2-3 バイト仲間を助けたら休日に出かけることになった
検証業務五日目の昼休み。
川里は席を立ち、ビルの一階へ向かった。
ビルの一階には飲食自由なテラスがある。
川里はコンビニでシュガートーストとアイスコーヒーを購入し、テラスに配置された木製のテーブルに腰を降ろした。
季節は夏。外の気温は高いがテラスには風が吹き込むため、実温よりも涼しく感じられる。そういうわけで川里はオフィス勤務を始めてから、昼休みはテラスで過ごしていた。
だけどこれは川里の強がりだった。オフィス周辺には多様な飲食店が並び、川里の目を惹いていたのだが、財布の中身と相談した結果、コンビニ食に落ち着いた。
せっかくオフィス勤務をしているのだから雰囲気だけでも楽しみたい。その一心で、テラスを選んだ。
川里はシュガートーストを口にする。厚みのある生地の柔らかい触感と、ザラザラした砂糖の甘みが川里を満たしていく。続いて、アイスコーヒーを口にする。
「なんか優雅だ」
川里は気取った調子で呟く。その声はジリジリと泣くセミの声にかき消される。川里はシュガートーストを頬張り、アイスコーヒーを流し込む。炎天下に晒された川里の額からは汗が吹き出していた。
「いや、やっぱり優雅に過ごすのは無理だわ」
川里はゴミを処分し、ビルの中に入った。ビルの中は冷房が利いており、熱の籠もった体に冷気が染み渡る。
「このまま涼んで昼を過ごそう」
川里はエレベーターホールへ向かった。
女性社員に囲まれる銚子を見かけたのはその時だった。女性社員は身なりが整っており、端から見ると銚子を中心にしたハーレムのように見える。
「ねえ銚子くん。一緒にお昼行こうよ」
「あ、すみません。自分、今日は……」
「大丈夫、奢るから!」
「あ、いや。あの……」
銚子は女性社員達から視線を反らす。そんな銚子の様子を見て、銚子が女性社員の誘いを断りたいのだと気づいた。そして川里は銚子に歩み寄った。
「俺が予約済みです。ね、銚子さん」
川里が言うと、銚子はコクコクと頷いた。
女性社員達は不満気な表情を浮かべた。
「じゃぁ川里くんも一緒に行こうよ」
「高校生トークなので、ご遠慮くだだい」
川里の言葉でようやく女性社員達は折れた。
彼女達はゾロゾロとビルの外へ出て行く。
川里は女性社員達の背中を見送り、
「ずいぶん困ってましたね」
「助かりました」
川里は首を傾げた。
「銚子さんって人見知り?」
「川里さんとは普通に話せるっす!」
「微妙にディスってます?」
銚子はクスっと笑った。
「川里さん、お昼まだっすか?」
「ああ、俺はさっきーー」
「お昼、まだっすよね?」
銚子が川里に顔を近づけた。
圧に押された川里はコクコクと頷く。
「安くておいしいお店に行くっすよ」
銚子は川里の首根っこを掴み、引っ張った。
たどり着いた店は、女性社員が向かった方向と真逆にある、個人経営のカレー専門店だった。明るい雰囲気の室内に木製のテーブルが並び、厨房から甘いカレーの香りがする。
銚子と川里は席に腰掛ける。
「注文するものは決まってるから、メニュー独占していいっすよ」
川里は調子の言葉に甘え、メニューを確認した。どのカレーもおよそワンコインで済む価格である。それにも関わらず、カレーの上に角煮や、牛すじ、チキンが乗っている。
「ど、どれを選べばいいんだ」
「ちなみに自分はこれにするっす」
銚子は細長い指で、あるメニューを指した。
全部乗せカレーという名の品目だった。
サンプル画像では角煮・牛すじ・チキンが全部盛りつけられているのに、他の品目より少し割り増し程度の値段が提示されている。
「こんなことがあっていいのか!」
「決まりっすね」
銚子は店員を呼んだ。川里は生唾を飲み込み、件の全部盛りカレーを注文する。
「普通盛り、大盛りが選べます」
店員に尋ねられ、川里は目を見開いた。
「大盛り! 大盛りで!」
「自分も同じ奴を大盛りっす!」
店員は苦笑し、厨房に戻る。それから数分後、川里と銚子の前にカレーが並んだ。大皿の半分に丘のように盛られたライス。
もう半分にカレーの池に浸かった角煮・牛すじ・チキン。明らかにサンプル画像よりもサイズ大きい。
「さぁ食べるっすよ!」
銚子は先んじてカレーを口に運んだ。それに倣い、川里もカレーを口に運ぶ。その瞬間からカレーの甘みが舌を満たしていく。
続いて川里は肉を貪った。角煮は口の中で溶け、牛すじはカレーと肉の旨みが染みわたり、チキンは淡泊な歯ごたえで満足感を与える。まさに川里の好みが詰め込まれたよくばり全部セットだった。
「もっと早くこの店に出会いたかった」
「川里さん、涙出てるっす」
「テラスでシュガートーストとアイスコーヒーの毎日だったもので」
「お昼どうしてるのかと思ったら、あんな暑いところにいたんすね……」
銚子は苦笑し、カレーを口に運ぶ。
そしてよく噛んで飲み込んだ後に続けた。
「自分のことはタメ口でいいっすよ」
「わかった。タメ口で話す」
「適応早いっすね」
「タメ口で良いと言われたからな」
川里はカレーに浸した牛すじを口に運ぶ。
銚子は川里を見つめ、目を細めた。
「川里さんて、かっこいいっすね」
「それは初めて言われた」
「この前も、さっきも助けてくれたし」
「困っているのがわかったからな」
銚子は気恥ずかしそうに視線を落とす。
川里はそんな銚子の様子に目を丸くした。
「銚子は自由奔放なタイプだと思っていた」
「そう見えるっすか?」
「服装もかっこいいし、自立してそうだからな」
「でも、本当は逆なんすよ」
銚子は自嘲した。
「人目を気にしてやりたいことを我慢しちゃうんすよ」
「ほう、例えば?」
銚子は自分の指を弄び、
「自分、大食いなんですけど、周りが女性ばかりなので普段は皆に合わせて小食なんです」
「もしかして午後はお腹空かせてるのか?」
「は、はい……だから頭がボーっとしちゃって」
「なるほどそういうこともあるのか」
川里は数秒考え込み、提案する。
「それなら次の昼休みから俺とランチはどうだ? 俺と約束があると言えば言い訳は作れるだろ?」
「いいんすか?」
「銚子と一緒に過ごすのは楽しいからな」
「……マジっすか?」
「まじっす。嫌だったら素直に言ってくれ」
「いや、嬉しいっす」
瞬間、銚子の頬が赤らんだ。
「他にもやりたいことがあるって言ったら、付き合ってくれますか?」
「我慢していることが色々あるんだろ? 経済力の限りでなら全然付き合うよ」
数秒後、銚子は指の隙間から川里を覗いた。
「……明日っす。明日一緒にでかけましょう」
「銚子に誘われるなら本望だ」
「本当っすね? 約束っすよ!」
銚子は端末を取り出した。その仕草の意味を川里は察し、制服のポケットから端末を取り出し、連絡先を交換する。
「じゃぁ場所は後で連絡するので」
「わかった。頼む」
「明日はオシャレして行きますね!」
「ん? 今も十分、オシャレだろ?」
「普段は我慢している服を着たいんすよ」
「ほう、どんな服が着たいんだ?」
銚子は囁くように言った。
「自分、実は可愛い服が大好きなんです」
「可愛い服? 女性っぽい服装ってこと?」
「そうっす。可愛い服着てもいいっすか?」
川里の脳裏に宇宙が広がった。それから間を置いて、川里は銚子が女装の趣味があるのだと考えた。
川里は銚子をじっと見つめる。
短いけどサラサラした黒髪。
目鼻立ちのくっきりした顔立ち。
滑らかな肌感と、華奢な体つき。
きっと銚子は挑戦したいのだと川里は思った。
今の川里には挑戦したい気持ちがよく理解できる。川里も夏休みに入ってから自分を変えるために新しいことに挑戦しているからだ。
だからこそ川里は快諾した。
「もちろん。俺の前で我慢は不要だ」
「き、決まりっすね」
銚子は照れくさそうに頬を掻いて笑った。
川里は銚子のことを新しいことに挑戦する美男子……だと思っていた。
しかし川里は誤解している。
銚子は可愛い服が好きな男子ではない。
可愛い服が好きな少女である。
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