仲睦まじい夫婦

 アルセニーとタチアナは有力貴族達の夜会に招かれるようになっていた。

「ターニャ、行こうか」

「はい、アルーシャ様」

 アルセニーはタチアナをエスコートし、夜会の会場に入る。


「あら、ご覧になってユスポフ子爵夫妻よ」

「商売の才能があるアルセニー・クジーミチ殿と夫人で有機化学などの知見があるタチアナ・ミローノヴナ様か」

「お二人共、仲睦まじくて羨ましいわね」


 アルセニーとタチアナを褒める声が聞こえる。しかし一方で、彼らの醜聞を話す者もいる。


「まあ、皇帝陛下に怪我を負わせてユスポフ侯爵家を追放されたアルセニー・クジーミチ様。そして自殺未遂をなさった背教者でキセリョフ伯爵家から見捨てられたタチアナ・ミローノヴナ様よ」

「あれほどの醜聞があるのによく夜会に顔を出せたものだ」


 ヒソヒソと陰口を叩く者達。

 名誉回復したとは言え、社交界では二人の醜聞を知っている者の方が多い。

 しかし、そのことを言う者は少数派である。

 大半の者達は、アルセニーとタチアナの功績をきちんと認めているのだ。


 また、アルセニーもタチアナも、過去の醜聞を噂する者達を全く気にしていない。


「ユスポフ子爵閣下、クラスノフ侯爵家三男のレオンチー・ウラジーミロヴィチ・クラスノフと申します。閣下には是非商売のコツを教えていただきたいのです」


「ルーミャンツェフ伯爵家四男のバルトロメイ・アルトゥーロヴィチ・ルーミャンツェフです。僕もユスポフ子爵閣下に商売について色々と教えていただきたく存じます」


「ユスポフ子爵夫人、わたくしはナリシュキン伯爵家次女、ドミニーカ・ダヴィートヴナ・ナリシュキナと申します。子爵夫人から是非とも有機化学関連の知見を教えていただきたく存じます」


「お初にお目にかかります、ユスポフ子爵夫人。クラスノフ侯爵家長女、ガリーナ・イシドーロヴナ・クラスノヴァでございます。植物からの薬用成分抽出についてお聞きしたいことがございます。今お時間よろしいでしょうか?」


 どこの夜会に参加しても、アルセニーは家督を継がずこれから事業を起こそうとしている貴族の三男や四男から商売のことを聞かれた。また、タチアナも有機化学など理系の学問に興味のある令嬢達から夜会やお茶会で色々と学問的なことを聞かれるのであった。


 そしてアルセニーは奇妙なことに気が付いた。

 夜会などで弟でありユスポフ公爵家を継いだマトフェイに全く会うことがないのである。

 不思議に思うアルセニーだが、その疑問はすぐに晴れることになる。


 夏が近付いて来たある日のこと。

 この日は宮殿でこの国の皇太子であるアレクセイ・エフゲニエヴィチ・ロマノフの生誕祭が開催される。

 七歳になる皇太子アレクセイは社交界デビューはしていないので、誕生日の主役である本人は不在だが、宮殿で盛大なパーティーがあるのだ。

 そしてこの生誕祭は社交界から追放されていない限り、アシルス帝国全ての貴族が参加する。

 この日もアルセニーとタチアナはユスポフ商会の商品を取り扱いたい貴族達や、商売を学びたい令息達、また、理系の学問に興味がある令嬢達に囲まれていた。

 そんな中、アルセニーはマトフェイを見つけた。彼は妻のクレメンチーナをエスコートしている。クレメンチーナはダークブロンドの髪にアンバーの目の女性である。

 マトフェイはアクアマリンの目を忌々しげにアルセニーに向けてやって来る。

(マトフェイ……? 確かに昔から私に敵意を露わにしていたが……あんな目を向けられたのは初めてだ。一体どうしたんだ?)

 アルセニーは少し怪訝そうな表情だ。

 すると、他のアルセニーの側にいた他の貴族の男性がニヤニヤと嫌な感じの笑みでマトフェイに話しかける。

「おやおや、ユスポフ公爵閣下ではありませんか。その服装、少し流行遅れではありませんか?」

 その言葉にマトフェイは表情を歪める。

「あら? ユスポフ公爵夫人、お疲れが溜まっているようにお見えですが、大丈夫でございますか?」

 別の貴族の女性はクレメンチーナを心配する。こちらは蔑んだ様子ではなく、本当に心配している様子である。

 するとクレメンチーナは困ったように微笑むだけだ。彼女のドレスも少し流行遅れのものであった。

「ユスポフ公爵閣下、領地経営に失敗なさって大変だそうですね。もしかして、兄君であられるユスポフ子爵閣下にお金でも借りにいらしたのですか?」

 ニヤニヤと嘲笑うような笑みの男性。

 するとマトフェイはアクアマリンの目を吊り上げる。

「誰がそんなことをするか。公爵領の経営は失敗したわけではない」

 忌々しげな表情のマトフェイ。そしてアルセニーに蔑んだ表情を向ける。

「兄上も良かったですね。取るに足らない商会を立ち上げて皇帝陛下から勲章を貰ったのですから。まあ兄上はせいぜいユスポフ子爵家没落させないよう努力することですね」

 マトフェイはそう吐き捨て、その場を去ろうとする。

「ユスポフ子爵閣下、ユスポフ子爵夫人、皆様……夫が申し訳ございません」

 マトフェイの妻クレメンチーナは申し訳なさそうな表情である。

「クレーマ、そんな奴ら謝る価値はないぞ」

 マトフェイはそう言いクレメンチーナを連れて行った。クレメンチーナへは、どこか優しげな声である。

「ターニャ、大丈夫かい? 弟が不快な思いをさせて申し訳ない」

 マトフェイが去った後、アルセニーはタチアナに心配そうな表情を向ける。

 するとタチアナは柔らかく微笑む。

「大丈夫でございますわ。それよりも、アルーシャ様を悪く言われた方が頭に来ますわ。ですが、ユスポフ公爵夫人は大丈夫でしょうか? 何と言いましょうか……ユスポフ公爵閣下のせいで苦労をなされているように見えましたわ」

 タチアナはチラリとクレメンチーナの後ろ姿を見て、心配そうな表情になる。

 すると一人の貴族が口を開く。

「ユスポフ子爵閣下もユスポフ公爵夫人のことが心配ですか? やはりのことは気になりますよね」

 するとタチアナはその言葉に反応する。

「元婚約者……?」

「ああ、ユスポフ子爵夫人はまだご存知なかったのですね。かつてクレメンチーナ様はユスポフ子爵閣下の婚約者だったのですよ。その……皇帝陛下の事件以降は子爵閣下とは婚約解消して、今のユスポフ公爵閣下の婚約者となりましたが」

 その言葉を聞き、タチアナは少し不安そうにアルセニーを見る。

 アルセニーは何となくタチアナが言いたいことが分かった。

「ターニャ、彼女とは政略結婚の予定だったから、女性として愛しているわけではなかったよ。これから公爵家を盛り立てるビジネスパートナーのような関係だった。私が妻として愛するのは、ターニャだけだ」

 アルセニーはマラカイトの目を愛おしそうにタチアナに向ける。

「左様でございますか……」

 タチアナは頬をほんのり赤く染め、ホッとしたように微笑んだ。

「いやあ、ユスポフ子爵夫妻、お二人の仲が非常によろしくて羨ましい限りですな。是非とも夫婦円満の秘訣を教えていただきたい」

 ハハッと笑う周囲の貴族達。

 アルセニーとタチアナは幸せそうに頬を赤く染めていた。

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