決戦 Ⅳ




 領域を広げて〝古ぶるしきもの〟の中身を把握していけば、核のようなものが中心に存在していることが理解できる。

 ただ、僕の魔法の数々の実験台――げふん、標的になったものの、その分厚く巨大な身体はまだまだ大きく、その核まで貫くのは時間がかかりそうだ。


 それにしても……だ。


 コイツの巨大な体躯は、その多くがどうも魂という名の情報の塊を貪って手に入れた、人間種の肉体で言うところの筋肉、いや、むしろ非常時にこうしてエネルギーになる辺り、脂肪に近いかもしれない代物であるらしい。


 そんな情報を読み取って観察している僕を他所に、〝古ぶるしきもの〟の身体が波打つように動き始めた。

 大量の眷属を生み出し、それらが黒い人影のような姿をしたままあちこちに離れていく。


 この場で全て消失させてやってもいいけど、水都先生や大重さんたち、それにウチの子たちが活躍しているので、そちらは放置する。

 教皇だとか枢機卿だとか、なんかそんな偉そうな連中も虫の息みたいだし、どうにでもなるでしょ。


 それよりも、僕の意識は領域の向こう側に存在している〝古ぶるしきもの〟に向けられている。


 この瞬間に思い切り領域を奪って消失させてやりたいところだけれど、どうやら眷属を生み出しながらも己を強化しているのか、領域への干渉が難しくなってきている。

 さっき僕に命令を上書きされ、警戒したのかもしれない。

 相手が領域の干渉能力まで有していると理解した以上、寝惚けていられるはずもないだろうし。


 そうして身体がみるみる縮んでいき――やがて、動きを止めたかと思えば、身体を構成していた触手が解けていき、その中から二足歩行型の巨人とも言うような、体高にして20メートル前後の高さを持った、手足の先と顔の口元が触手でできた化物が粘液を垂らしながら姿を見せた。

 どうやら核もあの身体の胸の中心にあるみたいだ。



《――幾久しくこの姿になった。悪くはない》



 身体の感触を確かめるように腕を折り曲げてみたりして、枝分かれした触手を動かしながらそんなことを呟き、僕に顔を向け――咄嗟に翼を目の前に折り曲げて集め、防御。

 硬質な刃同士がぶつかり合うような音を奏でて、僕の身体が吹き飛ばされた。


 中空で翼を広げ、その場で停止する。



「……ずいぶんと速くなったね。ようやく本領発揮かい?」


《減らず口を叩く余裕があるとは、な――》



 刹那の間に眼前に迫る触手の数々。

 さらに、先程僕の魔法を止めた領域支配を利用した命令を使おうとしているようだけれど、こちらも領域の支配干渉を強めつつ、触手を回避する。



《――爆ぜよ》


「っ、チィッ!」



 回避した矢先に現れた光の球体、それが一瞬で膨張して――巨大な爆発を引き起こした。

 さすがに回避が間に合わなかったせいで、再び僕の身体が吹き飛ばされ、地面に叩き落される形となった。

 滑りながら着地して顔を上げると――再び触手。

 回避が間に合わず、こちらも翼から黒い盾を生み出して受け止めるも、今度は横に吹き飛ばされ、無様に転がった。



《……魔王、と言ったか。我に本気を出させるのは素直に称賛に値するが、その程度とはな》


「……ずいぶんと強気なことを言ってくれるじゃないか」


《強気にもなるだろう。今の攻防、ついて来るのがやっとというところではないか》



 実際、僕は今の攻防で後手に回ってしまっていて、形成が逆転したとも言えるのは確かだ。

 さっきまでとは全く違う速さに、魔法のような支配領域を利用した事象発現。

 それらは確かに、人間種として対応しきれるようなレベルじゃない。


 再びの波状攻撃。

 大鎌を使っての対応だとさすがにこれは捌ききれないので、大鎌は影の中に片付けて、両手をフリーにしておき、避けながら魔力を練り上げ、【魔砲】で反撃する。

 けれど、領域の支配力を高めて防御に回されているせいか、【魔砲】は〝古ぶるしきもの〟に当たるその直前で霧散するように消え去ってしまい、意味を為さない。



《愚かな》



 さらに攻撃は続く。

 しかも追撃は〝古ぶるしきもの〟の本体から放たれるのではなく、先程脱ぎ捨てた肥大化した脂肪とも言えるようなそれらから飛んできたらしく、僕の死角を突くように、しかも気が付いたとしても逃げ道もない程に大量に伸びてきた触手の槍だ。


 どうにかそれらの軌道を読み切って、身体のあちこちの薄皮を切りながらも避けたところで、すでに〝古ぶるしきもの〟が僕の目の前で巨大な腕を振るっていた。



《――終わりだ》



 避けきれず、叩き落される羽虫のように吹き飛ばされて地面を転がり、仰向けに動きを止めた。

 


「く……っ」


《人間種を超えた存在であることは間違いない。幾久しくこの姿になったが、我に本気を出させたことは間違いであったな》



 己の身体を見せつけるように腕を伸ばして、〝古ぶるしきもの〟が僕を見下ろす。

 そうして、その手が僕に向かって伸びて。


 ――あぁ、ダメだ。






 ◆ ◆ ◆





 颯と〝古ぶるしきもの〟の戦いが激化していた、その少し前。

 ハワードは枢機卿と思しき眷属の身体を解剖しながら、その片手間とも言えるような態度で、〝古ぶるしきもの〟から出てきた眷属を手を振るだけで消滅させていた。



「――ふむ。やはり身体の造りからして人間とも、あるいは獣とも異なっているようですね。どちらかと言えば、粘性液体生命体に近い、とでも言うべきでしょうか。実に興味深い存在です」


「ぐ……があぁぁ……ッ!」


「痛覚もなさそうですし、自由に身体の形を作り変えられるというあたりも便利そうですね。いやはや、解剖するだけならば面白みに欠けますが、興味深さというものは必ずしも比例しないとは、新たな発見でございます」



 ハワードの糸に縛り上げられ、身動ぎすらままならない枢機卿の口元から漏れた声など、ハワードはまったく頓着することもなかった。

 一方で、そんなハワードの近くで溢れてきた眷属を屠っていた細身の青年――ジンが、呆れた様子で溜息を吐いてからハワードへと声をかけた。



「ハワード。たのしい?」


「おや、おかえりなさいませ、ジン。えぇ、それなりに興味深いことが分かりましたよ」


「興味深いこと……? なに?」


「どうやらこの者たちは、自身の身体を変形させられるというのに、どうも『己自身と分からなくなる姿』にはならないようなのですよ。色々と試してみたのですが、どうやら己の本質とでも言いますか、そういったものまではどうしても変えられないようです」


「よくわからない」


「おや、申し訳ございません。簡単に言えば、身体の中心近く――横は肩口あたりから、下は腹部上部、そして顔。このあたりについては人間形態以外の姿を取れないようですね」


「ふーん」


「おや、興味がございませんか? 何故変わらないのか、のか。ワタクシとしましては、推測の域を出ないものの、仮説は浮かんでいるのですが」


「どうでもいい。腹の中に入れば一緒だから」


「おやおや、それはまあ否定できませんね」



 そもそもジンは常識というものも、倫理観も、勉強もしていない。

 生まれた時から研究施設で育てられ、赤子の段階で魔物と融合させられたジンは、基本的に持て余されがちな存在だった、というのが正しいところだ。

 そんなジンに、考察や研究というような分野を好むハワードが語りかけたところで、こうなるのも仕方のないことであった。


 ハワードとしては、この法則はおそらく、『アイデンティティーの確立のため』という仮説を立てており、それを話したかったのだが……相手がジンであるとなると、なかなか難しい。

 こういった話に多少なりとも興味を持ってくれるようなドラク、あるいは颯に話してみようかと考えて、ハワードは颯の方をちらりと見て、思わず目を見開いた。



「……おや、我らがマスターが押されている……?」


「有り得ない」


「えぇ、ですが、あれを御覧ください」



 ハワードに促され、ジンがハワードの促す方向――颯と〝古ぶるしきもの〟の戦いを見やり――そして、目を剥いた。

 唐突にジンが身を縮め、自分の身体を掻き抱くようにして膝をつき、俯く。

 その唐突な変わりようにハワードが何事かと声をかけようとした、その時――ちょうど〝古ぶるしきもの〟が颯を叩き潰そうとしているのが目に見えて、気が付いた。


 ――まるで濁流が一つの場所に吸い込まれるかのようだ、とハワードは思う。


 颯から流れ込んできた、あまりにも膨大で、激しすぎる力の奔流。

 奉仕種族として〝進化〟を果たした〝666〟のメンバーたちは、全員がその力を感じ取り、その光景を見つめて動きを止めていた。


 ――あぁ、始まる。


 この時ばかりは、ハワードにも。

 そしてハワード以外の面々にも、〝古ぶるしきもの〟を崇拝する教皇、そして枢機卿の気持ちというものが、初めて理解できていた。


 奉仕種族となった彼らには、その仕える主の力がより鮮明に、よりはっきりと知覚できる。

 その差が大き過ぎるが故に、畏怖や恐怖というものでは収まらない畏敬が、憧憬が生まれるのだと理解する。


 日頃から物事を冷静に、客観的に捉えてきたハワードだからこそ、即座に我に返り、叫んだ。



「――全員、集まりなさいッ! !」



 ハワードの叫びと同時に、〝666〟の者たちは連れている探索者や水都ら第4特別対策部隊の面々を無理やり引っ張り上げて、その場に集まった。



「――げほっ、い、いきなり、何が……!?」


「離れていたら、守れません。これからこの一帯は、常に死がその首を狙っていると考えていただきたい」



 いつも余裕のある振る舞いをしているハワードらしからぬ、ピンと張り詰めた空気を纏った宣言。

 首元を引っ張られて文句を口にした大重が言い返そうとしたその時、ようやく大重は気が付いた。


 その場に『終わりの獣』たちが集まり、全員が全員、これまでに見たこともない程の緊張感を漂わせていることに。



「――我らで全力で結界を重ねます。ここから先は、それしかできないと思っていてください」



 そんなハワードの言葉の直後、この戦場に似つかわしくない笑い声が響き渡った。






◆ ◆ ◆






「――ふ、くくく、はははははっ! あっははははははっ!」


《っ!?》



 うん、本当にダメだ。

 どうしても……我慢できなくて、


 が外れてしまった。



《な、んだ、この力は……!?》


「――僕ってさぁ、強い相手と戦ってると、なんかすっごく楽しくなってきて笑っちゃうんだよね」



 常日頃から真剣にはなりきらない。

 それをしてしまうと、僕は興奮を抑えきれなくなって、が見えなくなってしまうから。


 ぴきり、と空間が歪んで、その向こう側。

 水中で泡が生まれたような音を立てて、歪んだ空間から目玉が一つ、浮かび上がって姿を見せた。


 ただそれだけ。

 掌に収まるようなそれが一つ現れただけで、世界が悲鳴をあげたかのように奇妙な音を奏でる。



「ダメだとは思ってたんだよ。こうなっちゃうと僕、手加減とか、演出とか、色々とどうでも良くなっちゃって、どうやって殺そうか、どうやって潰そうかってことばっかり考えちゃうからさ」



 さらに一つ、目玉が現れて、追加で今度は2つ。

 仰向けになっていた身体を起こして、その目玉を周囲に浮かべながら、僕はただただ満面の笑みを浮かべた。



「――おまえは、死に際に何を見せてくれる?」


《き、さまは……ま、さか……! っ、そんなはずはない! あってはならない! 人間種風情が、そんな――!》


「そう、はもうおしまい。ここからは、僕が僕として、【道化たる執行者ミマシューター】として、相手してあげると言っているんだ。――もうそんなつまらない技、通用するはずがないだろう?」



 両手を広げて首を傾げてみせれば、〝古ぶるしきもの〟が慌てた様子で触手を伸ばす。

 でも、迫る触手のその全てが、何もしていない僕に近づいただけで力なく融解して、べしゃりと水音だけを鳴らして落ちていく。


 僕のの力の片鱗を持ってきている以上、それに抗えるだけの力がないのでは、そうなるのは当たり前と言えば当たり前だろう。

 何せ僕の周囲に浮いている一つの目だけで、肉体端末の僕の邪眼を超える程の力を有しているのだから。


 浮かんだ目玉が触手を見つめる。

 ただそれだけで、触手は呪いに耐えきれずに腐って落ちる。



「本気にさせたのが間違いだった、だっけ? ――違うなぁ。そもそも最初から、徹頭徹尾、間違ったのはおまえの方だよ。んだもの」


《……な、ぜ……》


「ここから始まるのは『戦い』じゃない。――さあ、始めようか。『』の時間だよ」



 満面の笑みを浮かべた僕とは対症的に、〝古ぶるしきもの〟は時を止めたかのように動かず、ただただ僕を見つめて固まっていた。





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