2nd ep.人生は因果応報なり ①

 ピピピピッ! ピピピピッ!

「…………うるっせぇなぁ、クソ目覚ましが」

 鉛のように重い腕を伸ばして甲高い音を上げるスマホのアラームを乱暴にストップさせた。

 俺の朝はいつも不機嫌な起床からはじまる。

 なにぶんひとたび眠りにつくと起きるのが苦痛なもので、強制的に眠りから目覚めさせられるのはいい気がしない。

 ゆっくりと自室からキッチンまで移動して朝食の準備をし、適当に焼いたトーストにかじりつく。一人で。

 両親や龍介は既に家を出ている。やることがある連中は朝から大変なのだ。

「みんな仕事に学校に頑張ってんなぁ」

 頑張りを否定するつもりはない。努力は尊く美しい。努力こそが最高の技術であり才能であるとも考えている。

 けれど一方で、努力したくてもその権利すら与えられない者もいるのだと声高に叫びたい。

 そんなことを考えながら学校に向かう支度を進める。

「……行ってきまーす」

 俺以外誰もいない家で挨拶しても当然反応はなく、家内は静まりかえっている。

 慣習とは恐ろしいもので、返事がないと分かってはいても毎度のように挨拶してしまう。

 むなしさを感じつつも玄関扉を開けて重い足取りで学校へと向かった。


    ▲▲▲


「寒川くーんっ」

 学校までの通学路を歩いていると、背後から聞き慣れた声が響いてきた。

「日下か。おはよう」

 振り向くと、日下が小走りで隣までやってきた。小走りしてきたのでナチュラルボブの髪がぽんぽんと跳ねた。

「おはよー。今日も寒いね」

 日下が吐く白い息が寒さの証明になっている。

 一月中旬、それも朝の気候はかなり冷える。制服のブレザーだけでは到底足りない。手もポケットに突っ込んでおかないとすぐかじかんでしまう。

 日下はマフラーにコートこそ着用しているものの、スカートから覗かれるすらりとした生足はとても冷えてそうだ。そう考えると全国の女子高生たちに敬礼したくなる。

「日下殿は極寒の冬でもスカートでお疲れ様です! 感服いたす所存であります!」

「な、なに急に……?」

 敬礼を抑えられなかった俺の行動に対して日下はきょとんとしたが、

「あ、あの、あまり脚をジロジロ見ないでよ……」

「あ、悪い」

 おっと。無意識のうちに俺の視線は日下の生足に釘付けになってしまっていた。我ながら何をやっているんだか。

「……エッチ」

 恥じらう台詞とは裏腹に、表情と声からは恥じらいは感じられなかった。相変わらずのポーカーフェイスっぷりだ。

「エロ目的で見てたんじゃないぞ。スカート生足でよく真冬の寒さに耐えられるなーと思ってな」

 俺だったらスウェットを履いてしまう自信がある。

「規則だからしょうがないよー。それに私は好きだな、スカート。だから寒いけど苦ではないよ」

「なるほど」

 好きこそ物の上手なれ的なアレか? ――いや、どうにも使い方が違う気がするぞ。

「……ふわーあぁ」

 日下の緩い雰囲気で気が抜けた俺の口からは盛大なあくびが漏れ出てきた。

「寝不足?」

「遅くまで【学生広場】にのめり込んじまってな」

 昨晩は『COLD』として雑談した後に『リバー』でも雑談していたら気づけば深夜を回っていて、睡眠時間が少なくなってしまった。

 それプラス朝が弱いことも加味されて、未だに脳みそは三割ほど寝ている状態だ。

「――すっかりSNSにのめり込んでるんだ……」

 日下はトーンを落とした低い声で言った。

「まぁな。暇潰しとしては最高のツールだよ」

「そんなにハマっちゃって大丈夫なの? ほどほどにしときなよー」

「大丈夫、とは?」

 日下は少々難しそうな表情をしているけど、心配事でもあるのか?

「SNSで正体不明の知らない誰かさんたちと繋がるのは楽しいだろうけど、リアルの高校生活に支障をきたしてまでハマってたとしたら本末転倒かなーって感じてさ」

「そんなことにはなってないから大丈夫だ」

 そもそも現状は日下の見解とは真逆だ。高校生活に支障をきたしたからこそ、今や【学生広場】だけが俺のいこいの場なんだよ。

「本当に?」

 不安そうに見つめてくる日下だが、俺ははっきりと首を縦に振った。

「友達もいるし、そこまで枯れた高校生活は送ってない」

 とはいえゾンビ同然の生活だけどな。

「勉強も?」

「…………はて? べべっ勉強??」

 苦しい話題を繰り出されてとぼける以外にできるリアクションはなかった。

「……こりゃ成績まずそうな予感……」

「はははは、こりゃ一本取られましたなぁ!」

「………………」

 わざとらしくおちゃらけると、日下はジト目で俺の顔を見つめてきた。

「だ、大丈夫だって! 一、二学期ともに赤点はギリ回避できてるからさ!」

「赤点ギリ回避レベルなんだ……」

 赤点回避といっても評定の話で、試験は毎回赤点からの補習、再試験コースなんだけど。

 こう、ミサイルからギリギリ当たらずにすんでのところで避け続けてる的なね?

「……ちなみに、評定はいかがな感じで?」

 日下は恐る恐るといった感じで俺の評定について踏み込んできた。

「驚け。なんと、ほぼ全部3だ」

「うおぉ……」

 ドヤ顔の俺が指で作った3のポーズをの当たりにした日下は両手で目を覆った。

 なお、評定は残念ながら5段階評価ではなく10段階評価だ。1、2が赤点なんだがギリギリのギリでかろうじて回避を続けている。ある意味快挙なんじゃね?

 そんな俺に日下は感情が読めない視線をぶつけてきた。

「寒川君……今のままじゃ二年生にはなれるけど、確実に三年生には進級できないよー」

「今のところ赤点はないし、これからも大丈夫っしょ」

 大丈夫と言い放ったものの声はうわずってしまった。我ながらずいぶんと動揺している。大丈夫な根拠が一切ないからな!

「一年生の段階で赤点すれすれということは、難易度が上がる二年生では赤点がつく可能性がだいぶ高くなるってことだからね?」

 彼女はわずかに小首を傾げてごもっともな指摘を挙げてきた。

「日下に言われてしまうとぐぅのも出ないな」

 普通に考えてそうなんだよな。一年の時点でギリギリの低空飛行を続けてる奴が二年に上がって同じ高さで飛行できるかと言われて「はい、できます」と宣言できるだけの自信はない。低空すぎて建物にでも激突しそうだ。

 日下はアドバンス(特進)クラスなので成績が良く、スタンダードクラスの内容ならば余裕で押さえている。

「――なら」

 彼女は何かひらめいたようで、手をポンと叩いて顔をこちらに向けてきた。

 パッと見の表情は変わらないが、心なしか喜怒哀楽の楽の表情を浮かべている気がする。

「私が寒川君の勉強を見てあげる。今から成績を上げてこー」

「…………えぇ?」

 勉強? 俺が、日下に教えてもらうの?

 あまりに突然な提案に、

「い、いや、別に――」

 そこまでしてもらう必要は――と言いかけて、やめた。

 俺の学力はそこまでしてもらいたい必要があるレベルの悲惨さなんだよなぁ……。

 一学期の段階で主要科目の授業にはついていけてない。通用しているのは保健体育や音楽などの学問というよりは芸術要素が強い科目だけだ。

 日下のような成績優秀者が教えてくれるなら大変ありがたい。

「分かった。予定が合う時でいいからお願いしたい」

「お安いご用だよー」

 日下は両手で拳を作って頷いた。声には弾みがある。

「わざわざ悪いな」

 俺のためにそこまでしてくれるとは。至れり尽くせりだな。

「どうしてそんな親切にしてくれるんだ?」

「約束したからねー。私は、寒川君に必ず恩を返すんだって」

 日下は穏やかな笑みを向けてきた。

「あの時助けてくれて、手を差し伸べてもらえることの温かさを私に教えてくれた寒川君の力になりたいってずっと思ってたの。だから私としては願ってもないチャンスだと思ったんだー」

 一切のよどみがない澄んだ表情で語った。けがれのない美しい微笑に不覚にも心臓が高鳴った。

「……それと――」

 日下は一転、大変言いづらそうに苦い顔を浮かべて、

「【学生広場】、だっけ? SNSもほどほどにしておきなよー」

 SNSにのめり込まないよう忠告してきた。

「そうしたいけど俺の生活の一部になってるんだわ。一番の趣味だし」

「私と勉強してる時間は【学生広場】はやれないからねー。少しずつ減らしていこうね」

「あ、あぁ」

 勉強の話になる前もそうだったけど、なぜ日下は頑なに俺を【学生広場】から引き離そうとするのか。

「私の偉そうな指摘は以上だよー」

 そこで話題を切り上げられたため、俺の疑問もどこかへとすっ飛んだ。

「ねぇ、昨日の『爆笑サバイバル』観た?」

「あぁ、観た観た」

 その後は取り留めもない会話をつむいで学校へと辿り着いたのだった。

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