タイトル[二人で話す魂とは何か?]

絶望を超越するもの

タイトル[二人で話す魂とは何か?]

俺たち2人の男はいつものように

学校の空き部屋でお菓子を食いながら話をしていた。


「魂を知っているか」


「魂 (キリスト教)

ほぼすべてのキリスト教徒は、魂(たましい)は人間の不滅の本質であり、魂は死後に報酬か懲罰を受けると信じている。死後の賞罰は、善行あるいは主なる神とイエスへの信仰によって左右されるが、この基準に対して、キリスト教徒の各宗派間で激しい論争が行われている。 なお、魂の復活や、死後について触れられるのは新約聖書であり、旧約聖書での記述は皆無である。

多くのキリスト教学者は、アリストテレスと同じく、「魂についてのいかなる確実な知識に到達することも、世界で最も困難な事柄の一つである」との見解を持っている。初期のキリスト教思想への最も大きな影響者の一人とされているアウグスティヌスは、魂は「肉体を支配するために適用され、理性を付与された、特別な実体」であると書いた。またイギリスの哲学者、アンソニー・クイントンによれば、彼が「性格と記憶の連続性によって接続された一連の精神状態」と規定したところの魂とは「人格性の本質的な構成要素」であり、「したがって、魂に関連付けられるいかなる個々の人間身体からも論理的に区別されるばかりでなく、まさに人格そのものである」とされる(cf. Anthony Quinton, "The Soul," Journal of Philosophy 59, 15 (1962): 393-409)。

オックスフォード大学のキリスト教宗教哲学者リチャード・スウィンバーンは以下のように書いた。「実体二元論者が――精神性の霊的な主体としての――魂の存在を説明できないことは、実体二元論へ頻繁に行われている批判である。魂は感覚と思考、願望、信仰、意図した行為を実行する能力を備えている。魂は人間の本質的な部分である」。

魂の発生源は、しばしばキリスト教徒を悩ませる疑問である。主な理論として、創造説(訳注:“Creationism”誕生の際に、魂が神によって創造されるとする説)、伝移説(訳注:“Traducianism”誕生の際に、両親から魂が遺伝されるとする説)、先在説(訳注:“Pre-existence”誕生の前に、前世での魂の存在があるとする説)が提唱されている。

その他のキリスト教徒は、それぞれ次のように信じている。

少数のキリスト教徒の集団は、魂の存在を信じず、死の際に人間は精神と肉体の両面で存在を停止するとしている。しかしながら彼らは、いつか将来の「世の終わり」に臨んで、主なる神がイエスを信じる者の精神と肉体を再生すると主張している。

他の少数派キリスト教徒は、魂の存在は信じるが、魂が本質的に不滅であるとは信じていない。この少数派もまた、イエスを信じる者の生命にのみ、キリストが不滅の魂を授けるのだと信じている。

中世のキリスト教思想家は、信仰や愛情と同じように、思考や創造力のような属性をしばしば魂に割当てていた(これは「魂」と「精神」の境界が、別個に解釈できる事を意味する)。

エホバの証人は、魂とは霊ではなく生命それ自身であり、すべての魂は死ぬと信じている(欽定訳聖書 - 創世記2章7節、エゼキエル書18章4節)。

「魂の眠り」説では、魂は臨終において「眠り」に入り、最後の審判まで休眠状態に留まると述べている。

「肉体からの離脱と主なる神への帰一」説では、魂は死の瞬間に、その後のいかなる出来事も経験することなく、直ちに世の終わりに至ると述べている。

「煉獄」説では、世の終わりを迎える準備が完了する前に、不完全な魂が贖罪と浄罪の期間を過ごすと述べている。

キリスト教の初期、グノーシス派キリスト教徒のウァレンティヌスは、その他多数の「永遠の知恵」との調和という、神秘主義的な異説を提唱した。ヴァレンティヌスは、人間を体(ソーマ)、魂(プシュケー)、霊(プネウマ)の三重からなる実体と想定した。同様の区分は聖パウロのテサロニケの信徒への手紙一にも見られるが、ウァレンティヌスはこれをより強化させ、すべての人間は半ば休眠中にある「霊的種子(スペルマ・プネウマティケー)」を所有しており、キリスト教徒としての霊的発展の中で、霊によりすべての種子は結合され、キリストの天使と等しい存在となる事が可能であると考えた。

ウァレンティヌスの述べる霊的種子は、ヴェーダーンタ哲学の「ジーヴァ」、イスラム教スーフィズムの「ルー」、その他の伝統宗教における魂の閃きと同一の物であることは明白である。そしてキリストの天使は、現代のトランスパーソナル心理学における「より高度な自己(ハイヤー・セルフ)」や、ヴェーダーンタ哲学の「アートマン」、と同一である。ウァレンティヌスによれば、キリストの天使よりの光線である霊的種子は、その淵源に回帰する。この回帰が真の復活である(ウァレンティヌス自身は、著書『真理の福音』でこう述べている。「最初に死に次に復活すると言う人々は間違っている。生きている間に復活を受けない者は、一度死んだならば何も受けないだろう」)。

ウァレンティヌスの生命観では、我々の肉体は塵に帰り、魂の閃きすなわちグノーシス主義の言うところの霊的種子は、より高度な自己/キリストの天使と正しき魂に結合され、心理的機能や個性を担持する存在(感情、記憶、合理的な才能、想像力等)は残存するだろうが、プレーローマすなわち充足(キリストの天使としての復活を果たしたすべての種子が回帰する源)には至らないであろう。魂はプシュケーの世界である「中位の場所」に留まる。

やがて無数の浄罪の後に、魂は「霊的な肉」すなわち復活後の体を与えられる。この区分はやや当惑させられるが、ネシャマ(精神)がその不変不滅の淵源に向かうが、果たされることなく下位の世界に追いやられるという点で、カバラ思想と似ていないこともない。同様にウァレンティヌスによれば、完全なる復活はキリスト教世界観での世の終わりの後にのみ達成され、霊的な肉を獲得し変容した魂が、最終的に 個々のキリストの天使への完全な結合を果たす時に、魂はプレーローマに存在する。これが、ウァレンティヌスの言う最後の救済である。

多くの特定宗派に縛られないキリスト教徒と、魂の概念についての明確な教義を持つ宗派へ表向きは賛同している多数のキリスト教徒は、魂への信仰に対して「ア・ラ・カルト」な態度を取る。

これらのキリスト教徒は、各々の問題は、その利益と、他のキリスト教分派や他の伝統宗教や科学的理解などの異なる信条と、並置して判断を下す。

プシュケー(希: Ψυχή、ラテン文字表記:Psyche)とは、古代ギリシアの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。

希: Ψυχήはもともと息(呼吸)を意味していた。呼吸は生命のしるしとして最も顕著なものであったので、やがてこのプシュケーという言葉は、生命を意味するようになり、それが転じて、やがて心や魂も意味するようになった[1]。そのような語義になったのも当然[1]と指摘されている。[注 1]

「プシュケー」という言葉を現代日本語に訳す場合、ひとつの訳語で押し通すことは困難なことが多々ある。同一の文献でも、ある文脈では「いのち」と、ある文脈では「心」あるいは「魂」と訳したほうが適切で、ある文脈ではどちらとも解釈可能、ということもある。古代ギリシア語と現代語では概念の体系自体が異なっているのである[6]。


ソクラテスは(あるいはプラトンが自著で描くソクラテスは)、プシュケーを知と徳の座だとした。< よく生きる >ことを《プシュケーの気遣い》として説いた[7]。プシュケーの世話をせよ、と説いたのである。

ソクラテスの弟子のプラトンは、滅びる宿命の身体に属する感覚を超えた知を描き、知を特質とし自己を動かすプシュケーは不滅である、とした[7]。

アリストテレスは『ペリ・プシュケース』(「プシュケーについて」という題名の書)において、さまざまな生命の生存の原理を論じ、プシュケーとは「デュナミス(可能態)において命をもつ自然的物体の形相」と述べ、プシュケーというのは命の本質である自己目的機能であり、そして起動因である、とした。また同書でプシュケーは栄養摂取、知覚、理性などの順で階層をなしていると捉え、各階層ごとに説明を試みた[7]。より細かく挙げれば、栄養摂取、生殖の能力、感覚能力、欲求能力、場所的移動の能力、表象能力、理性能力などである。

アリストテレスは、一時期は生物の種類によって異なるプシュケーの段階があると見なし、(1)植物的プシュケー (2)動物的プシュケー (3)理性的プシュケー の3つを区別した。だが、彼の知識が増えるにしたがい、植物・動物・人間にプシュケーの違いが絶対的にあるとは考えないようになり、動物もその程度に応じて人間と同じような理性を持っていると考え、さらにその後になると、植物・動物・人間でプシュケーに区別は基本的に無い、と見なすようになったようである[8]。

プロティノスは、神秘主義的な方向に進み、一者からヌース(知性)が、ヌースからプシュケーが、そしてプシュケーからヒューレー(質料)が流れ出ると述べた。

新約聖書における「プシュケー」は、例えば『マルコによる福音書』3:4、8:35、10:45のそれは、日本語では「命」と訳しうる。また、マルコ 14:34、ルカなどでは感情の座である[7]。新約聖書の「プシュケー」という表現は、現代語で言う「精神」と「身体」を合わせた人間を表しているのであって、霊肉二元論ではないので、「人」とか「人々」と訳したほうが自然なくだりも多い[7]。

新約聖書ではプシュケーはプネウマと対比され、プネウマのほうは神から与えられる超自然的賜物とされている[7]。 例えば、パウロ書簡でもそうで、(ロシア語聖書ではプシュケーはドゥシャ、プネウマはドゥーフ、という語に訳し分けられている)、プネウマ(ドゥーフ)はパウロ書簡では、心・魂ではなく、それらを超えたところから外的に働く力、としてしるされている[9]。救済は古代ギリシアやグノーシス主義では「神的プシュケーの罪ある肉体(ソーマ)の牢獄(セーマ)からの解放」であったが、新約聖書ではあくまで体の復活としてとらえられている[7]。

ルターは、ギリシア語のプシュケーをつねに「いのち」と訳していたという[10]。

古代エジプト人たちは、人間の霊魂が5つの要素からなると信じていた。「イブ」、「シュト」、「レン」、「バー」、「カー」である。これら魂の構成要素の他に人間の体「ハー」があり、これは時には複数形で「ハウ」と呼ばれ、体の各部の集まりをおおよそ意味した。他の魂には、「アーク(Akh)」、「カイブト」、「カート」があった。

これらは、古代エジプト人が死後の再生、「第二の誕生」を得るために肉体を保持しなければならないと信仰したことに理由がある。肉体は、ミイラとして保存された。同じように霊魂を構成する5つの要素も保持しなければ再生が得られないと考えたのである。また、これらが守られず再生が果たされないことを「第二の死」と捉えた。

ウォーリス・バッジは、この語を「アブ」と音訳している。

エジプト人の魂の重要な部分の1つと考えられていたのが「イブ(スペイン語版)(jb)」、「心臓」であった。イブ[1][2]もしくは、形而上学的な心臓は、妊娠時に母親の心臓から取られた一滴の血から形成されたものであると信じられていた[3]。

古代エジプト人たちにとっては、脳ではなく心臓が感情、思考、意志、意向の座であった。このことはエジプト語における「イブ」という語を含む多くの表現によって裏付けられる。「幸福」を意味する「アウト・イブ」は、文字通り心臓に幅があることであり、「疎外」を意味する「カク・イブ」は、文字通り心臓が断ち切られたことである。

古代エジプトの信仰において心臓は、来世にとっての鍵であった。心臓は、死後も冥界において生き続け、その所持者に有利もしくは、不利な証言をするとされていた。死者の審判の「心臓の計量」の儀式において心臓がアヌビスと他の神々によって調べられると考えられていた。もし心臓が「マアトの羽根」よりも重ければ心臓は、ただちに怪物アメミットに食べられてしまう。このためミイラ作りで他の内臓を取り出した際にも心臓だけは残しておいた[4]。

人間の影である「シュト(ドイツ語版)(šwt)」は、常に存在するものであった。人間は、影なしには存在できず、影もまた人間なしには存在できないと信じられており、従って影は、それが現す人間の何がしかを含んでいるとエジプト人は捉えていた。この理由から人間や神々の像は、それらの影であると言い表されることもあった。

また影は、完全に黒く塗られた小さな人間の形として死やアヌビスの僕の姿として視覚的に表現された。

カルトゥーシュで囲まれたラムセス2世の名前。エジプト新王国のルクソール神殿

魂の一部分として「レン(ドイツ語版)(rn「名前」)」が出生時に人間に与えられ、その名前が話される限り生き続けられるとエジプト人は、信じていた。

それに加え、名前は、その人格を形成する重要な要素であると見なされており、その人の名前を知ることによって、善あるいは悪の力が、その人に近づくことができると考えられていた。[5]

このために名前を保護するための努力がなされ、また数多くの書き物に名前を入れることが行われていた。例えば『死者の書』の派生作品である『呼吸の書』の一部は、名前の生存を確保するための手段であった。名前を囲み保護するためにしばしばカルトゥーシュ(魔法の縄)が用いられた。逆にアメンホテプ4世のように死後にモニュメントなどから名前を削り取られたファラオも存在した。これは、一種の「ダムナティオ・メモリアエ」とも考えられる。しかし時には、経済的に新しいモニュメントを建造できずに後継者の名前を挿入する場所を作るために名前が外されてしまうこともあった。

このため名前が多くの場所で使われれば、その名前が後まで残り、読まれ話される可能性も大きくなった。逆に碑文から消されて来世への復活を阻止される場合もあった[6]。

イシスはすべての名前を知っていることから、彼女の影響力からは逃れられないと考えられた。

「バー(ドイツ語版)」(b3)は、幾つかの点において現代のキリスト教などの「霊魂」の概念に最も近いものであるとされる。

これは、個人を独自のものとするあらゆるものでもあり[7]「個性」の概念に類似したものでもあった。ここから本人と同質にして異なるものとして「化身」とも言い換えられる。この意味で生命を持たない物体もまた独自の性質である「バー」を持ち得、実際に古王国のピラミッドは、しばしばその主の「バー」であると呼ばれていた。

霊魂と同様に「バー」は、持ち主が死んだ後も生き続ける人間の一側面であるとエジプト人たちは信じていた。墓から飛び立ち来世で「カー」と合流する人頭の鳥として描かれることもあった。このため「偽扉」と呼ばれるバーが出入りする意匠が墓や棺に作られた。コフィン・テクスト(英語版)において死後に発生した「バー」の一形態は、身体を持ち、飲食し、性交も行うとされていた。また『日下出現の書』においてバーは、毎日ミイラへと戻り、再び抜け出ると肉体を持たない姿で墓の外での生活に参加するものとして描かれている。これは、ラーとオシリスが夜毎に交わるという太陽神学を反映している[8]。さらにこの時のバーの姿は、自由に変身できるという説もある。

バーの複数形である「バーウ(b3w)」は、「威厳」、「力」、「名声」に近い意味で特に神のそれを意味していた。神が地上に「バーウ」を送り人間に介入することを神の「バーウ」が仕事をしているのだと言われた[9]。また、この観点から統治者は神の「バー」であると見做された。ファラオは、ホルスによって守られ、またホルスの現世の姿でもあると考えられたのである。さらにある神は、別の神の「バー」であるとも捉えられた。

ルイス・ヴィコ・ザブカール(英語版)は、ギリシアや後期ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で考えられている「霊魂」と「バー」は異なり人間の一部ではなく人間そのものであったと主張している。純粋に非物質的な存在という概念は、エジプト人の思考には、実に馴染みのないものであったのでキリスト教がエジプトに広まった時に、これを表すためにギリシア語「プシューケー」が借用され「バー」という言葉と置き換えられた。しかし「バー」の概念は、極めて古代エジプト人の思考固有のものであり翻訳されるべきではなく人間の存在状態の1つであるとして脚注か括弧書きで解説すべきものであるとザブカールは、結論付けている[10]。

「カー(ドイツ語版)」は、生者と死者を分ける霊的な精髄を指すエジプト人の概念である。カーが身体を離れる時に死が起きるとされた。他に「生命力」、「精気」、「活力」とも訳される。

古代エジプトにおいて全ての存在の内に一つあるいは、複数宿る行動を起こさせる共存者とされた。

地域により異なるが、ヘケトまたは、メスケネトが各人のカーの創り手であると信じられ、誕生の瞬間にカーを人間に吹き込むことで生者とすると考えられた。これは、他の諸宗教における精神の概念に類似している。

またカーは、墓の中の肉体に依存するものと考えられ、その肉体に戻って捧げられた供物を取り、その力を維持されるのであるとも信じられていた。[5]この理由から死者にも飲食物が捧げられたが、ここで消費されるのは、供物の中の「カーウ(k3w)」であり、物質的な部分ではないと考えられた。エジプトの図像でカーは、しばしば王の2番目の姿として描かれており、このために初期の翻訳では「カー」は、「分身」と訳されていた。

アクのグリフ

「アク」(Ꜣḫ 、「(魔術的に)有効なもの」)[11] は、死者の概念である。これは、古代エジプト人の信仰の長い歴史の中で変化していった。

主に死後、楽園アアルで「バー(霊魂)」と「カー(精神)」が結びついたものと考えれた。つまり死後の再生、「第二の誕生」を果たした姿と信じられた。

古代エジプトにおいて初めアクは、思考と関連付けられていたが心の働きとしてではなく、むしろ生きた統一体としての知性としてであった。アクは、まだ来世でも1つの役割を演じた。カートが死ぬとバーとカーは、再結合してアクを甦らせるのである[12]。アクの復活は、適切な葬送儀礼が執り行われ、継続的な捧げ物がなされる場合にのみ可能とされた。この儀礼は、「セ・アク(死者を生きたアクにする)」と呼ばれた。

このため新王国時代には、もし墓が管理されなくなってしまうとアクは、一種の幽霊もしくは彷徨う「死者」にさえなった。アクは、生者たちに害も益も及ぼすことがあり状況によっては、例えば悪夢、罪悪感、病気などを引き起こすと考えられた。またアクは、祈りや墓の奉納堂に手紙を置くことで生きている家族たちを助けるために呼び出すことができた。例えば紛争に介入し、あるいは、地上の事柄に良い方向の影響を及ぼすことのできる他の死者や神々に訴え掛け、あるいは罰を下すと考えられた。

アクの分離とカーとバーの合体は、死後に適切な供物が捧げられ、また適切で有効な呪文を知っていることによって引き起こされるが再び死んでしまうという危険も付随していた。コフィン・テクスト(英語版)や『死者の書』のような葬祭文書は死者が「もう一度死なず」に「アク」となることを助けることを意図したものであった。

『死者の書』より「口開けの儀式」の場面

古代エジプト人たちは、人の「カー」が体を離れるときに死が起きるのだと信じていた。「口開けの儀式(wp r)」と呼ばれるものを含む、死後に神官により執り行われる儀式は、飲食・呼吸・見聞などの死者の身体的能力を回復させる[13]だけでなく、バーを身体から解放することも意図していた。これによりバーは、来世でカーと1つになりアク(3 「有効なもの」)となることができるようになるのである。

ジャコモ・ボリオーニの『宗教学の見地から見たカー』(Der Ka aus religionswissenschaftlicher Sicht)によれば、カーは人間存在における「自己」であった。

エジプト人たちは、来世を通常の身体的な存在とかなり似たものと想像していたが、そこには違いもあった。この新しい存在のモデルは太陽の行程であった。夜には太陽はドゥアト(冥界)へと下る。そこで太陽は、ミイラとなったオシリスの体に会う。オシリスと太陽は、互いによって再びエネルギーを得て次の日の新しい生へと立ち上がる。死者にとっては、その体と墓は、自分にとってのオシリスとドゥアトなのであった。この理由からこれらは、しばしば「オシリス」と呼ばれた。この過程が機能するためには、バーが夜に戻ってきて、朝には新しい生へと立ち上がってゆけるよう身体にある種の保存を行うことが必要とされ、このため遺体はミイラとされた[14]。しかしながら完全なアクは星辰として現れるとも考えられていた[15]。末期時代になるまでは、太陽神との一体化は王族のみのもので、王族以外のエジプト人は太陽神と一体化するとは考えられていなかった[16]。

来世へ行った人を助ける呪文を集めた『死者の書』はエジプト語では『日下出現の書』と呼ばれていた。これらの書物は「冥府でもう一度死なない」ようにし、またその人のことを「常に記憶しておく」ための呪文を含み、来世での破滅を避け、存在し続けることを助けるものであった。エジプト人の信仰においては死後にもう一度死ぬということが起こり得、この死は恒久的なものであった。

第18王朝の州執政官(ドイツ語版)であったパヘリの墓には、この存在の雄弁な記述があり、ジェームズ・ピーター・アレン(英語版)によりこう訳されている。

汝の生命は再び始まった、汝のバーは汝の神聖な体から隔離されることなく、汝のバーはアクと共にあり……汝は日毎に立ち上がり、夜毎に戻るであろう。夜には汝のために明かりが灯されるであろう、陽光が汝の胸に射す時まで。汝は告げられるであろう――「ようこそ、ようこそこの汝の生の家へ!」

霊魂(れいこん、羅: anima、ギリシア語: Ψυχή)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの[1]。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられ[2]、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在[3]。人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在[3]、個人の肉体や精神をつかさどる人格的・非物質的な存在[4]、感覚による認識を超えた永遠の存在[5]と考えられている。

「霊魂」は、体とは別に実体として存在すると考えられているものであったり、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるもののことである。

「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせて指している。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している。

「#「霊魂」という表現」を参照

宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕方がある。 古代エジプトの時代から、人が死ぬと肉体から離れるが、肉体に再び戻って来る、という考えがあった。 古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的であった。輪廻転生(転生輪廻)の思想である。 「あの世」(霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在している。人間だけでなく、命あるもの全般、動物や植物に宿ると考えられたり、さらには鉱物にも霊魂が宿る、とされることもある[5]。霊魂を心と同一視することもある[要出典]。「体は霊体、心は魂」、魂は神魂[要出典]とする、霊魂と心を同一視しない考え方もある。また他方、すでにサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとった。

「#宗教などにおける説明」を参照

霊魂は、生きること、死生観の根源的な解釈のための概念の一つともされる。現代では、霊魂を肯定的にとらえることが、生きがいや健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている。

「#霊魂と死生観・全人的健康」を参照

「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[5]。 また、そこに何かいると五感を超越した感覚(第六感)で感じられるが、物質的な実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。

「魂(こん、たましい)」の方は、精神を司る精気を指し、肉体を司る「魄」と対比されている[5]。[注釈 1]また、人の死に際しては、「魂」は上昇して天に帰し、「魄」は屍が地下に埋葬されるのにともなって地に帰すると考えられた。

よって「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。ただし、通常は、個人の肉体および精神活動を司る人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している[5]。そして人間だけでなく、動物や植物、鉱物にまで拡大して用いられることがある[5]。

多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、しばしば道徳・倫理などと結びつけて語られる。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られるともいわれる。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。

古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。オシリスが死と再生を司る神として尊崇された。 自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた[6]。

定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって願望を神に伝えたり、動植物の霊と交流したり、病人から苦痛の原因である悪霊を追い出すことや、死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司(魔術師)などがいた[7]。

人の魂は五つの部分から成っているとされた(アルファベット表記なら、Ren、Ba、Ka、Sheut、Ibの五つ)[8]。死者のBa(バー)のよりどころとして死者の体をミイラにして保存した。 『アニのパピルス』ではバーは人頭を持つ鳥として表現されている[9]。

死者のバーが無事冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた[10]。『死者の書』(死者の霊が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。

ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、アク(霊)として永遠の命を生きる、とされた[11]。

ギリシア語では魂は「プシュケー」といい、語源は気息の音に由来する。またプシュケーには「蝶」という意味もあり、死後の魂のイメージを蝶として表現することもある[9]。

プラトンは対話篇において霊魂の働きに着目しつつ探求した。『パイドン』『メノン』においては、永遠の真理(イデア)を認識する方式として想起説を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。プラトンの霊魂不滅説は、後世の新プラトン主義や教父哲学、キケロ『スキピオの夢』を介してキリスト教圏にも伝わった。またアリストテレスの著作に『霊魂論』がある。

詳細は「霊性 (キリスト教)」および「霊魂消滅説」を参照

旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って預言がなされるという思想があった。エゼキエル書18章4節(口語訳)には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。18章20節(口語訳)でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある。

欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。

ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。

『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。

後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。

霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。

仏教興隆期のインドのサンジャヤ・ベーラッティプッタは来世に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、不可知論の立場をとった。このような態度はゴータマ・ブッダの「無記」の立場と通じあう点がある、とされる[12]。

ブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている[13]。 俗に言われる霊魂とは全く異なる。

道教では、魂魄すなわち「魂(こん、たましい)」と「魄(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。

中国の民間信仰では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる(三魂は「胎光、爽霊、幽精」「主魂、覚魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺」とされることもある)。

六朝時代には、道教と仏教の対立のなかで、霊魂にあたる「神」の不滅をめぐる神滅不滅論争(中国語版)が起きた[14]。明末には、イエズス会宣教師が中国と西洋の霊魂論を交えて論じた[15][16]。

上記の初期仏教に関する解説とは異なり、ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定した[17]、ともされる。近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い[18]。

仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。 死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。 その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。

各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%[19] 。

古神道では、森羅万象にマナが宿るとする。南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。 折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。

優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。 国家神道で明治以降、戦死者の魂のことを敬っていう場合は特に「英霊」(えいれい)[20]と呼んでいる[注釈 2]。

その区別や概念も曖昧であり、それを分類や定義付けることなく享受してきた。 ただし、強弱や主客といえるような区別は存在し、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きいと考えると同時に尊ばれた。

日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。

また神(霊魂)には荒御魂や和御魂という魂の様相があるとし、それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」とされる。[21]

* 尊(みこと)日本神話にある人格神(人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神)

* 霊(チ)霊魂の基本となる言葉。血や乳(チ)に通ずるという。

* 魂(タマシヒ)強い付着性、遊離性を持つマナ

* 荒御魂(アラミタマ)柳田國男『先祖の話』によれば、新たな御霊(ミタマ)つまり最近死んだものの魂

* 霊(ヒ)全ての活力の元であり、優れて威力のあるもの。白川静『字訓』によれば、中国で生命の原動力が雨に求められたのに対し(なので雨の字がつく)、日本では太陽光から来ると考えられたので、日と同じヒと呼ばれる。

「イアン・スティーヴンソン 」も参照

転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、超心理学研究者・精神科教授のイアン・スティーヴンソンによる調査がある。スティーブンソンは1961年にインドでフィールドワークを行い、いくつかの事例を信頼性の高いものであると判断し、前世の記憶が研究テーマたり得ることを確信した[22]。多くは2~4歳で前世について語り始め、5~7歳くらいになると話をしなくなるという[23]。竹倉史人は、スティーヴンソンの立場は科学者としての客観的なもので、方法論も学術的であり、1966年の『生まれ変わりを思わせる二十の事例』は、いくつかの権威ある医学専門誌からも好意的に迎えられたと説明している[24]。

スティーブンソンの前世研究は、世界的発明家チェスター・カールソンがパトロンとして支え、子供たちが語る前世の記憶の真偽を客観的・実証的に研究する The Division of Perceptual Studies(DOPS)がヴァージニア大学医学部に創設された[25]。死後100万ドルの遺産がスティーヴンソンが属するヴァージニア大学に寄付され、現在もDOPSで前世研究が続けられ[23]、2600超の事例が収集されている。DOPSの調査データを分析した中部大学教授・ヴァージニア大学客員教授の大門正幸によると、収集された事例のうち、前世に該当すると思われる人物が見つかったのは72.9%、前世で非業の死を遂げたとされるものは67.4%である[26]。懐疑主義者の団体サイコップの創設メンバーであるカール・セーガンは、生まれ変わりは信じないが、「まじめに調べてみるだけの価値がある」と評した

霊魂については、宗教学、民俗学、文化人類学などといった人文科学からの研究がある。霊や魂といった概念の変遷についての研究などがある。

外魂

物語を分類した民俗学者ジェームズ・フレイザーは、外側に保管して不死化する外魂(英: external soul)を分類している。エジプトのミイラ、フィラクテリー(英語版)、浦島太郎の玉手箱などに見られる。

* 日本神話にはイザナギが黄泉の国にいるイザナミを訪ねるという話があり、似たモチーフが世界の他の神話にもある。

* 映画「21g」:人が死ぬ前と死んだ後で21gだけ重さが違うという話があり、それをモチーフにした映画。

古来より多くの神話、宗教、哲学、芸術などが担ってきた重要な役割の一つは、これら人の生死を含む世界観、生きること、生かされていること、死ぬことの意味の説明である。宗教家らは、人々の抱えるこうした重い問いに対して説明を提供するという重要な役割を果たしてきたのである。

現代においては、魂を肯定的にとらえることが生きがいや健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている[28][29][30][31][32][33]。

スピリチュアルケアを提供できる状態になっていることが、病院が病院として認可されるための必要条件とされている国もあるほどである[どこ?]。日本の医療の場においては、欧米に比べると認識が浅く、スピリチュアルケアを提供する体制の整備が遅れがちであったが、最近では充実化に向けて様々な活動が行なわれるようになってきている[34]。

また、魂の永遠性を信じることは、ターミナルケアの場に限らず、ごく普通の日常においても、人が本当の意味で健康に生きる上で重要なことである、ととらえられることも増えてきている[35]。

世界保健機関(WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、健康が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、健康の定義文に以下の語も加えることを提案した[36]:

健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。

とwikiに書いてあったのを最近読んだし有名だからまあ読む前から知っているな」


「なら聞かせてもらおうかお前は魂はあると

思うかあったとしてどのようなものだと思うか?」


「俺は魂はあると思っている」


「それは何故」


「それは魂が無ければ視点などありはしない

魂がないのであれば何の意味はないだからだ」


「願望ですか?それで魂とはどんなものだと思っているのですか?」


「魂とはそれは全てにして一だと思っている」


「全てにして一?」


「単細胞生物にも魂があるとするならば

どこからがひとつの生き物になると俺は考えた

そこで俺が考えて導き出した答えが無も有も変わらずに

俺たちとは全て同一の存在でありされど同一の存在ではない存在

そしてまた始まるまた終わるそれが輪廻と呼ばれるもの

輪廻とは全てにして一である俺とは全てにして一である

魂とは全てにして一だからこそ人は死に体から魂は抜け

その魂は輪廻に戻り輪廻は魂を何かに与え始めるそれが俺の考えである」


「そうか」


「逆に聞きたいのだがお前は魂をあると

思っているのかあるとして何だと思っているのか?」


「そうだな俺は魂などありはしないと思っている」


「魂はないとそれはどうしてですか?」


「観測されていないからであり

いまだに何の証拠がないからであり

死んだらそこで終わりで何もないと

この俺が真実と思っているからだな」


「そうか」


そうして二人の話は更なる深みにと入っていく。

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タイトル[二人で話す魂とは何か?] 絶望を超越するもの @qwertyuiop10025252

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