第56話 ハラスメント撲滅隊エピローグ

「乾杯!」

ジョッキが触れ合う音が響いた。


ここはビアレストランの個室だ。

和竹のハラスメント対策が一段落したため、ハラスメント撲滅隊の打ち上げが行われた。


支払いは山本持ちで、制作費から捻出されている。

制作費に余剰ができたのは、翔太が獲得したスポンサーあってのものなので、翔太の内心は複雑だ。


「いやー、今回は危なかったよ」と山本がほっとしたように言った。

主演とスポンサーを同時に失う可能性があったため、山本は気が気ではなかった。


「結局、和竹はどうなったんですか?」

翔太はスポンサーとロケ地誘致に奔走していたため、和竹の動向は確認できていなかった。


「懲戒解雇よ」

蒼はビールをうまそうに飲みながら言った。

溜飲が下がっているのだろう。


「それは厳しいですね。自業自得ですが」

「どうゆうこと?」

神代はピンと来ていないようだ。


「懲戒解雇は退職金も出ないし、離職票には重責解雇と記載されるんですよ。

履歴書には懲戒解雇処分と記載する必要があるので、再就職はかなり難しくなると思います」

翔太が説明した。


「社内でもハラスメント行為があったみたいなので、MoGeの社内では一気に情報が拡散しちゃってる。

某掲示板でもかなり盛り上がっているみたい。

あ、でも被害者の情報は一切出ないから、そこは安心して」

蒼が補足した。

和解書に被害者の情報を漏洩しないことが盛り込まれているらしい。


「もう社会復帰はできないだろうね」

山本の一言で、翔太の目的が達成されたことを実感した。


「和竹のような人間が、あんな役職に付いていたことが不思議ですね」

「関連会社からの天下りだったみたいです」

「あぁ、なるほど」


橘の疑問に対し、蒼が説明した。

蒼は今回の失敗を機に、クライアント企業と担当者を入念に調査することにしたらしい。


「製作委員会で行動規範を作ることにしたんだ。いずれは夢幻でもコンプライアンス部門を設立したいと思っている」


行動規範とは、当事者や組織の規範、規則、責任、または適切な慣行を概説する一連の規則だ。

今回のようなハラスメント行為や、事故、怪我などを防ぐための一定の効果が期待される。


「当事務所でもコンプライアンス部門の検討をしています。

この業界では、周知徹底が難しいのですが」

「うちではすでにコンプライアンス部門があるのに、あまり機能していないんです……」


橘と蒼が嘆きながら言った。

芸能界やメディア業界では、上下関係や権力構造の問題から、さまざまなハラスメントが蔓延しているのが現状だ。


「今回は蒼さんが動いてくれたし、見えるところから改善していくことが大切ですね」

橘は、神代の前向きな発言と成長を喜ばしく思っていた。

以前の神代であれば、萎縮したまま終わってしまっただろう。


「柊姉弟に助けられたよ。本当にありがとう」


企業相手にハラスメント行為を告発するに当たって、クオリアのような大企業の組織力があるとないでは雲泥の差だった。

被害者には個人事業主の声優もいたが、彼女が単独で訴えた場合、勝算はかなり低くなると想定できる。


「今回は、私も色々と学べたわ」

蒼自身もこれまで同様のハラスメント行為を受けた経験があるが、ここまで大事にしたのは初めてだ。

蒼は、神代が言ったように、声を上げ続けていくことが重要だと実感した。


「まさか、こんな大きなスポンサーが付いてくれるとは思わなかったよ。おまけにロケ地まで提供してくれるなんて」

山本は感心しながら言った。


すでにジョッキ三杯を空にしており、赤ら顔になっている。

アストラルテレコムからの出資金額は、メインスポンサーのサイバーフュージョンに匹敵する規模だ。


翔太は身構え、自分に矛先が向かないように思案した。


「柊さんが人脈を使ってなんとかしてくれたみたいですね。

広報の観点からもいいロケ地なんじゃないでしょうか」

翔太の代わりに橘がフォローしてくれた。


翔太は、橘にはある程度事情を打ち明けている。

神代が深い事情を知ってしまうと、翔太に対する気遣いなどで演技に影響が出てしまうことを懸念していた。

したがって、神代に流す情報は制限するということで二人の思惑は一致している。


神代は、翔太と橘がアイコンタクトで意思疎通をしているのをみて、風船のように頬を膨らませた。


「そう、PVではあの場所を使ったシーンがいいですよね」

蒼が同意したことで、翔太は胸をなでおろした。


映画のプロモーションビデオは、予告編やテレビCMなどに使われる。

オペレーションルームが使われれば、アストラルテレコムの広報担当の高槻も報われるだろう。


「派手な場所ですよねー。監督も喜んでいました。

きっと、映画をきっかけにアストラルテレコムに興味をもって入社してくれることを期待してるんですよね?」

神代が的確なところを突いてきた。


「そうですね、企業イメージの拡大と人事的な戦略があるようです。

実際にあの場で働くと大変なことばかりですが」

翔太は苦笑して言った。


オペレーターは、サッカーに例えるとゴールキーパーのようなもので、0点が最高得点だ。

ミスをすると評価が下がる仕組みでは、モチベーションを保つのが難しい職場と言える。

内情を知る身としてはあの場所にいい思い出はないが、外面はいいだろう。


「当事務所としてはありがたいです」

橘は神代が目立つ場面で使われることを歓迎していた。


「がんばります!」

神代の言葉に翔太は安堵した、神代は和竹のハラスメント行為を克服できているようだ。


(しかし、脚本の監修だけの仕事のはずが、どうしてこうなった……)

神代と関わる仕事は、いつも小さな仕事から始まって、気がつけば大事になっているのであった。

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