第3話 マネージャー

本番に向けての演技指導が始まった。

神代は相変わらず驚異の学習スピードで、講師のテクニックを吸収していく。

翔太が操作の手本を示しているところで。

「あ、この画面の切り替え方法なんですけど」

神代がぐっと身を乗り出して、モニターを指差しながら近づいてきた。

(近い……)

この時代においてハラスメントの基準は厳しくないが、翔太としては肉体的な接触は避けたいところだ。


タイミングよく(?)メールに着信があった、水口がもうすぐ戻ってくるようだ。

翔太は少し距離を取りながら立ち上がって言った。神代が残念そうな顔をしているようにも見えたが、スルーすることにした。

「じ、実はここからの操作はある秘密兵器がありまして、まもなく戻ってくる水口が持っている筈なのでこれを使いましょう。」

「へー、秘密兵器ですか!ワクワクしますね。」

神代は目を輝かせて言った。一般的にガジェットは女性にあまり受けが良くないので、神代の反応は嬉しかった。

「水口が戻ってくるまで休憩しましょう。」


***


「ふー」

休憩室でようやく一人になれたので、翔太はため息をついた。

慣れない出来事の連続で、さすがに少し疲れていた。

「ご休憩中失礼します。少々お時間宜しいでしょうか?」

女性が近づいてきた。

年齢は翔太より幾分上だろうか。

彼女は長い髪をきちんと整え、肩にかかるその髪はまるで絹糸のような滑らかさを持っていた。

端正な顔立ちには知性が宿り、その目を覆う眼鏡の奥には鋭い洞察力が光っている。


「ご挨拶が遅れました。神代の専属マネージャーをしている橘と申します。」

渡された名刺には、霧島プロダクション、橘麗香たちばなれいかと書いてあった。

テレビを持っていない翔太ですら知っている芸能事務所だ。

専属でマネージャーが付いているということは、神代は相当売れていることが推測される。


「大変失礼な質問で恐縮ですが、神代さんは女優として活動されているということでしょうか?」

「はい、映画やドラマ、テレビCMなどに出演しております。神代は演劇を好むので、あまり受けることはありませんがバラエティ番組に出ることもあります。」

相当な人気なのだろう。かなりの予算をかけていると思われる現場の状況も合点がいった。

(はー、さっき近づかれたときは危なかったー)

大物が相手だったことを知り、改めて身震いする。


「ちなみに、神代のことをここまで詳しく説明したのはあなたが初めてですよ?」

橘はニッコリとした表情で言った、隙きがない表情からのあまりのギャップから翔太は思わず赤面してしまった。

「神代さんには大変失礼をしてしまいました。改めてお詫びします。」

翔太は頭を下げた、謝罪の作法は水口にみっちり仕込まれている。

「いいのですよ、実は神代が楽しそうにしていたので、あえて素性を明かさずに放置していました。

こちらこそ、こちらの事情でご挨拶が遅くなってしまってすいません。」

(なぜ素性を隠したほうが楽しいのだろうか?水戸黄門的なやつか?黄門様いないのに格さんが印籠を出しちゃったけど大丈夫?)


「それに、神代さんには難しいことをお願いする形になってしまって……」

「はい、一部始終を拝見していましたが問題ありません。時間についても今のところ想定内です。」

「そう言っていただけると助かります。」

「あの子はずっと私が専属で付いていたのですが、実はこんなに楽しそうにしているのを見るのは初めてなんですよ。

柊さんもお察しのとおり、あの子はどんな役でも器用にこなしてしまうので、演技に対して追加で要求されることはめったにないのです。

それに―――」

続きが気になったが、水口が戻ってきたので、演技指導を再開することにした。

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