第138話 辞表
「どういうことだ!」
加古川は激怒した。必ず、かの翔太を管理している上司を問い詰めねばならぬと決意した。
加古川にはアクシススタッフの人事事情がわからぬ。
加古川は、アストラルテレコムの部長である。
部下を叱責しつつも、ミッションクリティカルなシステムを運用してきた。
けれども受けた恩義に対しては、人一倍に敏感であった。
翔太の退職を知った加古川は、太宰治の短編小説の冒頭文のごとく激怒した。
「柊と野田の代わりとなる人材はすぐに手配できま――」
「うちの事業部にも中々いない人材が、本当にすぐに出てくるんだな?!」
「それは……」
(柊の野郎……聞いてないわよ……)
上田は内心で翔太に文句を言っていた。
上田はアストラルテレコムの明石に、翔太と野田が出向解除を申し出た。
慌てた明石は上司である加古川を呼んだ結果、加古川の怒りを買うことになった。
「そもそも、柊くんはだな――」
上田は加古川の昔話を聞く羽目になった。
***
「加古川、状況を教えなさい!」
アストラルテレコムのオペレーションルームで、姫路はかつてないほど厳しい表情で加古川を問い詰めていた。
アストラルテレコムが提供している携帯電話IP接続サービス『i-wave』のシステム統合作業に問題があり、サービスが一時停止している状況であった。
この時代の国内において、携帯電話によるインターネット接続サービスはi-waveの独壇場だったが、競合するキャリアのサービスが猛追していた。
このサービスが止まってしまうことは信頼性を損ない、シェアの低下は避けられないだろう。
姫路にとって最も憂慮している事態が発生していた。
それは加古川にとっても同様であり、自身の進退にもかかっている。
加古川は翔太から、万が一に備えた待機システムの提案を受けていたが、これを跳ね除けていた。
(あのとき、ちゃんと話を聞いていれば……)
「――部長、切り替え前のシステムに戻せるそうです!」
「ほ、本当か!」
明石の報告に加古川は飛びついた。
翔太は前の人生で、アストラルテレコムがこの作業に失敗することを事前に知っていた。
その時はデルタファイブの社員だったが、アストラルテレコムで運用を担当している翔太は問題とその対策を把握できる立場にあった。
したがって、システムのバックアップから直ぐに戻せる仕組みを密かに構築していた。
「――はぁ……とりあえず、何とかなりそうだな……」
サービス再開の一報を受けた加古川は肝を冷やしながらも、なんとか一息つくことができた。
「これを用意していたのは――」
「はい、柊です」
「やはりそうか、柊くんを呼んでくれ」
加古川は自社の社員ではなく、協力会社から出向されている翔太に意見をされたことでメンツを潰されたと感じており、意固地になっていた自分を恥じた。
翔太の機転がなければ、間違いなく自分のクビが飛んでいたであろう。
これを機に、加古川は部下の意見をしっかりと聞くようになり、姫路からの信頼を取り戻すことになる。
翔太の介入によって、加古川の人生は変わってしまったのだ。
***
「柊くんは社員でもないにもかかわらず、システムのリスクを事前に把握して、しっかりと対策まで立てていたんだぞ!
これだけの人材をアクシススタッフはすぐに用意できると言うのかね!?」
社内では敏腕営業と言われていた上田も、このときばかりは反論できなかった。
***
「まったく……今さら何の用事だろうな」
アクシススタッフの本部に呼び出された野田は翔太にこぼしていた。
「アレしかないだろうな――来たみたいだぞ」
翔太と野田は大野に退職の意向を伝えていた。
後は引き続きや諸々の手続きをするだけだと思っていたが、大野の上司である部長の田口に呼び出された。
会議室に田口が現れたことで二人は姿勢を正した。
「待たせたな。これはお前らが出したもので間違いないな」
田口は翔太と野田が提出した辞表を示した。
二人は田口に「はい」と言いながら頷いた。
「これは認められない。却下だ」
田口はそう言って、二人の目の前で辞表を破り捨てた。
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