交信:フォスター to ハーナ
「そうです、教授」とハーナ。「ここ五十年くらいは芸術世界に潜っていたもので。ルネッサンス期の絵画にずっと潜っていました」と誤魔化した。三級国民のあいだで流行っているアートへの介入だ。過去の名画を有志たちがメタバースとして創り上げ、そこに意識を投影させるというもの。自分も絵の中の登場人物のようにその世界に飛び込むのだ。僕にはその良さがまるっきり理解できないが。
「素直になるんだ、ハーナ。君は勉強を疎かにしすぎだ。それと一言で済むことに、無意味に理由をつけることはない」
「ですね、教授。どうも、このメンタルモデルは思考処理がめんどうなのです。しばらくは我慢してください」
きちんと謝らないのが女性メンタルモデルのせいだというなら、ハーナは愚かな奴だと思った。若いうちに《データセンター》に入った者の多くが、精神的な成長が著しく落ちた。アップデートプログラムに入った者もいたが、その若さ特有の無礼さや短絡的な判断は消えなかった。
僕はしばらくハーナに操縦を任せ、これまでのレネイと他のゴイムたちのデータを基に管理者たちに提出するレポートの制作を行っていた。何時間かした頃だと思う。
「教授、あれを見てください」とハーナがいった。制作中のレポートを閉じ、モニターに目をやった。ドローンの光学カメラが巨大な建築物の残骸を捉えていた。ドローンは躊躇することなく建築物へと接近する。ところどころ朽ち果ててはいるが、三角形のそれは雲を貫くように聳えている。
「あれは――」
「《エデン》の残骸ですね」
ハーナの言葉に、次の言葉を失った。心臓を失っていなければ、動悸をおかしくしていたに違いない。けど、不安や恐怖という感情だけは消えなかった。
ドローンは《エデン》の象徴ともいえる三角形の頂点の真上でホバリングした。ツタが絡んだガラス張りのピラミッド。嵐で破壊された特殊強化ガラスの穴には、数百年とかけてツタが侵入して、そこから木々が生い茂っていた。幹の太い木が何本も生え、とても中には入れそうにない。
――あの木々の向こうに、アレックスがいる。
目を逸らそうか悩んだが、ハーナがドローンを操作して崩壊した穴に接近した。
「作業アームにあるノコギリを使えばここから入れるかもしれませんね」
〈戻る必要はありますか?〉
「入る必要はない。ハーナ、マンハッタン遺跡にいこう」
「わかりました、教授」
ハーナは素直に従い、ドローンを《エデン》の残骸から離した。どんどん小さくなっていく《エデン》を見送り、僕らはマンハッタン遺跡へと向かった。
中継基地でエネルギーを補給し、僕らがマンハッタン遺跡についたのはすっかり太陽が落ちた頃だった。
「ゴイムはネオ古代人でしょうか?」
「わからない」
「もしそうならば、あれが人間の行きつく先なのかも。《データセンター》に閉じこもった私たちはもう一生進化できなくって、彼らだけはちゃんと進化したのかも」
ドローンはマンハッタン遺跡に到着し、グランドハイアットホテルのエントランスホールに入った。豪華な造りのホールは、シンギュラリティ以前であれば誰の目からみても美しさに魅入られていただろう。大理石の床と壁に、等間隔に切り抜かれたモダン建築意匠の吹き抜け。だが、文明の死によって、いまでは低級ホラーに出てくる見栄えのしない廃墟と化した。
「ここ、前に建築研究員がメタバースで作っていたのを来たことがあります。正直、オールド・モダン建築の良さがよくわからなかったので、あんまり楽しくなかったですが」
以前からずっと調査が入り、調べられるものはほとんど残っていなかった。彼らが食事したであろう鳥の小骨や虫の残骸もそうだし、彼らの唾液がついたナプキンの破片すらもぜんぶ回収したのだから。
「やはり、調査員がすべて回収しているみたいですね。まるでゴイムがいなかったかのように、綺麗さっぱり」
僕はサブモニターも起動し、エントランスホールのすべてを目視した。ハーナのいうとおり、これといって見るものがない。
ホテルを出て周囲も捜索したが、ゴイムの痕跡はほとんどなかった。
「どうも、調べられるところはなさそうですね」
僕はサブカメラを見てニューヨークのストリートを見下ろした。
「あそこに行けるか?」と、僕。カメラで見ているポイントにマーカーを落とし、ハーナに共有した。サブウェイへ続く入口だ。
「地下ですか?」
「ああ、そうだ。調査員があそこを調べた、という報告はなかった。行けるか?」
「もちろん。私、ドローンのVR操作では同期の中で一番ですので」
ドローンは巧みにサブウェイに続く入口を抜け、地下のコンコースを抜けていく。地下は地上のビルと比べて劣化は少なかったが、蜘蛛の巣とともに垂れ下がったケーブルがあちこちに待ち構えていた。それでもハーナは蜘蛛の巣をプロペラで裂き、ケーブルをヒョイヒョイと避けていく。
ドローンは改札を抜け、線路まで躍り出た。その時だった。
「カーツ教授。これ、見てください」
ハーナが見ているメインカメラの画面を見た。線路に積もった土と埃には大量の足跡があった。踏み荒らされていたが、異様に指が長い。間違いなく、ゴイムの足跡だ。
「とんでもない数ですよ、これ」
ライトの向こうの闇の向こうにも足跡は永遠と続いていた。足跡はすべて、真っ暗な線路の奥へと続いていた。
「やはり、彼らだけじゃなかったんだ」、と僕。
「ゴイムはもっといる」
トンネルの向こうの闇を見据えた。どんなに目を凝らしても、なにも見えやしなかった。
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