第161話 エサ

「うむ、悪くねぇ話だな」

報告を聞いた霧島は少し考えた後に言った。


雫石の移籍発言は本気のようだった。

あの発言の直後に小岩井が迎えに現れ、間一髪の状況に翔太は肝を冷やした。

橘は翔太を連れ、霧島がいる本社の社長室に移動した。


「劇団ヒナギクに所属する子役タレントは、契約期間は小学校卒業までです」


橘による情報が確かなら、雫石の言っていることは、まんざら無茶ではないことになる。


「劇団ヒナギクは成人の役者もいるみたいですが」

「二つのパターンがありますね。

子役時代の契約を更新している場合と、大人が劇団ヒナギクに入る場合があります」

「子役で活躍できない子は、そのまま芸能界から去っていきます」

「厳しい世界ですね」


子役の世界は非常に競争が激しい。

子役の仕事は限られており、特に人気のある役や大きなプロジェクトには多くの応募者が集まる。

そのオーディションの合格率は自動車事故に遭遇する確率に匹敵するとも言われている。

その点で言えば、雫石は稀有な存在と言えるだろう。


「移籍が実現した場合、当事務所の収益に大きく貢献するでしょう」

「そうだろうな」


雫石は映画『沈黙の証人』の出演以外にドラマやCMなどに出演しており、高額な収入を得ている。


「問題は成長した雫石を世間が欲しがるかだな」

「梨々花と同じキャリアを積めるかどうかですね」


神代の女優としてのキャリアは子役時代からの積み上げだ。

雫石が神代に対して異常とも言える執着を持つ要因の一つとも考えられる。


「今のところ、神代のような制約がないのも大きいな」

神代は異性を苦手としていることから、男性と深く絡むような仕事は受けていない。


「リスクがあるとすれば、スキャンダルですが。それも今は問題なさそうです」

橘はすでに雫石の身辺調査を済ませていた。

これは神代を守る理由もあるのだろうと、翔太は推察した。


「神代さんに対しては、相当なライバル心を持っているようですが、それは問題ないんですか?」

「お互いに、いい刺激になっていいんじゃないか?」


霧島はあっけらかんと言い放った。


「年齢差があるので、役が競合することもありません。

共演が実現すれば、雫石さん側のモチベーションが高まるでしょう」


これまでの話を総合すると、霧島プロダクションにとっては利点が大きいようだ。

霧島の最初の判断が正しいと言っていいだろう。


「それで……イマサラなんですが、何で私はここに呼ばれているんでしょう?」

翔太は霧島プロダクションの人事に介入できる余地はまったくないはずだ。


「お前はエサだよ」

「は?」

「彼女の移籍は柊さんがここにいることが前提なのです」

「だいぶ気に入られたみたいだな」


霧島はニヤリと笑って言った。

(雫石とはあまり関わりたくないんだけどな……)


「でも、翔動うちとキリプロさんとの契約がいつまで更新されるかわかりませんよね?」

「雫石との契約が完了してしまえば、どうにでもなるぞ」

(悪い大人の顔だ……)


翔動お前たちにとっても悪い話じゃないぞ」

「と言いますと?」

「雫石を格安でプロモーションに使わせてやろう」


(少なくとも雫石が移籍するまでは、キリプロにいないといけないってことか……)

翔太は目の前のニンジンに飛びついた。

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