第2話

「なんだよ、そのラブレター」と後ろの席の雄太が冷やかしの目で僕の肩を押した。

「なんだよって、なんだよ。ラブレターって自分で言ってんじゃん」平静を装って答えるが、無意識に鼻の穴が膨らんでいないか、気が気ではなかった。女子に好意を寄せられるなど、滅多に起こることではない。嬉しいに決まっている。


 今、僕の手に収まっている薄ピンクの封筒は、今朝僕の下駄箱に収まっていた物だ。ラブレターは下駄箱に。太古からそう決まっている通り、僕宛てのラブレターも例に漏れず下駄箱で僕を待ち受けていた。


「誰から?」と雄太が訊ねる。僕はもう一度、差出人欄に視線を落としてから、それを雄太に突きつけるように見せた。

「毛虫さんからの告白?」雄太の片眉が怪訝そうに上がった。

 差出人の名前を読み取ることはできなかった。名前が書かれていたであろう箇所が黒く乱雑に塗りつぶされていたのだ。その誤記を抹消する「ぐちゃぐちゃ」の上には、目玉が2つくっついており、毛虫の形を模していた。 毛虫には吹き出しが並び「秘密」と毛虫が喋っている。差出人は秘密、とそういうことなのだろうか。

不意に雄太の隣の席――僕の斜め後ろから声が上がった。さおりだ。「とりあえず中身読んでみたら?」とさおりが僕の顔を覗き込むと、短めの茶髪がぶらりと宙に垂れ下がった。促されるまま、僕は封筒を丁寧に開けて、中身を読んだ。


「どう? 愛してるって書いてあった? ちゅーさせて、とかは?」

「ちょっと雄太は黙って。誠一、雄太の言うことは気にしなくていいよ」


 騒がしい2人を無視して無言でラブレターに目を走らす。すべてを読み終えて、僕はがっくりと肩を落とした。名前は結局書いていなかったのだ。1年生の時から好きだったことと、ただ勝手に想っているだけなので返事はいらないということ。書いてあったのは要約すればその2点だ。そのことを2人に伝えると、雄太はあからさまに興味を無くしていた。


「返事がいらないなら、ラブレターなんて出さなきゃよかろうに」

「分かってないな。叶わぬ恋でも想いを伝えたいって思うのが恋する乙女なの」何故かさおりが名無しさんの弁護を買って出た。

「でも残念だったな」と雄太が嬉しそうに笑う。「誠一の春は去った」

「うるさいな。別に、なんとも思ってないから」もちろん嘘だった。今すぐ地に膝をついて、握りこぶしを打ち付けたい程の思いだった。自分がポーカーフェイスの巧みな人間で本当によかった。

「誠一、鼻がぴくぴくしてるよ」とさおりに指摘され、僕は両手で鼻を隠した。


 これが第一のラブレターだ。第一があるということは第二もある。次にラブレターが投下されたのは、2週間ほど経った頃だった。

 登校して、下駄箱を開けてぎょっとした。お馴染みの薄ピンクの封筒が上履きの上に丁寧に置かれていた。封筒を取り出して差出人を確認する。


「また毛虫……」


 今度の毛虫は吹き出しに「当ててみて」と書かれていた。少しイラっとした。何にせよ、こんな生徒の往来の激しい場所でラブレターを熟読するわけにはいかない。僕は足早に教室に向かった。


 教室の自席に付くと、斜め後ろから「何。またラブレター?」とさおりが興味を示した。雄太はまだ登校していない。

「うん。そうみたい」得意げな顔にならないように、と気をつけるが、得意げな顔になっているような気もしてきて、さおりに目を合わせられなかった。

「読んだ?」


 僕はかぶりを振ってから封筒を開けて手紙を読んだ。やっぱり名前は書いてない。書いてあるのは、どれだけ僕が好きか、ということ。それから、出来れば雑談とか他愛もない話で良いから声を掛けてほしい、という要求だった。ふざけるな、と思った。声を掛けて欲しいのなら名を明かせ。「当ててみて」じゃないんだよ。腹の中でぼやいた。


「結局、誰か分からないんだ?」とさおりが僕の反応を見て苦笑した。

「分からない。分からないのに、声を掛けてほしいと無理難題を投げてきた」

「誰かも分からないのに?」

「誰かも分からないのに」


 ため息をつきながら、ラブレターを引き出しにしまったところで、さおりが「じゃあさ」と声を上げた。「下駄箱で待ち伏せてみる?」

「待ち伏せるったって、いつ? 毎日ラブレターが届くわけじゃないんだから」

「今日が水曜日でしょ? きっと木、金、と誠一が話しかけて来なければ、来週の月曜日には『なんで話しかけてくれないの』って苦情のラブレターが届くんじゃない?」

「苦情のラブレターって初めて聞くワードなんだけど」

「まぁ物は試し。来週の月曜日の朝早くから張り込んで、放課後も張り込む。それでダメなら、また考えようよ」


 正直気乗りはしなかった。そんなピンポイントで引っ掛かるわけがない。だけど、さおりが僕のために考えてくれたことを無碍にはできない。仕方なく、僕は了承した。


「わーい。あんぱんと牛乳買わなきゃ」とはしゃぐさおりを前に僕は、これ本当に僕のために考えてくれたことなのか、と了承したことを若干後悔した。

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