第四章 白き心と黒の魂(9)

 景色が、戻る。


 黒く染まる、夜よりも暗い闇に覆われた世界に。


 だが、確かに、白の色があった。


 否。迸っていた。溢れ湧き出し広がっていた。


 ミズノが見つめる、カナメの背、右腕の先、突き込んだ白金の鎧から。


 突っ走る。獄黒を切り裂いて駆け巡る。この世に再び光をもたらさんと、渦を巻き。


「ミズノ。手を、離さないでくれるか」


 求めに、一切の逡巡なく左手を繋ぐ。まだ少しだけ震えている指を、力の限りに。


 右手を、支えるように肩へ置く。


 拡大を続けていた光が、収束する。


 カナメの小さな身体を、優しく包み、抱き締めて。


 その中で、見た。


【管理者権限確認。黎明幻装Orbis Twilighta、『PF-0G:Geist』、起動完了】


 読めた。


 この世界の共通言語。


 なおも彼らよりもたらされる、叡智は。


【貴方の道行きに至上の幸いを。――緋蓮カナメ】


 形を、成す。


 眩いほどの光に、目を細め。


 収まった時には、カナメは、それを纏い終えていた。


 純白の、ウェディングドレス。


 ミズノに向ける背を、大きく開き、首筋と肩、胸元まで晒すフリルのオフショルダー。黒くしなやかな長髪を薄く包むベールは、頭上に揺蕩う、二本の触覚を締め付けることはない。決して離しはしなかった左手には、薄手の長手袋が、肘上までを覆う。


 そっと、手が離れる。指先に、ありったけの名残惜しさを込めて、数歩を踏んでからミズノを振り返るカナメの、恥ずかしさ一杯の穏やかな笑みに、ようやく気付いた。


 地に触れるほど広がるスカート、その腰元を、和装の帯にも似た黒リボンが飾っていた。風に乗って長く揺れる様に、見れば、細い首に巻くチョーカーや、胸元など、諸所にさりげなく、けれど確かな黒の色が飾られている。


 婚姻装束の純白を、一層に際立てる、漆黒の装飾。


 珍しいなと、蜚廉特有の文化だろうかと、無粋な考えを巡らす頭は。


「綺麗だよ、カナメさん」

「うむ」


 それだけの、月並みな賛辞に。


 身に余るほどの、笑顔が贈られた。


『オオオ――』


 そして、この瞬間。


 この世で最も無粋極まる、咆哮が落ちてくる。


 一時の睦み合いも早々に切り上げ、首だけ振り返るカナメに、ミズノも空を仰ぐ。


 巨大な、と。何度言葉を重ねても、足りぬ黒天樹が、空を貫いてそびえ立っている。その頂点は、いかほどか。確実に成層圏は超えているだろう。あの極黒の枝葉は、既に宇宙と呼ぶべき領域より、この星そのものを食らい尽くそうとしているように見える。


 カナメが視線をミズノへ戻す。


 その背に、燐光を散らし、――光輪を成す、白き四枚羽。


「行くぞ。ついて来れるな、ミズノ」

「ああ。一緒に行こう、カナメさん」


 伸ばし合った手を、固く握り。


 飛翔した。


 気付いた時には、空気が無かった。


 あと、少し肌寒い。呑気なものだ、生物の存在など許さぬ、絶死なる暗黒へと無造作に踏み込み、漂っているというのに。


 下方を見れば、天殻の一割ほどを弾けさせた黒天樹が、醜い唸り声を上げていた。


「ねえ、カナメさん」

「なんじゃ、ミズノ」


 どう声を発したのかすらどうでもよく、彼方、果てに輝く太陽と、砕けてなおそこに在り続ける月へ、目を向ける。青と緑に包まれた、美しい星を背に。


「いつか、行ってみたいねえ。蜚廉たちが、目指した場所に」

「果ての果ての果て、この宇宙の外の、さらに外側じゃ。途方も無かろう」

「億でも十億でも百億でも探せばいいよ。賑やかに楽しく、さ」


 全く、と苦笑をこぼすカナメに、ミズノの頬も緩む。


 アテの、無い話だ。具体的な目標など何も無い。どこへ行きたいか、何を目指したいか、未だに何一つとして分からない。何が大人かババアか。呆れ果てる。まるで、子供のまま。


 でも。


「きっと、カナメさんとなら見つけられる。見つけたいんだ。歩いて行きたい、生きていきたい。どこまでも。いつまでも。果ての無い永遠だって、その全部を、楽しく、幸せに。

 俺は、カナメさんと一緒に居たいよ」


 見つめれば、羞恥に見開かれ強張る頬に。


 けれど、一筋の雫が、光を受けて輝いて。


「ああ。儂も、ミズノと共に、生きていたいのう」


 唇を重ねる。


 どちらからともなく、深く。


 今度は、不意打ちなどではない。無理矢理などではない。茶番の戦争などでは、ない。


 互いの、互いの全てを、預け合い、受け入れるように。


 離れ、た。


 身も心も焼き尽くさんばかりの熱を、この魂に。


「俺は、カナメさんの望む全てになる」

「儂も、ミズノが望む、全てで在ろう」


 誓いは、共に。


 見下ろす。


 青と緑を犯し渦巻く獄黒。収束する咆哮。無尽の暴虐。


 そんなもので、果ての星へと手を伸ばそうとする、度し難き傲慢を蔑むように。


 放たれる。月を、太陽を、無数の光までも砕かんとする黒の一閃に、ミズノはカナメの腰を抱いたまま、ただ、背から抜き放つ大剣を掲げた。


 受け止める。炸裂する獄熱。大気の外で感じる陽光よりもなお熱い、魂さえ貫き溶かすほどの熱量に、身体はどうとなくとも刃が軋む。黒金の影を纏わせてもなお、止まらぬ亀裂に。


「ちょっとは根性見せろ、相棒」


 求めに。


【管理者承認確認。黎明幻装Orbis Twilighta、『PF-6A:Alis』、起動完了】


 はねは、応えた。


 否。


 ミズノの前に広げられた翼は、盾と、呼ぶべきものだった。


 包み込む、盾だ。カナメへと向けて放たれる極死を白き光は遡り、同化していく。ミズノの下へ、引き寄せ、捻じ曲げ、根元から引き抜こうとする。優しいとは、呼べない。むしろ相手の力を根こそぎ奪い取ろうと噛みついているようにすら見える。脳筋にも程がある。


 だが、射線は固定した。


 刹那に与えられた自由を、見逃すカナメではない。


 ミズノからゆっくりと離れ、羽を打つ。舞い散る燐光に、背負う光輪が拡大し。


 墜天した。


 もはや残光を引くのみとなった軌跡の向こうで、黒天樹が半ばからひしゃげる光景を遠く、ミズノは、全ての黒を受け止め、結合の後に排熱する相棒、Alisを見上げ、嘆息する。


 やはり、蜚廉は馬鹿だ。しかも往生際が悪い。相当に悔しかったのだろう外なる者への惨敗、されど彼らは後の世に、緋蓮カナメと共に、全存在を賭けた希望を遺した。


 己共の、技術の粋を結集した最大火力をもっても、敵を殲滅できないのであれば。


 敵の、最大火力をもってして、撃滅せしめればよい。


 すなわち――しぶとい。


 掲げる大剣の根本、本来あるべき柄は、引き抜かれ、無くなっていた。


 ミズノが最後まで秘し続けた、己が持ち得る、正真正銘最後の切り札。


解放リリース


【『PF-1F:Fang』、起動完了】


 盾剣が、その身に抱きし、砲剣。


 二振りの短剣は、今、カナメの手に収まっている。


神斬りカミキリ。――俺が斬ってないのに、締まらないか」


 己が半身の下へと、馳せ参じるように。


 掲げた鞘から、光が舞い降りる。






――――――――――


【AIイラスト】

・××カナメ

https://kakuyomu.jp/users/hisekirei/news/16818093078456881902






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