第16話 ウラカ

 教会へ戻ると、僕は陰鬱な気持ちに襲われた。レイは礼拝堂の扉を壊すほどの勢いで開いた。薄い月光が聖女像を照らし、その下には膝をついた院長がうなだれていた。酔いつぶれているのか。彼女は女王の剣の革鞘を抱いていた。剣の革鞘を支えにしていた。近づいても気づいていない様子だ。僕はウィンプルを脱がしてやると、若い肌が現れて、ようやく薄っすらと気配に気づいた。

 脂と鉄の臭いがした。

 屠殺場で散々嗅いだ臭いだ。

 靴が滑る。

「シンなの?」

 声はかすれていた。

「ああ」これはひどい。「今、治癒の術を使うからね。心配しないで」

「レイは?」

「ここにいる」

 レイは院長を抱いて、赤ん坊にするように頬に頬を寄せた。僕は倒れそうになる鞘を退けて、片膝をついた。

「その服、汚さないで。わたし、一度も着てないんだから」

 レイは答えずに、彼女の頬に額飾りを外した額を押しつけた。

「もう何も見えないけど、二人ともここにいるのね。ごめんね。剣を奪われちゃった。まさか奴らに襲われるなんて。わたしもバカだわ」

「こんなもののために」

「あなたが持ってきたものよ。こんなものなんて言わないで」

 僕は彼女の修道服の破れ目を引き裂いた。左の腹がえぐられていた。

 レイは名前を聞いた。

「ウラカよ。死ぬ前に呼んで」

「ウラカは死なない。わたしたちが守るから」

「わたしね、今日、初めてケンカしたのよ。ずっと抑えてたわ。どんなに苦しくても我慢してきた。わたしにもあんな声出せるんだと知った」

「怖かった」と、レイ。

「わたしもよ。でもちょっとスッキリしたわ」

 レイは僕を不安げに見た。治癒の術を使うのはいいが、おまえはどうなるんだ?という不安だ。

 僕が傷に手を添えた。

 一気に額に汗があふれた。衝撃が腕から首、後頭部に駆け上がる。

「ダメよ」

 ウラカが手の甲に触れた。

「わたしも治癒は学んだ。塔の街の術では、これは治せない」

「やってみないと」

「ムリ……」

 レイが苦しげに答えた。ここで僕のことを否定するのか?このまま見過ごせと?僕はレイを睨んでいた。

「聖女様を抱かせて」

 ウラカが言うので、僕は祭壇から青銅製の聖女を持ってきた。こんなものとも思ったが、そっと彼女に抱かせてやった。それでも両肘を支えてやらないと抱けなかった。奇跡を起こしてくれよ。ずっとあんたのことを伝えてたんだぞ。

「レイ、どこ?」

「ここにいる」

「このまま抱いてて」

「うん」

「まるでわたしがワンピース着てるみたい」

「うん」

 レイはギュッとウラカを抱き締めた。聖眼と聖女とで何とかしようということか。ついでにじいさんも黙ってないで何とかしてくれ。ただで旅行させてるんじゃないぞ。

 僕はレイとウラカの体の間に、そっと国ノ王を差し入れた。そして立ち上がると、椅子の下からハンドアックスを引きずり出し、重みを腕に染み込ませるように持ち上げた。

「おまえら、こそこそ隠れてないで出てきてもいい頃だろ」

 出入口から見覚えのある三人の影が現れた。おまえらかよ。とんだ食わせもんだったということか。

「待っていたんだ。この剣さえあれば何とかできるだで。もう一つ揃えばもっとええ。でもなかった」

「どこでそんなつまらない話を聞いたんだか知らんが、欲しけりゃくれてやるよ。僕が持っている。こんなもんのために、おまえら……」

「こんなもんではね。おらたちの未来がかかっとる。院長が悪い。素直に渡してれば済んだのに、抵抗するから斬られるだ」

「彼女はどこにあるかなんて知らなかったんだよ。僕が隠したんだからな。で、おまえが刺したのか?」

「誰でもええ。院長はおらたちを騙してたんだ。他の村の連中は追い返されたんだな。この前、村で次の作業しとるのを見てきた。どこにも行ってねえってことだ」

「考えてもみろ。おまえたちが助っ人を連れて来たとして、何ができるんだ。彼女の立つところからおまえたち自身を見てみろ」

「おらたちならやれる!」

「そう思うんなら、なぜ他の連中は諦めたんだ。今はおまえたちしかいないんだ。なぜか考えたか?」

「院長にそそのかされただ」

「なあ、他の連中とやらが何ともなく村に帰れた理由はわかるか?」

 僕が穏やかに聞いた。剣を構えたカムは震えていた。そうして構えるだけで精気を吸い取られていた。

 僕はカムと間合いを詰めた。

 いや。

 ただ近くで話そうとした。

「院長は、すべてなかったことにしてくれたんじゃないのか?何も聞かなかったことに。その領主様とやらは、反乱しようとした連中を許してくれるくらい慈悲深いのか?」

「う、うるさい。院長らは何もわかってね。奴らは弱虫だで」

「そんなこと言うから誰もいなくなるんだ。本当に強い人はね、いろんなことを自分自身の心だけに留めておくことができる人なんだ」

 僕はハンドアックスを持った手をカムに差し出した。

「もうその剣を離せ」

「おめえらはおらたちが不幸でいろと言うことか?」

「早く捨てるんだ。おまえらに扱えるもゆじやないんだ」

「ずいぶん偉そうに言うねえ」

 声には聞き覚えがある。

 タペストリーの後ろから馬飼いのミタフが現れた。武器を手にした仲間たちが続いた。僕は今、とんだ茶番につきあわされている。

「どういうことだ?」

「新しい助っ人だで」

 カムは浅い息を繰り返した。もう限界だよ。早く離せ。女王の剣が彼の命を奪おうとしている。

 馬飼いのミタフと仲間が助っ人となると、馬方組合も怪しい。ミタフから話を聞いた組合は、僕たちを口封じのために殺そうとした。

「剣が欲しいんなら、あんときに言えばよかったんだ。あんたくらいの腕の持ち主が、いつまでもなまくらを使うとも思えないからな」

「ふん。剣士ってのは、新しい剣が欲しくなるか。気持ちはわからんでもないがな。でもな、俺は剣が俺を選ぶと考えてる。だから今回も剣が俺を呼んだんだ」

「じゃ、その剣で好きなだけ暴れてみせればいい。あの白亜の塔のガレキから拾ってきたんだ。聖地そのものの剣だ。こんなちチンタラしてると、そろそろカムの命も消えるぞ」

「知るか。俺は人のことなんてどうでもいいんだ。俺は俺のために生きている。どうせカムも俺に殺されるんだからな」

 庭で二人の悲鳴が聞こえた。カムは怯えて振り返ると、馬飼いのミタフの手下が村人を殺していた。

「は、話が違うだよ」

「話なんて知らんね。初めからおまえはお尋ね者なんだ。領主に反抗しようとして生きられるわけがねえだろうよ。イモジの言葉だ」

「おまえは領主の犬か」

「犬?これまではな。でもな、俺にも運が向いてきた。領主なんてもんも糞食らえだ。組合もな」

「湿気てるよなあ」

 僕は吐き捨てて、礼拝堂の真ん中を出入口に向かって歩いた。カムはへっぴり腰で庭へと転がるようにして出た。自分の足で立つとことすら怪しいほど力を奪われていた。

 ミタフ自身は剣も構えず、タペストリーの隅にいた。彼らの息子たちは長椅子の上を、僕に近づいてきた。持っていた得物を使いたくてしょうがないという顔をしていた。

「ところでズミはどうした」

「知るかよ。どこぞに逃げたんじゃねえのか。村にでもいるかもな」

「あんたの村は消えたはずだ」

「どうかな?」

 僕はとんだお人好しだ。ミタフ街全体で僕を欺いていたのか。信じるべき人を信じないで、疑わなければいけない相手に弄ばれた。信じなければいけないウラカの命は消えようとして、それなのに敵はせせら笑っている。くそ。何だ、この込み上げてくる気持ちは。僕は情けない。

「まどろっこしいな!さっさと領主様とやらを倒してこいよ!そんな長いもん持ってるくせに、いちいちやってることがせこいんだよ!」

 僕は長椅子に駆け上がると、ミタフに左から襲いかかった。ミタフも剣で跳ね除けたが、そんなことはどうでもいい。右のハンドアックスで後ろの息子の太ももを絡め上げた。剣が落ちて、背もたれの木っ端が飛び散った。

「治癒の術を使うと体力が落ちると聞いたが、どういうことだ?」

「使えなかったんだよ!」

 僕は頭に来ていた。椅子に転げた息子の顔にハンドアックスを叩き込んだ。血飛沫が上がる。そのままカムのいる方へ走る。馬飼いのミタフを誘うように表へと出た。奴は仲間が次々と倒されても悠々としていたが、ちゃんと外に出て来た。初めから息子たちには期待もしていないんだな。気をつけろ。僕自身が警告していた。あのロングソードはなまくらではない。そうか。呪術か。

「百姓崩れのくせに、なかなかやるじゃないか。だが俺も引き下がるわけにはいかんのでな」

「あんたは百姓さんじゃなかったような言い方じゃないか。剣を手に入れたんだ。さっさと仲間とやらを集めろよ。そうすりゃ、めでたくあんたが領主様になれるだろうよ」

 僕はハンドアックスをホルスターに戻すと、死んだカムの手から女王の剣を拾い上げた。

「ほお。おまえは振れば死ぬという剣を使う気でいるのか?」

「この剣とは、ちょっといい関係なんでね」

 礼拝堂のレイとウラカが祭壇の下で重なり合うのが見えた。僕は女王の剣を横に真一文字に振り抜いた。剣は礼拝堂ごと祭壇より上を斬り捨てた。一気に視野が狭くなり、音が遠ざかる。こいつはダメだ。一振りで精気を吸われる。さすがに使いこなせない。レイはウラカに集中していて、僕への力も弱っていた。

「この威力、てめえで使ってみたいとは思わないか?思ったろ?これを持って領主様に会いに行けるぞ」

 しかし驚かせるのには十分だったようで、ミタフは身構えた。

「よく鳴く鳥じゃねえか」

 来る!

 下段でスネを払いに来た。

 女王の剣で止めると、ミタフの剣先がちぎれた。この世界の異様には慣れていたが、剣先が人面に変化してのたうち回るのには驚いた。

 ミタフは逃げた。

 僕は追いかけなかった。熱を帯びた剣を担いで、祭壇へと戻った。

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