第86話 私をロケ地に連れてって
「あら? 柊さん」
グレイスビルで翔太を見つけた美園は、眩しいくらいの満面の笑顔であいさつした。
「お、お元気そうですね」
「ええ、おかげさまで」
翔太はたじろぎながら応じた。美園の隣の神代が不機嫌そうにしていたからだ。
神代の表情は平然としているが、翔太は彼女の微細な変化を感じ取れるほどになっていた。
「今日は稽古ですよね?」
美園がグレイスビルに来る用事はこれ以外に思いつかないが、美園に感じた違和感から、思わず確認してしまった。
美園は普段、グレイスビルにはスポーティーな格好で現れる。
これは稽古中しやすいことと、彼女のアクティブな性格が反映されていた。
しかし、今日の美園は華やかな装いで、メイクも普段より丁寧に整えられていた。
これから仕事があるとも考えられるが、神代はいつも通りの格好だった。
「ええ、そうよ」
「美琴、着替えるんでしょ? 早く行くよ」
神代が急かすように言った。
どうやら、稽古であるのは間違いないらしい。
(わざわざ着替える必要があるのだろうか?)
***
(うわっ! これは……非常によろしくない……)
稽古が終わった神代と美園を目の当たりにした翔太は、あまりのいい匂いにクラクラした。
二人は稽古後にシャワーを浴びたらしく、神代は服を着替えており、美園は来たときの服装に戻っている。
国内の人気を二分する美人女優二人に囲まれ、翔太の理性はゴリゴリに削られた。
(なんでこんなことに?)
これまでも、二人がこのグレイスビルの稽古場で稽古することは何度かあったが、今回のようにシャワーを浴びて過剰な色香を放つことはなかった。
「ね、柊さん? シーン125で相談があるんだけど?」
美園は翔太を覗き込むように言った。
(ち、近い……)
シーン125は、映画『ユニコーン』のハイライトの一つだ。
サイバー攻撃を受け、神代演じる的場が陣頭指揮に立ち、美園演じる沢木がオペレーションを担当する場面だ。
ロケ地にはアストラルテレコムのオペレーションルームが使われ、作品中では最も大きな見せ場となる。
このロケ地での撮影時間は限られているため、事前に十分な練習をしておく必要がある。
「はい、なんでしょう?」
「演技での臨場感を出すために、あの場面でもモックを使いたいと思うの」
『モック』は翔太が演技の練習用に用意したものだ。
映画の場面を再現した擬似的なアプリケーションで、操作に応じて作中の場面が再現される仕組みになっている。
美園は課題であったタッチタイピングを習得しているが、さらに演技を磨きたいようだ。
「ふーん……美琴ってば、すごいやる気じゃない」
神代はジト目で美園を見ながら言った。
***
「――そうですね、いっそのこと映画の本番でも使ってもらうのはどうでしょうか?
そのほうが、正式なお仕事としてお願いしやすいですし」
「夢幻からはキリプロさん経由ではなく、翔動の仕事として受けるってことですね」
「はい、石動さんも喜ぶと思います」
モックの作成は工数が掛かるため、翔太では決めきれず、橘に相談した。
夢幻はユニコーンの制作会社だ。
橘は色々と端折って提案したが、翔太には問題なかった。
美園は不思議そうに二人を見つめながら、複雑な表情をした。
この後、正式にプロデューサーの山本から、映画の演出用アプリケーションの制作が翔動に依頼されることになる。
したがって、石動が張り切らなくとも、どのみち映画には翔動のクレジットが入ることになったのだ。
(石動のモチベーションを下げないよう、黙っておこう)
「あの、シーン125のロケ地なんですけど。梨々花はもう現場を視察しているんですよね?」
美園は真剣な眼差しで尋ねた。
翔太は橘に「言ってもいいですよ」と目で促した。
「はい、柊さんのコネで実現しました」
「演技のためにも、私もロケ地を見ておくべきだと思うんです!」
「確かに、そのほうがいいでしょうね」
アストラルテレコムのオペレーションルームは使える時間が限られている。
最大限のパフォーマンスを発揮するためには、現場のイメージを把握しておくことが重要だと感じているのだろう。
(まさか……)
翔太は嫌な予感しかしなかった。
「ね、柊さん? 私をそこに連れてってくれないかな?」
普段は勝ち気な表情の美園が、すがるような目つきで言った。
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