第108話 動画
「ほう、動画の埋め込み機能ですか」
サイバーフュージョンのオフィスで森川は興味深そうに言った。
森川はパーソナルメディア事業部の責任者で、新田の上司だ。
翔太が内心で『須見工コンビ』と呼んでいる
翔太は長町がゲームに出演する条件として、ブログに動画を投稿する機能を追加することを要求してきた。
IT技術に明るくない長町は、この要求がかなりの無茶振りであることを認識していない。
ブログの基幹システムはサイバーフュージョンで運営されているため、翔太は森川に相談することにした。
「実はプロトタイプを作っています」
「え! ホントですか!?」
翔太の発言に森川は驚いた。
この時代、動画配信サービスはまだ黎明期と言えるほども普及されておらず、動画コンテンツを提供しているウェブサイトも少なかった。
「こ、これは……思ったより高解像度で滑らかですね」
森川は翔太が用意した動画の品質が想像以上だったことに感心していた。
動画はテストサーバーのブログに埋め込まれており、長町が歌っている様子が再生されている。
「バックエンドは新田さんが実装してくれました」
「い、いつの間に!?」
動画圧縮方式はこの時代での最新規格を採用している。
未来を知る翔太ならではの技術選定だった。
この規格を使った動画コンテンツは、すでに翔動が運営するLMSに導入されている。
このLMSをベースに、翔動の自社サービス『ユニケーション』と霧島カレッジの『グロウ』が開発されている。
新田は初見の楽譜を即興で演奏するウラディミール・ホロヴィッツのように、翔太が提示した新しい規格を事も無げに実装していた。
『柊、貸しだからね』
新田は周りに聞こえないように言った。
LMSの実装に当たって、新田には翔動から正当な報酬を支払われている。
新田が言う『貸し』とは、技術選定も彼女が行ったことにすると、翔太が頼み込んだ経緯があったことを指す。
「動画はネットワークに負荷がかかるため、まずは霧島プロダクションの所属タレントのブログに試験的に実装するのはどうでしょうか?」
「いいですね!」「マジですか!?」
翔太の提案に佃と大熊が反応した。
「――佃、fpsはどれくらいまでなら許容できる?」
「そうですね――」
森川と佃はすでに運用の話をし始めている。
長町からの無茶振りが実現できる見込みとなったため、翔太は安堵した。
***
「柊さん、あのときは本当にありがとうございました。一生の思い出になりました」
「そんな大げさな……私もあのときは本当に助かりました」
佃と翔太はお互いにお礼を言い合っていた。
翔太が言ったあのときとは、Pawsのイベントの脅迫者を佃が特定したことであった。
佃が言ったあのときとは、映画『ユニコーン』の制作発表会のことであった。
***
制作発表会が終わり、佃は神代の艶やかな姿を脳内で反芻していた。
上司の森川からは制作発表会後、すぐに仕事に戻るように厳命されているが、今の浮ついた状態で仕事が手に付くかどうかは甚だ疑問だ。
「佃さん、こっちです」
翔太に案内されたのは、社内の会議室だった。
今日は映画関係者の控室のために確保されている。
(まいったなー、森川さんからは早く戻れと言われているんだけど……)
「コンコンコン」「はーい」
ノックの返事の声は、どこかで聞いたことのある声だった。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」
会議室には映画の主演である神代と、助演の美園が休憩していた。
「神代さん、このかたが例の――」
翔太が何やら神代に説明しているが、佃にはまったく耳に入らないくらい目の前の光景が信じられなかった。
彼の視界に飛び込んできたのは、まさに女神の降臨と言わんばかりの超人気女優、神代の姿だった。
その美しさは彼の心を瞬く間に虜にし、現実感を失わせるほどの輝きを放っていた。
「佃さん、はじめまして! 神代と言います」
神代は輝くような黒曜石の瞳を佃に向けながら挨拶をした。
その瞳はブラックホールのような引力で彼の心を吸い寄せ、足元の感覚を喪失するほどの浮遊感であった。
「はわわわわわ……ななな名前を……」
「私の大切な友人たちを守っていただき、本当にありがとうございます」
神代はそう言って美しく繊細でしなやかな両手で佃の手を握り、優雅に一礼した。
同時に彼女から漂ってくる漂う甘く爽やかな香りが彼の平常心をドロドロに溶かしていった。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」
この日の佃は、まったく仕事にならかったことは言うまでもない。
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