40番ホール 武器は誰がために
「いったい何が!? 何があったの!?」
「乗ったようです、一打で。たったの一打で725ヤードを……」
ロシアがゆうゆう乗せてきたわね。
725ヤードをよ、信じられないわ……。
もはやドラコン記録うんぬんを超えています。いえ、成人ふたりが力を合わせているのですから、独力のドラコン記録と比較するのはお門違いではあるのですが。
これは現実なのでしょうか。人類は本当に700ヤードを飛ばしうる存在なのでしょうか。
でも認められない、ってことはないわよねえ。だってそうでしょう? 世界700再編構想は昨年の時点であった。ただ単にロシアが、世界に先駆けて700ヤードの領域に踏みこんだってだけなんじゃないのぅ?
上野さん……。
ちょっとポロンスキーの前腕に注目してくださいませんか?
高木クン?
あの血管は通常のものでしょうか? 先ほどまでと比べて変化はないでしょうか。
!?
筋肉の素人である高木クンが気づくって相当よね。そこいくとアタシは節穴よ、指摘されてやっと気づいたわ。
そう、あの血管は異常に筋肉がパンプアップしたために起きたもの。ああいう筋肉は嫌いなのよ、不健康で。
栄養と適切な負荷で積み上がった筋肉とは異なる、短期間で成長させた筋肉。
いくらスーパーショットを打った直後だとゆっても変よね、肉ばなれを起こした時くらい緊張してるわ。異常な膨張。
……もしかしてドーピングかしら? それもオーバードーズかもしれない。
まさか!
しかしそうとでも考えないと、スタートホールで普通であった顔色があそこまでどす黒くはなりにくいかと。
よく観察してたわね。アタシはてっきりここ数日のラウンドで日に焼けたのだと思ったわ。朝と今で前後の見分けなんてつかないもの。今日の日差しもすごいし。
よく見たら目がおかしいじゃない。トロンとしてる、普通じゃない。
いま彼らがあおっているあのドリンクはまさか?
白昼堂々と薬物を摂取しているように見受けるのですが。
じゃあドリンクタイプってこと?
もう隠す必要がなくなったとでもゆわんばかりの行動よね。堂々と飲んでる。
あれをただの野菜ジュースだとでも申し開きをするつもりかしら。明らかにこのホールからの行動が挙動不審、変よ。
消化には時間を要するはずだから、そんな即効性の薬物が開発されたということ?
それ以前に、たとえラウンドができたとしても試合後の検査をまぬかれるはずはないのに。
どういうこと?
勝ち進むほどにジャッジがおかしいと感じているのと関連があるの? 特定の国出身のジャッジが増えてきているのは気のせいかしら?
ギャラリーや日本側関係者からの申告でジャッジがドリンクを改めに向かいますが。
どうでしょう。
やはりすぐに問題ないとして再開しますね。
あれだけ体を左右に振っていて。
向かい合った際に彼らの視点は果たして合っていたのでしょうか。問題ないとはとても思えませんが。
今かけたサングラス、あれってジャッジが勧めたように見えなかった?
もうムチャクチャね。あとで処分されるのも気にせず、なりふり構わずに周りがフォローしているように見えるわ。
でも、考え方によってはすごいわよね。そうでもしないと勝てない相手だってこと。水守ちゃんと大空ちゃんが。
おお。
おいおい、そんな悠長じゃこっちが困るんだって。そんな相手と戦わされる側の身になってごらんなさいよ。
いまの想像がもし真実なら、そもそもあのジャッジはきちんと資格を持った正規の人物なのか?
仮に正規であったとして、なんらかの意志を持って組織的に働きかけてきているのではないのか?
早く抗議して、今すぐ!
実況は高木くんがひとりで続けるから、上野くんは早く大会事務局へ、日本を代表して申し立てを!
わ、わかりました!
高木クン、ここはお願いね!
はい!
水守ちゃんに大空ちゃん! ここまでやって、ここまで来たのよ! 優勝よぅ! わかってるのぅ!?
さて、大変な事態になっております。
まだ未確認ではありますが、ロシア代表ペアがなんらかの薬物を摂取している可能性があり、ラウンド中のジャッジぐるみで行われている不正である疑惑が浮上しております。
現時点ではあくまでそのような兆候が見受けられるという程度ではあるのですが。
たった今、日本を代表して上野ペアゴルフ理事がオリンピック大会事務局へ、ロシアに対し正式に抗議を申し立てるべく向かいました。早ければ数分、遅くとも十数分でなんらかの動きがあらわれるとみられます。
本当に彼らおかしいな。まるで酩酊してるじゃないか。正常な判断ができないほどに。
レギュラーゴルフと違ってキャディがいないから、そのコントロールができなくなったんだ。ペアゴルフだからこその異常事態か。
もしや摂取するタイミングですらないのに摂取してしまったんでしょうか。
そうして一瞬の力を得たロシアペアにとっては700ヤードなどゴミ箱に丸めた紙クズを放るくらいなのか。いとも簡単に乗せてきました。
いや、違うな。
さっきのは運よく乗ったが、あれはほとんどミスショットだった。いい感じにミスしたゆえに曲がって乗ったように見えた。
しかしそうした不安定な状態は、日本にとってむしろチャンスです。ここから畳みかけたい水守・大空ペア。
あのふたりにだってわかってるさ。あんなメチャクチャなことをする人間たちに負けない、あんなゴルフに負けるわけにはいかない、とね。
そのような状況にもかかわらず、正々堂々と向かい合うのはニッポンの水守と大空!
続いての試技はニッポンです。ニッポンの第1打。
これまでのふたりにとって700ヤードは絶望の隔たりだった。だが先ほどのホール、650ヤードを飛ばしてみせたのは記憶に新しい。いまの美月くんつばめくんならと、期待したくなる場面だな。いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのかと。
彼女らの最長距離砲であればあるいは届くんじゃないだろうか。
700をですか?
ピンチには違いありませんが、それでも何かを見せてくれるのではないかと、この対戦でもきっと、このホールでもきっと、と。
さあ水守からのティショット、しかし顔色がすぐれませんが?
ああッ! あらぬ方向に!?
「……ッ!」
備えていた大空が懸命にボールへ飛びつきますが!?
あああ無念! 大空届きません、水守が打ったボールはあさっての方向へと!
なんてこった!
こんな最悪のタイミングでか!
あのふたりのデュアルショットは、心技体ぜんぶがそろってやっと打てる代物なんだ。
もちろんジャイアントスイング系も同じに捉えてもらって構わないが、あれはさらに上をいく難度、毎度針の穴を通すような精度でやっている。
しかしそれだけであそこまでの消耗はしないはずだが。
と言いますと?
やはり悪い予感ってやつは当たるうようにできているらしい。
美月くんの体調は戻っていない。復調はしても、万全にまではいたってない。だからたったの10回にも満たないフルスイングでああも消耗してしまう。
ほら、またいつかのようにクラブを杖にし始めた。
そうはおっしゃいますが、日本にあれだけの精度でショットを打てる人間なんていませんよ。
日本どころか世界でもだ。それほどの稀有な人材と言える。
願わくばあと1時間、と外野がいうのは酷だろうか。本音は明日も来年も、4年後だってがんばってもらいたいんだが。
本当はどれだけの時間が残されているのだろうか、彼女に。
?
私ですか?
質問を投げかけられても私からは数字が出てきやしませんが。
どうだか。
まあいいさ。今の俺は日本ゴルフ界の会長として、あの子に今大会での最高のパフォーマンスを求めるだけだ。
あとちょっと、頼む! 美月くん! つばめくん!
赤井さんからのエールがふたりに届きましたでしょうか。
手痛いミスとなってしまい、逆転を許してしまいましたニッポン。ここからが正念場です。負けるな水守・大空ペア!
どんなスコアで終わろうが、不正が証明されれば勝てる。だがそんな勝利で本当に満足か? それどころか、相手の不正が証明されねばこのまま負けるぞ。
「このままではダメなんだ! 相手がたとえどんな不正に手を染めようとも、正々堂々と打ち破ってこその真の勝利! 見せてくれ、本物のゴルフを! 見せつけてやれ、本物のペアゴルフというやつを!」
「赤井のおっちゃん?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コースレポーターの赤井さんがジャッジの手によって排除されてしまいました。
選手に肩入れした、助言を与えたとの裁定によってです。
平時であれば間違いなくそのように断じられてしかたのない行動ではありましたが、ロシアによる組織ぐるみの不正疑惑が立ち上がっている今は。疑問でしかありません。
先ほどの赤井さんの呼びかけは果たして水守や大空に聞こえていたでしょうか。中ほどからはジャッジによって羽交い締めにされていましたが、ふたりのもとに届いたでしょうか。
「まったく、おじいなのに無理しちゃって」
「わたくしも、いつまでもフラついていられませんね」
「そうだよ、フラフラしてたら美月ちゃんまでお薬って疑われちゃうよ?」
「ハァア〜ン? どったのおじょうちゃんたちぃ?」
「堅苦しかった英語はどこへやら。先ほどまでとはまるでキャラが違いますね」
「ロシア語も混ざってるのか、もうよくわかんなくなっちゃったよね。もういいから、あなたたちは負けて帰んなよ。ここはあなたたちのような人が来ていいところじゃない」
「ほほう、いうじゃないか娘さん」
「オレたちに、勝てるかなぁ?」
「当然勝てる。薬物鑑定なんかで終わらせやしない、スコアでねじ伏せて先へと進む!」
「はっはっはハハハハハハアアアアアアア!」
「いいねいいね、ここで終わらせる! ロシアが? 君たちどこの国だっけ? あはは!」
「美月ちゃんはカートに座って休憩しててね。ここはボクだけでどうにかするから」
「つばめさん?」
「いいから。ここは任せて」
さあオナーはロシアです。
すでに2ポイントを獲得、このホールも奪取しますとそれだけでロシアの勝ちが決まります。
打ったァー!
「はぁん!?」
っと!?
鳥かと思いましたが。どうやらボールが当たりましたね?
ボール同士が空中で衝突しました。打ち出したロシアのボールに対してニッポンのボールが、ほぼ同時に打った大空のティショットが当たってしまいました。
オナーはロシア、マナーとしては最悪です。最悪ですが、ここはよくやったと褒めたい気持ちも少しあります。
「偶然か? 狙ったにしちゃあやるじゃないか」
「ほらほら、大丈夫? ボクがひとりで打ったところとほとんどおんなじくらいしか飛んでないけど?」
「フン! 次は当てられても弾き飛ばしてやる!」
「許すわけないんだよ、こんな卑怯者たちを!」
「つばめさん……!」
オリンピックの意義さえ失われてしまいそうな状況でひとり、大空が歯を食いしばって立ち向かっています。しかも笑顔で。そのかたわらには盟友である、本調子でない水守がその一挙手一投足を見守っています。
ギャラリーも固唾を飲んで。画面の向こうではニッポンの視聴者も。あらぬ方向へと転がってしまった、この対戦を見守ります。
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