第四章 白き心と黒の魂(8)
世界が。
白く、染まっていた。
カナメは、呆然と息を漏らす。地面も、空も無いような。ただただ白く、果ての無い世界だった。平衡感覚さえ容易く狂わされ、浮き足立ってすっ転びそうになったのを、ミズノの手が、支えてくれた。こんな珍奇な場所におうても、彼がちゃんと隣にいてくれることへの安堵と、何にでもすぐ適応するなコイツ、という呆れを浮かべ、
「誰か居る」
ミズノが、視線を向ける先。
男と、女。
黒髪黒目の二人は、頭に、二本のクセ毛を立てて。
「父上。母上」
思わず、と。
とっくに忘れていたと思っていた、その名前を。
女性の目が穏やかに細められる。続いて、温かな眼差しを向ける男性の笑みが。
刹那に、消え失せ。
ミズノの、真正面にあり。
「俺の娘に、何してくれてんだクソ馬鹿野郎があああああああッ!」
渾身の拳と共に、殴り倒された。
えええー、とカナメおよび女性の声が重なる。荒い息を吐く男性の怒り顔が歯を食いしばり、顔面から白い地面に沈んで動かないミズノへ、再び握り締められた拳が、
「――てめえの娘に、何てことさせてんだクソ親父があああああああああッ!」
縮地の回避に空を抜き、反撃の拳に叩き潰された。
ええええー、とカナメと女性。だがミズノは構いもせず男性の胸倉を掴み上げ、
「てめえだな、てめえだよな、てめえなんだよな。カナメさんにこんな力植え付けて、一人ぼっちに放り出して、十億年……十億年だぞ!? てめえのカスみてえな人生の何倍だ答えろオイ! その間、カナメさんは、ずっと、ずっとな」
あんな、何も無い世界で。
ずっと、一人で。
「……俺の、ワガママだ」
苦々し気に漏らす男性の顔面へミズノは再び拳を入れる。
背中から叩きつけられた男性は、奥歯を噛み締める呻きに、ゆっくりと、上体を起こして。
けれど、立ち上がることは無く。
「娘を、カナメを救ってくれて、ありがとう」
胡坐の膝に、両手を突き。
深く、腰を折った。
ギリ、と歯を食いしばるミズノは、拳を、解いて、下ろした。
ほっと、胸を撫で下ろす、カナメに。
「カナメちゃん」
「……母上」
そっと、隣に寄り添う、女性の微笑みが。
「カナメちゃん。――男は胃袋より股間よ。股間を掴みなさい」
「母上?」
「女と見れば欲情する哀れな生き物だけど、でもタマがカラなら構造的に不可能だから」
「母上?」
疑問よりも先に何故だろうカナメを見る女性の目がマジで、視界の端では男性がそっと顔を逸らした。見たくなかった。見とうなかったこんな両親の姿。涙がちょちょぎれそうになっていれば、ミズノは何やら真剣な表情で女性へ親指を立て、
「大丈夫ですお義母さん。俺はもうカナメさん以外で勃ちません」
「ハッ! 男なんていつもそう。
――仕方ないわよね、母も私と同じ遺伝子入ってるんだもの」
「お義母さん?」
「母上? 父上?」
視界の端を、遠く、目の前の女性に似た白髪の、しかし随分と若く見える小柄な女性があらあらうふふと顔の横で小さく手を振っていたのは全力で目を逸らした。見たくなかった。知りたくなかった。というか本当に母上で合っているのですか母上。あちらは祖母と呼んで差し支えないのですよね父上。十億年越しに明かされたごちゃつく家族構成に頭が。
「まあ、冗談は置いておいて」
「「冗談じゃ済みませぬお母上……!」」
おほほと口元を手で隠す女性は、ああ、そうか、本来はこういう人だったのだなと、子供の身では知れなかった姿に、カナメは、諦めにも似た息を吐いて、
「カナメちゃん。今、幸せ?」
そんな、ことを。
「うむ。とても幸せじゃ、母上」
「ちょっと見ない間に、マセちゃってもう。
そっか。将来の夢、叶えられたのね」
そうこぼす、女性の笑みは。
心の底から、本当に、幸せそうで。
「おい、クソ野郎」
「んだよ、クソ親父」
膝に手を突き立ち上がる男性に、剣呑な目を向けるミズノ。二人の間をバチバチと走る殺意はコレもう親への挨拶としては致命的に過ぎやしないかとカナメは思い、
「俺は謝らねえ。謝る資格が、ねえ。だがな、コレだけは言わせてもらう。
娘を、カナメを、頼んだ」
「言われなくてもそのつもりだよ。
……義父さん。カナメさんを、送り出してくれて、ありがとう」
チッ、と互いに舌打ちをし、唾を吐き合う姿に、女性は溜め息を一つ。頬に手を当て、
「男同士って、どうしてこう馬鹿なのかしら」
「いや母上コレは、男がどうのというか、この星の生物がというか……」
くすり、と。
微笑む顔が、薄く、透け始めた。
「時間切れか」
己の手の平を見る男性も同様。睨むミズノの目に、少し、惜別の色が揺れる。
同時に、あれだけ白かった世界が解け、黒に染まっていく。まるで、本来あるべき姿、あるべき場所へと、還っていくかのように。
「父上、母上」
男性と女性は、カナメとミズノから離れ、共に並び立つ。
小さく手を振る女性の隣で、男性は頭の上に手を挙げる。
消えていく、とても大切だったもの、求めてやまなかった再会と、無慈悲な別れに。
「お父さん! お母さん!」
叫ぶ。
力の限り、必死に、手を伸ばすように。
「――私、幸せになるから!」
小さな少女のように、夢を語る。
カナメの、潤んで消えていく景色の中で。
父と母は、いつまでも名残惜しむように、手を振り続けていた。
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