僕はアレックスにマルチヴァースやベクトル空間のモデル作りに専念してもらいたかった。外の世界への興味を逸らし、この世界で新たな可能性を見つけてほしかった。

 だが、アレックスはそうしなかった。アレックスは《データ・センター》に意識を複製することを嫌った母――リザのことばかり想っていた。


 リザはシンギュラリティ以前からの正妻であり、僕がカリフォルニア大学の学生だった頃から交際していた。僕はサンディエゴ校で生物化学を専攻して、リザはアーバイン校で航空ロケットに搭載する燃料電池の研究を専攻していた。交流パーティーの時、周囲の男子学生の誘いを一蹴するよう勢いで自身の研究を語り散らかしていた。


「私は空の向こうにある可能性を信じている」


 リザは何度もそう言っていた。交流パーティーのあともそうだし、((おさぼりデー))で会った時も、深夜のダイナーの四人掛けの席でもそう口にしていた。


「遅かれ早かれ海面は上昇して、異常気象で人間は住めなくなる。そうなったとき、人は宇宙を目指すべきだと思うの」


 リザの信念は確固たるもので、燃料電池の研究は宇宙への移住に必要な過程だといつも力説していた。あまりの白熱ぶりに周りは苦笑していたが、僕は黙って聞き、リザの話を深堀した。彼女の色んな表情を覚え、心と携帯デバイスのメモリーに保存していたが、とにかくリザの真面目な顔が好きだった

 四年生の夏に、リザに告白した。受け止めてくれた彼女を見て、もっと早く告白すべきだったと悔いた。それを口にするたびにリザは僕をベッドの中で強く抱きしめた。

 大学を卒業したあと、僕は大学の教員として残った。企業への推薦はあったが、当時の教授は僕をすごく気に入ってくれて、研究の手伝いをさせてくれた。給料は低かったがそのぶん時間をくれた。リザは民間の宇宙開発事業会社に就職した。それから、二人で住む家を買った。選んだのは彼女だった。僕らには少し広すぎる家だった。でも僕は満足だった。

 新しく車を買うにしても、家具を買っても不満はなかった。いつだって僕の選択にリザは満足してくれたし、リザが選択するものに文句はなかった。幸福の時間はずっと延長されたままだ。

 やがて僕らのあいだにアレックスが産まれた。アレックスが産まれるとリザはより自分の仕事に熱心になった。僕の両親も、彼女の両親もリザに母親を望んだが、それを拒んだ。僕はリザが子どもから逃げてるんじゃなく、向き合うべく働いてるんだと悟った。四人のパパとママを説得し、ベビーシッターと僕でアレックスを育てた。もちろん、リザも家に居れるわずかな時間をすべてアレックスに注いだ。アレックスは僕らの愛情を一身に受けて育ってくれた。

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