第5話 幼馴染の過去

 ある休み時間のこと。

 視線を遠くの方へやっていたら、珍しい光景を見かけた。


 久須美がふと立ち止まり、しゃがみこんでから、近くに座っている理代へ話しかけている。


「これ、キミの?」


 久須美が理代に見せたのは、白いくまのキーホルダーだった。

 それはLILIで理代がよく送ってくる、くまのスタンプと全く同じものであった。


 理代は質問に答えるように、しきりに頷く。


「よかった! 可愛いねこのクマチャン。どこで買ったのー?」

 

「……あ、……え、と……」


 不意に質問が投げかけられる。

 

 しかし理代は答えようとするものの、上手く言葉が出てこないようで、どもってしまう。


「忘れちゃった感じ?」


 渋い表情を浮かべ、首を上下に振る理代。


「そかそか。ごめんね、急にこんなこと聞いて」


 久須美は眉を下げ、申し訳なさげな表情を浮かべながら優しく理代に謝罪する。


 何かを言いかけ、手を伸ばす理代。

 だが、久須美は既に別の方を向いており、気づかれなかった。

 

 何を言いかけたのだろうか。

 LILIで尋ねようとしたが、授業開始のチャイムが鳴ってしまい、送ることは叶わなかった。

 

 * * * 


 六限が終わった直後。

 窓を叩くように雨が降りつけるのを横目に見やる。

 授業の後半からしとしとと降り出した雨はいつの間にか結構な雨量と化していた。


 予報では降水確率はあまり高くなかった。

 そのため折りたたみ傘しか持ってきていない。

 ここまで本格的に降り始めると、通常の傘より小さい折りたたみ傘では、少し心許ない。

 

 まあ持っていないよりはマシと思うことにしよう。


 スマホが微かに振動して通知を告げる。


 理代からだった。

 

理代『傘持ってきてないのでお助けください』


 文面を見るとそう書かれていた。

 LILIを開く。

 

 既読を付けた途端、両手を合わせたくまのスタンプが送られてくる。


多久『小さめの折りたたみ傘しか持ってない』


理代『それで構わないので、入れてくださいお願いします』

『お願い!』(土下座するくまのスタンプ)

 

 理代を土砂降りの中帰らせて風邪でもひいたら悪いので、了承の返事をする。

 

多久『わかった。けど、一人すらかなりギリギリの傘だから濡れるには濡れるからな』


理代『ありがとうございます! 神様ァァァ!』


 視線を教室へ戻し、理代の後ろ姿を見ると、静寂をまとったかのように着席している。

 

 LILIではこんなにも感情豊かなのに、現実とのギャップが大きすぎて思わず笑みが溢れた。


 * * *


 人目につくのが嫌な理代の気持ちを汲み取り、周囲から人が消えるまで適当に時間を潰す。


 教室から俺たち以外誰もいなくなった頃、理代の肩をポンと軽く叩いた。


「そろそろ帰るぞ」

 

「あ、うん」


 理代は席を立ち、俺の後ろをトコトコとついてくる。


 昇降口まで行き、靴を履き替える。

 

 まだ雨脚は弱まっておらず、傘なしで歩けば悲惨な状態になることが目に見えた。

 

 折りたたみ傘を取り出して広げる。


 俺が入るだけでかなり限界なのだが、脇に寄って右肩を傘の外に出して左側を空ける。

 

 理代が左の空いたスペースにやってきた。


「狭いね……」

 

「仕方ないだろ。文句言うな」

 

「くっつかないと濡れちゃうね」

 

「くっついても濡れるがな」


 肩が触れ合うギリギリまで寄って歩き出す。 

 理代と二人、雨の街を進んでいく。

 

 雨が傘を叩きつける音。 

 水たまりにぽちゃんと雨粒が落ちる音。 

 バッグの中で荷物が揺れる音。

 静かな世界ではあらゆる音がよく聞こえた。


「ねえねえたーくん。さっきの休み時間、ペンケースに付けてたキーホルダー落としちゃって……その……」

 

「久須美さんに拾ってもらってたよな」


「見てたんだ……。それで、そう、その久須美さんにお礼を言い忘れちゃって。どうしよう……」


 理代が久須美に言いかけていたのはお礼のことだったのか。

 確かに、拾ってもらってからまともに言葉を発していなかった。


「普通に明日言えばいいんじゃないか?」

 

「時間が経つと余計言いにくくない……?」


「明日言わないともっと言いづらくなるぞ。どうせ引きずるんだし、早いうちに言っとけって」


「うっ……。ちゃんと言えるかな……」


「ゆっくりでいいんだ。言えるさ。理代なら大丈夫だ」


「……うん。ありがと」


 理代との会話をする傍ら、遠い記憶が蘇る。

 あの日もこんな天気で、二人歩いていた。


 中学の時のことだ。

 雨が降る中、下校していると理代は涙ながらに言ったのだ。

 

『ねぇ、たーくん……わたしもう、学校行きたくない』と。

 

 それ以降、理代が学校を休むようになった。


 原因は虐めだった。


 理代は元々人付き合いがあまり得意な方ではない。


 それでも、完全に孤立しているというわけではなく、数少ない友人と学校生活を送っていた。

 その数少ない友人らが、すべて敵に回った。

 

 虐めの原因は、弱々しくて気に食わなかったから。

 理由はたったそれだけだったそうだ。 

 

 直接的な暴力などは一切なかったが、言葉で否定され、嘲笑われ、罵られ、理代の精神を彼女以外にはバレないように、密かに、ゆっくりと、じっくりと追い詰めていった。

  

 助けを求めようにも彼女らは外面が良く、加えて口外すればタダじゃ済まないと脅されていたため、八方塞がりであった。

 

 理代は強く出られない性格だったことも災いし、なかなか表沙汰にはならなかった。

 

 それでも学校に通い続けていたのは、理代が真面目な性格のせいだ。

 虐めで不登校になるまでは、病欠による出席停止を除いて一度も休んだことはなかった。


 理代がそんな苦しい目にあっていることを俺は知らなかった。

 別クラスだったというのは言い訳にはならないだろう。

 

 幼馴染で一番近くで見ていたはずなのに。

 

 見抜けなかった。

 些細な変化を見逃した。

 

 虐められていることに気付けなかった俺は自分を恨んだ。

 

 もっと早くわかっていれば理代はここまで追い詰められることはなかった。


 理代と同じ高校にしたのも贖罪の意味があったのかもしれないと、今になって思う。

 

 不登校になっても理代は俺の部屋に普通に遊びに来た。

 学校に行くことは出来ないが俺と遊ぶことは出来るそうで、何の悩みも抱えていないみたいに楽しげにはしゃいでいた。


 どう接したらいいのかわからなかった。

 ただ、学校の話題を極力避けて、理代が好きな漫画やアニメの話をし続けた。

 

 時折理代が自分を否定するような言葉を口にすることがあった。


 そんな時、俺は必死に言葉で支えた。

 俺にとって理代は大切な存在だと。

 いない日々など考えられないと。


 けれどその言葉が理代に届いているかわからなかった。

 

「ありがとう」とお礼を言って、気付けばコロッといつもの性格に戻っていて。

 俺の申し訳程度の慰めで本当に理代の心が救われたのかが見えてこなかった。


 学年が上がり、虐めてきた彼女らとクラスが別になったことで理代は少しずつ学校へ通えるようになった。


 でも、完全に元通りにはならなかった。


 周囲の視線を必要以上に気にするようになり、どこか怯えるような話し方になった。

 俺と会話する時でさえ、人の目を忍んでするようになった。


 虐めを行った奴らは、大事おおごとにはしたくないという学校側の意向で一週間の謹慎のみであった。

 その後は普通に元通りの学校生活を送っているようだった。


 そうして、理代の中学校生活は暗いまま幕を閉じた。

 

 中学時代の出来事は今もなお、理代の心を蝕み続けている。


 

 【第一章完】

 ─────────────────

 

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

 ⭐︎⭐︎⭐︎評価や感想などをいただけると、とっっっても嬉しいです!

 

 第二章では、当たり前の日常が少しずつ変わっていく予定です。

 フォローして、続きもぜひ読んでみてください。

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