君の声が僕の世界に彩を吹き込む。

神永 遙麦

君の声が僕の世界に彩を吹き込む。

 僕は昔から色が分からなかった。

 モノは見える。だけど色が分からない。美術や図画工作の成績はもちろん、算数の成績までもが悪かった。地図も、先生によれば色で凹凸を表しているそうだけど、たくさん輪っかがあることしか分からない。


 この町にはよく観光客が来る。

 役所には「〜海と山に囲まれた島〜」という看板が建てられている。よく観光客が波止場で写真を撮っている。海の美しさに感嘆する都会の人もいる。

 でもどこがいいのか僕には未だに分からない。僕から見れば山も海もレンガもハンバーガーも同じような色にしか見えない。美しいと評判のこの町を出ても、僕の世界は色を映さないんだろう……。ずっとそう思っていた。



 僕の世界に君の姿が入ったのはここ数週間の話。


 *

 

 君は波止場にいて、ヤンキー座りのまま焦点の合わない目で海を見ていた。僕は彼女の、若い娘らしいなだらかな線で丸みを描く頬と顎に見惚れ、無意識のうちに彼女に声を掛けた。

「どこから来たの?」と、丁寧語も使わず。

 彼女の首はゆっくりとこちらに顔を向け、徐々に目の焦点をこちらに合わせていった。焦点を取り戻した目は長い羽に縁取られたアーモンドのようだった。彼女はクイっと顎を山側に向け「京都」とだけ答えた。

「ずいぶん遠いところから来たんだね」と言うと、彼女は何も言わなかった。



 ただ一言だけ聞いた彼女の声は綺麗だった。涼やかで……。玲瓏な声ってきっとあんな声だ。鮮やかで冴えた声だった。


 

 なんとかしてもう一度聞きたくて、質問を絞り出した。「それ、なんの本?」

 彼女は膝に挟んでいた本にチラリと目を向け「俳句歳時記」と答えた。

 意味が分からず「なんの本?」と同じ質問を繰り返した。

 彼女は「俳句を詠むのに便利な本」とさっきよりも多く答えてくれた。

 

「俳句を詠むの?」

「詠まないよ」

「じゃあ面白い本なんだね」

 突然、彼女は黙った。たぶんだけど、答えが出しやすい問いにしか答えてくれない。テストの四択問題とか、分かんない問題は飛ばすタイプだ。ぱっと見、頭良さそうなのに。


 彼女が立ち上がり、どこかに去ろうとした。

 だから僕は慌て彼女の前に立ち塞がるように「なんかその本に面白いのあった?」と聞いた。

こぞことし去年今年」と答えると、彼女は本をズボンのポケットに入れようとしたようだけど、ズボンにポケットはなかった。

「どういう意味?」と聞くと、彼女はまた無言になった。たぶん説明が難しい単語なのか、響きが気に入ってるだけの単語なのか。

「他には?」と聞くと、「サザンカ」と答えてくれた。

「サザンカってこの辺によく咲くぜ」と反対側の道路の街路樹の茂みを指した。やっぱり彼女は無言だった。「あれってどんな色だっけ? あっと……僕忘れっぽくってさ〜」

 嘘だ。僕は知らない。どんな色なのか。

 

 彼女は顎に……、細い顎に華奢な手を当て「確か赤とか白。ピンクもある」と実に鮮やかな表情で答えた。

「赤ってどんな色だっけ? 忘れちゃったけど」

 彼女はギョッとしたように見えたが「血みたいな色」とポーカーフェイスに戻して答えた。

「血ってどんな色?」

「怪我したことないの?」と初めて質問を返された。と、思えば彼女ははっと口を抑えた。


 彼女の目が真っ直ぐ、僕の目を見ている。初めて見てくれた。

 彼女の綺麗な頬には冷や汗がツッと流れ、瞳には色々な後悔と驚きが入り混じっている。

 やがて彼女は表情を戻し、「赤は鮮やかな色で……華やかで目立つ色?」と考えながら答えてくれた。「白は1番明るい色で、白と赤が混ざるとピンクになる。ピンクは……柔らかい赤……みたいな色」


 しどろもどろながらも答えてくれた。

 もしかすると僕に障がいがあることに気づいたのかも。彼女にとって色は当たり前に存在するものだけど、僕にはなんのこっちゃ。当たり前にあるものを説明するとか無理だしダルい。僕だって「鳥の声をオノマトペを使わず説明せよ」だなんて言われたら困るし無理だ。それでも彼女はつっかえながらも答えている。

「その格好を君流に説明したらどうなるの?」

 彼女は自分の服を見、首を傾げ「部屋着。Tシャツの上にロングカーディガン羽織ってるだけ」と答えた。そして思案した末に「Tシャツの色はフレンチベージュ、もともとは茶色だったけど洗濯してたら色落ちした。茶色は土と同じ色で……1番地味な色。どの色とも合うから、たぶんどこに行っても茶色はあると考えられ……じゃない」ここで突然言葉を切ったと思うと、付け足すように「あると思う」と言った。

 

 活き活きとしていた瞳だった。それがなぜか言葉を切った瞬間、陰った。

 都会の子には都会の子なりの苦悩があるのかもしれない。パッと見は大学生か高校生くらいに見えるけど……。僕は19歳だけど大学には行っていない。代わりに年子の弟がこの春、関西の大学に入学した。(遠すぎるから母さんは毎日心配して、よく食品を送っている)。たぶんアイツはアイツなりに頑張っているんだろうけど、僕だって行きたかった。彼女はどうなんだろう? と、言うか春休みでもGWでもない時期に何でこんな所へ来ているんだ?

 何はともあれ、あの目に戻ってほしい。

「京都の人はみんな君みたいに綺麗で説明が上手いの?」


 彼女は首を傾げると「人によるかも」と答えた。「京都は観光客が多いから道案内をする機会も多いし、着倒れの街だし……」と歯切れ悪く付け足した。

 それでもさっきの陰った目よりは綺麗だった。なぜだか、彼女の瞳がピンクを……いや、「柔らかい赤」を帯びて見えた。どんな色なのか見当もつかないのに、見えた。


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君の声が僕の世界に彩を吹き込む。 神永 遙麦 @hosanna_7

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