じー・じぇねれいしょん! ―Weiss g Schwarz X Ewigkeit―
ヒセキレイ
序章 白き英雄と黒の王(1)
《遥か昔。世界には、ただ荒れ果てた大地だけがあった。》
《天より降り立った女神はそれを憐れみ、この地へと種を蒔いた。》
《緑が溢れ、多くの命が芽吹くのを見届けると、女神は永い眠りに就いた。》
《だが、決して忘れてはならない。》
《かの祝福を蔑ろにし、争いの火が世界を焼かんとするならば。》
《慈悲深き女神は、怒りと共に目覚め、全てに等しく滅びをもたらすだろう。》
会心の一撃だった。
烈風に乱れる白い前髪の先、視界を覆う砂塵の中で、極厚にして超重なる白金の大剣が大地を割っている。握り締めた柄から両腕に響く確かな手応え。持てる全てを叩きつけた剣撃は岩盤さえ砕き、四方五十メートルに渡って捲り上げた破壊の後に、残る命などありはしない。
そのはず、だった。
相手が、まともな生物で、あるならば。
目を眇める。澱んで濁った赤の、厚いクマが染みついた瞳を凝らす。
どこまでも続く薄青の下、徐々に晴れていく土煙の先、己の真正面に立ちはだかるのは。
バケモノ、と。
そう呼ぶには、酷く憚られる、小さな少女だった。
風に靡く漆黒の長髪、頭の上で揺れる二本のクセ毛。同じく黒い薄手のドレスは、この荒れ果てた戦場のド真ん中にあって汚れの一つすら見当たらない。少し力を入れれば折れてしまいそうな細脚は、ローファーの踵にて砕けた地面を踏みにじり、仁王立つ。
昏く深い、闇色の瞳が、揺らぐことなくミズノを見据える。
薄い笑みを浮かべた口の端に、牙が覗く。
「それで終いか。白き英雄よ」
「相変わらずしぶといな。黒の王」
売り言葉に買い言葉。笑みには笑みで応じる。ハッタリは上々。そして手札は尽きていた。
地面に深く埋まる刃を引き抜き、身の丈を超える刀身を肩に担ぎ上げる。ゆったりとした動作に含ませた余裕は建前、考える時間が欲しかった。思考も行動も素晴らしく冷静なもの、だと言うのに妙案は何一つとして浮かばない。頭も身体も役に立たない。視界の右半分が赤く染まった。額だか頭だかが割れたらしい。粘る熱さが冷や汗を呑み、頬を滴る。
何の間違いも無く渾身の一撃だったのだ。後先もなく、味方は一人残らず脱落したのを良いことに、自爆覚悟でぶっ放した結果がこの有り様だ。周囲、黒い少女の眷属たち、やはり黒い男や女が幾人も倒れ伏しているが、いずれも身体に淡い光を灯し、その下で傷が癒えていく。数分と待たず立ち上がるだろう。絶望を目の当たりに心底の溜め息を喉元で飲み込む。
たかが数分でも倒れてくれるだけ可愛いものだ。目の前の少女、王たる彼女に僅か数秒でも行動不能はあったのだろうか。容姿だけを問うならば一切の掛け値なく手放しに『この世のものとは思えないほど可愛い』が、その小さな身体に秘めた凶悪さ極悪さはまるで可愛くない。今だってほら、変わらぬ仁王立ちに不敵な笑みをたたえ、腕を組む様はまるで、
「なんじゃ。黙ってないで次を見せんか」
とでも言いそうだな、との思考を待たずして言ってくれた。そう来ると思っていたのだ。きっと相当な御歳を召しているのだろう重みを持つご期待に、今度こそ堪え切れず特大の溜め息が出る。貼り付けた笑みなどとっくに頬の引きつりと成り果てていた。
「考え中。何したら楽しんでもらえるかなってさ」
「そうか? ならば精々励めよ。儂を飽きさせぬようにな」
呵々と獰猛な牙を晒し、頭の上でくるくると回る二本のクセ毛は、幸いにも大層ご機嫌なようだ。楽しんでくれている内は大丈夫。どれほど絶望的な状況だろうがまだ生を赦される。上位者、支配者、最強者。王とは常にそういうものである。よく知っていた。ゆえに下賤なる身の己は、無い頭を必死に働かせて考えなければならない。飽きられれば、機嫌を損ねればすぐにでも死ねるだろう。拾う骨すら残るまい。葬式の手間が減るな、との思考は現実逃避にもならなかった。現実は無慈悲に、己の活路と退路に横たわっている。
さてどうしたものか。いつの間にやら鉄クズと成り果てた軽装鎧を外して捨て去り、あちこち煤けた白装束を晒す。視界を染めていた血は既に止まっていた。袖をまくれば腕にも痛々しい傷跡が、浮かび上がる白い紋様、治癒聖術の下で塞がっていく。
だからどうしたと言うのだ。八割方諦めた視線を上げれば、黒の少女が笑みを消し、首を傾げた。怪訝な、何かの違和感を探るような仕草。ミズノも釣られて首を傾げると。
少女の首元、左の付け根が弾け、鮮血が噴き出した。
「おっと」
少女はハンカチでも落としたかのような気安さで呟き、左手で首を抑える。だが止まらぬ赤の色は指の間からも溢れ、白い肌を肩をうなじを鎖骨を、黒のドレスを染めていく。
「ふむ。少々効いておったか。……魔力も異能も持たぬ種族でよくやるものよ、人間の若造」
頬にまで跳ねた血液は右手で拭い、一度、見せつけるように親指を舐め取れば、薄い唇が鮮やかな朱に彩られる。これより似合う化粧も他に無いなと、呑気に思いつつ、
「お褒めに預かり、光栄です?」
「疑問形が気に食わんが、いじましい努力に免じて不問とする。着物を汚したのも許そう」
少女が笑みを深めた。
瞬間、二人だけの戦場に、熱が走った。
轟、と大気を一直線に貫き特大の火球が飛来する。真横から少女へと突っ走る灼熱は周囲の地表ごと小さな身体を、焼かなかった。
軽く振るわれた右の平手に、羽虫のように叩き落された。
炸裂した威力は不毛の地を焼き、少女の笑みを消したばかりに役目を終える。据わった瞳が、火球の投射点と向けられた。遠く聞こえてきたやかましい足音にミズノも視線を向ければ、獣だの耳長だのトカゲだの、粘液やら植物やら人型でさえない者まで、個性豊かな一団が雄たけびを上げながら突っ込んでくる。
援軍であった。
ミズノは地面に突き立てた大剣へと身体を預け、腕を挙げて、おうい、と、
「死ぬぞ」
震脚。
少女が叩きつけた左脚が大地を揺らし、割り、砕き。
走る衝撃が一団を爆散した。
前言撤回、死人は出なかった。全員まとめて再起不能になっただけだ。向こう一ヶ月はまともに外に出られまい。つまりほぼ戦死である。
本日二度目の溜め息。大剣へ寄りかかったまま横を見れば、己の一撃を見届けた少女の黒い瞳が、心底つまらなそうにミズノへと向けられ、鼻を鳴らした。
「興が削がれた。帰る」
「そう。お気をつけて」
少女が首元から手を離せば、既に血は止まっていた。ぺっぺっと軽く手首を振れば、赤の雫が乾いた大地を滲ませ、吸い込まれていく。きっと最高の土壌になることだろう。まさしく破壊の後の再生である。そんな下らないことを考えていれば、踵を返した少女が、しかし立ち止まり、首だけでミズノを振り返った。
「次は邪魔が入らぬようにせい。鬱陶しくて敵わん」
「あー、うん。伝えときます」
少女は背を向け、ゆるゆると後ろ手を振りながら歩みを進める。周囲では彼女の眷属たちが、這う這うの体で立ち上がり始めていた。少女の言う通り、意外と効いていたらしい。誇る気も起きず、早々に三度目の溜め息を吐こうとしたところで、
「早う、儂を殺してみせい。白き英雄」
でなければ。
「貴様が救ったこの世界――残らず焼いてしまうぞ」
宣言。
牙を剥き出し、肌が泡立つ凄絶な笑みを残し、少女は、眷属たちと共に消え失せた。
三と四度目と合わせて、二倍の空気をありったけ吐き出す。緊張の糸が切れ、耳が痛いほどの静寂に包まれる戦場は、随分と穏やかなもので。
「帰るか」
次の予定は立ったが、今は他にすることも無い。
気怠く身体を引きずるように、ミズノは早々に刃を収めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます