令和に降臨した昭和テニスマンとテニスの妖精
第7章 昭和テニスマン決戦の地、苫小牧へ! 妖精と、その、なに、どうなる?(お色気あり 青少年は、うーん…) インハイ一回戦で、今さらながら第二ヒロインらしき人も登場!
第7章 昭和テニスマン決戦の地、苫小牧へ! 妖精と、その、なに、どうなる?(お色気あり 青少年は、うーん…) インハイ一回戦で、今さらながら第二ヒロインらしき人も登場!
第七章 決戦の地へ(インターハイ編 前編) 七月~八月
一 七月二〇日に一学期の終業式があって、夏休みに入ったので、翌日から平和の森で毎朝七時~九時の二時間、インターハイのための特訓を行った。いつも夜間、ナイターで練習しているけど、インハイ本番は昼間に試合をするので、太陽とか風とかに慣れておいた方がいいのと、朝からちゃんと身体が動くようにという配慮からだ。杏佳が毎日送迎して練習をつけてくれたし、真司も学校の練習と被るとき以外は、練習に付き合ってくれた。
そうやって、強度の高い練習を連日こなすうちに、僕の腕もだいぶ上がってきた印象だ。特に、優秀なストローカー二人と毎日のようにバンバン打ち合えるので、ストロークの安定感が格段に向上し、グリップの使い分けも自在に出来るようになった。もう、トップスピンロブでラリーを行うこともできる。早く試合で使ってみたいな。
インハイの日程は、七月二九日~三一日が公式練習、三一日に開会式、八月一日~三日が団体戦、四日~六日が個人戦となる。九日間の長丁場だ。
本当なら、真司のいるW実業にくっついて行って、一緒に公式練習に出てみたかったけれど、僕の初戦の四日まで間が空き過ぎて、その間練習できないのでは困るし、何より宿泊費が勿体ないので、前日に現地入りして、コートの見学をするに留めることにした。会場の苫小牧緑ヶ丘公園庭球場は、平和の森と同じオムニコートなので、直前までこっちで練習できた方がいいだろう。
そういうわけで、団体戦出場の真司は、三〇日の早朝練習のあと、「じゃ、行って来るぜ」「おお、頑張れよ」ということで、一足先に北海道に旅立っていった。僕は、八月三日に杏佳と早朝練習した後、午後の飛行機で向かうことになる。
と思っていたら、真司が二日の夜に帰ってきた。ラインに連絡が入ったので、
「それじゃ、長旅でお疲れのところ悪いんだが、明日の早朝練習来てくれよ。本番前の最後の練習だし」と頼み込んだところ、快諾を得た。
翌日、平和の森に姿を現した真司は、思いのほか、サッパリした顔をしていた。
「初戦は勝ったんだけどなあ、二回戦で大阪の青風高校と当たって負けた。俺はどっちも第一シングルで勝ったんだけど、やっぱり青風は強かったよ。選手層が厚かった。まあ、俺も高校テニスの最後を連勝で飾ったから、概ね満足かな。だけど来年はウチの学校、厳しそうだ」とのことだった。
「試合会場はどんなとこだった?」
「高台の公園に綺麗なオムニコートが二〇面あってな、それぞれに観覧席が付いてて見やすいし、立派なクラブハウスもあって、実にいい会場だった。広い駐車場もあるから、レンタカーで行くのがいいな。何より、緑が多くて、空が広くて、涼しくて、なんか決戦の舞台なんだけどギスギスしたところがない、居心地のいい会場だった」
「へー、いいな。コートはここと同じ感じ?」
「そう。深めの人工芝で、粗い透明な砂が入ってて、ここと全く同じだな。カラーは、黄緑と濃い緑のツートンで、こことちょっと違うけど、そこは全然気にならないだろう。‥‥‥あ、そうだ。忘れてた。レストランないぞ。出がけにコンビニで食料購入が必須だ」
「おー、それは貴重な情報。ありがとうな。おにぎりとバナナ買ってこう」
その後、三人でストロークとサービスリターンを中心に練習し、いつもどおり、真司と本番を想定したゲームを行った。
サーブのコースと球種は全部バレているので、リターンは返ってくるのだけど、そのやり方で四か月近く練習しているので、僕の方も当然返って来ることを前提にプレーを組み立てるようになった。慌てず騒がず、ボレーを深くオープンコートに送り、その返しを仕留めればいい、というスタンスが身に付いた。
リターンゲームでは、ファーストは前から猛速サーブを打ってくるので、「なんとか返ればいい」というくらいでしのぎ、セカンドは全部セイバーで攻撃した。
それでもスコアは三―一で真司だった。
「いやー、負けた。結局最後まで勝てなかったなあ」
「いや、まあ、ハンデ付きだからなあ」
「だけど、今日は一ゲーム取れたし、中味もだいぶ充実してきた実感はあるな」
「そのとおり、この二、三週間で、お前は大きく伸びている。だから、最後にさ、俺とハンデなしで八ゲームマッチやってくれよ。俺もお前が今どのくらいのレベルになったのか、体感してみたいんだ。杏佳先輩、今日試合できないけど、いいかな」
「もちろん、そうして。私、審判やるよ。真司君が本気でやってくれるなら、裕にもいい練習になるからね。お願いね」って言いながら、杏佳が再び審判台に登る。
ゲーム開始。だけどハンデなしのゲームは、ずいぶん楽だった。
サーブはコースが自由なので、サービスエースも沢山取れたし、そうでなくても、真司が「予め構えて待つ」ことができないので、いいリターンもそうそうはなく、サーブ&ボレーがバンバン決まった。
リターンのゲームも、これまでの方式よりも、サーブが遠くから飛んでくるので、時間の余裕があるうえに、フォルトも増えて、対処が楽になった。セカンドは全部セイバーだ。
そして、一五分後、杏佳が、静かにゲームの終了を告げた。
「ゲームセット&マッチバイ 裕 スコア八―〇。裕、お見事」
僕と真司は、ネットに歩み寄って、笑顔で握手を交わす。
「ナイスゲーム。参った。俺は、手を抜いたわけでも、疲れていたわけでもない。お前は本当に強かったぞ。残念ながら、もう俺の手の届かないレベルまで到達してしまったようだな。今まで俺が対戦したどの選手よりも段違いに強かったよ」
「そうか。そう言ってくれると自信になるよ。小武海にも堂々とぶつかって来よう」
「てか、お前、普通に勝てるんじゃないか? 今、試合してて、もう絶望的な差を感じたぞ。もう何やってもダメ、全部相手が上、みたいな気持ちになった。おそらくは、俺とやってるハンデ付きの試合が小武海戦と同じくらいの強度だと思うが、サービスのコースは自由なんだから、本番の方が実は少し楽だろう。もちろん勝敗は分からないけど、少なくとも競ることは間違いない。お前のサービスゲームはそうそう破れない」
「そうか。それじゃ終盤までジリジリした展開をしのいで、一つだけブレークできるようにやってみるか」
「そうだな。小武海がこの一年でどのくらい伸びたか分かんないけど、去年俺が見た小武海よりも今のお前の方が強い印象だ。臆せず、自信もってやって来い」
「ありがとな。そうする」
練習後は、杏佳の車で、小平の真司の家まで送って行った。
「今日の午後、羽田から行くのか」
「うん。二時半の便。新千歳に着いたらレンタカー借りて、一応、試合会場を見に行ってみようと思ってる」
「それがいいな。車なら自由利くしな。‥‥‥そういや俺さ、今回、ホテルから出なかったから、名物食べられなかったんだよ。俺の代わりに食べてきて、感想聞かせてくんない?」
「苫小牧って、何が名物なの?」
「カレーラーメンとホッキ貝だそうだ。特に苫小牧市民はホッキ愛が爆発しててな、正統派のホッキ丼だけじゃなくて、ホッキカレーとかホッキ焼きそばとか、何にでもホッキ貝入れるらしいぞ」
「カレーラーメンとホッキ貝‥‥‥。なんか微妙な感じだな。まあ、どっちも美味いものではあるが、名物がそれか」
「名物になるくらいだから、その土地にあった食材とメニューなんだろう。きっと地場で食べたらすごく美味いぞ」
「そうか、まあ、じゃ、アンテナ張っておくよ。カレーラーメンとホッキカレーだとダブっちゃうからいっぺんには無理だな」
「ははは、そうだな。頼んだぞ」って言いながら、真司は帰って行った。今日から、テニス選手じゃなくなって、長い夏休みに入るんだな。お疲れ様でした。
「さて、俺たちも帰って、遠征の用意をしよう」
「そうね。一四時三〇分の便だから、一二時に迎えに行くわよ。夜まで少し空くから、ご飯はちゃんと食べておいてね」
「うん、ありがとう。待ってるよ。だけど‥‥‥」
「だけど?」
「真司、俺たちが同じホテルに泊まるって分かってるんだよな。まあ、同じ部屋ではないにしてもさ」
「そうだろうね。一緒に車乗って行くんだからね」
「何にも言ってこなかったな。こないだみたいに『悪さするなよ』とか。まあ、冗談半分にしても、なんか言うと思ってた」
「そんなこと言ったら、私たちが真司君のことすごく気にして、悪いなって思って、いろいろ行動が制約されるでしょ。邪魔しちゃうでしょ。だから、あえて言わなかったのよ。ホッキ貝の話も、そのあたりの話題を微妙に避けたからじゃないのかな」
「‥‥‥そうか。あいつ、ホントに出来た男だな。かっこいい」
「そうよ。真司君はそういう人よ。私もあんたも、彼が友達でよかったわね」
二 お昼の一二時丁度に、杏佳がアウディで迎えに来てくれた。
今日の杏佳は、テニスしに行くわけじゃないから、リゾート風のロングワンピだ。半袖で、白地に青と赤の花と緑の葉の柄が入ってる。細身の作りで、ウェストが締まってて、だけど胸がはちきれそうで、杏佳のスタイルの良さが際立っている。帽子は水色のリボンがついたアイボリーのストローハットで、下はアンクルストラップの白いヒールサンダル。プラチナのオープンハートが深いV字カットの白い胸元に映えて、匂い立つような美しさだ。
「杏佳、そのワンピいいな。すっごく似合うぞ。これからリゾートに向かう美人さんって感じだ。テニスウェアもいいけど、こういう私服もよく似合うなー」って褒めると、杏佳は、
「ふふ、どうもありがと。今日のために新調しちゃた。まあ通販なんだけどね」って言いながらトランクに僕のバッグを詰めてくれて、さあ出発だ。そしたら、杏佳は帽子脱いで、車用のスニ―カーに履き替えちゃって、アレレっ?って感じだけど、まあ仕方ないな。
調布インターから中央高速に乗り、首都高に入って羽田線へ。四〇分くらいか。天気も良くて快適なドライブだった。羽田が近づくと、
「おお、飛行機が飛んでる! でっけー。遅っせー。あんなんでよく飛べるな。下に見えないレールが付いてんじゃないのか。銀河鉄道999みたいだ。メーテル!」
「もう、騒がしいわね。‥‥‥もしかして、あんた、飛行機乗るの初めてなんじゃ?」
「恥ずかしながら、その通りだ。羽田に来るのも当然初めてだ。なので、実を言うと明日の試合より、今日のフライトの方が不安だ。あんな重いものが空を飛ぶのが、どうにも理解できない」
「飛行機落ちて死ぬより、交通事故で死ぬほうがよっぽど確率高いって言うよ。大丈夫、大丈夫。千歳だからね。すぐ着くよ。私が付いてるからね。よしよし」
「‥‥‥うう、頼んだぞ」 シッカ(すがり付く音)。
空港の駐車場に車を入れ、バッグを持って、第一旅客ターミナルへ移動。
自動チェックイン機でチェックインした後、JAL五一九便まで一時間以上あるので、空港内のレストランや土産店を探検して周った。
「何もかも高けーなー」「そうねー。家賃高いからねー。あ、だけど吉野家がある」「おお! なんか窮地で関羽と張飛が助けにきてくれた気分だ」とか言い合いつつ、三本珈琲店に入ってブレンドを頼み、ハムサンドを二人で分けた。
戻ると既に五一九便の搭乗案内が始まっていたので、搭乗ゲートから飛行機に乗り込み、エコノミーのシートに並んで座る。僕は通路側で、杏佳が一つ窓側。しかし、こ、これは狭い! 一九七㎝の大男のことは全然考えてない設計。ベビーチェアに腰掛けてる感じ。
「これ、アウディの後部シートの方がずっと快適だぞ」
「しょうがないでしょ。一時間半で着くわよ。隣が私でよかったわね」と言ってる間に、ベルト着用サインが出て、おお、動いてる、滑走路の端っこで待機してる。
さあ、いよいよ離陸。エンジン噴射。は、速い! 端から見てるとあんなゆっくりなのに、すごいGだ。ひー。って思ってたら、隣の杏佳が僕の手をそっと握ってくれている。柔らかくて、暖かい手だ。ああ、ありがとう。落ち着くなー。まるで聖母様の手だ。
この日は天気がよくて、飛行機が揺れることもなく、フライトは順調だった。
文庫本を読んでいるうちに、津軽海峡を渡り、あ、あの港湾都市は、そうだ室蘭だ、上から見るとこうなんだ、へー、って思ってたらベルト着用サイン点灯。ほどなく新千歳空港に着陸した。ホントにあっと言う間なんだな。
到着後は、空港の表で待っててくれたトヨタレンタカーのバスで店舗に移動して、杏佳がヤリスをレンタルする手続きを行った。
「お客さん俺たちだけなんだから、空港まで車持ってきてくれればいいのにな」
「そしたら、お店の人が帰れなくなっちゃうでしょ。バカね」
「あ、そうか。そうだな。はは」とか言いながら、ヤリスで国道三六号線を南下する。
「ああ、建物が少なくて、空が広いなー。あと沿道に草原が広がってるのが、いかにも北海道って感じだ」
「そうね。気持ちいいわねー。苫小牧まで二〇㎞ちょいだから、三〇分もあれば着くわよ」
しばらく行くと左手にウトナイ湖が見え、少しずつ建物が増えてきた。苫小牧市街に入って来たんだな。
「ホテルは駅の南にあるんだけど、明日の会場は北側にあるのね。だから先に会場の下見に行くよ」と言って、杏佳はメインストリートから外れて、駅の北側を西に走る。しばらく行くと、「緑ヶ丘公園入口」の看板が見えたので、右に曲がって公園へ向かう。緑の街路樹が整然と並んだ、すごく気持ちのいい道だ。
公園の一番奥にある駐車場に停めて、コートまで続く並木道を、杏佳と手を繋いで歩いた。いやー、ひんやりと涼しくて、緑が多くて、穏やかないいところだ。真司の言った通りだった。横向いて杏佳を見ると、あれ残念、帽子で顔が見えないや。だけど、涼しい風が帽子のリボンと栗色のロングヘアを撫でていく。空を見ると、ああ、うろこ雲だ。北国はもうそろそろ秋なんだなあ。
しばらく行くと、右手に緑色のオムニコートが整然と並んでいた。「歓迎。第〇回インターハイ硬式テニス競技。7/31~8/6」という横断幕が掛かっている。奥に、二階建ての立派なクラブハウスも見える。もう、団体戦は終わっているので、誰もいない。
「ここが会場か。コートは平和の森と全く同じだな。これなら確かに公式練習不要だった。いい判断だったな」
「各コートにひな壇の観客席が付いてる。見やすくていいわね。いいコート。あ、団体戦の結果がまだ貼ってあるよ。ああ‥‥‥決勝は大阪青風と柳田だったんだ。青風が優勝したのね。W実業も強いとこに当たっちゃんだな。ドロー運悪かった」
「決勝は二―一。小武海が一矢報いたんだな。青風のエースを八―二で退けてる。団体戦もシングル五連勝したんだろうから、連勝はもう六〇を超えてるかもな」
「そうね。だけど、青風のエースは真司君に負けてるのよ。裕は真司君に八―〇じゃない? 物差しが二つ挟まるから、どこまで信頼できるか分からないけど、小武海君も絶対じゃないと思うよ。対戦相手は、小武海君の名前と連勝記録に負けてるっていう部分もあるんじゃないかな」
「そうだな。洋介師匠の言うとおり、明日は、過大評価もせず、自分も過小評価せず、そのままぶつけてみよう」
「一回戦だってあるんだから、油断しちゃだめよ」
「へい、了解。おっしゃるとおりだ」
「さ、少し暗くなってきた。五時四〇分か。ホテルにチェックインして、街を探検して、どこかでご飯食べよう」
「おう、腹減ったぜ! カレーラーメンとホッキ貝あるといいな」
三 ヤリスに乗って、公園を出て南下し、駅の東に出て、本日宿泊するホテルウィングインターナショナルに向かう。そんなに大きくないけど、新しくて清潔そうなホテルだった。
駐車場にヤリスを停めて、二人でフロントでチェックイン。僕が大きいので、セミダブルのシングルを二部屋。五〇一と五〇二。明日、二試合あるとすると夕方までかかるので、二泊で取った。それ以降勝ち進んだら延泊だ。帰りの飛行機も、試合が終わった時点でネットで取ることになる。
「それじゃ、荷物置いて、お出かけの用意するね。二〇分後くらいにお部屋に呼びに行くね」って言って、杏佳は五〇二号室に入って行った。僕も、五〇一号室に入り、カードキーを差して電気を点けた。ああ、結構広い部屋だな。関東のビジホよりもずっとゆったりしている。トイレとバスが別々なのがいいね。
ベッドはセミダブルの一二〇㎝幅で、大きな僕でも、大丈夫だ。大丈夫だが‥‥‥、さすがに二人は厳しいか‥‥‥? いやいや、そんなこと考えないの。明日大事な試合でしょう? それに杏佳の確約と引き換えに「いつまでも待つ」って約束したでしょう? 今の忘れろー、忘却ー。はい忘れた。
と、思い直し、バッグを置いて、用を足して、手を洗って、歯を磨いた。
テレビをつけると、六時のHTBのニュースをやってた。北海道テレビ? 今日は甲子園の抽選があったそうで、道内出場校の対戦相手の戦力分析をやってた。なんかローカルでいいなー。ま、お互い頑張ろうぜ。
と、そうしてるうちにピンポンが鳴ったので、ドアを開けると、「お待たせー。行こー」って言いながら、杏佳が立っていた。小っちゃなバッグを持ってるな。メイク仕直したのか、黒い眉毛が綺麗に引かれて、ピンクのルージュがツヤツヤしてる。。
フロントにキーを預け、二人でホテルを出、駅前のメインストリートに向かう。二ブロックだからほんの一分くらいだった。が、
「ないよ、ないない、駅前大通りに何もない!」
「ほんとね、どうなってるのかしら?」
何もないというのはさすがに失礼で、広い片側二車線道路の脇に、五階建てくらいのオフィスビルがずらりと並んでいるものの、飲食店が一軒もない。いや、探せばあるだろう、ということで、二人でしばらく探索して回ったが、「三星(みつぼし)」というパンとお菓子の店が一軒あるきりだった。
「こりゃ驚いた、もう駅のこっち側はだめだな」ということで、南口は諦めて、駅構内の連絡通路を通って、北口に出た。ああ、こっちにはヤマダ電機とかドン・キホーテがあるのか。ちょっと期待できるか? と思ったが、足で探すのは限界があると考え、スマホで検索することにした。
「ええと、この辺には定食屋が三軒あるわね。一番人気は、あれー、残念、ランチだけなんだ。‥‥‥一番近いのは、うーん、カレーとラーメンだけのガッツリ系ね」
「そうなのか。明日試合だし、野菜も食べたいから、単品中心のお店はパスだな」
「そうすると、もう、『ごはんどき』だけね。評価三.一。ここはチェーン店みたいだけど、定食中心ね。東京でいう『やよい軒』みたいなお店なのかな」
「ほかに選択肢もないし、そこにしよう。なんか北海道らしいメニューがあるといいけどな。ホッケ定食とか」
そういうわけで、手を繋ぎつつ、「ごはんどき」に行って見ると、こ、ここは、パチンコのマルハンの併設店ではありませんか。お店の横で、チンチンジャラジャラ鳴ってるぞ。大丈夫か?
「パチンコ屋のビル中店か。客層悪そうだな」
「大丈夫かしらね」
「ああ、でも入口は全然別なんだな。中もフードコートみたいだし、パチンコ客が酒飲んで騒いでるようなことはなさそうだ」
お店に入ってみると、パチンコ屋併設とは全然思えない、穏やかな雰囲気の店だった。典型的なフードコートで、券売機で食券を買って、ピーピー鳴るアレを貰ってテーブルで待つ方式のお店だった。
「俺は豚ロース生姜焼き定食かな。ほうれん草の小鉢が付いてるし」
「ここもガッツリ系が多いんだな。私は野菜タンメンに、かやくご飯を付けよう」
「お、その組み合わせいいな」
「食べきれないかも知れないから、少し手伝ってね」ってことになった。
食券をカウンターに出して、待つことしばし、出てきたロース生姜焼き定食も野菜タンメンも、ちゃんと普通に美味しかった。北海道らしさは微塵もなかったものの(もしかして豚は十勝か?)、まともな晩御飯が食べられてホッとした。
午後七時三〇分を過ぎて、外はもう真っ暗だ。
「きっと夜お腹が減るだろう」ということで、セブンイレブンに寄って、飲み物とデザート、お菓子を購入して、再び駅を経由してホテルに戻った。
四 ホテルに帰って、杏佳はそのまま僕の部屋に「お邪魔しまーす」って入ってきて、紅茶入れて、デザートのプリンを食べながら、明日の打ち合わせをした。
「選手集合は九時三〇分だから、九時に出れば十分ね。だけど、コンビニで食料調達する必要があるから、余裕持って八時三〇分に出よう。裕はエントリー№4だから、すぐ一回戦があるわよ。その後、上からずらーっと一回戦こなしてから二回戦が始まるから、小武海君とは午後遅く対戦することになるわね。だいぶ間空くけど仕方ない」
「ブイコア二本しかないけど、ガット切れたらどうしよう。一本はもう結構使ってるし」って聞いたら、杏佳がスマホで調べて、
「公園のすぐ南に『ストリングショップベガ』って言うお店があるわね。きっと公園のテニス選手御用達なんでしょう。ガット切れたら空き時間に持って行こう。きっと今掻き入れ時だから、即張りしてくれるよ」ってことだった。よかった。
そうやって午後九時過ぎまでおしゃべりしてたんだけど、これまでずっと気になっていたことがあったので、思い切って、
「そういえばさ」
「何?」
「今日、お前が外泊してるってこと、両親も知ってるんだよな」って、聞いてみた。
「そりゃそうよ。家にいないんだから」
「俺と一緒って知ってるの?」
「お母さんは知ってる。お父さんには、テニサーの合宿って言ってあるみたい」
「お母さん、心配しないんだな。ずいぶん信用されてるんだな。お前と俺」
「だって、裕は、私の嫌がることなんて、絶対にしないでしょ? 私を通じてだけど、そのあたりお母さんも良く分かってるのよ。逆に、私が嫌がらないのであれば、望んだことなのであれば、その気持ちは尊重する、って思ってるのよ」
「そうなんだ。お母さん、理解あるんだな」
「そうよ。もう二人とも成人だしね。みんなそうやってちょっとずつ大人になってくわけじゃない? お母さんもそうだったんじゃないかな。それに、今日は二人で外泊してるから分かりやすいけど、そういうの、別に外泊じゃなくたって、できないわけじゃないでしょ? だから、今日だけ心配しても仕方ないのよ」
「なるほど。良く分かった。ありがとう。そうすると、俺もお前も、ちゃんと考えて責任もって行動しないといけないんだな」
「そういうことね。雰囲気に流されないように、考えて、二人で作って行こう」
杏佳はそこまで言って、チェアから立って、
「明日は大事な試合だから、今日はもうお風呂入って寝た方がいいわね。また明日の朝食で会おう。七時半頃電話するね」って言って、続けて「明日頑張ろう。裕、大好きよ」ってささやいて、僕の顔を両手で挟んで、豊かな胸に優しく埋めてくれた。今日は朝からずっと聖母様みたいに優しいな。まあいつも優しいけど。
僕は、杏佳の柔らかで温かい胸に埋まりながら、が、しかし、
「‥‥‥待った待った。お前、言ってることとやってることが相反してるんだよ。とても嬉しいんだが、幸せなんだが、これで落ち着いて寝ろと言うほうが無理だ。壁隔てたすぐ隣にお前がいるわけだし、いろいろ興奮して、目が爛々と冴えちゃうだろ?」って抗議したら、杏佳は意外なことに、ちょっと悲しそうな表情になって俯(うつむ)き、黒い瞳に影を落として、
「そっか、そうだよね‥‥‥。余計なことしちゃってごめんね。私もこんな夜に二人きりでいると、やっぱり冷静になれないのね。気持ちが溢れてきちゃうのね。だけど、やっぱり明日試合だから、今日はいろいろできないし、そうすべきでもないわよね。私、裕のコーチなんだから」
「そうだな。お前が、『じゃ、お休みー。』って去って行ったら、だいぶ違ったかも知れないけどな」
「ほんとにごめんね。裕、悪いんだけど‥‥‥今夜は自分でなんとかしてね」
「またまたそれかよー」
「ほんとごめーん。悪いと思ってる。だから私のことだったら、どんなエッチなこと考えてもいいから‥‥‥。だけどね、裕は分かんないかも知れないけど、私だってとっても辛いのよ。こんなことしてると、どんどんそんな気になっちゃって、さっきからすごく我慢してるの」
「そうか。いや、変なこと言って、こっちこそごめんな。お前もそう思ってくれてるのならいいや。それにお前の言う通り、試合前日にイチャイチャしてる場合じゃないしな。今日はこれまでにして、もう寝ることにしよう。それがなくたって、朝練に旅行に珍道中で、すごく楽しい一日だった。ありがとうな。杏佳、俺もお前が大好きだ」って言いながら、僕は杏佳のおでこにチュってキスして、
「さあ、もう行け」って促して、杏佳をドアから送り出した。
杏佳は、ドアを出てから、後ろ姿で両腕を前に組み、ちょっとフルフルしてたけど、そのうち顔だけこっちに振り向き、目じりに光るものを溜めて、何か言おうとして、でもやっぱりやめて、泣き笑いしながら、
「うん。裕、お休み。また明日ね」って言いながら、隣室のドアを開けて入っていった。僕は、それを確かめてから、静かにドアを閉じた。
五 あー、行っちゃった。まあしょうがない。自分で送り出したんだからな。
僕はお風呂に温めのお湯を張って、ゆっくり時間をかけて浸かり、全身を綺麗に洗った。トイレと別だから、洗い場をちゃんと使えるのがいいね。
お風呂から上がって、パジャマ代りのボクサーパンツとグレーのTシャツを着て、冷蔵庫からサービスのペットの水を出して飲みながらニュースを見る。
あ、もう一一時近いんだな。歯を磨いて寝よう。
僕は歯を磨いて、文庫本持ってベッドにもぐったんだけど、ああ、やっぱりさっきの思い出しちゃった。血流が身体の一部に集中してるな。杏佳は、「私のエッチなこと考えて自分でしてね」って言ってた。だけど、現に隣の部屋にいるからなあ、なかなか「それじゃ遠慮なく」ってわけにもいかないよなあ。かといって、有料ビデオじゃ、全然よその女だし、最後のフロント精算でバレて、それこそ凄惨なことになりそう‥‥‥。
それじゃ、ま、本読んで寝るか。ベッドサイドの灯りを点けて、ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」を開く。これがSFのオールタイムベスト、なのか? いまんとこあんまり面白くない。古典は展開が悠長だな。なので二頁であっちが治まって眠くなってきた。ハインラインさん、ありがと、お休み。
と思って、眼を閉じたところで、「ピンポーン!」って、もう、何ー?
ドアのとこに行って、覗き窓から外見たら、杏佳が、「早く開けてー。こんな格好なのよ。誰か来ちゃうよー」って窓覗きながら小さい声で言っていた。
もう、しょうがないな、と、僕がドアを開けると、白Tシャツとアイボリーのショートパンツ履いた杏佳が裸足で入ってきて、僕に抱き着いて、
「ねっ、私のこと想像して、自分でなんとかして、スッキリした?」って言いながら、胸を僕に押し付けて、上を見上げて、僕の眼を覗き込んできた。
「お、お・ま・え・なー。いい加減にしろよー(怒)。人がせっかく、いろいろ我慢して、明日に備えて寝ようとしてたのに、なんなんだよ。しかもノーブラじゃないか。ポヨンポヨンしてるじゃないか。もう、これどうしてくれるんだよ」
杏佳は、「そうか、まだだったのか。そうならいいなって思って来てみたの」って言いながら、おずおずと下見て、「あ、ほんとだ。なんか痛々しいな」って言ったあと、パッと笑顔になって僕見て、
「それじゃ、裕、お布団入りなよ。ほら」って、僕をベッドにまで押して行って、掛布団に押し込んだと思ったら、杏佳も隣にスルって潜り込んできた。
そして、僕に抱き着いて、首筋にやさしくキスしながら、耳元で、
「‥‥‥まだだったら、私が裕をスッキリさせてあげる。私がお手てでしてあげるね」って甘い可愛い声でささやいて、血流が集中した僕の身体の一部に、そっと、優しく、触れてきた‥‥‥。
「のわー。気持ちいい! 分かったから、ちょっと待ってくれ。暴発しそうだ」
「あ、そんなに気持ちいいんだ。よかった」
「お前、気持ちはありがたいんだけどな、やり方分かってるのか?」
「今スマホで調べたわよ。エッチでくらくらしたわ。見よう見まねなんで、間違ってたら教えてね。ティッシュは予め持ってた方がよさそうね。あと、私の胸、触ってていいわよ」って言いながら、杏佳はボクサーパンツの中に小さな白い手をそっと差し込んできて、優しく包み込み、そして静かに上下にさすってくれた。僕は、「うー」って言いながら、杏佳の胸に手を回し、波のように絶え間なく押し寄せてくる快感に耐えていた。あ、いや、でも耐える必要ないのか、耽溺すればいいのか。
しかし耽溺したら、当然長時間耐えきれるわけもなく、多分僕はほんの一分くらいで、「うっ、くっ!」っと声出して杏佳を抱き寄せて、そして何度も僕を放出することになった。杏佳はティッシュを持ったもう一方の手で優しく受け止めながら、
「うわー、すごーい、何度も出るんだね。‥‥‥ふふ、すごく可愛い」って言って、さすりながら、また首筋にキスしてくれた。
僕が完全に果てたあと、杏佳は綺麗に拭き取ってくれて、「これトイレに流していいんだよね」って言ってトイレに行き、手を洗って帰ってきて、僕の隣にもぐり込みながら、「ねえ、私上手だった? スッキリした?」って聞くので、「うん。上手だった。夢の中にフワフワ浮かんでるみたいだった。すっごくスッキリした」って答えたら、「よかった。ホッとした。私が裕をかき乱しちゃったって、すごく心配してたの。それじゃしばらくこうして添い寝してるね」「そりゃもちろん歓迎なんだが、きっとそのうち復活するぞ」「そしたら、またしてあげるわよ。ふふふ‥‥‥」って言いながら杏佳が横向いて僕の胸に顔を埋めてきた。柔らかな胸が当たって、ポインって気持ちいいな。
それから三〇分くらい、ベッドで抱き合って、「だってそうだろ?」「ちがうよー、やだー、何それ?」とか、いろいろ夢みたいな寝物語をしてたんだけど、そのうちまた僕が復活して元気になってしまったので、もう一度、杏佳が小さな手でやさしく世話をしてくれた。
そして、手を洗って、柱の陰から顔だけ出して、「これでもう大丈夫ね。私もう行くね。これ以上こんなことしてると、私もどうにかなっちゃいそうだから、ごめんね」って声掛けてくれた。
僕は、「杏佳、ありがとうな。よく寝られそうだ。杏佳にもしてあげたかったな」って答えたら、「うん、ありがと。気持ちは嬉しいけど、そうなったら、きっと歯止め効かなくて最後までいっちゃいそうだから、やっぱり前日はだめよね。コーチが何やってんだ、って感じよね。じゃ、裕、また明日。七時三〇分に。お休み」って言って、さっと顔が隠れて、ドアが開いて閉まる音がして、杏佳は帰って行った。
六 翌朝は七時三〇分に杏佳から電話が入って、すぐ僕の部屋に「裕、おはよう。よく眠れた?」って言いながら入ってきた。僕は、「うん。ぐっすり眠れた。長旅の疲れも残ってない。昨夜(ゆうべ)はありがとな」って答えて、杏佳のおでこにおはようのキスをした。
おお、今日の杏佳は真っ白なノースリーブのロングワンピだ。こ、これは可愛い、可憐、だけど胸目立つなあ。もちろん、「その白ワンピ、すっごく似合うぞ。清楚で可愛らしい。これで帽子かぶったら、『夏のお嬢さん』って感じだ。郁恵ちゃんだ」って褒めたら、「ふふ、ありがと。新調してよかったな。だけど、食事はすっごく気を付けないと跳ね飛ばしが怖いわよね」って言ってた。名物のカレーラーメン、どうすんだ?
朝食は二階のレストランで、ビジホだから当然バイキングだ。おー、すごい豪華。和洋中全部揃ってる。サラダもデザートもばっちりだ。一五〇〇円の価値は十分にある。
「お! ホッキ飯があるぞ。ホッキの炊き込みご飯なんだ。いい出汁が出てそう。おお、ホッキカレーもある! これいいな。大盛で二つとも食べよう。あとはサラダとコーヒーでいいや。絶対コンプリート不可能だし」
「あはは、これから全力で動くのよ。食べ過ぎないこと」って釘を差されたけど、結局、ホッキ飯もホッキカレーもお代わりしてしまった。だって、肉厚で甘くてプリプリしてて美味しいんだもん。これが苫小牧のホッキ貝なんだ。よく「名物に美味いものなし」って言うけど、これはなかなかだ、いや相当だ。また明日も食べよう。
「ゲフー。やっぱ食い過ぎた‥‥‥」「もう、しょうがないわね」ということで、少し食休みして、八時四五分にホテルを出、車で近所のファミマに寄り、おにぎりとバナナ、ドリンク類を購入して、会場の緑ヶ丘公園に向かう。歩いても行けるくらいの距離なので、九時過ぎには到着した。もう、ホテルでウェアに着替えてあったから、クラブハウスに寄る必要はない。米山さんに頂いた青い方の昭和ウェアだ。ラケットもシューズもリストバンドも全部ヨネックス。昭和ヨネックス男。
会場で受付を済ますと、トーナメント表と進行予定表をくれた。僕はやはり九時四五分開始、一番コートの第一試合だ。小武海も第一試合だけど、一六番コートだから、全然離れてるんだな。一六番は受付の前だからメインコートの扱いで、僕みたいなノーシードは一番から順次入れていくんだろう。
九時三〇分に集合がかかり、男女のシングルス選手がクラブハウス前に並び、競技委員長から簡単な訓示があった。「お天気もよくて、絶好のテニス日和。普段の練習の成果を存分に発揮して下さい」っていう程度だった。開会式はすでに三一日に済んでいるので、こんなアッサリしてるのかな。
解散後、さあ、一番コートで試合開始だ。日傘を差した杏佳と一緒に移動すると、相手の選手がもう来ていた。新潟明訓高校の選手。あんまり大きくない。一七〇㎝ちょいくらいか。真司と同じ、テクニシャンだろうか。
「奈良です。宜しくお願い致します」「こちらこそ、宜しくお願いします。うわー、すごい背高いんですねー」とか言い合いながら握手を交わし、試合球を持って一緒にコートに入った。
七 さあ、裕の第一試合が始まるぞ。相手は中肉中背の選手で、アップを見る限り、ストローク中心に組み立てるようだ。かと言ってトップスピナーでもなく、オーソドックス。サーブは特に強力ではない。オールラウンダーなのかな。パワーとスピードで勝負する裕は、与しやすい相手だろうな。
って、思って見てたら、誰かが観覧席に上ってきて、日傘覗き込んできて、
「あれー? 杏佳さんじゃないですか。インハイ見に来てたんですね」って、穏やかで耳に心地よい声をかけてきた。背の高い女子選手だ。高校生では珍しいノースリーブの白いワンピースのウェアで、水色のキャップからポニテを垂らしている。
一瞬誰かと思ったけど、
「ああ、澄香か。久しぶりね。そうよね、あんたもインハイ出てたはずよね」って、すぐに記憶が蘇った。
山本澄香(やまもとすみか)は、埼玉県代表で、所沢麗明高校のエース。去年のインハイの一六で当たって、私はこの子に三―八で敗れた。中学の頃から、関東大会なんかで何度も対戦してきたけど、一度も負けたことなかったし、負ける気もしなかった。だけど、指導者が良かったのかな、高一の冬に、女子ではすごく珍しいんだけど、長身を活かしたサーブ&ボレーに特化して、そこから手が付けられなくなった。女子は、基本ストローカーばっかりだから、ボレーヤーと対戦することがない。何とかしなきゃって、対処方法を考えてるうちに試合が終わってしまった。
だって、コートから追い出されてボールに触れないんだから、もうどうしようもないでしょ。
裕と対戦した真司君が感じたように、私も澄香と試合して、もう私もこのあたりが限界なんだって、よく理解できた。きっと、この先競技続けても、この子との差は開くばかりだろうって。それで私、選手は諦めたの。この子に引導渡されたの。私は第八シードだったけど、それを守れなかった。澄香は、ベスト八で第一シードの選手に果敢に挑んで、だけど激戦の末七―九で敗れた。どっちが勝ってもおかしくないゲームだった。悔しいけどかっこよかった。輝いてた。相手の選手は、そのあと、準決勝と決勝とも一ゲームしか落とさなかったから、事実上の決勝戦だったのね。
しかも、この娘、性格が穏やかで優しいうえに、長身でスタイルよくて、しかもすっごい美人なのよ。ほんと憎たらしいな。何頭身あるのかしら、細くて長い手足と、小さな顔。なんでか知らないけど、胸だけやたらでっかいし、一体どうなってんの、天は何物を与えてんのよ? 顔立ちは私とタイプが全然違って、二重だけど切れ長のすっきりした眼で、ええとなんていうのかな、化粧品のポスターのイラストみたいな感じ? あれなんだっけ、カネボウ、それともノエビアだったっけ? 肌は今は小麦色に日焼けしてるけど、そんなに黒くない。秋になって色抜けたら絶対色白よね。髪も栗毛だし、まるで細い尚さんだ。ピンポイントで裕にどストライクだ。いやいや、こんな娘、絶対裕に見せらんないでしょ。
「あんた、また背が伸びたんじゃない。今、何センチあるの?」
「今、一七四㎝です。まだ伸びてるから、どうだろ、一七七とか八になるのかな。女子的には微妙なんですけどねー」
「へー、まあ、スケールはあった方がいいわよね。あんたみたいなサーブ&ボレーの選手滅多にいないし、今年は優勝できるんじゃないの」
「どうだろうなー。まあ、八ゲームマッチは何があるか分からないですからね。苦手なタイプの相手に当たって、対処する前に終わっちゃったりしますから。‥‥‥あれ、でも何で杏佳さんここにいるんですか。W実業の選手いないのに」
「うん、今私がコーチしてる選手の応援に来てるんだ」
「あ、この試合? どっち?」
「手前、背の高い方」
「うわー、すっごい背が高い。なに、彼、何㎝あるんですか?」
「一九七㎝。まだ伸びてるって言うから、そのうち二mくらいになるのかな」
「一九七もあるんだ‥‥‥って、あれ? WOW! すっごいイケメン。なにこれ? 長めの黒髪に白のヘアバンドがいい。なんかクラシックなハンサム。あのパツパツのウェアと相まって、なんか『貴公子』って感じ? いまや死語ですけどね」
「ふふふ、そう思うでしょ? だけど、テニスもすごいのよ、あと性格もいいの。優しくて面白くて誠実なの」
「えー、私、背の高い人好きー。私より背の高い人限られるんですよ。もしかしてっていうか、絶対そうだと思いますけど、杏佳さんの彼氏さんなんですか?」
「そうよ。四月からずっと指導してて、今日はその集大成だしね、ここまでついてきたのよ」
「そうなんだ。それじゃホテルも一緒なんですか?」
「‥‥‥あんたも優しい顔してずいぶんズバっと聞くわね。そのとおりよ。部屋は別々だけどね」
「ふーん、そう。そうなんだ。ちぇ、仕方ないな。じゃ、しばらくここで見てていいですか?」
「いいけど‥‥‥裕は私のものだからね。変な事考えちゃダメよ」
「ふふふ、どうしようかな」
「ちょっと、あんた!」
「冗談ですって(笑)。もう、意地になっちゃって、分かりやすいな」
さあ、試合が始まった。サービスは裕から。
スッとトスをあげて、身体を反らす。トスは真ん中だからフラットを打つんだな。挨拶替わりの弾丸サーブを正面に打ち込んでやれ。
裕は反った身体を戻しながら、前方にあげたボールに向かって前傾する。身体が一直線になったところで遅れてラケットが出てくる。
そこで、「パンッ!」って音とともに、ボールが視界から消えて、瞬時に相手コートに襲いかかる。でもさすがインハイ選手ね、相手の選手は、真正面の顔面付近に来たサーブをなんとか前に弾き返す。でも、いつもの練習通り、返ってくることを想定して、裕はネットに詰めてオープンコートにボレーを送り込む。追いつくか? ああ、だめだ、諦めた。一五―〇。
アドコートに移動して、最初は、まあそうよね、スライスサーブよね。裕は、ボールの左上をカットしながら、対角線にサーブを放ち、そのままネットに。まだ始まったばっかりだからそんなにいいサーブじゃなかった。相手は、何とか追いついたけど、リターンはストレートに飛び、サイドアウト。三〇―〇。
次のサーブは対角線にスピンサーブ。コートから完全に追い出された相手は、ああ、届いた、けど、返すだけ。ネットに詰めた裕が逆ついてストレートにフォアボレー。コートカバーに走っていた相手はもう戻れず、すぐに諦める。四〇―〇。
次のアドコートのサーブは、スライスを打つものの、わずかにサイドアウト。次はクロスにスピンサーブを放つも、オーバーしてダブルフォルト。珍しい、やっぱり、まだ身体が温まってないのね。
四〇―一五で、デュースコートから、裕はセンターにスピンサーブを打つ。トスを見てフォアに寄った相手は、慌ててセンターの戻るも、バックの高いリターンになり、ネットに詰めてた裕が、浮き球を簡単にボレーで決めた。
「うわー、すっごーい。こんな選手いたんだー。私と同じサーブ&ボレーなんですね。彼、相当ですよ。プロでもこんなサーブなかなか見ないんじゃないかな?」 澄香が手を頬にあてて、感心したようにつぶやく。
「そうでしょ? ふふふ。ずっと私が鍛えてきたんだからね」
「えー、杏佳さん、いつもどこで練習してるんですかー?」
「府中の平和の森公園よ。私と、それから真司君も入って、週二回練習してる」
「あれ? 手塚くん、そういえば個人戦出てないんだな。どうしたんですか?」
「だから、都の一六で、目の前の裕に、一―八で敗けたのよ」
「そうなんだ。手塚君に八―一って、裕君、よっぽど強いんですね」
「うん、そう。だけど次は小武海君だから、どうなるか分かんないけど」
「えー? 次小武海くんなの? それは楽しみだなー。どっちが勝つか分かんないけど、いい勝負するんじゃないですか」
「裕が勝つ、と信じている。そのためにこの一カ月くらい、ずっと練習してきたんだから」
「ふーん、そうだといいですねー。私も裕くんの応援に来よう」
コートチェンジして、裕はリターンになった。そんなにサーブは強力じゃないけど、一応、最初は後ろに構えて、深く返してストローク戦を挑む。だけど、長引かせないで、途中、打てるところで、相手のバックにトップスピンロブを打って、ネットに詰める。相手はエンドラインのはるか後ろまで下がって、十分の態勢でパスを打つけど、いかんせん、遠すぎた。ネット超えるまで時間があるので、裕は余裕を持って、ネット際にドロップボレーを落とす。
この最初のプレーで、大体相手のことは分かった。見切った。裕は次のポイントからは、ファーストでもお構いなくセイバーをして、次々ポイントを取る。そうなると、相手はファーストサーブをギャンブルせざるを得なくなり、ダブルフォルトを重ねることになった。〇―四〇からのリターンもセイバーを決めて、相手が苦し紛れにロブをあげ、裕はそれをオープンコートに叩き込んだ。ゲーム裕、二―〇。ああ、もう大丈夫そうね。
「じゃ、私、小武海君の試合見てくるね」
「えー、もう? 見なくてもいいんですか?」
「いや、まあ、でも負けないでしょ? ここで負けるくらいなら、そこまでの選手ってことで、小武海君どころじゃないわよ」
「そうですね。じゃ、私はもう少し見てるから、杏佳さん、偵察に行ってきて下さいね。私、第四シードだから、一回戦は最後なんです」
「うん、それじゃ、また後でね」
一六番コートに移動する。ああ、結構沢山の人が見てるな。五〇人くらい? さすが高校無敗の絶対王者。みんな注目してるんだな。
いた。観覧席の中段に見知った顔がいる。私は傘を閉じて、段を上り、
「米山さん。お早うございます。隣、いいですか」って言いながら、米山さんの横に腰かけた。
「ああ、杏ちゃん。おはよう。奈良君の応援に来てるんだね。彼はどう?」
「今、一番コートで試合してて、澄香が見てます。二―〇になって、大丈夫そうなので、こっちに偵察に来ました」
「二回戦で小武海君と奈良君が当たるんだよなあ。勿体ない。決勝まで取っておきたかったな」
「裕は棄権して都の八ですから、仕方ないです。それに、インハイに限らず、競技してたら、必ずどこかで当たる相手ですからね」
「小武海君もいいぞ。今三―〇。相手の選手も頑張ってるけど、一ゲーム取れるかな?」
コートを見ると、小武海君のリターンゲームだった。相手の選手も結構サーブがいいけど、ファーストが入っても、落ち着いて相手のバックに深く返し、ストローク戦に持ち込んでる。ショットの切れがいい。必ずしもハードヒットしてるわけじゃないんだけど、いちいち一瞬の間をおいて打つので、コースが分からず、相手は常に半歩出遅れて、少しずつ追い込まれていく。独特の間合いがある。相手は、そのうちに、ミスするか、強打でエース取られるか、スルスルとネットに詰められてボレーで決められる。真司君をグレードアップさせた感じだ。裕もストローク戦に持ち込まれたら不利ね。
小武海君がゲームを取り、四―〇。
次のゲーム。ああ、小武海君はサーブもいい。必ずしも弾丸サーブってわけじゃないけど、低いトスからコンパクトなスイングで丁寧にコースを打ち抜いていく。少し力をセーブして打ってる感じ? だから殆どフォルトしない。ファーストが八割以上入ってるんじゃないの? もちろんコースがよければノータッチエースになる。サーブの持ち球は、フラットが六割、スライスが三割、一割がスピン。セカンドはスピンのみ。だけどコースを打ち分けている。
それから一〇分もしないうちに、試合は終わった。八―〇で小武海君。相手のレベルもあるけど、あまり参考にならない試合だったな。
「まずは順当に一回戦突破だな」って、米山さんがこっち向いて言ってきた。
「そうですね。全てのスキルが高レベルで隙がない印象です」
「杏ちゃんなら、奈良君になんてアドバイスする?」
「‥‥‥そうですね。基本は、自分をそのままぶつけろ、ってことなんですけど、あえて言えばバックの高い球が弱い。ううん、弱いってわけじゃないけど、いちいち下がって丁度いい高さで打ってた。ライジングでは打ってなかった。裕のトップスピンロブなら、もっとずっと後ろから返球することになる。ネットに詰める裕は、あれが狙い目になると思います。あと、長身だからだと思うけど、正面に来たサーブの捌きが、それほど上手くない印象です。どこかでサーブをポケットに集中して、意識がポケットに向いたところで、またコーナーに散らしていくのがいいかも知れません。まあ、どっちも、あえて言えばってだけで、誰しも苦手なとこなんですけどね」
「僕の見立ても同じだな。小武海君、相変わらず上手くて強いけど、あんまり去年から変わってない印象だ。まあ、高校では彼以上に強い選手がいないから仕方ないんだけど。だから、早くプロに交じってプレーさせてあげたいな」
「そうですね。真司君も、学校で彼一枚だったから、あんまり伸びなかった。自分のレベルより高い環境ってすごく大事ですよね」
「そうだな。小武海君も奈良君もヨネックスで練習させてみたいな。プロ相手にどこまでできるだろう」
「案外、裕はすぐ追い越しちゃうかも知れませんよ。今はまだ全然だけど」
「そうかもな。あとは本人がどれだけやる気になるかだ」
「大学入ったらボディビルやるとか言ってるんですよ。もう、米山さんもなんか言ってやって下さいよ」
「ははは、まあ、本人の選択だからな。余人がどうこう言うもんでもないだろ。もちろん、やる気あるならサポートするよ」
「あ、こうしてらんない。一番コートに戻りますね。米山さん、また午後の小武海戦で会いましょう」
八 一番コートに戻ってみると、あれ? もう別の選手が試合してる。あっと言う間に終わったんだな。あ、観覧席に裕がいた。座ってる。お疲れ様、って思ったら、え、何? 隣に澄香がいるじゃないのよー!
澄香は、なんか内股でモジモジしながら、ポニテ揺らして口に手をあてて、笑顔で話してる。「もう、嫌ですー」とか言いながら、ペチって裕の肩叩いてる。ちょっと、澄香! 私の裕に気安くさわんないでよ!
ああっ、今度はスマホ出してやり取りしてる。ラインのアドレス交換してるんだな。
ちょ、ちょっと、あんたたち、一体何やってんのよ!
私が紫色のメラメラを出しながら階段を昇っているところで、裕が気付いて、
「お、おう。杏佳。小武海見に行ってくれてたのか。ありがとな。こっちはさっき試合終わったぞ。八―一だった。最後、ストローク戦の練習したんで、一ゲーム取られたけど、すごく調子いいぞ」
「そりゃいいんだけどさ。おめでとうなんだけどさ。なんで澄香と一緒にいるのよ」
「いや、試合終わって出てきたら、澄ちゃんが出迎えてくれて、お前が小武海見に行ってるけど、すぐ戻るからここで待ってようって言うからさ」
「す、澄ちゃんですって‥‥‥」
「‥‥‥いや澄香さんが、お前の友達だって言うんで、いろいろ情報交換してたんだ」
「友達って言えば友達だけどね、ラインの交換はなんなのよ」
「澄ちゃ‥‥‥いや澄香さん、所沢に住んでて家近いから、今度平和の森で練習したいって言うからさ。四人いたらダブルスも出来るし、いい練習になるじゃないか」
「澄香、あんた所沢からどうやって来るのよ。私迎えに行かないわよ」
「杏佳さん、そんなにプリプリしないで下さいよ。美人が台無しですよ。あ、まあ、これも可愛いのか。私、インハイ終わったら合宿免許取りに行くので、八月中には車運転できるようになるんですよ。裕君や真司君と、もちろん杏佳さんもだけど、一緒に練習できるならすごくためになるから、是非参加させて頂きたいんです」
「免許に練習って、あんた受験どうすんのよ? そんなことやってる場合?」
「大学はもう推薦で決まってるので、半年間自由時間があるんです」
「す、推薦って、まさかW大‥‥‥?」
「違いますって、嫌だなもう。M大です。W大は女子テニス部弱いですからね」
「そ、そうなのか。じゃ、ま、考えとくわ。私にもラインのアドレス頂戴」
「お願いしますね。もし、練習に混ぜてくれるなら、真司君の送迎は私がやりますよ。どうせ途中ですし」
「おお、そうか。それは助かるわね。じゃ、ついでにあんた真司君とくっついちゃいなさいよ。あんたよりちょっと背は低いけど、そんなの補って余りあるいい男よ。しかもゼネコンの御曹司よ」
「‥‥‥ものすごく警戒してる。よっぽど裕くんが大事なんですね」
「そうよ。あんたに試合で負けて、そのうえ‥‥‥うん、まあいいわ。やめとく。大人気ないものね」
「全部言っちゃってるじゃないですか(笑)。裕くんは杏佳さん一筋って感じだから、フラフラしたりしないですって。ね?」
「お、おう。そのとおりだぞ。杏佳」って裕は言うけど、やっぱりどこか心配よね。できたら近づけたくないわよね。ああ、心が狭くて、ほんとに恥ずかしいけど。
それから、一番高いとこにある「シェルター」って言うのかな、大きな屋根付きのベンチに移動して、バッグおいて居場所確保して、しばらくの休憩に入った。
~ インターハイ編 前編 終わり ~
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