第2話 美紅と梓
「て、いうことらしくって」
その日の放課後、がらんとした教室に美紅と上野梓(うえのあずさ)の姿があった。
「ごめん、梓、ほんっっとーーーにごめん!!」
両手を顔の前で合わせてひたすら頭を下げる美紅に、梓は頭をぶんぶんと振る。
「全然、ほんと全然気にしないで、美紅ちゃんのせいじゃないから」
「うう、だって私が『今先輩彼女いないし大丈夫だから!』ってけしかけたし」
「いいの、どのみちこうなる運命だったんだよきっと。それより、美紅ちゃんが先輩を呼び出したことのほうがびっくりした私…」
うっとわざとらしく胸を押さえてみせる梓。
「しかも理由まで聞き出してくれて…なんだか申し訳ないというか恥ずかしいというか…」
「いやもうそれも含めてごめん。梓を振ったって聞いたらもう居ても立っても居られなくて。三日は耐えたんだけど」
くっ、と泣き真似をした美紅は梓をぎゅっと抱きしめる。
「うわーん日向のバカ野郎! こんなに可愛くていい子を振るなんて! 私が男だったら絶対梓を選ぶのに~」
「あははは、ありがと美紅ちゃん。そう言ってもらえるだけで嬉しいよ」
友人の気持ちに感謝を述べて、梓は一昨日のことを思い出す。半年以上想いを寄せていた相手に勇気を振り絞って告白したら見事なまでに振られた。高校生の女子にとって確かにショックな出来事だが、それより何よりその現場を赤の他人…しかも同学年の男子生徒に目撃されていたことの方が衝撃が大きく、正直失恋の痛みがぼやけてしまっていた。
「でもほんとに美紅ちゃんには感謝してるのよ。ずっと応援してくれてたし」
「うん、まあそれはね。たまたまうちの先輩だったし」
入学以来気があって仲良くなった梓から、気になる人ができたと打ち明けられたのは一年生の秋の終わりだった。
「文化祭の演奏で見たんだ。かっこいいなって」
「ああ、日向先輩? トランペット上手なのよね~。でもあの人すっごくもてるんだ〜。 背も高いし見た目もなかなかだし」
「日向さんっていうのね。今はまだ、とりあえず見てるだけでもいいかなって思うんだけど…。また演奏会とかあったら教えてくれる?」
友人の恋路を応援すべく、イベントの度に梓に声をかけた。憧れの人の姿見たさに梓も足繁く通い、時には差し入れを持ってきてくれることもあった。三年生の引退を受け部をまとめる立場になった二年生の彼らに必然的に紹介することになり、部長の純哉と副部長の崇史両名に無事顔と名前を覚えられることに成功した。言葉を交わすようになって梓の想いはさらに募っていくようで、それに応えて美紅も積極的に崇史に声をかけ、住所や生年月日、嗜好、趣味、交友関係行動範囲、彼女の有無などの情報をリサーチしたり、演奏会前後や練習の休憩時間の写真をさりげなく撮って梓に送ったりとできるだけの協力はしていた。
「それにしても、去年の年末は残念だったよね。あの時最後まで一緒だったらもしかして…って今でも思っちゃう」
美紅が教室の天井を見上げて言うと、梓は苦笑した。
「そんなこともあったね」
昨年の十二月末、年内の部活動も終わろうかという時期に純哉が部員たちに声をかけて回っていた。
「なあなあ、年末年始バイトせぇへん?」
聞くと、純哉がアルバイトをしている駅前の和菓子店では例年その時期が人手不足の為臨時の募集をかけているとのこと。しかし今年はなかなか人が集まらないという。部員たちにあたってみるも既にバイトをしているものは繁忙期で休めず、また正月に重なるということで帰省するものも多く、色よい返事は貰えていないようだ。
「三人くらいでええんやけど、いざ探してみるとなかなかおらんな」
声をかけた端から断られ、天を仰いで純哉がぼやく。
「俺行こうか」
様子を見ながら楽器を片付けていた崇史が立ち上がった。
「マジ!? 餅米とか小豆とかの袋結構重いから、男手あると助かるんや、ありがたいわ~。他に誰か」
「はいはい! 私やります!」
崇史がやると聞いて、美紅が早速手を上げた。
「先輩! バイトって、うちの部員じゃなくてもいいですか?」
「信濃乗り気やな、嬉しいわ~! もちろんええで。心当たりある?」
「都合はまだわかんないですけど、とりあえず聞いてみます。今すぐ!」
部室を飛び出し梓にメッセージを送る美紅。
丁度年末年始の予定もなかったらしい梓からは一も二もなく行くと返事が返ってきた。
「OKだそうでーす!」
「よっしゃ助かった信濃」
純哉がハイタッチを求め美紅もそれに応じる。
「ちなみに誰? 俺らの知ってる子?」
「あ、梓です。同じクラスの」
「ああ、差し入れもってきてくれた子か。あれは有り難かった」
頷く崇史の反応に、刷り込みが成功していることを確信し、にまりと美紅はほくそ笑んだ。
「俺らのこと知ってくれてる子やったら話早いわ。詳しくはまた連絡するから、とりあえずよろしく頼んどいて」
「了解です!」
「わあああありがとう美紅ちゃん~」
その晩確認の電話をすると珍しくテンションの高い梓の声が聞けた。
「こんなチャンス滅多にないもんね」
「でもどうしよう緊張するかも。先輩のこともだけど、アルバイトってしたことなくて」
「私もそうだよ~。でも伊勢先輩がいてくれてるから大丈夫、たぶん」
「伊勢さんって、あの関西弁の部長さんだよね」
「うん。優しくて面白くて、なんでもわかりやすく教えてくれるの。みんなのお兄ちゃんって感じだよ」
「美紅ちゃんも一緒だし、なんとかなる、かな?」
「なるってなるって! それに、これでちょっと先輩と近づけるといいね」
「そ、そんなこと…あったら…嬉しいけど」
受話器越しに照れる顔が見えるようだ。
「じゃ一緒に頑張ろうね。私も普段忙しくてバイトできないし、いいお小遣い稼ぎになるから実はちょっと楽しみなんだ。じゃあ◯日に駅前集合で」
友人の恋路の応援ができて美紅も上機嫌である。そして迎えた月末。
親友の美紅に憧れの崇史、二人と一緒に人生初のアルバイトができるということで期待で胸を膨らませる梓。心置きなく専念できるようにと冬休みの課題も終え準備万端で始めた…はずだったが。
「ええっ、梓休みなんですか!?」
三日目にして来られないとの連絡が店に入った。
「インフルエンザらしくって…」
おっとりした年配の店長が残念そうに受話器を置いた。
「一生懸命やってくれてて、仕事もよく覚えてくれたのに残念だわあ」
繁忙期だけの短期アルバイトということで、三人が手伝うのは十二月の二十八日から年明けの三日までとなっている。今インフルエンザが判明したのなら、もう期間中に来ることはできないだろう。最大の目論見が外れ残念だったが、せっかく入ったバイトだということで美紅は期間中しっかり勤め上げた。毎日長時間顔を合わせていたことで伊勢や崇史とすっかり打ち解けた美紅は、ここに梓がいればと何度も悔やみながら、せめてもと終業後や休憩中に崇史の写真をこっそり撮っては寝込む彼女に送りまくっていた。
二人はそのことを思い出す。
「でも、それも運命だったんだよきっと」
本や物語の好きな梓は『運命』という言葉をよく使う。
失恋三日目にして吹っ切れているのかその声は湿ってはいない。バレンタインデーに梓は本命、美紅はもちろん義理のチョコレートを買いに行き、緊張で顔を真っ赤にした梓と二人で崇史に渡したことも、ホワイトデーにお返しを貰って幸せそうな梓の顔も、昨日のことのように思い出せるのに。恋する友人の姿を間近で見続け応援しつつも、そんな気持ちを誰かに向けることができる友人を少し羨ましく思っていたことを美紅は改めて自覚させられる。
(そこまで誰かを好きになれるって、ちょっと…いいな)
考えてみても自分にはそういう相手がいない。なんだか少し寂しくもあり、美紅を見てこんなに悩むのならまだいなくていいと思う気持ちもあり。同級生は彼氏彼女がいることが増えてきた。
(ま、部活忙しいしな)
その度にこう思うことで美紅は気持ちを切り替えてきた。今日もそうして、美紅は梓とたわいのない会話に戻るのだった。
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