ダンジョンが浸透しつつある日常




「――……さっむ……!」



 暖房の効いた建物内から屋上へと出た崎根が、思わず呟く。

 残暑が続き、秋を飛び越えたかのように唐突な冬の訪れは、どこか冬服を取り出すのに躊躇っていた日々に唐突な終わりを告げた。

 冷たい空気が肺に流れ込み、身体の内側を芯から冷やしてから白い吐息になって流れていく。



「頭はすっきりしますけど、煙草を吸っている間に冷えそうですね……」


「だな」



 屋上の出入り口で煙草を咥えつつ、火を点けながら扉から離れていく。

 これまではある程度離れてから煙草を咥えていたものだが、その僅かな時間で身体が冷えてしまいそうだと考えての行動だ。

 落下防止のフェンスへと近づいてから、二人は揃って曇天の空へと紫煙を吐き出した。



「……冬だな」


「ですね……。〝資源専門ダンジョン〟が出てから、もう3ヶ月強です。もうすぐ12月ですよ?」


「うへぇ……、あっという間にまた一年が終わるのかよ」


「そうやって年齢を重ねていくんですよね……」


「……学生の頃は一日、一週間、一ヶ月、一年なんて長いような気がしてたんだけどなぁ……」


「……そうでしたね……」



 一瞬一瞬に夢中になれていた子供の頃を思い返して崎根が呟けば、瀬戸もまた思い当たる節があったのか、若干遠い目を浮かべて同意する。

 僅かな沈黙の中で、互いに口にした煙草の先端がジリッと音を立てて燃える音だけが静かに鳴ったところで、崎根が深く溜息を吐き出した。



「……あー……、寒さで目が冴えるのが救いだわ……」


「徹夜明けですから」


「だなぁ……。さすがにこの歳で徹夜は辛いわ……」


「……崎根さん、おいくつでしたっけ?」


「もうすぐ40だな。オッサン真っ盛りだわ」


「そうは見えませんけどね。……まあ、その白髪はしっかりと染めるなりしたら、もっと若く見えます」



 冬の乾いた風に揺れるボサボサの髪に交じる白髪。

 それらをちらりと見て瀬戸が言えば、崎根が紫煙を吐き出して煙草を指に挟んで頭をかき上げた。



「いちいち染めるのが面倒くせーんだよ。どうせすぐ伸びちまうし」


「そういうとこですよ」


「いいんだよ。若作りして若く見られたいなんて思わねぇしな」


「そうですか。……まあ、私も若く見られますけど、それが嬉しいとは思わないですね」


「女性は若く見られたいんじゃなかったか?」


「私は年齢を恥じるような生き方はしてませんから。年齢を聞かれても胸を張って答えますし、失礼だなんだと気にするようなことはありませんね。もっとも、まだ27ですが」


「その歳でそれが堂々と言えるんなら、これからも変わる事はなさそうだがな」



 これが20代前半であったのならともかく、一般的に過敏になり始める、いわゆるアラサーとなってくれば話は変わってくるだろう。

 もっとも、今時分30代でも若造扱いされる程度には現役世代が広がっている。

 60代になっても元気な現役世代の活躍も多く、若い世代の顔や肌も一昔前よりもまだまだ若く見られやすい。


 自分が子供の頃、40歳ともなればもっと老けていたよな、などと考えてから、崎根は改めて煙草を咥えてポケットからホットの缶コーヒーを取り出し、プルタブを引いて開ける。


 その音を合図に、瀬戸も意識を切り替えたように表情を引き締め、口を開いた。



「……〝資源専門ダンジョン〟の入場者ですが、元々探索者として活躍していた特区出身者が多い一方で、一般人もまだまだ少ないとは言え、徐々にそちらに移行している者もいるようです」


「新システムのレベル50以上ってヤツが増えてきたってことか」


「はい。強くなり、スキル、魔法というものが手に入ったことでのめり込むような者が多いようですね。ただ……〝資源専用ダンジョン〟は事故も多く、犠牲者は出ていますね」


「そりゃそうだろ。そこんトコは探索者ギルドからもしっかり説明されているはずだよな?」


「もちろんです。一応、探索者ギルド講習、またはクラン側の探索許可証の発行などで対応はしています」



 これまで一般人が入っていた〝生活系ダンジョン〟は、そこにいる魔物が自分から襲ってくることのない、MMORPGなどで言うところの〝ノンアクティブ〟と呼ばれるような特性を持っている。

 そのため、しっかりと態勢を整えて先手を取ることができ、常に有利に戦いを運ぶことができたのだ。


 一方で、〝資源専用ダンジョン〟は違う。

 魔物たちが襲ってくるとなれば、常に態勢を整え、万全の状態で息を合わせて「よーいドン」とはいかない。

 また、戦いの音、声を聞いてさらに魔物が近づいてくることも珍しくないため、戦闘中に増援のような形で他の魔物が迫ることも珍しくはない。


 特区出身者であればそういった環境に慣れていて当たり前だ。

 何せ、もともと特区内にあるダンジョン――旧ダンジョンと呼ばれている――では、魔物が自分から襲ってこないなんて有り得なかったのだから。


 しかし、一般人として生きてきて、〝生活系ダンジョン〟しかダンジョンというものを知らない者達にとってみれば、ハードルが上がったように感じられる。


 そのため探索者ギルドでは、一般人出身の探索者たちに対して、〝資源専用ダンジョン〟に入るためには、許可証が必要になる。

 クラン側から規定の実力があるという証明書をギルドに提出してもらうか、〝資源専用ダンジョン〟での戦いの講習を受講してもらうことで許可証を発行してもらうことを義務付けているのである。

 ちなみに、許可証がなくてもクランにいる先輩探索者――つまりは特区出身探索者が保護者として同行してもらえるのであれば、入場は可能である。


 ともあれ、上記の対応のおかげで事故率は最小限に留められていると言っても良いが、皆無になる、ということは有り得ないが、それを良しとしているという訳ではない。

 可能な限り犠牲を出さない方法を模索していくのが、崎根らの仕事だ。



「ただ、どうもクラン側にお金を払えば許可証を発行するというようなクランもあるようですね」


「……あぁ、やっぱそういう連中も出てきたか」


「はい。探索者ギルドの講習は、だいたい週に3回、一ヶ月ほど受けてもらう必要があります。その講習を無事にクリアするためには、警戒や索敵などをしっかりとこなせることが求められる形になりますので、必然、厳しい基準となっていますから、再受講を命じられる者もいますしね」


「その査定が面倒で、裏道を利用したっつー訳か。真面目にやろうとしないあたり、〝資源専用ダンジョン〟で手に入る金額のデカさに目が眩んだ連中だな」


「はい。すでに探索者ギルドと『クラン同盟』が動いて、そういったクランを取り締まっているのですが、どうやら組織的に動いているようです。裏から指示を受けた小さなクランが小遣い稼ぎにそういう真似をしているようで、そのクランを潰しても、また似たような形のクランが大量に出てきているとか」


「……いたちごっこだな。クソッタレ、こんなご時世で人間同士でバカな真似なんてしてる場合じゃねぇっつーのに……」


「取り締まりは強化していますが、このままだと探索者講習のみを許可する形になりますね」


「そうだな。もしくは、『クラン同盟』に参加している信用度の高いクラン以外、許可証の発行はできないような制度を設ける方が無難かもしれねぇな」


「承知しました。では、草案をまとめて探索者ギルドと進めます」


「おう、頼んだ」



 特区と一般人の区別がついていた頃は、クランの創設は〝特区外出免許〟の〝私用特区外泊免許〟の中級以上を取得した探索者をリーダーにしたもの以外は認めていなかった。

 だが、特区と一般人という形で分けられなくなってしまい、探索者ギルドが今の体制に変わってからというものの、一時的にその制限は取り払われることになっていた。


 これには理由がある。

 どこにも所属していない状態の一般人出身探索者などに目を向けるためだ。


 突然力を持った結果、埋没していた残虐性、嗜虐性というものを発露させる者は少なくない。そのため、そういった一般人出身探索者を保護し、特区出身者や先達による指導を広めさせることを目的にクラン登録を推奨しているため、特区出身者であり犯罪履歴がない者であれば、誰でもクランを創設できるようになっているのが現状だ。


 だが、特区出身で犯罪を犯していないとは言え、それが公になっていないだけの者もいれば、楽して金を稼ぎたいと考える者も珍しくはない。

 魔力犯罪者グループは、そういった特区出身者にクラン創設をするよう斡旋し、正規ルート外で許可を受けたがる一般人を食い物にすることを考えているらしい。


 しかし、この制度を悪用してくるとなれば、当然取り締まりは強化せざるを得ないというものだ。


 この会話をきっかけに、後に『クランランク制度』と呼ばれる制度が実施されることになるのであった。







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