第二章 白き刃翼と黒の大樹(4)

 ミズノの差し出したふきんをひったくり、口元とテーブルを拭っていく。全然些細ではないだろう、との視線に、ミズノは苦笑し、


「暗殺未遂なんてしょっちゅうだよ。まともにやっても勝てないし、それでも死なないから種族代表やら、魔王やら、英雄やらが務まってるわけで。……今代の最近の仕事なんて、自分から殺されに行ってるようなもんだしなあ?」

「俺は戦後の慰問に周ってるだけだ。どこへ行っても何かにつけて腕試しだのなんだの突っかかってくる馬鹿共が居るだけでな……!」


 まさしく世界的な有名人が向こうからやってくるのだ。ミーハー連中はこぞって詰めかけるだろう。ミーハーの意味が違うかもしれないが。


 ボルテクスは苛立たしげにジュース瓶を呷り、テーブルへ叩きつけ、


「話を戻すぞ。……問題は、先代の魔王が敗北したことだ。それも相手は最弱の人間種、徒党を組んだ奇襲に、あっさりと討ち倒された。死にはしなかったが、結果は決定的だった」


 ほう、と呟くカナメへ、ボルテクスは息を吐き、続ける。


「元々、民衆からの支持は低かったのだ。気が触れ気味の暴君でな、自ら多種族の集落を訪れては、一方的にぶちのめすという所業を方々で繰り返していた。ゆえに奴に醜態を晒させた人間共の快勝は、特に反感の強かった中位種以下を中心に広く称賛されたのだが。

 あの馬鹿は、敗北を認めなかった。どころか同レベルの脳筋共、身近の上位種連中を扇動し……、今回の奇襲は、歴史ある戦争に対する冒涜だと、詭弁を並べて徹底抗戦を決め込んだ。

 それが、先の大戦の発端だ」

「その先代も、乱戦のゴタゴタでおっ死んでねえ。ボルテが代わりに全部背負い込むことになって。俺が顔見知りだったから、ならこの戦争の終止符は人間種が打つべきかってことで」


 流儀に反した闘争、互いの絶滅すら厭わない、終わりの見えない殺戮の中で。最弱の人間種から立ち上がった英雄が、全種族の長を片っ端から殴り倒していく。最終的に、頂点に立つ魔王の打倒をもって、戦争に終わりをもたらす。両者は互いの愚行を省みて、正しい世界の在り方を示すべく、手を取り合っていく。


 どこかで聞いた話だと自嘲すれば、カナメの、何か堪えるような視線があった。


「馬鹿の……、否。大間抜けの後始末を、お主らで、成したのじゃな」

「別に、徹頭徹尾下らない茶番だったよ。死ぬような目に遭ったとは思ってるけど」

「死ねない目に遭った、の間違いだろう。……戦うならば勝ちを譲る気はないが、今の貴様を殺し切れと言われたら、俺でも頭を抱える」


 互いに気心知れた宿敵同士、軽い冗談の、つもりだったのだが。


 カナメは、今にも泣きだしそうな、痛ましい瞳でミズノを見ていた。けれど、何一つとして言葉をかけることはない。そんな彼女の優しさに、にへらと、場違いな笑みがこぼれて、


「まあ、今回の戦争は、人間の英雄と蜚廉の王が結婚してハッピーエンドだけどね」

「ぶふっ」


 カナメが吹いた。上目遣いに睨む赤面へふきんを差し出せばひったくられ、「全く、全く」と呟きながらゴシゴシとテーブルを拭き始める。頬の裏はもごもごしていなかったが、頭の上で触覚がみょんみょんと跳ねていた。こっちはまだ黙っておくことにしよう。


 隣、ボルテクスが腕を組み、椅子に腰を深く据えながら、鼻から長い息を吐いた。


「しかし、貴様にオンナが出来たと聞いた時には、また面倒事が増えたのかとうんざりしたが……。事実なら事実で余計に面倒臭いとはどういうことだ」

「誰が誰のオンナじゃ……!」

「そーだよねえ、まだこれからだよねえ。『まだ』」

「勝手に予定を立てるな! 後にも先にもなっとらんわ!」

「ああ……、ウゼエ……」


 ボルテクスが死にそうな顔で青汁を啜っているがどうでもいい。カナメが可愛い。それ以上に重要なことなどないとホクホクしていれば、当の彼女はヘッと口の端を歪め、そっぽ向いて頬杖を突く。


「そーいえば『また』面倒事がとか言っておったのう。いやあ、さすが英雄様じゃなあ。今も昔もさぞかしおモテになるのじゃろう? 羨ましいことではないか」

「なあー……ボルテ見てくれよコレ、このクッソ可愛い生き物。俺の嫁」

「頼むから今すぐに死んでくれ」

「話を逸らすな……!」


 そんな赤ら顔でテーブル叩いて眉立てて牙を剥かれてもあー可愛い。マジで可愛い。頬を緩ませる余裕すらなく可愛い。多分マジの無表情で獲物を品定めする肉食動物の目をしていたから、カナメが割と本気で引いていたが可愛い。


 可愛い可愛いとうわごとのように繰り返す、ソレ以外の言葉と感情を失ったポンコツ馬鹿を見かねてか、ボルテクスは頭をガリガリ掻き、うんざりと、


「言っておくが……、コイツは馬鹿みたいにモテるぞ。そもそも強さだけが正義みたいな蛮族世界だ、最弱の人間種上がりで最強者なぞ、異性どころか同性にも求められる」

「そ……、そう、か……。そう、じゃよな、うむ……」

「ね、ねえー、ボルテぇ……」

「喋るな貴様はア! さっさと『可愛い』だけを呟く作業に戻れ!」


 角バチらせヒスり叫ぶ雷魔王。


 可愛いに脳を侵された白英雄。


 煽った挙句自爆した傷心黒王。


 現行世界の、紛う事無き最強者たちが織り成す、地獄絵図であった。


 そこへ、


「言い寄ってくる連中全員に『俺、年齢一桁の女の子じゃないと勃たないんだ』って言い続けたら、そのうち誰も近付かなくなったんですよねえ。このロリコン野郎は」


 ひょっこりと、顔を出したのはメリィであった。


 すっかり調子を戻したらしい片角女へ、うずくまった腕の中で涙と鼻水を処理したらしいカナメが、顔を上げる。無防備に指折り何かを数え始めたのは、右手が全て握られた時点で目を逸らしておいた。野暮な詮索をするものではない。五桁数えた時点で手遅れであるが。


 視線を戻したのは、カナメが再び肩を落として項垂れてから、


「貴様も、そうやって断られたのか?」

「いえ、私は年齢一桁の男の子じゃないと濡れないので」

「「「このショタコン女が!」」」


 耳塞いでぴーぴーと口笛吹く自称男児趣味は何を言われようとどこ吹く風。代わりにボルテクスが、片手で顔を抑え、後を続ける。


「その上で、ここに来て見た目幼女の貴様とイチャコラし始めたということだ。しかも相応の強者、戯言と噂が事実に昇華されてもはや誰も何も言わん」

「貴様も、そうやって断られたのか?」

「話を聞いていないのかお前は!? 俺は俺より強い相手にしか興味ないわ!」

「――ああ? オイてめえボルテ、カナメさん見ながら何言ってんだ? 殺すぞ」

「は? ボルさん魔王ともあろうものが幼女趣味ですか? 恥晒す前に殺しますよ?」

「もう貴様らまとめて殺してやる! かかってこいやあ――ッ!」






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