今宵、月の綺麗な屋上で
蔵本 ゆめ
第1話 噂話とセンパイ
『校舎の屋上には、大昔に飛び降り自殺をした女生徒の霊が出る』
そんなありきたりの噂を
「……水野センパイって、そういうオカルト系信じてましたっけ?」
「ふふふ……信じていたらダメかしら?」
先輩は少し微笑みながら、その優しい眼差しを私に向けてくれる。こちらを覗き込む綺麗な黒い瞳と目が合って、つい目を逸らしてしまう。
「そ、そんなことないですけど……。ちょっと意外だなって」
「あらあら、
先輩がからかうように私に追い打ちをかけてくる。隣に座っている先輩から漂う仄かなシャンプーの香りに、私はうまく回らない頭を必死に回転させる。
「えっと……綺麗で、すらっとしてて、髪が長くて、背が高くて……ええっと……」
「それ、イメージというよりも私の外見そのままではないかしら」
「うぅ、確かに……」
先輩は百合の花みたいに凛としていて近寄りがたい雰囲気も確かにあるけれど、気配りもできていつも優しいし、今みたいにお茶目なところとか不意に見せる可愛い表情とか……
「ふふふ、その調子だと先に消灯時間のほうが来てしまいそうね」
小動物のような愛らしい笑みを浮かべながら、先輩は白くて細い指を私の髪に絡ませた。先輩に頭を撫でられると、なんだか胸の奥のほうがじんわりと温かくなる。……気分はまるで、飼い主に甘える猫のよう。
「……夜も遅いから、そろそろ終わりにしましょうか」
先輩は私の頭を撫でる手を止めて、私の前に置かれていたティーカップを手際よく片付け始めた。
「そういえば、屋上って立ち入り禁止なんですよね?」
若干の名残惜しさを感じつつ、私は部屋のシンクで洗い物をする先輩の背中に話しかける。
「ええ、今はそうよ」
「今は?」
「そうね、数十年前までは生徒に開放されていたらしいんだけど……なんでも、その屋上から飛び降り自殺をした女子生徒がいたらしいの。それ以来、屋上は鍵が掛けられて立ち入り禁止になっているわ」
「じゃあ、さっきセンパイが言ってた幽霊っていうのは……」
「噂によれば、髪の長いセーラー服の女子生徒が真っ暗闇の屋上に立っているんですって」
漆黒の闇に包まれた屋上。吹き付ける夜の冷たい風。淡い月明かりに照らされた一人の少女の不気味な影。すぅーっと音もなく、その影がこちらを振り向いて……
「センパイ……なんか、だんだん怖くなってきましたぁ」
考えただけでも背筋に寒気が走る。
「ふふふ……まぁ、貴女はまだこの学園に入って数か月しか経っていないものね。噂を知らないのも無理はないわ」
洗い物を終えたであろう先輩の優しい声が頭上から降ってくる。
「……センパイは見たことあるんですか?」
「そうねぇ……」
一瞬、先輩の声色に僅かな熱と憂いが混じったのが分かる。
「……逢えるのなら、もう一度逢いたいわね」
永遠のような一瞬の静寂が先輩と私の間を支配した。先輩は時々こういう哀しそうな表情を見せる時がある。いや、悲しいというよりも懐かしむような、寂しがるような……あるいは……
「さあ、もうすぐ消灯時間よ。自分の部屋に戻りなさい」
いつの間にか先輩の表情からはあの哀しそうな表情は消え、そこには普段通りの優しい柔らかな眼差しだけが私に向けられていた。
「……はぁい」
もう少し先輩とおしゃべり……あわよくば先輩の部屋でお泊りしたかったけれど、あんな風に優しく言われてしまってはしょうがない。私は後ろ髪を引かれながらも先輩の部屋を後にした。
◇◇◇◇◇
しんと静まり返った寮の廊下を一人歩く。聞こえるのは私の足音だけ。さっき怖い話を先輩から聞いたからか、背後から何かが着いてきているような気がしてならない。心臓の鼓動と同調するかのように、心なしか歩調も速くなってしまう。
先輩と初めて出会ったのは入寮式の時だった。全寮制の女子高であるこの学園では、新入生一人一人に上級生の『お姉様』がつくことになっている。あくまで名目上のものだが、自分たちよりも一回りも二回りも大人びた『お姉様』は時として憧れ以上の存在となることもある。実際、同級生の中でも先輩に対して特別な感情を持っている人は少なくない。
私も例に漏れずその中の一人だった。知り合いも誰もいないこの学園に入学した私にとって、先輩は上級生の『お姉様』であると同時に、初めてできた友人でもあった。
平日には先輩の部屋で勉強を教わったり、消灯時間ぎりぎりまで他愛もない会話をしたり、逆に先輩のことを色々と教えてもらったり。休日はたまに先輩と街へ出かけてお買い物をしたり、おしゃれなカフェで紅茶を飲みに行ったり。
私に対して迷惑そうな顔を一つもせず、いつもその綺麗な瞳で柔らかな笑みを浮かべながら話してくれる先輩は、私にとって特別以外の何物でもなかった。
それでも……先輩があの何とも言えない表情を浮かべているのを見ると、私の胸のあたりにモヤっとした灰色の霧がかかったような気分になる。私だけの特別な先輩には、私の知らない一面がある。この当たり前の事実がどうしようもなく私の心を曇らせる。
どうやら先輩は私の前ではあの哀しい表情を見せないようにしているみたいだけど、私はこれまでも何回か同じような表情を見たことがある。……ずっと先輩のことを見ていれば分かる。勉強を教えてもらっている時の眼差し。カフェで窓の外を眺めている時の横顔。
そして、先輩が言っていた『屋上の幽霊』。
その何が先輩をあんな表情にさせるのだろうか。私はその理由を知りたかったけど、でもその理由を私は先輩自身に聞く勇気はなかった。……先輩は三年生だから、あと半年しか一緒に居られない。これ以上先輩に対して踏み込んでしまったら、今までのような関係性ではいられなくなるかもしれない。……根拠はないけれど、何となくそんな気がしていた。
◇◇◇◇◇
先輩から噂話を聞いたその翌日から、『屋上の幽霊』についての噂話を私もよく耳にするようになった。……今まで私が気に留めていなかっただけで、どうやらこの手の怪談じみた噂話は頻繁に話題に上がるらしい。
私のクラスメイトの中にも、部活の帰り道の途中で夜の屋上に人の影が見えた、と言う子が居たし、屋上に繋がるドアの向こう側から女の人がすすり泣く声を聞いたという話も聞いた。『屋上の幽霊』はそんなに大昔の話ではなく、今もなお学園の生徒たちの間でささやかれている噂のようだった。
そんなある日のことだった。……偶然にも、屋上の鍵を見つけたのは。
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