スイカの歌
九畳ひろ
第1話
グランドが太陽を反射する。白くてまぶしい。自然と薄目になる。口から吸い込む空気が熱い。ハンドボールのシュート練習をする耕太に、顧問がボールを投げる。キャッチしたボールも熱い。くるりと体を反転させて、ゴールに向かってジャンプする。ボールをゴールに叩きつける。キーパーの手をはじいて、ボールはゴールに入る。ホッとする。チラッとテニスコートの方を見る。彼女がまだこっちを見ている。
テニスコートとハンドボールコートはフェンスを隔てて隣接している。そのフェンスに指をかけ、ラケットを持ったりんがこっちを見ているのだ。テニス部なのに真っ白な肌。スラリとした手足。クリっと形のいい目。わずかにとがったピンクの唇。今日は栗色の髪をポニーテールにしている。目が合うとりんが笑顔で目を細め、手を振ってきた。耕太はぎこちなく手を挙げる。りんがウンウンとうなづく。耕太はりんを直視できずうつむいた。
川本りんとは同じクラスだ。学年一可愛いと言われるりんのことはもちろん知っていた。テニス部のトップ選手で、成績優秀。東京で暮らしていた二年前まで、劇団に所属して、ミュージカルにも出ていたと言う。いつもは明るいのに、ふと見せる憂いを帯びた表情もまた彼女の魅力だと騒がれた。
高校一年のとき、耕太は違うクラスだった。だから高校二年になるまで、りんと話す機会はなかった。そもそもりんとは世界線が違う。りんはどこにいても目立つ。それに賑やかな連中にいつも囲まれている。一方耕太は休み時間の趣味、読書。自宅の趣味、ピアノ。クラブもハンドボールという、絶妙に地味な属性だ。だから同じクラスになっても、りんと世界線が交わるはずもなかった。
高校二年の四月。クラスで例年通りの委員決めをした。広報委員、図書委員、文化祭実行委員にクラス委員。最後まで残ったのはクラス委員だった。誰も立候補しない。困り果てたクラス担任が、まず目立つりんを、次に自分の目の前に座っていたというだけの理由で耕太を指名した。
「よろしくね!」休み時間になって、りんが教室の端から耕太の席まで来てくれた。腰をかがめて耕太の顔をのぞき込み、ストレートの黒髪を耳にかきあげた。甘い匂いがした。「う、うん」耕太は何とかそう答えた。顔に血が上る。耳が真っ赤になったかも。りんはしかし、誰にでも好かれるというわけではなかった。特に一部の女子からは敵対視されていた。それらの女子には共通した特徴があった。そこそこかわいくて、そこそこ目立つ女子たちだった。そんな女子たちにとっては、りんのことが目ざわりだったのかもしれない。
ある日、そのトラブルは起こった。修学旅行で長崎にいく耕太たちは、平和記念像に供える千羽鶴を折っていた。担任の命令でクラス全員が残されたものだから、高校生たちの不満は大きい。あちこちでブーブー文句を言いながら作業が進む。耕太とりんはクラス委員として、教卓の前に座って鶴を折っていた。四時半になって、りんが立ち上がった。
「ごめん。今日はどうしても帰らなくちゃいけなくて。ごめん。帰るね」
前の日に、耕太は事情を聞いていた。りんは父親に会いに行くと言った。詳しい事情は聞かなかったが、事情があるのだ。それだけで十分だった。前の日、りんはギュッと手を合わせて耕太に言った。
「耕太サマ! どうかお願い。クラス委員だからホントは残らなきゃだけど。どうしても!」
「いいよ川本さん。後はやっとくから」
「ありがと。助かる! てか、また川本さん? りんでいいってば」
りんは目を細めて笑った。
耕太は前日の会話を思い出し、ニヤけそうになった。ところが、
「ちょ、マジ川本さん? ありえないんだけど」
教室の後ろでふいに一人の女子が声を上げた。「そこそこ」の女子の一人だ。教室がしんとなる。
「それな!」
教室の真ん中に座っていたもう一人の女子が答える。耕太のニヤけた表情が吹き飛んだ。
「え……。ごめん」
りんが固まる。
「ごめんって言われても、ウチら帰れないんだけど」
静かな教室に声が響く。
「で、でも、今日は……今日だけは…」
りんが言い淀む。
教室の沈黙が重くなる。耕太は思わず立ち上がった。勢い余って椅子を倒してしまった。ガタンッ! 大きな音が鳴る。
「な、何よ」
「すみません。ぼくが川本さんの分も折るんで……お願いします」
耕太はつばを飲み込んだ。
「は? 何言ってんの。ウチらは一人だけ帰るのがあり得ないって言ってんの」
「でも、……お願いします。あなたちの分も僕が折ります」
耕太はそう繰り返して頭を下げた。
「何それ? そういう問題じゃないんですけど」
二人目の女子が唇を尖らせる。りんが顔をこわばらせ、耕太と女子たちを交互に見る。
「もういいんじゃねーの? 行かせてやれよ」
教室の後ろ、最初の女子の隣に座っていた淳也が、茶髪をかき上げながらのんびりと言う。淳也はサッカー部。耕太とは幼なじみだ。文句を言った女子たちが淳也の声にひるむ。
「私もあんたらの分、折るよ。それでいいっしょ?」
りんと同じテニス部のちあきが続く。ショートカットのちあきは、りんとは対照的にこんがりと日焼けしている。誰も口を開かない。二秒、五秒、十秒。教室の静寂が
さらに張り詰める。
「……わかった。わかった。わかりました」
最初に文句を言った女子がそう言って、さっさと自分の折り鶴に戻る。二番目の女子もそれにならう。りんはペコリと頭を下げ、急いで教室を出て行った。教室の扉を閉める前、りんは耕太を見て、胸の前でまたギュッと手を合わせた。耕太は机の上で手首を起こし、ぎこちなく手を振った。
この事件以後、りんとよく目が合うようになった……気がする。耕太はそう思っては、また打ち消す。そんなハズはない。僕ごときに。自分がりんを見てるから、目が合うのだ。勘違いをしてはいけない……。そんなことを考えながら耕太は次のボールを受ける。目の端にテニスコートのりんが見えた。「りんでいいってば」りんの笑顔が頭をよぎった。耕太は大きくシュートを外した。
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