心喪少女

白白於莵(はくしろおと)

第1話

周りの音が、やけに遠くに聞こえる。

今は雨なのだろうか。固い粒が地道に私の体を濡らしている。

妙にぬるぬるとする手足と背中に当たるゴツゴツとした感触と共に覚醒した私が最初に抱いたのがそんな感想だった。

起きたくないと駄々をこねる瞼をこじ開けて、ゆっくりと周りの状況を確認する。

そうして目に映った景色は、見渡す限りのゴミの山と、その一つに横たわっている、私の体だった。

一応ゴミの山といっても、私が倒れているところに捨てられているのは生ゴミ等の類いではなく、どちらかといえば使えなくなった機械類が主なので、そこは安心してほしい。いくらなんでも十六の乙女が生ゴミの山に大の字になって横たわっているのは引く。さすかの私でもドン引きする。

まあ、もう乙女といえるかは怪しいところだが。

ぬるぬるする手(多分ついてるのは油だろう)を大きく振ってゴミの山から飛び降りる。

反動でがたがたする足を引きずりながらゴミの山の間を抜けていくが、それにしても見事に周りは山だらけである。

壊れた冷蔵庫に何かの部品、なんならロボットのパーツらしきものまで乱雑に積み上げられている。

そんな中を三十分も歩くと、先程までそこかしこにあった山も少なくなり、代わりに民家の残骸や廃屋の類いが増え出してきた。

ここらへんはもともと住宅地の端っこだったのだろうが、今となっては見る影もなく、ゴミ捨て場の一部と成り果てている。

特にすることもないと、なんとなくで数えていた廃屋の数が十を数える頃、私の体は異変を主張し始めた。

どうやら、熱を出してしまったようだ。どしゃぶりの雨の中、濡れて重たい体を引き摺って三十分も歩いていたので、当たり前と言ったら当たり前なのだが、廃屋の数なんかを数える余裕はある割に、そういったことを考える余裕はなかったのかとさらに気分が落ち込む。

熱に浮かされて満足に動けない体でさらに廃屋を二十個も数えた頃、私はようやく、人間の痕跡、まだ壊れきっていない民家を発見した。

至るところが傷んでいて、普通の場所にあったならば、けして人など住んでいないと思ったかも知れないが、この場所におあてはあちこちに補修の痕が見える壁に、埃の積もっていない玄関は、十二分に人の存在を示すのに相応しい証拠であった。

「誰か、いませんか?」

最後の力を振り絞って呼び掛ける。と同時に、熱に浮かされた体が限界を迎える。

(だめ、これ、もう立ってられな……)

「はーい、どなたー? ってちょっ、あなた!? 大丈夫?」

意識を失う直前の私が聞いたのは、そんな、優しそうなお婆さんの声だった。


**   **   *


気がつくと、私は、何も見えない暗い空間に一人佇んでいた。

必死に目を凝らして、少し目が闇に慣れてくると、周りにいくつかの実験器具や薬品らしきものが乱雑に置かれているのが見えた。

「これはだめだな」

そのとき、唐突に荒っぽい男の声が響いた。

声のした方を見ると、そこには白衣を着た背の高い男と、その前に置いてある手術台のようなものに横たわるの姿が見えた。

「三宅くん。ここへ」

「は、はい!」

どこからともなく、三宅と呼ばれた若い男がやって来る。

「これを"墓場"に捨ててきてくれないか。もう既に――は切ってある。」

「で、ですが所長……」

「――――――に心なんて要らない。分かったら、早く捨ててきてしまいなさい」

「……わかりました」

三宅の反論も空しく、私の体が運び出される。

そして、場面が切り替わって、次に映し出されたのは、先の三宅という男が、横たわった私の前で片膝をついて何かを呟いている場面だった。

「……、すまない。私の力では、これが精一杯だ。電源と--だけはなんとか--したから、どうか、無事であってくれ」

「三宅くん、まだ捨てて--いのかね? はやく--さい」

「は、はい! すぐ--ます! どうか、ご無事で!」

所長に急かされた三宅が私の体を抱えて走っていく。その後ろ姿を見ながら、私の意識は闇に紛れていった。


** ** *


「……ん」

ことことという何かが煮える音で、私は目覚めた。

私が先程まで着ていた服は脱がされ、代わりに暖かそうなもこもこした服を着せられている。

何か悪夢を見たという感触だけは残っているが、その内容がわからないという、なんとも言いがたい特有の気持ち悪さを覚え、ぶるりと震えて回りを見渡してみると、どうやら私は小さな部屋に置かれているベッドに横たわっているようで、部屋の中は、私が気を失う前に見た家の外見からは想像できないほど綺麗に整えられていた。

薬や非常食らしきものが整えられて入っている棚を横目に、感嘆のため息をもらしつつまだ少し熱っぽい体を引き摺って小部屋を出る。

小部屋を出てみると、そこは大きなリビングルームとなっていた。だが大きなリビングルームにしては珍しく、部屋の中にはと呼ばれているものが一切なかった。

--化学端末というのは、十年前ほどから発明され始めた、汎用アンドロイドや循環石油機などのこれまでの常識を覆すような機器の総称である。具体的な定義は私には分からない――

もちろん、こんな僻地に電気や水道が通っているわけもないので、どこかしらで使ってはいるのだろうが、それにしても見渡す限り一つも化学端末がないというのは、この時代においてはとても異質なことだ。

「あら、起きたのね」

気を失う直前に聞いた声が聞こえて来た方向をみると、予想通りの優しそうな雰囲気のお婆さんが、丁度何かをお鍋で煮ている所だった。

「もう少しでスープができるから、ちょっと椅子に座って待っていて頂戴。……大丈夫、何があったかは分からないけど、ここは安全よ」

その一言で、私は自分の体が酷く震えていることに気づいた。

(そっか、私、怖かったんだ。気がついたら鉄屑だらけの所に放り出されてて、そこからいつになったら脱け出せるかも分からずにただ歩き続けて、やっと、ここにたどり着けたと思ったら熱で倒れて。でも、でもやっと、人の温もりに、触れることができたんだ)

自然と溢れでた涙を止めることは、私にはできなかった。

「ほら、スープができたわよ。 ……もう、椅子に座って待っててっていったのに、仕方のない子ね」

お婆さんは涙でぐちゃぐちゃになっているだろう私の顔を見ても変な反応ひとつせずに、優しく頭を撫でてくれた。

「あ、あの!」

「大丈夫かい? ゆっくりでいいからね」

「あ、あの! その……」

助けてくれてありがとうございます、なんでこんなところに住んでるんですか、あなたは私になにも聞かないんですか。

聞きたいことは沢山あった。だが、何かを紡ぎだそうと開いた口はただ空気を送り出すことしかできなかった。

「なんで、ここには化学端末が全然ないんですか?」

代わりに口をついてでたのは、そんな全く関係ない質問だった。

「化学端末? ああ、そういや政府とかのお偉いさんとかはそう呼んでるらしいね、ここらじゃ単にケミトルって呼ばれてるけど」

一呼吸おいて、彼女は私にスープを勧めながら続きを話し始める。

「ほら、私ってばこんな辺鄙な場所に住んでるでしょ? だから化学端末ケミトルの維持も大変なのよ。まあ、どうしても必要なものはあるから、少しは町まで行って買ったりしてるし、全くないっていうわけでもないんだけどね」

なるほど。失礼だが、確かにこんな廃墟だらけの所では満足にメンテナンスもできないだろうし、化学端末を維持するのも簡単な話ではないか。

一人で納得している私をよそに、お婆さんは半ば独白のように言葉を続ける。

「それに、癪なのよ。この町をこんな風にした奴らの発明を、使うなんて」

ん? 今なんて? さらっととんでもない爆弾発言が聞こえた気がして黙り込んでしまう。

「ああ、ごめんなさい。あなたにこんな話してもしょうがないわね」

お婆さんは重い空気を感じ取ったのか、気を利かせて話をそらしてくれた。

「私の名前はミレノ。さあ、あなたの話を聞かせて?」


* * *


「……」

「あっ、ごめんなさいね。大丈夫よ、ゆっくり話してね」

私の沈黙をどう解釈したのか、ミレノと名乗ったお婆さんは、慌ててスープを勧めてきた。

「話したくないならまずはスープだけでも飲んでごらんなさい?」

違う、そうじゃない。

喉元まででかかった声が引っ込んでいくこの感じ、話したくないのではなく、のだ。

私は、ゴミの山で目覚めるまでの記憶を、全て失っていた。勿論、一+一はニだとか、そういった常識や、自分についてのことは覚えているが、なぜだか私の名前とゴミの山で目覚める前の記憶だけ失ってしまっているのだ。

「そう……まさかそんなことが……」

私はミレノさんに、気が付いたらゴミの山にいたこと、そして、それまでの記憶と自身の名前を忘れていることを話した。

「あなた、随分大変なことになってたのね、私ったらそうとも知らずに無神経に……。」

そんなことを言ったらミレノさんがいなかったら、私は今生きている保証すらない。

「そういってもらえるとありがたいのだけれど……」

納得はしていない様子だか、とりあえずは引いてくれたようだ。

「でも、名前を覚えていないのなら、どうやってあなたを呼べばいいかしら?」

確かに、それは重要な問題だ。といってもわからないものは仕方がないので、ミレノさんの好きに呼んでもらおうと口を開けると、

「リン」

……え?

「私のことは、リンって呼んで」

私の口は、勝手に自分の名前を決定してしまった。

いや、ミレノさんの好きなように呼んでいただいて大丈夫です。

と、喉まででかかった訂正の声に先んじるような

「リンちゃんね、よろしく、リンちゃん」

ミレノさんの一声によって、私の名前はリンと相成ってしまった。

「それでリンちゃん、これからどうするの?」

ミレノさんがそう声をかけてきたのは、私の名前が決められてしまって自棄飲みしていたスープが残り少なくなったくらいだった。

どこからか錠剤を取り出して飲んでいるミレノさんの方をぼんやりと眺めながら少し頭を悩ませる。

確かに、目が覚めてから無我夢中でここまで来た私だが、そこからどうするかということまでは考えられていなかった。

悩んでいる私を見て、ミレノさんは話を切り出してくる。

もし、もしリンちゃんがよければの話なんだけど。

「もしリンちゃんがよければ、私の子供にならない?」

十分すぎるほど前置きをした後に出されたその提案は、私にとって願ってもないことだった。


* * *


「リンちゃん、ちょっとそこのお鍋とってくれるかしら?」

「はーい、ちょっとまってね、ミレノお婆ちゃん」

私がここにたどり着いてからおよそ 四ヶ月。その間の生活は、文字に書き起こす必要もない程、平和なものだった。

ミレノお婆ちゃんから養子にならないかと誘われた後、私は二つ返事で了承した。

ミレノお婆ちゃん本人からもっと考えた方がいい

と言われた程だったが、私自身はこれで満足したつもりだ。

その旨を伝えると、もうそれ以上確認することはなく、ただ黙って抱き締めてくれたことを今でも覚えている。これだからミレノお婆ちゃんという人はサイコーなのだ。

「はい、お鍋」

「ありがとう、リンちゃん」

「いえいえ」

それからの日々はあっという間だった。私が来るまでは体力的にできなかったという家の修繕作業や、私が始めに目覚めた場所の近くまで行って使えそうなものを拾ってくればそれがそのまま反映されるという生活は、とても幸せだった。

いつかのタイミングで、せっかく子供にしてくれたんだから、とミレノさんのことをミレノお婆ちゃんと呼ぶことにした時も、孫ができた気分だと大層喜んでくれた程には、ミレノお婆ちゃんとの関係も良好になったと思う。

そんな幸せな生活が、いつまでも続いて欲しかった。続くと、思っていた。

はすぐにやって来た。

「ミレノお婆ちゃーん、このほこりとりどこに仕舞えばって、お、お婆ちゃん!?」

それから数日後、私がミレノお婆ちゃんと家の整理整頓をしている時、急にミレノお婆ちゃんが倒れてしまったのだ。

咄嗟に私の部屋(私がここに来て最初に目覚めた部屋が私の部屋になっている)に運んでベットに寝かせはしたが、一向に目覚める気配はない。

ど、どうしようどうしよう。

私に何かできることは……

その時、ちらりと視界の隅に棚に乗った薬の瓶が見えた。

「あれ、これって……」

私の記憶が合っていればの話だが、ここに最初に来たときは沢山の錠剤が入っていたはずなのに、もう今見てみると中身が一つしか入っていない。そして、ミレノお婆ちゃんはよく錠剤を飲んでいた。

勘違いかもしれないし、別の用途で使うものかもしれない。なんなら待っていたらすぐに目覚めるかもしれない。

でも、私には、もうその選択肢しか考えられなかった。

瓶の中から乱雑に薬の粒を取りだし、軽く体を起こさせたミレノお婆ちゃんの口に含ませて、

台所まで行き持ってきた水を少しずつ口に入れると、なんとか薬は飲み込んでくれた。

「リン、ちゃん?」

「お婆ちゃん!」

それから数十分後、ようやくミレノお婆ちゃんが目を覚ました。

「リンちゃん、私は? 確か整理をしてたはずだけど……」

そう言いながら周りを軽く見渡して大体の事情を把握したらしい。

「そう、ついにリンちゃんに話をする時がきたのね」

こちらを向いて、なにやら深刻な調子で、身の上話をし始めた。

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