29.閉幕と……
「ん? 終わったかな?」
既に残り少なくなっていた兵士たちが、突如呆然と立ち尽くす。魅了から解放された者に特有の挙動だ。
「正気に戻ったとして、この状況をどう説明するんだ?」
「別に記憶を失ってるわけじゃないし、多分どこかに監禁されてる代官殿を解放すればどうとでもなるんじゃないかな?」
「行き当たりばったりだな」
「失礼な。一応今の代官殿は私やベスの素性知ってるからね。話は早いと思うよ」
とは言え、まずは倒れている、というか倒してしまった兵士たちを何とかした方が良いだろう。罪のない彼らがまかり間違って死んでしまっては寝覚めが悪い。
「殺してはないと思うんだけどね。死んじゃってたらごめんなさいだ」
「せめて呼吸を確認していくか」
現状は血や吐しゃ物での窒息が一番怖い。気を失っている兵たちの呼吸を手早く確認している間に、呆然としていた兵士たちが徐々に正気に戻り始めた。彼らには代官の捜索を頼む。混乱しつつも従ってくれたのは、この状況のおかしさに心当たりがあるということだろう。
「あっ!」
ローズが妙な予感を感じてふと顔を上げると、【ロランの鎧】によってくりぬかれた塀の穴からひょっこりと顔を出す者がいた。
フランだ。
「出遅れ。良いところ見逃した雰囲気。がっくし」
そのまま代官邸の中庭に入り込んで、ふよふよと漂いながら何やら呟いている。
「部屋でじっとしてろって言っただろう」
「それは不可。ふかふか」
「まったく……」
超常の存在に言い聞かせても無駄かと、ため息をつくローズ。
その時、背後からぞくっとする気配が近づいてくることに気づく。
振り返ると憔悴した顔のエリザベートが立っていた。
ぞっとするような冷たい視線が、ローズからわずかに逸れた位置を見つめている。
「……それは何?」
その顔に浮かぶのは、いつもの小馬鹿にしたような微笑でも、無関心の無表情でもない。
感情の削ぎ落とされた真顔。両の瞳には徐々に暗い熱がこもり始めていた。
そこに秘められた感情は怒りか。心当たりのないローズは困惑する。
「エリザベート?」
尋常ではないその様子にローズは緊張を高める。
「答えなさい。それは何?」
「あ、ああ。彼女はフラムだ。ダンジョンが消失して……」
『それ』がフラムを指していることはその視線から明らかだ。その言い様に引っかかりを覚えながらも、説明の必要性は認めざるを得ない。
ただ、フラムについて一から説明しようにも、どう説明すべきかが悩みどころだった。
「というか、エリザベートには分かるのか? フラムが宙に浮いてる事とか……」
「……」
言葉の途中、無言で腰の細剣を引き抜くエリザベートに、ぎょっとして身構える。
「退きなさい」
「え、なにをする気だ?」
半ば答えを想像できながらも問わざるをえない。
「退けと言っているのよ」
踏み出す一歩の迫力に押されるように、一歩退くローズ。
「待て、どういうことだ! まさかこの子を斬るつもりか?」
「ふみゅ?」
状況を理解していないようなフラムの声を後ろに聴きながら、ローズは圧力に抗して前に出る。
そしてエリザベートの理解しがたい行動をどうやって押し留めるか思案する。正直なところエリザベートの実力を把握できているとは言い難いため、自分の力で押し留められるものか判断が難しい。
そのため知っている者を応援に呼ぶことにする。
「クロエ! エリザベートを止めてくれ!」
距離があったせいでこの事態に気づいていなかったクロエは、ローズの呼びかけに反応して振り返って首を傾げる。しばし考えた後、手を振り返してくる。
「そうじゃなくて! って、うおっ!?」
斬りかかってきたエリザベートの剣を慌てて受け止める。
「ちょ! 待て!」
「殺されたいの?」
剣呑な雰囲気のエリザベートが鍔迫り合いの状態で、ローズを押し返そうとする。
受けられるようにわざとらしく大振りで斬りかかってきたのをみるに、本気でローズに加害するつもりはないようだが、その雰囲気からそのまま押し切ってフラムを斬ろうとしているのは明らかだった。
慌てたクロエの声が遠くに聞こえるが、ローズとしてはそれどころではない。
「ぐっ」
「……」
エリザベートは巧みに剣を合わせたまま、その押し引きと体重移動だけでローズを押し込んでいく。ローズの側に守る対象がおり、斬り合うつもりがないという弱みを突いて、その挙動を半ばコントロールしているのだ。
熟練の戦士であるローズを相手にそのような真似をやってみせるのは並大抵のことではない。エリザベートの高い戦闘技量を示すものだった。行動の自由を与えれば一瞬でフラムが斬られかねない。確信を深めたローズはますます自らの選択肢を失っていく。盤上遊戯で詰められていくかのような状況だが、ローズには打開の方策が見つけられなかった。
「ベス! 何をやってるのさ!」
「チッ」
その声が近づいているのに気づくと、強引に間合いを詰めてローズの胸ぐらを掴み、足を掛けて地面に押し倒す。
「ぐうっ」
そのままフラムの方へ駆けようとして――腕をローズに掴まれて止められる。
「放しなさい」
「なぜフラムを狙う!」
「……あなたもすぐ分かるわ」
エリザベートのその言葉と怒りとも苦しみともつかぬその表情に、ローズは一瞬手の力を緩めかける。
「んー、逃げた方が良さそう?」
そこにフラムの危機感のない声が聞こえてくる。
まだ逃げてなかったのかと言いかけたローズだったが、そのフラムの背後に見知らぬ人影が現れたことに驚き、思わず「あっ」と声を上げる。
気配を察したのかフラムがその方向に振り返ると、同時に人影はフラムの頭をその細腕で掴む。まるで空中に縫い留めるように。
「逃がしませんよ」
「う!? いだだだだっ!」
「!?」
ローズが見上げているエリザベートの顔が驚愕にゆがむ。
「ウルスラ……」
ローズが掴んでいる腕を振り払い、その人物の前に進む。
「エリザベート!!」
「……安心しなさい。もう私では無理だから」
何が無理なのか。
言っていることは分かるが、それがなぜなのかがローズには分からない。
要するにエリザベートでは目の前の人物に勝てないと言っているのだろう。だが到底そうは思えない。その人物はごく普通の女性にしか見えないのだ。
ローズは駆け付けてきたクロエの手を借りて立ち上がり、改めてその人物を観察する。
エリザベート以上の長身の女性。制服ともドレスともつかない衣服を身につけ、髪は黎明の空のような藍色で、それを編み込みにしている。瞼はうっすらと閉じられており瞳の色はよく見えない。
雰囲気的には貴族か、もしくはそれに仕える上級使用人と言ったところだ。武装すらしていない。とても戦えるようには見えなかった。
ただ、その女性が片手でフラムの頭を掴んでいた。
「痛い痛い! 割れちゃう!」
「お黙りなさい。この様子を見るに随分と派手にかき回したようじゃない?」
「違うぅー! これは私関係ない!」
「……ふむ?」
しばらくフラムを観察していた女性――ウルスラは、説いたげにエリザベートの方を振り返る。
当のエリザベートは深いため息をついて、細剣を鞘に納めながら首を振る。
「今日はなんて日なの。同じ日に三匹もの天龍に遭遇するなんて」
「口が悪くなりましたね、サーリェ」
「悪くさせているのはあなたたちでしょう」
ウルスラが目を閉じたままゆるりと首を振る。
「いえ、どうやらこの代官邸の騒動にこの子は関わりがないようです」
「……ならヴェスパでしょ」
「ヴェスパがここに? ……いえ、知っているでしょう。彼の主人公はあなたではない」
「……」
憮然としたエリザベートだが、沈黙をもってその言葉を肯定する。
「無論私も違います。ここで何があったのかは知りませんが、もしあなたが傷ついたというのならば、それはあなた自身の業によるものでしょう」
「……」
ギリッっと奥歯をかみしめるエリザベート。
「まぁ、アレの事ですから切っ掛けくらいには関わっていそうですが」
「ふん」
エリザベートはうつむいたままその場を歩み去る。到底話しかけられる雰囲気ではなく、ローズもクロエも見送るしかなかった。
「ちょっと話が見えないんだけど」
クロエが途方に暮れた声を出す。
「それは私が」
ウルスラがそれに答えるように前に出る。
「その前に確認したいことがあります。お二方の周辺で、最近急に恋に落ちたり、真実の愛に目覚めたり、奇妙な婚約や唐突な婚姻が成立したり、と言ったことはありませんでしたか?」
「え?」
「は?」
突然何を言い出すのだ、という目でウルスラを見返すローズとクロエだったが、彼女の言っていることに大いに心当たりがあることに気づき、顔を見合わせる。
「やはり……。心当たりがあるようであれば、それらの見直し、あるいは解消の検討をお勧めします」
「な」
「なんだい藪から棒に」
ウルスラは勿体つけるでもなく、決定的な言葉を口にする。
「なぜなら、それらはこの天龍フラムの力の暴走状態の影響を受けた、一時的な気の迷いである可能性が高いからです」
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