第69話 天国と地獄
「困るんだよね、こんな急に休まれたら」
三田は翔太を会議室に呼び出して切り出した。
ここはアストラルテレコムの会議室だ。
退院後、久しぶりに出社した翔太は、アクシススタッフに在籍する主任の三田に呼び出された。
三田は翔太とは異なる部署に所属しているが、出向先であるアストラルテレコムの現場責任者だ。
「今度からは、こういうことがないようにしてくれないと」
「ご迷惑をおかけしました」
翔太にとっては不慮の事態だったので、どうしようもないと思っていたが、何を要求しているのだろうか?
「大野副部長からは、三田主任に連絡が入っていると認識しているのですが」
「ああ、交通事故に遭ったんだってね」
翔太の上司である大野には、傷害事件に巻き込まれたことを報告したが、表向きは交通事故に遭ったことにする指示を受けた。
翔太としても大事にはしたくないため、利害は一致していた。
「今後は事故に遭うなということでしょうか?」
「急に一週間も休まれると困るんだよ!」
「副部長からは、やむを得ない事情だと了承いただけましたが――」
「僕は困るんだよ!」
「私に何か問題があるのでしたら、代わりに誰かを――」
「勝手に辞められたら、もっと困るだろ!?」
翔太は目の前にいる生物が何を言いたいのか、全く理解できなかった。
(ここも長くなさそうだな……野田に相談するか)
翔太は今の会社を辞めることに全く抵抗はなかったが、野田を一人で残していくことが気がかりだった。
***
「柊さん、こちらです」
目の前の美しい女性に声をかけられ、翔太は一瞬戸惑った。
アストラルテレコムのビルを出たところで、橘が翔太を待っていた。
橘は普段のスーツ姿とは違い、白のシルクブラウスにスキニーパンツといったモデルのような格好をしていた。
あまりの美しさに、すれ違う人は男女問わず橘をちらちらと見ている。
翔太も例外ではなく、見惚れてしまった。
翔太は仕事を終えた後、グレイスビルに招集されていた。
橘は休暇中で、霧島プロダクションの仕事はないはずだったが、迎えにきてくれたようだ。
「今日はいつもと違いますね」
「今は休暇中ですから」
「一瞬、誰かわかりませんでした」
「ふふふ、柊さんの反応で、それがわかりました」
翔太と橘はグレイスビルに向かう車中で話していた。
翔太は橘が仕事柄、普段は意識して目立たないようにしているのかもしれないと思った。
橘が本気を出したら、ほとんどのタレントが自信を失いそうだ。
「霧島から休みを取ることを強制されました。誰かさんが手を回したようですが――」
橘はちらりと翔太を見ながら言った。
「ナンノコトデショウ」
「ふふ、気を遣っていただいてありがとうございます」
橘の表情が柔らかくなったように感じた。
事件のときはずっと張り詰めた顔をしていたので、翔太は安心した。
「梨花とも話しました。もう大丈夫です」
「俺のせいですよね……すみません」
「梨花と私がぶつかることはよくあるので、柊さんは気にしなくていいですよ?」
どうやら神代とのわだかまりはなくなったようだ。
「で、なんで呼ばれてるんですか?」
「それは着いてからのお楽しみです」
橘はいたずらっぽく言った。
***
「かんぱーい!」
グレイスビルの休憩室では、『Pawsエンカウント』の慰労会が行われていた。
デリバリーで用意された料理や飲み物のほかに、川奈が料理を振る舞っている。
「もー、しょうたん遅いぞ」
「いゃ、こんなことあるって知らなかったし」
「事前に言ったら来んかったじゃろ?」
「ソンナコトハナイョ」
翔太は早速、星野に絡まれていた。
「橘さん、ありがとうございました!」「すごくかっこよかったです!」
橘はPawsのメンバーに囲まれていた。
星野が言っていたファンクラブだろう。
「あ、あの……鈴音を助けたときの柊さん、かっこよかったです!」
Pawsのメンバーの一人がキラキラとした目をしながら翔太に話しかけてきた。
(しまった、こっちの存在を忘れていた……)
翔太のファンクラブも嘘ではなかったようである。
「あー、結局橘さんに助けてもらったんですけどね」
翔太は助けを求めるべく、なぜかここにいる神代に目で合図した。
「あぁっ! その話聞きたかったんだ! 真夜、詳しく教えて!」
翔太の願いは通じず、神代が話を掘り返した。
その場に居づらくなった翔太は、キッチンにいる川奈を手伝うことにした。
「おぉ、柊! お手柄だったらしいな!」
川奈はピザを生地から作っている。
(おっさん、凝りすぎだろ……)
「今日はわざわざありがとうございます」
翔太は川奈の指示で、ピザに乗せる野菜をスライスしている。
「俺もおまえのおかげで、役をもらったからお互い様だ」
「え? なんの役ですか?」
「くまりーにセクハラする役だ」
「えっ! ホントですか!? おめでとうございます」
どうやら映画『ユニコーン』で、神代が提案した案が決まったようだ。
男性が苦手な神代も、相手役が同じ事務所の俳優ならやりやすいだろう。
***
「酔うたー」
翔太はぐでんぐでんに酔っていた。
昼に嫌なことがあったので、余計に飲みたくなったのかもしれない。
この場では飲酒できる参加者が限られているため、未成年のPawsのメンバーは甲斐甲斐しくお酒を注いでいた。
(そういえば飲酒を控えるように言われてた気がする……)
「わあぁっ! 柊さんの手、大きいですね!」
中にはどさくさに紛れて、翔太に触ってくる子もいた。
星野の忠告を思い出し、どうにか距離を取るようにした。
こうやって若い女の子がおじさんの接待をしている姿を想像すると、彼女たちを不憫に思っていた。
芸能界のことは知らない翔太の勝手な妄想である。
(未来では、こんな時代錯誤の風習は少なくなってきてるけど……)
「綾華、そこのお水とって――」
「「「えっ!」」」
翔太の不用意な一言に注目が集まってしまった。
「あ、あの……私のことも真夜と呼んでください!」
「私も――」
Pawsのメンバーの一部が色めき立った。
「許可できません。私は柊さんには然るべき対価を払って、こう呼んでもらっています」
すっと、白川が翔太の前に立ちはだかった。
「え?どういうこと?」「綾華だけずるい」
がやがやと騒然とした場を収めようとしたのか、神代がすっと立ち上がった。
「はい、みんなそこまで!柊さんは明日、私とデートするんだから!」
「「えええ!」」「「キャー!」」
収まるどころか、新たな燃料が投下されたのだった。
翔太と橘は「はぁー」とため息を付いた。
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