毅然とした態度、不穏な企み
数日後。
ユスポフ子爵邸に、マトフェイがやって来た。
「マトフェイ、今日はどうした?」
アルセニーはどこか穏やかな表情である。
自身がユスポフ公爵家から追い出され、社交界からも追放される原因となったマトフェイ。そんな彼を相手にしても、今のアルセニーの気持ちは凪のように穏やかであった。
その理由はタチアナが自身を虐げていた家族(と言っても
一方、マトフェイは焦燥感に溢れながらも、悔しそうに、忌々しげにアルセニーを見るだけで中々話を切り出さない。
「まあとりあえず、紅茶でも飲んだらどうだ? 喉も渇いているだろう?」
アルセニーはマトフェイに、先程パーヴェルが入れて運んで来た紅茶を勧める。
マトフェイはアルセニーの言う通りにするのは癪らしいが、喉が渇いていたのは確かなので紅茶を一口飲む。
するとマトフェイは、驚愕してアクアマリンの目を見開いた。
「この紅茶……!」
「ああ、ロマノフ家御用達の最高級のものだ。来客時くらいは一級品を出そうと思ってな」
落ち着いており、余裕のある態度のアルセニーだ。
「随分と金銭的な余裕が出来たのですね。それでしたら……僕に貸してくれても良いのでは?」
恨めしげな表情のマトフェイ。
(やはりそう来たか……)
アルセニーは軽くため息をつく。そして、真っ直ぐ凛とした態度でこう答える。
「それは出来ない」
すると、マトフェイはその答えにアクアマリンの目を大きく見開く。予想外の答えだったらしい。
「
「ユスポフ公爵領のことは調べておいた。猛吹雪による被害は、ユスポフ公爵家の家宝を売ればまだ何とかなるだろう。この件については、私は手を貸さない」
毅然とした態度のアルセニーだった。
皇帝エフゲニーが怪我を負った製糸場の天井崩壊の件は、マトフェイが仕組んだことだと分かってはいる。しかし、その罪を暴くつもりはないアルセニー。ただ、今まで通りマトフェイに従うつもりはなくなったのである。
「……分かりましたよ、兄上。今日のところは一旦帰ります」
何を言っても無駄だと分かったマトフェイは、忌々しげにアルセニーを睨み、ユスポフ子爵邸を立ち去った。
「これで何とか持ち直してくれたら良いが」
アルセニーはポツリと呟いた。
そこへタチアナがやって来る。
「アルーシャ様、ユスポフ公爵閣下がいらしていたようですが、どうかなさったのでございますか?」
タチアナはきょとんとした様子だ。
「ああ……」
アルセニーは少し複雑な表情でため息をつき、黙り込む。
「アルーシャ様、無理にお話しして欲しいとは思いませんが、話せば少しは楽になれるかと存じます」
タチアナは包み込むような柔らかい笑みである。
「ターニャ……」
アルセニーはその笑みに安心感を覚えた。
「実は……」
アルセニーはユスポフ公爵領が猛吹雪による大ダメージをうけ、公爵家が借金を抱えたこと、そして皇帝アルセニーが怪我を負いアルセニーが公爵家を追い出されたのはマトフェイが仕組んだことなど、全てをタチアナに話した。
「左様でございましたか。アルーシャ様、大変でございましたね」
タチアナはそっとアルセニーを抱き締める。
「ああ……確かに、大変だったな」
アルセニーは懐かしむように微笑み、タチアナを抱き返す。
「だが、マトフェイの罪を暴くつもりはないんだ。今のターニャとの生活が気に入っているし。ただ、援助はしないことにした。少しばかり不安ではあるがな」
アルセニーはフッと笑う。
「きっと間違っていない選択だと存じますわ」
タチアナはふふっと柔らかく微笑んだ。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
(
マトフェイは馬車の中でキリキリと葉を食いしばっている。
(何故ユスポフ公爵家から追い出された兄上があんな風に堂々としているんだ……!? そもそも、ユスポフ公爵家の長男に生まれたというだけで周囲から期待され、何でも持つことが許されるなんておかしいじゃないか!? だから追い出してやったのに!)
拳を握り締めるマトフェイ。
(こんなはずではなかった……! いや……兄上が僕よりも成功している方がおかしいんだ……! いつからこうなった……!? どこからおかしくなった……!?)
マトフェイは必死に考える。
そしてある結論に至る。
(タチアナ・ミローノヴナ……自殺未遂をしたキセリョフ伯爵家の令嬢……。キセリョフ伯爵家から買い取る形で兄上と無理矢理結婚させた……。そこからだ。兄上が色々と成功し始めたのは)
マトフェイはニヤリと口角を上げる。
(タチアナ・ミローノヴナさえいなくなれば兄上は……!)
数日後。
マトフェイはとある場所に来ていた。
「これはこれは、ユスポフ公爵閣下。本日はどのようなご用件でしょうか?」
マトフェイにそう問う男は、かなりやつれた様子である。
「ええ、キセリョフ伯爵閣下達に協力して欲しいことがありましてね」
ニヤリと笑うマトフェイ。
マトフェイが訪れたのは、キセリョフ伯爵家の
タチアナが自殺未遂をして以降、白い目で見られ続けているキセリョフ伯爵家。
「僕の兄と結婚させた……タチアナ・ミローノヴナについて」
「タチアナ・ミローノヴナですって!?」
マトフェイがそう言うと、スヴェトラーナが忌々しげに声を上げる。
「スヴェトラーナ・ジノーヴィエヴナ嬢、何やらご立腹の様子ですね」
マトフェイはアクアマリンの目を丸くする。
「この前タチアナ・ミローノヴナに会いましたわ! あの女は私達をこんな目に遭わせておいて、のうのうと幸せそうにしていましたのよ! それに、あの女からこんなことを言われましたのよ!」
スヴェトラーナはタチアナから言われたことをジノーヴィー達に伝える。
「まあ……! タチアナ・ミローノヴナは何てことを……! それがアドバイスのつもりかしら!?」
スヴェトラーナの母で、現キセリョフ伯爵夫人オクサナが拳を強く握り締め、わなわなと震える。
「タチアナ・ミローノヴナ……忌々しいあの娘はどこまで我々を貶めれば気が済むんだ……!?」
ジノーヴィーも怒りで震えていた。
「皆さんはタチアナ・ミローノヴナに恨みがあるようですね。僕は兄上に恨みがあるのですよ。同じ目的の者同士、協力しませんか?」
マトフェイはニヤリと何かを企む笑みであった。
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