第14話 子供の頃の夢

お題 ①オレンジ ②フォーク ③灰皿


薄暗い照明。鮮やかなオーシャンブルーの水槽。その中で優雅に泳ぐ、小さな熱帯魚たち。

オレンジ色のカクテル。客は、今は私だけ。

「ねえ、マスター」

「なんでしょう?」

「何か面白い話してよ」

「そうですねえ」

マスターがグラスを拭く手を止めて、こちらを向いたので、私は吸っていたタバコを灰皿に押し付けて火を消した。

「これは僕が水族館で働きたかった頃の話」

「す、水族館?」

「ええ」と、マスターがうなずいた。

「僕は昔からクラゲが好きでねえ。きっかけは、小学校低学年くらいの時、父と海水浴に行ったんだよね」

「うん」

「僕はボートに乗っていて、父が岸辺から少し離れたところまで引っ張っていってくれるんです」

「へえ、微笑ましいじゃないか」

「ふふ。自分じゃ足が届かない水上にプカプカ浮いている。あの頃は、それだけでスリリングでドキドキしたなあ」

マスターが懐かしそうに目を細めて笑った。

「だろうね。それで?」

「それで。父がたまに言うんです。〝あ、今クラゲに脚刺された〟って。当時、クラゲが刺すという言葉の意味をあまり理解していなかったし、今思えば怪我しているようでもなかったから、魚がつついたとかそんなことだろうとは思うけどね。まあ、昔の楽しい思い出の中でクラゲってワードが何度も登場するんだよね」

「でも、親父さんがクラゲに攻撃されてるなら、普通クラゲを憎むんじゃないか?」

「ふふ。確かに、嫌いになるのが自然かもね。でもまだ続きがあるんです」

そこで厨房の方からアルバイトのバーテンダー君が出てきて、俺の前に注文していたカルボナーラを置いた。私は「ありがとう」と目を合わせて軽く会釈する。

パスタをフォークに巻き付けながら訊く。

「続きって?」

「はい。今度は私が小学校高学年とか、中学校に入ったばかりの頃ね。その頃から、父の口癖が増えたのよね」

「うん」

「〝クラゲになりたい〟って」

私は、ちょっと笑ってしまって口元まで運んでいたパスタの手を止めた。口に入れる前で良かった。

「親父さん、可愛らしいな」

「ありがとうございます。なんでも、仕事もせずフワフワと浮いている姿が羨ましいとかなんとか」

「ああ。そう言われれば気持ち分かるなあ」

マスターがクスクスと笑うので、私も釣られて笑ってしまう。

二人でひとしきり笑った後、マスターが言う。

「で、最初に言った水族館で働きたいって夢に繋がるんだよね。父が好きなクラゲをいっぱい集めた水族館で働こう! って」

「へえ」

「ふふ。単純でしょ」とマスターが、ちょっと舌を出す。

「子供の頃の夢なんて、そんなもんじゃないのか? 私だって、昔は毎週日曜にやってる戦隊物に憧れて、なんとかレンジャーになりたい! って言ってた」

ああ、カルボナーラが美味い。

「そんなものかもね」

マスターが笑って、新しいチェーサーを私の前に置いてくれた。

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