キミも勇者にならないか? あるトイプードル(雌)の物語

@pandaya77

第1話 ガル子、勇者になる

 王への謁見の間。

 中央に敷かれた深紅のカーペットを挟み、百名以上の従者が一糸も乱れず向かい合って並んでいた。その先の壇上には色鮮やかな宝石の付いた冠を被った王が着座していた。その椅子は王の体躯には不相応なほど巨大であった。

「ガル子よ」

 そう呼ばれた栗毛のトイプードルはお座りの姿勢を保ったまま、王の方を向いた。

 黒い瞳、濡れた鼻、細長い口、垂れ下がった耳、全身を覆うモフモフの栗色の毛、地に立つ四肢、そして尻には短い尾。首には毛と同色の栗色の首輪が付けられていた。

 王が右手を掲げるとまばゆい光がガル子を包んだ。地面から光が溢れ、共に湧き出る風に栗色の毛並みが靡く。

 っていうかこの光、目が痛いんですけど。眩し過ぎない?

「これでおまえは勇者となった。天よりおまえを見ているぞ。おまえにいつもイヌ神の加護があらんことを」

 椅子の上に立ち王様は声を張り上げた。天井の高い謁見の大広間に響き渡った。その頭上にはイヌの頭だけの巨大な像が壁に掛けられていた。その視点はどこを見ているのか分からない。ガル子を見下ろしているようにも見える。

 キモ・・・。

「さあさあ、装備を整えるがよい」

 王様の声を合図に従者たちがガル子を取り囲んだ。胴体、脚、頭に、鎧を着せられる。あっという間に全身を金属の塊に覆われた。

「勇者ガル子よ、さあ旅立つのじゃ」

 そんなこと言われても・・・重い。

 歩こうとしてもガチャガチャいうばかりで全く動けない。しかも前が見えないし。どう見たってサイズが合っていないでしょ。私、いつもSサイズなんですけど・・・。

「ガル子よ、どうした?そうか武器が無いではないか」

 王様が合図すると、今度は従者たちが剣、鎗、斧、弓、様々な武器を持ち寄った。

「さて、勇者に相応しい武器はどれかな?鎗か斧か弓か、それとも全部か」

 それって人間の武器じゃない。そんなのムリでしょ。そんなの持って戦えるはずない。

「さあさあ遠慮するな、この剣を持っていくのじゃ」

 その姿は見えなくても声の大きさで王様が近づいてくるのが分かった。脂ギッシュな王様の荒い息遣いが金属一枚隔てた目前まで迫る。


 栗毛のトイプードルは夢から覚めた。暑くもないのにハアハアと呼吸が乱れていた。

 夢の内容は思い出せないが、思い出さない方がいい気がする。ブルブルと頭を振るわせて毛並みを整えた。

「くぁぁーーー」

 ガル子は本日4、5回目となるあくびを連発した。

 最近、いくら寝ても寝足りない。成長期なのかな・・・、私。

 ここは家の近所の原っぱ。見渡す限り背の高い雑草に覆われていて人間も足を踏み入れない。昼寝するには持ってこいの場所だった。

 寝ている間に太陽の位置が変わってしまっていた。日当たりが悪い場所だと小さな虫がいて体が痒くなってしまう。ガル子は手ごろな陽だまりを見つけて寝そべって再び目を閉じた。

 ・・・またか。

 先ほどから徐々に近づいてくる匂いがあった。ガル子は気付かないふりをした。

「ガル子、好きだーーー♡」

 背後から襲い掛かるそれをガル子はひらりとかわした。ガル子は相手の喉元にがっちりと噛み付いた。それであっさりと勝敗は決した。

 藤色のチェック柄のシャツを着た銀毛のトイプードルの頭はモヒカンに整髪され、体の毛は短く整えられていた。足だけはブーツを履いたように毛が刈り残されている。

「いやだなー、ガル子。ちょっとした冗談だよ。本当に痛いから、やめようよ」

 腹を見せて降参のポーズを取る。ここまでしたら止めるのがイヌ同士の暗黙のルールだった。

「正太郎、今日という今日は息の根を止めてやる!」

 一週間前にも正太郎に背後から忍び寄られ、胸や尻をベタベタと触られた。犬の世界にも節度がある。誰が何と言おうと過剰なスキンシップ、セクハラだ。その時も散々噛み付いてやったというのに。

 ガル子の歯牙が正太郎の首の肉に食い込んでいく。

「いっ、痛いっ、ごめん、許して」

 正太郎は涙ながらに訴える。

「いや絶対許さない!!」

 ガル子は噛む力を強めようとしたその時、突然ガル子の目の前から正太郎の体が消えた。

 2メートルほど離れた場所で、正太郎はそれに咥えられていた。

 黄金色の長い毛並みに、長い尻尾のゴールデンレトリバー。垂れ下がった耳に、長い端正な顎と鼻。大きな黒い瞳。ガル子や正太郎よりも一回り以上体が大きかった。

「ココ、そんなやつ助けるのに無駄なチカラを使わなくてもいいよ」

「あなたは命の恩人だ。ココさん、一生ついていくっス」

 ココは正太郎を地面に降ろした。

 それにしてもあんなに喉元にしっかり噛みついていたというのに・・・。

「はいはい。二人とも呑気にじゃれ合ってる場合じゃないよ。さあ二人とも勇者の時間だ」

 ココの毛は陽の光よりも黄金色に明るく発光した。


 夕暮れが近付き影が長く伸びる。

「じゃあな、また明日な」

 胸に今巷で流行のネコのキャラクターがプリントされたTシャツを着た男の子が手を振った。今まで共に遊んでいた友達と別れ、駆け足で家路を急ぐ。辺りは気温が下がり始めていた。

 ザワザワと周りの木々が揺れていた。何の生き物かわからない声がどこからか聞こえてくる。男の子以外に人気はない。あちこちで影が揺れていた。

 その中に不自然に動く影があった。音も無く男の子の後を追い、徐々に近づいている。あと少しで男の子の影に重なりそうであった。

 その影を踏みつけたのは、黄金色のゴールデンレトリバーだった。影はそこから動けなくなった。

「ぼくのは特別だから」

 ココの言う特別は影に対して効果がある。前足の肉球からその特別を流し込んだ。

 その間に男の子は角を曲がってその場から見えなくなった。

 平たい影から黒い何かが這い出てきて、咄嗟にココは後方に身を引いた。黒い何かは大型犬のココよりも数倍以上体が大きかった。

 黒い影からココに向かって触手のようなものが勢いよく伸びて、襲い掛かってくる。ココは後退りしてそれを躱す。影は更に加速して伸び、ココを追撃した。

 ココは地を蹴って、後方に空中でクルクルと2回転してそれを躱した。

「何あれ?気持ち悪ぅ・・・」

 後から追いついてきた銀毛のトイプードルが顔をしかめる。

「…邪魔す…ない。…を…れたん…だよ。お…ろ」

 それは四本足で立ち、体が朽ちかけているかのようにその身から黒い影がボタボタとはがれ落ち、その身を保てていなかった。

 影はこちらに向けて咆哮を上げ、威嚇してくる。イヌの声とは思えないほど高く、耳が痛くなる。

「まだ言葉を発してる。まだなりたてのフールみたいだね。とはいえ、危ないから気を付け・・・」

 ココの言葉を待たず、栗毛のトイプードルは駆け出していた。

 瞬時に狙った場所の空気を固めて足場を作って空中を駆ける。一気に距離を詰め、触手を掻い潜ってその首元に嚙みついた。噛みついた先から体がボロボロと剥がれ落ちる。

 それに巻き込まれないようにガル子は一旦距離を取った。

「ガル子、大丈夫か?」と正太郎が駆け寄る。

 ガル子はプッと口の中にあった生温いものを吐き出した。

「マズっ」

 ココはその場に崩れ落ちそうになった。

「な、なんて無茶を・・・」

 身体に触れるだけで皮膚がただれてしまうフールも存在する。ココは半分呆れた。だが残りの半分は相手に立ち向かうガル子の闘争本能に感心もした。

「正太郎。あんた、あのビリビリするやつで突っ込みなさいよ」

「それだったらガル子だって似たようなバリア出せるじゃん」

「いやよ、アレやると疲れるから」

 言い争っているうちに影から触手が伸び、二匹に向かってくる。一瞬で離れていた距離を詰められた。向かってくる触手を跳んで躱す。直線上に伸びた触手はアスファルトを簡単に貫いた。

 更にその地中から方向を変えて追いかけてくる。二匹は空中で身を翻して躱す。触手が正太郎の尻尾の毛をわずかに掠めた。

「はいはい、そこ。今、ケンカしてる場合じゃないからね」

 ココは二匹の間に割った。

 駆けながらココの体は青色に薄く輝く。深く息を吸い込んだ口の中に火花が散った。

『青白き炎(インブレス)』

 ココは口から青い炎を吐き出した。それは闇を振り払うかのように辺りを明るく切り裂いた。

 それをまともに浴び、影は苦し気な声を絞り出した。影の伸ばす触手は残らずココの炎に焼け落ちた。徐々に体は炎に焼けて小さくなっていく。

 ココは、自分より小さくなった影に歩み寄り、

「大丈夫。何も怖くない。誰もあなたを捨てたりしない。もう心配ないよ」

「・・・ウソだ」

 影はココに噛みついた。それを見たガル子が近づこうとしたのを、ココは近づくなと黙って制した。

「ウソじゃない。約束する。だからもう安心して」

「・・・あの家に・・・帰りたかっただけ・・・」

 影は剝がれるように徐々にその姿が消えていく。一瞬だけ元の犬、ブルドッグの姿を取り戻した。そして青い炎の中に消えた。

「ココってウソつきだよね」

 ガル子は消えた地面に残る影の跡を見ていた。

「いいんだよ、誰にも迷惑かけずに、誰かが救われるウソなら」

 ココは前足でガル子の頭をポンと叩いた。


 表札には「○▽」とあった。イヌには人間の文字は読めない。

 辺りはすっかり日が落ちているというのに表の灯りが付いていない。空き家と見間違うようほど外から見ると真っ暗だった。

 栗毛のトイプードルは音を立てないように裏口へと回る。庭は雑草が伸び放題だった。庭の片隅には赤色の車が放置されており草に埋もれていた。裏口にはカギがかかっておらず、いつも開いていた。そこからガル子は自由に出入りが出来た。

 家の中は暗くしんとしていた。換気が悪く、湿った匂いが鼻をつく。

「おばあちゃん、ただいま」

 ガル子はベッドに横になったままの飼い主にすり寄っていく。飼い主はガル子に気づき、体を起こしてガル子の頭を撫でた。

「〇×▽□ 」

 飼い主が何か言葉を発した。ただそれが自分の名前を呼んでいる言葉であることだけはわかる。

「今日はホント疲れた。ココに連れられてまたフール退治だよ。黒い体が溶けててゾンビみたいなやつだった」

 イヌには人間の言葉を発音することもできない。

「▽□〇〇×▲」

「それにしても正太郎のやつ。またセクハラしやがって、今度やったらぶっ殺してやるー」

 互いに一方通行なコミュニケーション。それでもいい。

 ガル子の体を飼い主が撫でた。人の手は不思議だ。イヌの手とはまるで違う。イヌの手ではこうはいかない。あんなに器用には動かない。それに大きくて暖かい。飼い主から体を撫でられていると、気持ちよくて段々と眠くなる。

 飼い主の手に抱かれてガル子は目を閉じた。


 ***

 その日、栗毛のトイプードルが街行く人に向かって吠え続けていた。

 夜の帳が降りて空からは冷たい雨が降っていた。ガル子の体も毛から雫が滴り落ちるほどずぶ濡れになっていた。

「誰か助けて」

 人間にはイヌの言葉は分からない。人々はガル子の目の前を足早に素通りしていく。

「飼い主が大変なんです。どうか助けてください」

 いくら叫んでも誰も立ち止まってもくれない。

 非力なお年寄りや女性より力がありそうな若い男の方がいいだろう。ちょうど腕っぷしが強そうな若い男が通りかかった。

「お願いします。私と一緒に来てください」

 ガル子は男の歩みを止めようと腕っぷしが強そうな男の足に体を寄せる。

「□△▼×●◆」

 いきなり男の蹴りが飛んできた。ガル子の横っ腹を捉える。ガル子は吹っ飛ばされて顔から水たまりに突っ込んだ。

 腹部を蹴られた痛みで呼吸がうまく出来ない。泥の味が口いっぱいに広がった。

「□×〇▲◆〇××」

 腕っぷしが強そうな男は舌打ちして去っていった。

 どうして、ただ助けて欲しいだけなのに・・・。

「誰か、助けて。お願いだから」

 ガル子には立ち上がり、再び叫ぶことしかできなかった。人々は相変わらず目の前を通り過ぎていくだけ。誰の耳にも届かない。目線さえも合わせてくれない。

 人間と犬の壁・・・。

 その時、ガル子の目の前に一人の男が立ち止まった。それは人間にしては背の高い細目の若い男だった。

「君ねぇ、人間を見る目が無さすぎだよ。もっと優しそうな人間に声をかけなよ。さっきの男は服が汚れるって怒ってたし。君の言葉は全く伝わってないから」

 背の高い細目の男の発した言葉がハッキリと分かった。

「私の言葉がわかるの?」

「ああ、わかるよ。僕はちょっと特別みたいなんだ。どうしたんだい?」

 男は細長の目を更に細くさせた。

「飼い主を助けて。私にできることなら何でもするから」

 ガル子は男に手短に説明した。

 飼い主は夕食の後、急に苦しみ出し飼い主は横になったまま動かなくなってしまったこと。助けを求めて家を飛び出したこと。それなのに誰も助けてくれないこと。

「君の家はどこ?」

「あっち。案内するからついて来て」

 ガル子は男を家まで案内した。そのまま裏口から男を招き入れた。

 男は飼い主の様子を見て懐から何かを取り出し、その何かに向かって話しかける。後から離れていても会話ができる電話(デンワ)というものだと教わった。

 しばらくして私の飼い主は赤い光を放つ白い車に乗せられて病院(ビョウイン)というところへ連れていかれた。

 男が言うには命に別状はないらしい。

「本当にどうもありがとうございました。じゃあ私はこれで・・・」

 頭を下げてガル子がその場から去ろうとすると、

「ちょっと待て」

 男がガル子の尻尾をぎゅっと掴む。その不意打ちに「きゃーー」と素っ頓狂な声が出た。

「私、尻尾は・・・、そこだけは・・・」

「さっき助けてくれたら何でもするって言ってよね。いやーちょうど良かった。人手不足、ん?犬だから、犬手不足。手じゃなくて足か。犬足不足・・・。うーん、まーどうでもいいや。とにかく困ってたんだよ」

 男はガル子を抱きかかえ、細い目を更に細める。

「ちょ、ちょっと、待って。私、知らない人に体を触られるのはあんまり好きじゃないんですけど・・・。私は何をすればいいんでしょう?」

「君、ユウシャになってよ」

 従者?痛車?牛舎?

 男の口から出た言葉はガル子には「ユウシャ」と聞こえた。

「あれ?もしかしてユウシャ知らない?勇ましい者と書いて勇者。悪いやつと闘うやつ。『モンスタークエスト』とか知らない?そりゃイヌだから知らないか」

 男はガル子の頭を撫でながら話を続ける。それは飼い主よりも大きな人間の男の手だった。

「簡単に言えば、君は悪いやつをやっつけてくれればいい。そのためのチカラはボクが与えてあげる」

 男の手から出た光が体に移って、ガル子は光に包まれていた。

「何これ?」

「みんなは『ケモノノチカラ』って呼んでる。略して『ケモ力(ケモリョク)』。念のため一応言っとくけど、そんな恥ずかしい名前、僕が名付けたんじゃないからね」

「ちょっと待って。私、まだやるって言ってない」

「僕はきっかけを与えるだけだから。別にイヤなら使わなきゃいい」

 背の高い細目の男はガル子を地面に降ろした。男の手が体から離れると、ガル子を包んでいた光が消えた。

「どんなに速い車でも乗らなきゃただの鉄の塊だし、乗ったってちゃんと運転して正しいルートを進まなきゃ目的地に着けないんだから、あとは君次第だよ」

 男はドヤ顔をしていたが、ガル子にはいまいちピンと来なかった。

「まあ、君が求めればそのチカラは君を助けてくれる。少なくとも今回みたいなことは無くなるんじゃない」

 ガル子は背筋がゾクリとした。

「あなたの名前は?」

「人間の名前もあるけど、君たちはイヌからは『イヌ神』と呼ばれているね。これも念のため一応言っとくけど、僕が自分が名付けたんじゃないよ」

「イヌ神?あなた、神様なの?」

 男は一瞬困った顔をした。

「君たちに勝手にそう呼ばれてるだけ。僕自身は何でもできるわけじゃないし。普通に人間として生活しているし。犬の言葉がわかって、犬にチカラをあげられるだけのただの人間さ」

 背の高い細目の男は笑みを浮かべ、ガル子の頭を撫でた。


 それから一週間もしないうちに飼い主が家に帰ってきた。

 しかしいつもの日常は戻らなかった。飼い主の散歩に連れて行ってくれる回数が、2日に1回になり3日に1回になり、徐々に減っていった。歩く距離も減った。それだけではなくエサもトイレの掃除も時々、忘れられる。

 飼い主は一日のほとんどを布団の上で過ごすようになった。

「〇×▽□ 」

 ガル子は名前を呼ばれて飼い主の膝に跳び乗った。

 飼い主がその頭を撫でる。この人の手が一番落ち着く。やっぱりこの手が一番好きだ。

 私は飼い主が倒れた時、何も出来なかった。今のままじゃ飼い主を助けてあげられない。

 この小さな体、短い脚、今のままじゃ何もできない。

 ダメだ。変わらなくちゃ。そのためなら・・・。私は勇者にだって、何にだって、なってやる。

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