抜け殻、コンビニ、17時

ヨコ

第1話

「ばいばーい」


今日会っただけの相手に手を振る。仕事は何をしているのかはもちろん、本名も知らない。駅まで歩きながら鞄の中を探ってスマホを取り出す。

『ご飯美味しかった!また行きたいな』

SNSに短い文面を料理の写真付きで投稿すると、ぽんと音が鳴り出てきそうなタイミングでハートが増えていく。

「ただいま」

「おかえりぃ」

玄関ドアを開けると、リカの間延びした声が出迎えた。今時珍しくない、女友達とのルームシェア。

「遅かったね」

「ん」

短い台詞で返事だけして洗面所に向かう。

脱いだ服を自分用の脱衣かごにぽんぽん放り込んでいく。

「ねえ、アヤ」

「何?」

「帰ってきたばっかでごめん、夕飯どうする?あ、それとさあ」

訊いておきながらこっちの返事を待つ間を持たない。リカの癖だ。

「ナベ君、さっき来たよ」

脱衣かごから崩れ落ちたロングスカートを拾っていた最中、何気ない言葉に思わず動きを止める。

「え、マジ?なんで?」

「知らなーい。そろそろ帰って来るよ、て言ったら時間つぶすって。近くにいるんじゃない?」

スマホで連絡取ればいいじゃん、マジウケる。そう続けたリカの笑い声が浴室のドアを閉める間際に聞こえた。


シャワーのコックをひねる。化粧を落として、裸になって。お湯を頭から浴びている瞬間がわりと好きだ。頭の中から余計なものがこそぎ落とされていく気がして。湯気でうっすらと曇った鏡に指をすべらせる。フィルターがかった自分の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。

──さっきのお店のご飯美味しかったな。

そんなことを考えながら、料理名はもうとっくに思い出せなかった。


上下とも楽なスウェットに着替えて「ちょっと出てくる」と居間に向かって声を掛けたものの反応はない。リカはたぶん抱き枕を抱えていつもみたく寝落ちしてる。

一番近くのコンビニに向かえば、駐車場の隅にぽつんと佇んでいる渡辺が見えた。猫背でうつむきがち。視線は手元から離れない。ゲームか何かやっているんだろう。

いつの間にか辺りは夕暮れに染まり、日なたと日陰の境目が無くなっていた。ふと渡辺が顔を上げたタイミングで視線がぶつかった。瞬きする間に呆れたような表情になった渡辺が、遠慮のない声を放り投げてくる。

「お前それまだやってんの」

「うるせーわ」

「自由だねお前は」

そもそもまだってなんだよ、期限とかねーし。

さっきまでとは違う、低い声が声帯を貫く。

ふーん、ところで前に教えた漫画読んだ?

読んだ読んだ、けっこー面白かったから紙でも買った。

脳みそを使わずにぽんぽん放り投げるようにして会話が進む。

幼馴染みで腐れ縁の渡辺。

こいつは多分、俺のことを良い意味でどうでもいいと思ってる。どうでもいいと思ってるから、長く付き合いが続いているんだと思う。

俺が女の格好しだしたとき、渡辺はちょっと眉を寄せて首を傾げた。

『何で?』

まあ誰だってそう言うだろう。

今までそんな気配無かった奴がいきなり女装しだしたんだから。

『なんとなく。こーいう格好してみたかった』

渡辺が他の奴らと少し違ったのは、そんなボンヤリした俺の言葉に、あっそー、と言ったきり一切突っ込んでこなかった所だ。

さっき俺が手を振った時、目に入っただろう真っ赤なマニキュアにも何も言わない。今はスマホのゲーム画面を食い入るように見つめている渡辺の横顔をぼんやり眺める。

こいつは昔から変わってないな、と思う。

俺が知る限り、大学に入ってから眼鏡のフレームが変わったぐらいだ。

「最近のアニメ、何か見てる?」

「んーあんまりピンときたやつないかな」

女友達とルームシェアしてるだけなのに、男と女だから付き合ってると思われて、好きな格好してるだけなのに、男のくせにって言われて。

「前に俺が勧めたやつは見た?」

「見たけど、1話で切った。俺には合わない」

ただ、女の格好したいときと、男の格好したいときがあるだけ。

日によって気分が違うのと一緒で、俺にとっては息を吸うのと一緒で。

指先のマニキュアを目の前にかざして見つめる。辺りはすっかり日が暮れて、背後のコンビニの灯りが色を判別できる助けになった。

渡辺がちらりと視線を寄越したけれど、何も言ってこなかった。

大学で好奇の視線を向けてくるヤツも少なからずいる。自分からすれば死ぬほどどうでもいい。

──お前、いい加減ちゃんとしろよ。

数か月前に久しぶりに実家に帰ったとき、兄から言われた言葉は思い出したくもないのに何度も何度も脳内で再生されて、そのたびに喉がひりついて暴れ出したくなる。

「じゃあまたな」

画面から顔を上げた渡辺が、用が済んだとばかりに別れの言葉を口にする。

目まぐるしい勢いで情報が加速する世界にいるくせに、変化せずにいられる渡辺が手を振る。


『自由だねお前は』


歩いていく背中をぼんやりと見送りながら、そんな台詞を言ってきた渡辺のことを、俺は今日も羨ましいと思っている。






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