第18話 宣戦布告

 私の意識が戻った時、目の前には不可解な光景が広がっていた。

 地面に倒れ込むドロシーと、彼女に抱きしめられるような形になっているメアリ。ドロシーには息があるが、メアリからは大量の血が流れていて状況はかなり厳しく見えた。

 そんなメアリへ致命傷を与えた、謎の男がいる。真っ白な肌と、対照的な濃い紺色のスーツ姿。人間に見えなくもないが、背中から生えた大きな翼が異形の者だということを伝えてくる。獣魔の増援だと思われるが、スペルフィールドの歪みから検知する出現予測などには引っ掛からなかったはずだ。

 そもそも、翼以外の容姿が人間に近すぎる。獣魔の見た目は多岐に渡るが、あんな種族が見たことも聞いたこともない。

 そして。


「ッ! イサト!」


 彼の名前を呼ぶ。声を張り上げようとして、自分の全身が異様な痛みを感知していることに気づいた。どこかの骨が折れているのか、動かした体が悲鳴をあげている。

 いや、それよりも。

 イサトに起こっている変化の方が気がかりだ。

 まだ彼は敵の攻撃を受けていないようで、男と対峙する立ち姿に傷は見られない。

 しかし、その体からは異様なほどの魔力が溢れ出していた。彼が主力とする光や雷の魔法とはまったく異なる、黒く淀んだオーラを全身に纏っている。

 何よりも、彼の背中に敵と酷似した黒い翼が見えて、私は目を見開く。


「何が、起きて……」


 声を漏らすたびに肺が痛む。相手からはたった一撃受けただけなのに。

 イサトが口を開く。いや、あの黒いオーラを放つ人物が本当にイサトなのか、今の私には確証が持てなかった。


「足リヌ……魔力ガ……」


 声を聞いてもイサトと同一の存在なのか怪しく思う。少し慎重派で、それでも私のことを気にかけてくれる優しい彼の声色は、今のそれから一切感じられない。

 自身の両手を動かし、恨めしい表情を見せるイサトらしき存在。

 次の瞬間、彼は目にも留まらぬ素早さで敵の男へ距離を詰めていた。


「ガァッ!」


 呻きとも雄叫びともつかない息を漏らし、闇のオーラから形作られた巨大な爪を男へ振り下ろす。

 それまで最低限の動作しか見せていなかった男は、攻撃を片手で防ぐ。だが想定よりもイサトの打撃が重たかったのか、防いだ腕を弾かれてよろめいた。


「足リヌ! オ前ノ血ヲ!」

「……」


 イサトの猛攻は続く。今度は蹴り技に切り替えていた。

 連続で繰り出される打撃を受け流しながら、男の表情が変化する。先ほどまでの無表情から、ほんの僅かだが焦りが垣間見えた。

 イサトはそれをどう見たのか、さらに攻撃の速度を上げていく。


「ガアァァァア!」


 喉の奥から響く、獣のような低い慟哭。それを威嚇として喚きながら、イサトは相手を追い詰めていく。

 いつの間にか男から余裕は見えなくなっていた。明らかにイサトの力を見誤っていたという雰囲気。

 それに関しては私も同じだ。どんな変化が起きいるのか分からないが、翼を含めた見た目の変化も異様で、抑えきれない魔力を放出し続ける様子は彼の実力を遥かに超えていると思う。

 私はよろめく体を起き上がらせた。痛みよりも、彼への心配が勝る。


「寄越セ! 血ヲ!」

「……まだだな」


 叫ぶイサトに向けて、男が何かを発した。

 今、相手は日本語で言葉を口にしたはずだ。獣魔が人の言語を喋るなんて聞いたことも無い。

 では、あれは人間? いや、魔力を操る様子は明らかに人間のものではない。

 あの男も、イサトも、まるで獣魔と人間の両方を兼ね備えているようだ。何処となく、二つのシルエットも似通って見える。

 それに、まだとは一体なんのことなのか。言葉の意図も掴めず、状況把握が進まない。

 頭が痛む。私の後頭部に出血があることにはじめて気がついた。


「グァ!?」


 男は振り上げたイサトの腕を掴み、くるりと捻り上げた。

 宙にぶら下げられた彼の体が、そのまま足蹴りを叩きこもうと動く。だがそれも阻止。逆の手で足を抑え込むと、男はそのままイサトの体を投げ捨てる。

 地面へ叩きつけられたイサトがバウンドする。それを瞬時に追いかけ、男はメアリを刺したものと同じ触手を放った。あれは男の指だったのか。右手の人差し指が異様に伸びてイサトを貫こうとする。


「グガアァ!」


 咄嗟に避けるイサト。人差し指が関節部を逸れて体側膜に突き刺さり、そのまま皮を引き裂いた。

 痛みがあったのかは定かでない。イサトは変わらず男に向けて攻撃を放つ。今度は闇の魔法が凝縮され、レーザーのように一閃する。

 男もそれを回避するが、一手間に合わず髪を掠めた。ジュッと焦げる音が聞こえて、男は顔をしかめる。


「真の覚醒は近いか」


 決して優勢ではないと言うのに、言いながらも男にはまだ余力がありそうだ。

 真の覚醒とは何なのか。イサトの変化に関係があるのだろうか。

 そこで、別方向から叫び声がした。気絶していたドロシーが目覚めたらしい。


「メアちゃん……! ねえ、しっかりして!」


 ドロシー自身の体もボロボロだが、気がついた彼女は真っ先にメアリへ声を掛けている。だが、彼女はもう……。

 私は二人の顔を見ないように、もう一度視線をイサトへ向け直した。


「イサト!」


 見ると、イサトの頭を掴んで男が持ち上げている。宙吊りにされたイサトは、魔力で編まれた鎖で両手足を拘束されていた。

 まずい。あれでは抵抗することもできないまま殺されてしまう。


「私が……」


 助けにいく。そう言いたかった。

 でも、思うように体が動かない。

 これではスザンナの時と同じだ。不意を突かれたとはいえ、全力であの男に一撃目を叩きこんでおけばこんな醜態を晒さずに済んだのに。イサトを危険な目に遭わせることなんてなかったのに。

 強さを何処かで過信していた自分を恨む。


「安心しろ。荒城イサトはまだ殺さない」


 突然、男がそう言った。視線がこちらを捉えている。

 何故イサトの名前を知っているのか。何故ここでトドメを刺さないのか。何故それを私に伝えるのか。

 言葉は端的だったが、脳が理解を拒む。男の真意が読み取れない。

 そのまま相手はイサトに手刀をぶつけ、彼を私の方へ弾き飛ばしてきた。急いでその体をキャッチする。


「イサト、イサト!」

「う、グァ……ッ!」


 彼の体がぶつかった衝撃で私の傷もズキズキと痛む。だが自分以上に彼の心配が優先だと思った。

 イサトはまだ黒い魔力の波に呑まれて酩酊めいていしている。背中の翼もそのままで、いつもの状態とは言い難い。

 それでも、彼が生きていることに安堵した。また相棒を喪うのが此処まで怖いと思ったことはないだろう。

 敵がこちらを見ている。私は安心しきった心を引き締め直して睨みを利かせた。


「ウイカ・ドリン・ヴァリアンテ」

「私の名前まで……」


 すべてを見透かしたような冷たい視線に、背筋が冷えた。


「君に警告しておこう。我々、君たちが獣魔と呼ぶ者は、遠くない未来に君たちの世界を滅ぼす」


 宣戦布告。無意識のうちに唾を呑み込み、私は緊張で渇き切った自分の状態に気がつく。

 男は、獣魔たちを統率するような立場の存在なのかもしれない。なんの確証も無いが、敵の大ボスであるという確信が私の中に芽生えた。


「トリガーは、荒城イサトの覚醒を以て始まる。彼の動向には注意するといい」

「イサトの? それって、どういう……」


 こちらが質問をする前に、男はゲートを開いていた。私たちと同じ、このスペルフィールドに侵入するための入り口。だがその向こうは現実世界ではなく、見たこともない空間へと続いている。

 それが獣魔たちの世界だと、何故か理解できた。

 男が歩き去っていく背中を見ながら、私は成す術の無かった現状をうれう。どれだけ力をつけても、強大な獣魔には手も足も出ないのだという絶望が心を支配していた。

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