本編

 村には、ヨハンという若い医者がいた。彼は村で唯一の医者であり、村人たちの健康を守る重要な役割を担っていた。ヨハンは医学に対する情熱と探究心を持ち合わせており、常に新しい知識を吸収することに励んでいた。


 ヨハンの外見は、長身で痩せ型、知的な印象を与える眼鏡をかけていた。彼の服装は質素で実用的であり、白衣を身につけていることが多かった。物静かで控えめな性格だが、医療に関する議論になると、その瞳は熱意に満ちて輝いた。


 村人たちは、ヨハンの献身的な姿勢と医療スキルを信頼し、彼を頼りにしていた。しかし、ヨハンが外の世界から得た知識は、時として保守的な村の風習と衝突することもあった。


 そんなヨハンのもとに、かつて都会の医学校時代の友人から一通の手紙が届いた。友人は医学の勉強のため、遠く離れた外国に渡っており、そこで最新の医学知識を学んでいた。


 手紙の中で、友人は「」という恐ろしい病気について詳しく説明していた。この病気は、レンサ球菌という「人食いバクテリア」が引き起こすもので、感染力が非常に強く、治療が難しいことで知られていた。


 ある日、ヨハンは村の子供を診察していた際、その子の症状が手紙で知った「人食いバクテリア(劇症型溶血性レンサ球菌感染症)」の症状と酷似していることに気が付いた。


 高熱、喉の痛み、全身の筋肉痛、そして特徴的な赤い発疹。これらの症状は、まさに「人食いバクテリア」の初期症状だった。


 ヨハンは村で起きている病気が「人食いバクテリア」である可能性が高いことを確信した。


 しかし、村長や村人たちは、目に見えないバクテリアの存在を信じることができず、ヨハンの話を受け入れなかった。


 ヨハンは友人から送られてきた外国の医学書を読み漁り、村で流行している病気の正体がこの「人食いバクテリア」であることを再確認した。


 彼はこの病気の恐ろしさを知り、村人たちを救うために一刻も早く治療法を見つけなければならないと痛感した。


◇◇◇


 村の鍛冶屋であるハンスは、最近村で起きている不可解な病に不安を感じていた。彼の妻も高熱に苦しんでおり、ハンスは一刻も早く病の原因を突き止めたいと思っていた。


 村人たちの間では、この病は悪魔の仕業だという噂が広がっていた。


 しかし、ハンスはヨハンの医学の知識を信じており、彼なら、妻の病気を治療する手がかりを掴んでいるはずだと信じていた。


 深夜、ハンスは村はずれのヨハンの家を訪ねた。ドアをノックすると、疲れた様子のヨハンが現れた。


「ヨハン、この病の正体を知っているんだろう?どうしてその悪魔が我々を襲うのか、教えてくれ。」


 ハンスは必死の面持ちで尋ねた。


 ヨハンは深いため息をつき、答える。


「ハンス、この病は悪魔などではない。目に見えない小さな生き物、バクテリアが原因なんだ。だが、村人たちはそれを理解することができないだろう。」


 ハンスは困惑した表情を浮かべた。彼にとって、目に見えない存在が病の原因だというのは信じがたいことだった。しかし、ヨハンの真剣な眼差しを見て、彼は説明を続けるよう促した。


 ヨハンは疲れた体を引きずるようにして、自宅の奥へとハンスを案内した。そこには、外国から取り寄せた最新の医学書や、ヨハンが試行錯誤の末に作り上げた実験器具が並んでいた。


「ハンス、私はこの村の人々を救うために、昼夜を問わず研究を続けている。きっと治療法を見つけ出すことができるはずだ。」


 そう言って、ヨハンは医学書を開き、ハンスにバクテリアについて説明し始めた。ハンスは言葉の意味は十分に理解できなかったが、ヨハンの探究心と、村人を救おうとする決意を感じ取ることができた。


 ◇◇◇


 一方、村の端には、ハンナという若い女性が住んでいた。彼女は村でも際立った存在で、長い金髪と碧眼が印象的な美しい女性だった。


 ハンナは幼い頃に両親を亡くし、祖母に育てられた。祖母は村の知恵者として知られ、薬草に関する豊富な知識を持っていた。


 ハンナは祖母から薬草の知識を受け継ぎ、病に苦しむ村人たちを助けていた。


 彼女は森に分け入り、季節ごとに必要な薬草を採取し、それらを用いて様々な薬を調合した。多くの村人たちが、医者のいない村でハンナの手当てに助けられていた。


 しかし、ハンナの美しさと特別な能力は、村人たちの嫉妬と疑念を呼び起こすこともあった。彼女が一人で森に入ることや、薬草を扱う姿は、時として魔女を連想させた。


 ある日、村の酪農家の娘が重い病にかかった。医者のヨハンは手を尽くしたが、娘の容体は一向に改善しなかった。絶望した家族は、ハンナに助けを求めた。


 ハンナは薬草を使って特別な薬を調合し、娘に与えた。数日後、奇跡的に娘の容体は回復し、家族は歓喜した。


 しかし、村人たちの中には、ハンナの治療を快く思わない者もいた。

 

 彼らは、陰口を叩いた。


「普通の女には不可能なことを、ハンナにはできる。彼女は魔女に違いない」


 この噂は瞬く間に村中に広がり、ハンナを恐れる者が増えていった。


 村人たちは彼女を恐れると同時に、頼りにもしていたのだ。病に苦しむ時は、こっそりとハンナの元を訪れ、助けを求めた。


 しかし、表向きは彼女を非難し、疎んじるのであった。


 ハンナの家の周りには、様々な薬草が植えられた小さな庭があった。彼女はそこで薬草を育て、必要な時に使えるようにしていた。家の中には、薬草を乾燥させたり、薬を調合したりするための器具が整然と並べられていた。


 ある夜、村の若者が好奇心から、ハンナの家の窓から中をのぞいた。彼は、ハンナが薬草を煮込む大釜の前で、何やら呪文のような言葉を唱えているのを目撃した。


 若者は恐怖に襲われ、村中に

!大釜で毒薬を作っている!」

 と叫び回った。


 この出来事は、村人たちのハンナへの疑いを確信に変えた。


 彼らは、ハンナが魔女であり、不可解な病を引き起こしているのではないかと考え始めた。ハンナの家は村人たちから避けられ、彼女は以前にも増して孤立した存在となった。


 それでもハンナは、村人たちを助けることをやめなかった。


 彼女は、自分の行いに正義があると信じていた。村人たちが彼女を理解してくれる日が来ることを願いながら、ハンナは薬草を調合し続けた。


◇◇◇


 ある夜、村の若い娘エリーザが突然高熱を発し、39度を超える熱に見舞われた。喉の奥は激しく腫れ上がり、飲み込むことさえ困難な状態だった。


 また、全身には耐えがたい筋肉痛が走り、少しの動作も苦痛を伴った。さらに、エリーザの体中には赤く大きな斑点が次々と現れ、一部は水疱となって破裂していた。


 エリーザの家族は、彼女の容体の急変に恐れおののいた。


 一刻も早く手当てを施さなければと焦った家族は、村で最も頼りになる存在である村長のマイヤーの元へと駆け込んだ。


 深夜にもかかわらず、マイヤーの家の扉を激しくたたき、エリーザの症状を説明した。


 村長のマイヤーは事態の深刻さを察し、すぐにエリーザの家へと向かった。


 しかし、エリーザの病状を目の当たりにしたマイヤーも、恐怖に震え上がるのだった。彼は村人たちを集め、この不可解な病について議論を交わした。


 村人たちは口々に、この病は悪魔の仕業に違いないと訴え、恐怖に駆られていた。


「ハンナは魔女だ!悪魔と手を結び、村に恐ろしい病を広めているに違いない!彼女を捕らえ、裁かなければ!」


という声がギュンターから上がった。


 ギュンターは、だった。


 彼は頑固で融通の利かない性格で知られ、村の古い習慣や迷信を絶対的なものと信じていた。彼は村人の前で大げさに身振り手振りを交えながら、ハンナを糾弾した。


「あの女は森に入り、悪魔と密会しておる!彼女が魔女でなくて何者だというのだ!」


 ギュンターの目は怒りに燃え、その声は村中に響き渡った。彼の扇動的な言葉に影響され、村人たちの多くがハンナへの疑念を深めていった。


 彼は、村の長老の一人として一定の信頼を得ていたが、彼の言動は自身の偏見と恐れに根ざしたものだった。


 彼はハンナの知識と能力を脅威に感じ、村の平穏を脅かす存在として彼女を告発したのだった。


 村長のマイヤーは、当初ハンナを信じようとしていたが、ギュンターの強硬な主張と、村人たちの高まる不安に揺さぶられていた。


 彼は、マイヤーに直接訴えかけた。


「村長よ、あなたの役目は村を守ることだ。今こそ、断固たる措置を取るべき時です!ハンナを捕らえ、裁きにかけるのです!」


 ギュンターの言葉は、マイヤーの心に深く突き刺さった。村人たちの期待に応えなければならないというプレッシャーに押し潰されそうになりながら、マイヤーは重い決断を下した。


「ハンナを捕らえよ!彼女を村の広場に連行するのだ!」


 マイヤーの命令が下ると、村人たちは一斉に行動を開始した。


 村人は、ハンナの家へと押し寄せ、彼女を取り囲んだ。


 ハンナは混乱と恐怖に震えながら、村人たちに問いかけた。


「私は何も悪いことはしていません!どうしてこんなことを?」


 しかし、村人たちの目は憎しみと疑念に満ちており、誰もハンナの言葉に耳を貸そうとはしなかった。彼らはハンナを容赦なく家から引きずり出し、彼女の手を縄で縛った。


 ハンナは必死に抵抗したが、村人たちの力には及ばなかった。彼女は村の広場へと連行され、そこで村人たちの前に引き出された。


 村人たちは彼女を取り囲み、罵声を浴びせかけた。


「魔女め!」

「悪魔の手先!」

「罰を受けるがいい!」


 ハンナは無実を訴え続けたが、村人たちの怒りと恐怖に呑まれ、彼女の言葉は虚しく響くばかりだった。


 こうして、ハンナは村人たちに捕らえられ、裁きを受けることとなったのだ。


◇◇◇


 翌朝、ハンナは村の広場に連れて行かれた。村人たちは彼女を取り囲み、火刑の準備を整えていた。


 しかし、ヨハンは最後の瞬間に飛び出し、村人たちに叫んだ。


「待て!ハンナは無実だ!この病気は目に見えない小さな生き物、バクテリアによるものなんだ。彼女の知識を使えば、治療法が見つかるかもしれない!」


 村人たちは困惑の表情を浮かべ、ざわめき始めた。


「バクテリアだと?そんな話は聞いたことがない!」

「目に見えないものが、病気を引き起こすだと?信じられるか!」


 村人たちは次々と疑問を口にした。


 ヨハンは村人たちを落ち着かせるように手を上げ、ゆっくりと説明を始めた。


「みなさん、チーズを作る時のことを思い出してください。牛乳を放っておくと、やがて固まってチーズになりますよね。これは、目に見えない小さな生き物が牛乳の中で働いているからなんです。バクテリアも同じように、目には見えないけれど、私たちの体の中で生きているんです。」


 村人たちは、チーズ作りの例えに少し納得した様子を見せた。ヨハンは続けた。


「バクテリアの中には、私たちの体に良いものもいれば、病気を引き起こすものもいます。ちょうど、毒キノコを食べると体に悪いように、悪いバクテリアが体の中で増えると病気になってしまうんです。」


 村人たちは徐々にヨハンの説明を理解し始めたが、ギュンターは頑なに首を横に振った。


「ばかげている!そんな見えない生き物が病気の原因だと?昔から病気は悪魔や魔女の仕業だと言われてきたのに、今さら何を言い出すのだ!」


 ヨハンはギュンターを見据え、静かに話し始めた。


「ギュンター、あなたの娘、リーゼルのことを覚えていますか?彼女が重い病にかかった時、私は、ハンナが特別な薬草を用いて作った薬が彼女を救ったんです。あの時、ハンナの知識がリーゼルの命を助けたのです。」


 ギュンターは言葉を失った。彼は娘の病からの奇跡的な回復を思い出していた。


「あれは...本当にハンナの薬のおかげだったのか?

 私は彼女を信じなかった...自分の娘を救ってくれたというのに...」


 ギュンターの目に涙が浮かんだ。彼は村人たちに向かって語りかけた。


「みんな、ヨハンの言葉を信じよう。ハンナは魔女などではない。彼女はずっと村人のために尽くしてくれていたんだ。私たちは力を合わせて、この病気と戦おう。」


 ギュンターの言葉を受け、一瞬の静寂が村人たちを包んだ。皆、これまでの自分たちの行いを恥じ、考え込んでいた。


 村長のマイヤーもしばらく沈黙していたが、やがて重い口を開いた。


「ギュンターの言う通りだ。我々は恐怖に駆られ、理性を失っていた。ヨハンとハンナの言葉に耳を傾け、真実を見極めるべきだったのだ。」


 マイヤーは村人たちに向かって語りかけた。


「みなの者、今こそ団結する時だ。ヨハンとハンナを支え、共にこの困難を乗り越えようではないか。我々は恐れと偏見に打ち勝たねばならぬ。」


 マイヤーの言葉に、村人たちは勇気づけられた。彼らは過ちを認め、助け合う精神を取り戻したのだ。


 こうして、村人たちは心を一つにして、人食いバクテリアという目に見えない敵との戦いに立ち向かうことを誓ったのであった。


(続く)

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